防具どうしよ

人の縁や物の縁、

それは最適なタイミングでやってきます。

そんなことを実感する体験です。

 

テンプルの授業が始まりました。

はじめは午前中と午後クラスに分かれていたので

すぐに中目黒に帰って学校の勉強をする。

そんな生活のペースもつかめてきました。

 

そんなときに

同じクラスの友人から

アメリカンフットボールに誘われました。

 

毎日、新聞で走っていいました。

それなので、

これ以上運動しなくてもいいんじゃないかと思いました。

 

練習の見学をすることになって

織田フィールドに行きました。

 

このとき運動できれば

なんでもいいと言うことだったので

スェットパンツで行きました。

なにしろアメフトはやったことがありません。

 

この期間は人生の中でも

重要な2年間でした。

 

ほんとに素晴らしい友人と出会えました。

 

そのためだけに

テンプル大学に行ったといっても

言い過ぎでないくらい

素晴らしい仲間との出会いがありました。

 

そして友人のさそいもあり、

高校の時にサッカーを始めたのと同じ

「やったことないからやってみる」という判断基準で

アメフト部に入部することになりました。

 

練習は夕刊を配ってから

織田フィールドに行けば間に合いました。

 

この頃は3時半におきて朝刊を済ませ、

部屋で食事と勉強をして、

学校に行き

帰ってきて勉強か昼寝。

夕刊を配って織田フィールドに行く

 

今では気の遠くなるような運動量でした。

これが3時間程のサイクルで回っていました。

それなので疲れるよりも

よい気分転換になりました。

 

しばらくして

練習に防具が必要になってきました。

一人暮らしをし始めたばかりということもあり、

部屋が狭いということもあり

自分にとっては大きな買い物で

購入はもうちょっと後かなと思っていたのです。

 

急に防具を譲り受ける

私をアメフトに誘ってくれた友人は

1歳年上のI君でした。

 

かれは某皇室関係者の多い学校から

テンプル大学にきていました。

 

進学に関してはいろいろ大変なことが

あったようですが明るいイケメン男子でした。

 

のちに能楽界に入るとき、

能楽師のNさんとも同級生で、

「友人の森澤が能楽始めるから見かけたらよろしく」

と連絡をとってくれていました。

これはだいぶ後にNさんより話を聞きました。

 

 

アメフトの防具に関しては購入以外に

もの凄く心配していたことがありました。

それは「匂い」です。

 

なにしろ

当時の私の部屋は新聞販売所の5畳の寮でした。

 

ここにもし、、剣道の防具のようなものがあったら、、

剣道をしている方には大変申し訳ないのですが

ちょっと夏が恐ろしくて

勉強どころではないだろと心配をしていました。

 

 

実際に練習で防具を見せてもらったり、

装着させてもらったりして、

ほぼプラスチックのフレームでできていて

汗がしみこまないことがわかり

ほっとしました。

 

 

これなら使った後、

外で水かけておけば

くさくなることもなさそうだと

安心して購入計画をたてていました。

 

 

 そんなときに

私をアメフトに誘ってくれたI君が

事故に遭ったと連絡がありました。

 

「おいおい誘った本人がいなかったら練習ひとりでいくのかよ~」

 

そんなことを思いつつお見舞いに行きました。

 

その病院で

「もうアメフトはしないから防具もらってくれないか」

と言われたのです。

 

足痛めたぐらいなら治ってから復帰も出来ます。

そうしたら一緒に練習出来るかとおもっていたら

もうやらないと言い出しました。

 

そしてまだ買ってなかったら、

防具をもらってくれと言われたのです。

 

ここで素直に喜ぶところなのですが、

気持ちは複雑でした。

 

一緒に行こうと誘った本人がやらないのです。

 

防具を譲られたら

すぐにはやめられないじゃないか???

 

そんなことが頭をよぎりました。

そんなことで友人の意志を継ぎ

アメフトの練習を真剣にすることになったのです。

 

このときヘルメットだけは

記念にとっておきたいといわれました。

 

ヘルメット以外は使ってくれということで譲り受けました。

そして他のチームメイトの余っている

ヘルメットをもらい受け

なんだかんだと防具が一式そろってしまいました。

 

 

一生の思い出も仲間との出逢いもここにあった

この頃は

人も物も不思議な集まり方をしていました。

 

南総里見八犬伝のメンバーも

こんな感覚で集まってきたのかと思うような

不思議な出逢いの毎日でした。

 

この2年間は一生付き合うことになる

人との出会いの期間だったように思います。

 

このときには

私自身も能楽に全く興味も無く

話もしたこともありません。

 

そののちチームメイトの親戚が

能舞台を持っていたり、

家族が能楽の稽古をしていたり、

能楽に関係ある人が多くてびっくりしてます。

 

これは、

アメフト部の出逢いから

14年後に開催される私の独立記念能のあと知ることになります。

 

チームメイトも私が

能楽師になると思ってませんし、

私もそんな身近に

能に関係ある人がいるとも思っていませんでした。

 

ほんとに縁とは不思議な物です。

 

このテンプル大学アメフト部の仲間は

今でも仲良くしてもらってます。

ほんとに素晴らしい仲間です。

 

この出逢いのために

導かれたようなほんとに

不思議で素晴らしいご縁です。

 

 

独立記念能には

テンプル大学時代の仲間は20名ほど来てくれました。

ほんとに感激と感謝にあふれる思い出になりました。

 

この大学時代、

私の人生の目標は定まっていませんでした。

それでも、

まだ見えていないが

どこかに向かっているような感覚は常にありました。

 

流されているようでもあり、

導かれているようでもあり、

人の縁は必要なタイミングでやってくることを学んだ

貴重な体験です。

 

 

さて次は、「第29章 失恋劇場は上手ばかりではない」です。

この自分史で一番面白ようで面白くない、

あまりだしたくないところですが脚色はよくないので一章さいて記します。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598900213.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから