楽しいブランコで思わぬ大事故
うちの中に
三角形のフレームのブランコがありました。
楽しいはずの
ブランコが思わぬ大けがのものになってしまうお話です。
少々痛いお話なので心の準備をして読んでください。
父親は会社に行き
母も祖母の病院などで出かけることが多くなってきていた。
私は留守番が多くなるので
両親は家の中で遊べるようにブランコを設置してくれた。
設置場所は50センチくらいの
段差になっていて
寄りかかるのにはちょうど良い段差だった。
その段差にぴったりくっつけるようにブランコがおいてありました。
そのブランコは
三角フレームで
こどもの私から見たら
公園にあるような本格的な物に見えました。
ひとりでいるときは
そのブランコに乗ったり、
後ろ側の段差に寄りかかって
絵本を読むのが好きでした。
このブランコはかなり気に入っていました。
そのころ近所に
少し年上の子が来ていて、
よく家に遊びに来ていました。
私が段差に寄りかかっているとき、
その子がブランコをこぎ始めたとき
私は後ろに座っていました。
ブランコの
後ろ側に出ていた鉄パイプが
私の右頬に突き刺さってしまいました。
あっと思った後は全く記憶していないです。
すぐに病院に連れて行かれて11針縫うことになりました。
11針の縫い跡でほんとに傷ついている人
ブランコの後ろに座っていたこと、
鉄パイプが刺さるまでは記憶しています。
病院や
縫った後の痛みについては全く記憶がない。
極度の痛みは気絶しているかもしれないですし、
病院では麻酔もかけるでしょうから眠っていたのだと思います。
麻酔のない時代だったら
もっと強烈な記憶が残っていたかもしれません。
ほっぺたの縫い跡は
鉄パイプの形に丸くなっていて、
視力検査のCの字の形で残っていました。
中学くらいまで丸い跡が
たまに赤く痒くなったりしていて
さっぱり消える物ではないと思っていました。
40過ぎてからは
徐々に薄くなってきて
細胞入れ替わっているのは
ホントなんだなと実感してます。
今になって気になることがあります。
もの凄く強い物ではありませんが、
この微細な感覚というのは大事なので
ここに記しておきます。
それは何かと言えば
本当に傷ついた人は
誰かと思うことがあるからです。
鉄パイプが刺さった私は
傷跡も残っていないですし、
痛みの記憶もないので
精神を病むようなトラウマにはなっていません。
40過ぎで傷が薄くなってきてから
この痛みは消えてしまったのか
それとも誰かが代わりに
痛みを感じているのか。
そんなことを強く思うようになりました。
病院に連れて行ってくれた
母も心はいたんだだろうと思う。
また名前も覚えていない
近所の子は
幼少のときに私を怪我させてしまったことを
今でも悔やんでいるかもしれない。
そう思うと
怪我をした自分が
一番気楽なもので
精神的な痛みを感じていない点では
救われているように思います。
目を直撃しなかったことは
何かに守られていたのだろうとも思ってます。
11針縫ったあとが
顔にあるというのは嫌だったし、
喧嘩でできた傷にしては
丸いのは変だし
そんなことを思っていたのが
今ではきれいに消えてしまいました。
能楽を通して学んだ観音菩薩の教え
能楽の曲のひとつに
日本初の征夷大将軍
坂上田村麻呂を描いた
「田村」という作品がある。
この中に
「還着於本人(げんじゃくおほんにん)」
ということばがあります。
観音経の一文です。
稽古したての20歳の時から
言葉自体は言うことが出来ました。
しかし意味を知るのは
だいぶ後になってのことでした。
この「還着於本人」という言葉を
一般的に言い換えると「自業自得」です。
人は仕返しをしなくても、
勝手に自分で傷を背負ってしまったり
痛みを抱え込んでしまったりするものだと思います。
そんなこと知ってから
縫ったあとも薄くなってきたように思います。
交通事故でも
ケガでも
短期的に見れば
ケガをした方が被害者です。
長い期間でみれば
加害者の方が
精神的痛みが
増幅していることは少なくない。
またこの傷が薄くなったことから
現世で起こる不都合は、
それを受け入れれば
何故か消えていくことを感じ始めています。
現世で生きるとは受け入れの練習なのです。
実際にやってみたことは、
「紙に書く」「口に出す」そしてこれで終わりと決める。
出来事は一話完結型で終了です。
過去の因縁というのは
言葉で言うのは簡単ですが、
すぐに解消できる物ではありません。
これは能「安宅」の中で
山伏が頭につけている
兜巾の意味を知ったときに
ガラッと変わりました。
山伏の兜巾には
十二のヒダが有ります。
この十二のヒダは
仏教で説かれる苦しみの根源
十二種類を表しています。
この人間の苦しみの根源の一つが「無明」です。
簡単に言えば「知らない」という事です。
何事も知らないというところから
苦しみが生まれます。
文字も知らなければ
記録を残せないという
苦悩があるかもしれません。
電話番号がわからなければ
電話があってもかける事が出来ません。
右頬を縫った11という数字が、
今になってみるとこの「無明」一つ残して
つながっていない。
その時々に起こる問題が
12個のうちの一つだという解決のヒントになっていると感じています。
「老い」「死」など一度しか経験できない事もありますが、
繰り返される事は
「自分を知らない」ことから
生まれてきていると思うようになりました。
少し話が飛躍しているようですが、
このブランコ事故から学んだことを思うままに綴ってみました。
次は第9章 本をひたすら開いていた です。
字を読めるわけでないのに留守番ですることがないと本を開いていました。
どんな本だったかというと、、
https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598910189.html