ホームパーティー
織田フィールドの
アメフトの練習が終わって
キャプテンだったOさんが
「うちで食事をしよう」と誘ってくれました。
そのとき休みで夕刊の配達がないときでした。
平日の夕方は、
中目黒に戻って夕
刊がありましたから
配達のない休みの日は待ち遠しいものでした。
さて誘われたのはいいのですが、
中目黒の寮から織田フィールドへは
原付で10分くらい。
着替えたり後片付けをする間に
うちでシャワーを浴びられるような距離感です。
それなので着替えも持たずに
練習に行っていました。
練習したあとの
泥のついた
汚れたままの格好でいくことになりました。
同じアメフトの仲間なので
許容してくれるかと思いつつも、
汚い格好で気恥ずかしさを感じながら
買い物にいきました。
Oさんは豪快で
デパートに入り牛肉のブロックを買い
、結構大量の食材を買いました。
ローストビーフの仕込みから始まって、
室内バーベキューのようになってきて
アメリカ育ちの人は違うものだと
感心していたものです。
小鼓を初めて見る
宴もたけなわになり、
お開きに近づいた頃、
Oさんの弟さんが帰宅しました。
弟さんは
狂言と小鼓を稽古しているとのことでした。
アスリート型の兄に対して
アカデミックな雰囲気の弟さんだった。
バットマンとロビンという印象です。
帰り際にOさんから頼みで、
みんなの前で小鼓を打ってくれました。
これが私が小鼓を近くで見る
初めての体験になりました。
当時は全く興味がなかったので
音はあまり覚えてません。
それでも小鼓を打つ姿は目に焼き付いています。
ちょうどサイレント映像な感じの記憶です。
初めて見たときなんとも
思っていなかった小鼓を、
今になって一生懸命やっている。
進むべき道を示すために
度々サインが現れます。
自分では自覚がないうちに
無意識では
受け取っているのかもしれません。
魂に導かれているという感覚も
こんな感じですね。
このときは
自分がプロとして舞台に出るということは
全く想像もしていないことでした。
自分には全く縁の無い世界、
絶対に
一生触ることはないと思っていたのです。
国立能楽堂の養成に合格した後
小鼓を選んだことと
このときの体験は直接は関係ありません。
このときから13年たって
独立記念として「道成寺」を勤めます。
その少し後にはじめて
小鼓を見せてくれたOさんの弟さんは
35歳で他界されてしまいました。
能楽のことが話せれば
舞台の感想など聞いてみたかった。
あのときこうしておけばという
後悔をする人がとても多いらしい。
実際には興味と疑問のタイミングが
合うことの方が希なことだと思います。
自分の興味と、目にする物には
タイミングのズレがあると
実感した体験になりました。
次は「第32章 休学する」です。
2年たってなかなか人生の方向が見えない私は休学することにします。
転換期に向かってすすんでいきます。
https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598894775.html