節目がやってきた

第47章は

「理想が明確になったらその理想は一度忘れる」

という体験です。

 

 

2014年、

重要無形文化財「能楽」保持者に

認定を受けました。

 

これはよく勘違いされますが

人が重要無形文化財なのではなく、

重要無形文化財は能楽です。

 

そのソフトウエアが

インストールされてますというのが

保持者です。

 

総合指定と

各個指定といわれる個人指定があります。

 

この個人指定のことを

通称 人間国宝と呼んでいます。

 

認定書には総合指定、

各個指定という記載はありません。

 

裏面には出来なくなったときには

返還するようにと注意書きがあります。

いったんは能楽師の節目になります。

 

この自分史にも綴りましたが

脳梗塞になるまで

実質下積み23年です。

やっと独立できたような

ホッとした気持ちになりました。

 

修行は一生ですが

ここまでで27年目になりました。

 

生まれたときからしていたら

27歳、3歳で初舞台だったら

30歳という感じでは無いかと思います。

 

こうした記事には

これからの抱負を連ねるのが常ですが

自分史の一環なので淡々と綴っていきます。

 

 

同世代の人は子どもの時から

能楽の舞台に出ている人が大半です。

 

なんで君がいるの?

という人も若干いましたが

各流の家元はじめ

人間国宝の方公認の認定なので

何も気後れすることはないものでした。

 

 

なにも裏付けのない立場ですから

最低基準には達しているのだという

確認が出来たことが一番の喜びでした。

 

このときに私が30過ぎた頃、

先輩を宿泊先まで

迎えに行ったときのことを思い出しました。

 

「森澤君、僕は50になってから

 能楽師のスタートに立てた気がする」

 

それを思い出したら

3年は早くスタートできたのだから、

より一層精進して

最高の芸術作品をつくりたいという

思いも強くなってきました。

音が鳴らない時期

20歳の時に能楽界に入ったときは、

自分で選んだことにもかかわらず

あまりに運転や

雑用が多いことに辟易して

稽古もノルマ的にこなしていることが

多かったです。

 

 

ただどんな状況下でも

モチベーションに

逃げなかったのが幸いです。

 

やる気がある無いにかかわらず

決まったことはする。

その方が長期の旅は

最終的に楽しい物になります。

 

短期で見れば

気分が乗っていた方が効率がいいです。

 

長いみちのりは

気分よりも決めること。

 

気分が乗らなかったら

やめるとなると

世の中の家族も喧嘩したら崩壊です。

 

世の中は全体的に

短期志向になっているのだと思います。

山あり谷ありでは無く谷が来たら終わり。

 

 

38歳の時に

小鼓の音が全く鳴らなくなり、

懇意にしている先輩からも

これ以上鳴らないなら縁を切る

という宣言をされたこともありました。

 

実際10年近く

音の問題には悩まされました。

 

高いレベルでは一生の課題ですが、

歌手が声が出ないのが

致命的なのと同じで

小鼓方が音が出ないのは

ホントにつらい致命傷です。

 

 

このときは、、

朝起きると鏡の前で稽古を始め

夜中にうるさいという

苦情を言われて

時間がたっていたのに気づき、

その後、

音楽スタジオで稽古をするという

生活も続きました。

 

そうした中で

「考えること」「やること」

この2つは別にしなければ

いけないことを学びました。

 

考えながらするというのは

一見良さそうですが、

時間軸で流れていく舞台では

考えている時点で遅れてしまいます。

 

うまくいかなかったら

心配になったらどうするか考える。

 

そしてやる。

 

考えないで「やる」のも

出来る人もいるようですが、

ダメな方法が定着するようで

かなり遠回りしました。

 

考えるというよりは

「理想のイメージをハッキリさせる」

ほうが適切かもしれません。

 

理想のイメージを明確にする

そうしているうちに

思った通りに行くことが

ポツポツ出てきて

その偶然を思い出して

「理想のイメージをハッキリさせる」

そして繰り返す。この連続です。

 

この理想を明確にすることは

能楽界に入ったときも

毎日していました。

 

明治時代の舞台写真の中に

自分を投影させて

日々イメージトレーニングしていました。

 

これが不思議で

百数十年前の写真の中に

すでにこの世を去った名人が

子どもの姿で写っています。

 

自分がそこにいたとしても

何か浮いた感じがするのです。

 

年では無い、何か違う、

この違いは

いまだ

明確に言葉にすることは出来ません。

 

ただイメージの中では

共演することも出来るように

なってきました。

 

 

何はともあれ

日頃、認められることがない生活だったので、

日本国で能楽師として認められたことは

自分の中の自信になりました。

 

 

そして大切なのは

理想が明確になったら、

その理想のことはいったん忘れること。

 

その上で

地道に目の前のことに取り組む。

 

最後には、そんな小さいことの継続が

認められたのだと思います。

 

そして良くも悪くも

関わっていただいたすべての方に

感謝が出来るようになりました。

 

 

次は

『第48章 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』です。

 

入院中に漠然と本を出したいと書いていたことが

不思議なご縁で実現しました。

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598889877.html

 

 

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから