願書は出してみたものの

第34章は人生に無駄は無いと言うことを学んだ体験です。

 

国立能楽堂に願書を出した時点では

特に能楽を「絶対する」という意思はありませんでした。

 

そもそも能楽を見たことが無かったのです。

 

ほんとにその職業があるのかすら

はっきりしていないような状態でした。

 

願書は出しましたが

私の勝手な思い込みがありました。

 

合格者はすでに決まっている

形式だけの試験だと勝手に

思い込んでいたのです。

 

それなので試験に行くつもりも無く

夕方までアルバイトを入れていました。

 

 

そのまま夜になれば

何事も無く次の日になります。

 

そんな事がちらついていると

アルバイトの昼休みに気持ちが変わりました。

 

「一回くらいは知らない世界を見てみよう」

 

そう思い直してアルバイトを

早退させてもらいました。

 

そして千駄ヶ谷の国立能楽堂に向かったのです。

 

 

 

どうして行く気になったのか

このときは、

僧侶、陶芸家、刀鍛冶という

火に触れる職業に就きたいと思っていました。

 

タウンページでお寺や鍛冶屋を探しては

問い合わせてました。

 

ここで見つからなかっていたら

能楽には進んで無かったと思います。

 

 

そんな日々を過ごして

試験当日の5月11日に

アルバイトに出勤してたのです。

 

願書を出したものの

受かると思っていなかたのには

理由があります。

 

15歳からという募集年齢だったので、

代々の子弟が集まるものだと

思い込んでいたのです。

 

試験を通って選ばれたという

大義名分を作るための

一般公募だと思ってました。

 

ちょっと斜めに構えてました。

 

そんなことで、

願書は出したものの

行く気は全くありませんでした。

 

それなら願書出すなよという感じですね。

 

この願書を出そうと思ったころ、

不思議な夢を見ることがありました。

 

山道を歩いていると

何本もの道に分かれている

分岐点にやってきます。

 

太い道、細い道いろいろあります。

 

会社員の道を歩いていると

崖になって先に進めない。

 

ギタリストの道を歩いていると

大きな岩があって先に進めない。

 

陶芸家、僧侶など

いろいろな道を進むと、

道が無くなっていたり、

木が倒れていたり

どれも先に進めません。

 

そうしているうちに

一本だけ緩やかに

うねりながら進める道がありました。

 

その道を進んでいった先に

能舞台があったのです。

 

そして目が覚めてから

能楽しようと決めたのでした。

 

このときは

能楽師という職業が

あるのかどうかもわかりませんでした。

 

それなので

そもそもなろうと思っても

その職業があるのかも半信半疑でした。

とりあえず願書だけ出しておこうという感じでした。

 

そして試験会場に

普段着のまま

試験会場に行ってみると

着物の人ばかりかと思ったら

それは思い過ごしでした。

年は同じくらいの人が集まっていました。

 

能楽はその時点では

見たことも聞いたこともありません。

 

試験は国立能楽堂の研修舞台で、

音声が流れ、それをまねしてみるとか、

何かのリズム音が流れそれをまねして

手を打ってみるとか、

朗読、筆記試験もありました。

 

 

まったく

手も足も出ないくらいに困ったのが朗読です。

 

渡された試験用紙に

「小督(こごう)」というタイトルがついていました。

 

「小督」、、、、、、しょうとく?ことく?

 

高校で古典やってませんし、

アメリカンスクールでは英語です。

まあ読めないですね。

 

 

3文字か4文字だろうと

予想をつけてもなかなか

ピンと来る単語が思いつきません。

そのうちに、ぼそぼそと

読む練習をしている声が聞こえてきました。

 

大学の能楽研究会に入っている人も

何人かいたようで

「やっぱりこれか」

とか

「平家物語か」

という声も聞こえてきました。

 

まったく読めなかったので

聞き耳をたて

それらしい文字数に当てはめて

ふりがなを振っていきました。

 

いざ自分の順番になり

大きい声で読んでみました。 

 

野村万之丞先生(人間国宝 野村萬先生)に

「君のはそれが大きい声なのか、やり直して」

と言われたことが印象強く記憶に残っています。

 

切羽詰まったときには

五感の感度が上がるといいます。

とくに耳の感覚は

恐怖を感じたときや追い詰められたときに

全力を出すのではないかと思いました。

 

合格しました

作文は困りました。

なにしろ見た記憶が無いのです。

 

狂言は小学校の鑑賞教室で見ていました。

能楽はわからないので

中学の時に初めて能を見て

感動したという内容にしておきました。

 

曲目もわからないので

近くの喫茶店に貼ってあったポスターの曲を書きました。

 

これが

「道明寺」

だった。

 

いまなら「それみないよね~」と突っ込み入れたいところです。

 

ほとんど上演されない稀曲です。

 

試験結果は当日の20時半に発表でした。

近くの喫茶店で時間まで待っていました。

 

再び眺めている「道明寺」のポスターが不思議な感じでした。

 

自分の人生においては、

その瞬間、瞬間に今できる最善のことを

しているかというテストだったように思います。

 

あらためて思い出してみると

小学校四年生の時に

音楽の授業で能楽のことを聞いたのが

初めてでした。

 

「たかさごや、、」という一節は

小学校4年の時に覚えていました。

 

どこで覚えたのかは記憶にありませんが

小学校の音楽の授業だった気がします。

 

 

またこの試験での学びは

今までの人生の肯定だったと思います。

 

しばらくして合格基準は「まっすぐたてる」「挨拶ができる」ということを

講師間で話したと聞きました。

 

祖母はきつかったが、

このために厳しくしてくれたと

受け入れることができました。

どんなことも

人生に無駄はないという事を学んだ体験です。

 

 

次は『第35章 人生を決めた一冊「行動学入門」』です。

試験に合格した物の「これをやるぞ!」というハッキリした意思は0でした。

そんなある日、転機がやってきます。

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598894196.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第41章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから