はじめてのビンテージギター

 

第23話は

「一生使える物を選ぶ」

そんな価値観をもつ体験です。

 

高校3年生の時に

紆余曲折のすえ

フェンダーストラトキャスター

61年製を入手。

 

どうしても

1959年から1961年のもの

がほしかったのでこだわって選びました。

 

いろいろなギターはありましたが

一生使える一本。

 

買い換えなしの一本。

 

こんな観点で

物選びをしたいという

同級生からすると

変わった判断基準が

芽生えてきた頃です。

 

 

ここからマニアックな

ギターショップに

出入りするようになっていきます。

 

ギターに興味が出てくると

コンサートやライブハウスに

入り浸りそうなものですが

それは興味がわきませんでした。

 

ギターという楽器そのものへの

興味に偏っていきました。

 

特に

ビンテージギターの中でも

ストラトキャスターに

惹きつけられていきました。

 

 

そんなときに当時人気があった

ジャーニーというバンドがありました。

 

そのギタリスト 

ニールショーンさんが持っていた

ダブルネックのギターを

雑誌でみていました。

 

それを制作した

ギターショップにご縁があり

お店に入り浸るようになりました。

 

ものすごい場違いな感じでしたね。

 

外国人のプロミュージシャンが

よく来てました。

 

国内でも

有名ミュージシャンの

バンドメンバーなど

いかにも音楽業界の人ばかり

プロのたまり場でした。

 

そんななかに

英語もしゃべれなければ

ギターもたいしてひけない

ガキがやってきて

やたらとギターの事を

根掘り葉掘り聞くわけです

かなり変なやつでした。

 

そのショップに入ってくる、

雑誌でしか

見たことがないような

ビンテージギターを眺めにいくのが

至福の時でした。

 

だいぶ通っていたのですが

念願の61年のストラトキャスターは

なかなか出会うことはありません。

 

54年、57年、など

特徴的なものも

何本もあったのですが

仕様のちがう61年が良かったんですね。

ここはこだわりでした。

 

実際、雑誌の広告でも

たくさん出る物ではありません。

 

1年くらい前から話をして、

ことあるごとに

入りそうだったら

情報くださいといってました。

 

もう入ってこないなあと

思いつつも

いつくるかいつくるかと

待ち構えていました。

 

そうこうしているうちに

店主がアメリカで

3本買い付けてきたという話があり

その中のの一本を手にしました。

 

そのときの感じは

ちょうど寓話の

「金の斧、銀の斧」のような感じでした。

 

「あっこれうちの」

 

この感覚は楽器が

やってくるときに

ハッキリわかる感覚です。

 

そんなこんなで

手に入れた初めての

ビンテージギターの感想は???

 

「なんかくせ~」

 

なんともいえない匂い、

ブラックのおじさんが、

ログハウスのベランダで、

古いアンプに直結して

ブルースを弾いている姿が

目に浮かんでくる匂いでした。

 

やっぱり一生物がいい

この頃からなんでも

一生ものになるものを

持ちたいと

思うようになっていきました。

 

小鼓は

このときまったく

自分の中には

存在もありませんでした。

 

それでも結果として

一生もののものばかりを

手にする職業になってしまったのは

このときに

種があったのだと思います。

 

とにかく

長く使える物を

大切に使うのが好きです。

手放したギターから学んだこと

このギターは

大切なものでしたが、

20年後に手放すことになります。

 

能楽を始めてからも

ギターはやっぱり好きでした。

 

小鼓を

どんどん買った方がいいなと思いながらも

ビンテージギターの魅力に

とりつかれていました。

 

 

この61年ストラトキャスターは

、能楽師の仲間と

2000年にライブハウスで

バンドごっこをしたときに

バリバリ弾けたことが

いい思い出になりました。

 

 

一生物と思っていた

このギターを手放して

1年くらいたってから

立て続けに2丁の小鼓に

ご縁があり

手元にやってきました。

 

現在、この小鼓は

舞台でバリバリ使っています。

 

趣味はあってもいいと思いますが、

今は自分にとって

必要なものだけに

時間もお金も使いたいと

思うようになっています。

 

これは無理して

矯正しているのではなく

自分の興味と仕事が

ぴったり一致したようです。

 

ですから今は

能楽は仕事でもあり、

能楽の原典をしらべたり

読んだりする事は

稽古も兼ねた趣味になっています。

 

 

今から思うと

こどもが蝉の抜け殻を

大切に持っているような、

なかなか手放せなかった

心の中の物欲の

権化だったように思います。

 

ホントに

一生使える物を選ぶという基準は

年々強くなっています。

 

まだまだ語りたい事はありますが

長くなるので

ギターのことはこの辺にしておきます。

 

 

次は「第24章 テンプル大学とのご縁」です。

高校1年の時から

アルバイトにいったビルが

引っ越しをすることになりました。

そしてやってきたのが、、、

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598903226.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから