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みなさん さようなら、せんせい さようなら。

4歳くらいのとき、

祖母が病気だったこと、

家でお店をしていたことなどで

幼稚園に送迎なしで通っていた。

 

 

みんなが

お迎えを待っている間に

一人で帰っていた。

 

 

このころ、

実家はタバコやお菓子を販売する商店をしていた。

 

祖母が肺がんになり

看病のため留守になる事が多かった。

 

 

幼稚園に入るくらいから

家に誰もいないとき店番をすることがあった。

 

 

4歳の子がお店番ですから

お金の計算もさっさっと出来るわけではありません。

 

 

きたお客さんに「20円おつりね」などと言われて

対応していたように思う。

 

 

「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」も

ちゃんと言っていたかどうかは全く記憶にない。

 

 

そんな祖母の看病にくわえ、

弟が誕生した。

 

それなので送迎の融通が利く

幼稚園になったのかもかしれない。

 

 

弟妹は保育園なので送迎は必ずしていたように思う。

 

 

なにか送迎なしで一人で帰っていると、

かわいそうな幼少期という演出にもなりそうだ。

 

 

しかし、実際は近所ということもあり

お迎えを待つよりは早く帰れることに

喜びを感じていました。

 

 

実際にはこの頃、一般的に

待つという忍耐力が養われるのかもしれない。

 

隣に工場があり

同じ年の子が同じ幼稚園に通っていた。

 

同じ所に帰るのに、

隣の子がお迎えを待っている間に

さっさと帰れるので

個人的には送迎なしでも

抵抗感はありませんでした。

 

 

隣の子の母親は

私が帰ってくると

「あっお迎えの時間ね」と言うこともあった。

 

 

このとき送迎なしで

さほど寂しいような記憶がないのは

 

「みなさん、さようなら」

 

挨拶をした後、先に帰るので

お迎えが来ている光景を

あまり見なかったからかもしれません。

 

 

また遠足も一人で行っていたが、

先生方も寂しくないように

気を遣っていただいていたと思う。

 

それよりも、この写真の遠足の時に

ものすごく悲しいことがありました。

 

 

お弁当と別に、チーズを挟んだクラッカーと

缶のオレンジジュースをもっていきました。

 

このオレンジジュースに、

一口飲んだら、、、

 

なんと蜂が、、、

 

蜂が入ったんです。

 

オレンジジュースの中にです。

 

 

開けたばかりの缶の口に

タイミング良く飛び込んできました。

 

 

このオレンジジュースが

飲めなくなった悲しさは

今まで味わったことがないような

喪失感だったように思います。

 

 

また幼稚園にいるときは送迎がいるのに

帰ってから幼稚園の周りを駆け回って

遊んでいるわけでこの矛盾はこのときからはっきり感じていました。

 

つまり、普段は親がついてくるわけでもなく

幼稚園よりも離れたところまで行って遊んでいるのに、

幼稚園に行くときだけ送迎がいることに

当時は不思議さを感じていました。

 

こどもの頃は周りの状況までは考えず、

自分の行動にしか思いが及ばないので

こんな発想が出てくる物だと思っている。

 

 

この4歳の時に感じた

世の中の仕組みに対する初めての疑問だと思う。

 

 

「遊び場より近い幼稚園に送迎がいるのはなぜか?」

ケガをしたり行方不明になったときに

誰が責任をとるかということはあります。

 

距離が長ければトラブルの可能性も高くなります。

本能で生きるこどもの疑問としてはよく考えたと思う。

 

勘違いか、真理なのか?

後になって幼少期の話題になり、

幼稚園の時送迎がなかった話をすると

 

「小さい頃から独立心旺盛だったんですね」

 

と言われることが多かった。

 

 

これが当時の記憶よりも

非常に自分の怒りの感情を誘うきっかけになっていた。

 

こんなことでイチイチ腹を立てていました。

 

 表に出して喧嘩することはありませんでしたが、

うちにある怒りのスイッチが入っていました。

 

 

この理由について触れておきます。

 

 

私にとって「独立心が旺盛」ということは

自主的に送迎不要と申し出るという事だと思っている。

 

 

4歳当時、

幼稚園に交渉し、

両親にも家族にも自ら交渉して

「送迎は不要です」

という事であれば

確かに独立心旺盛と言っていいかもしれない。

 

 

しかし家庭の事情で

送迎がなかっただけのことなので

何の独立心もない。

 

それなので独立心が旺盛というのは違うだろうと思っていました。

 

 こうした勘違いや

受け取り方の違いは起こりやすい。

 

それなので、

幼稚園のときの話は聞かれても

適当にごまかしてあまりしないようになっていきました。

やっぱり自分で決めたという方々

20代半ばくらいまでは家庭の事情、

不可抗力で

全く自分の意思ではないことに対して

独立心旺盛といわれることを嫌っていました。

 

 

 

能楽の小鼓の師匠にも

生立ちをきかれることがありました。

 

新聞奨学生のために

18歳から一人暮らしをしていることを

なにかと

 

「独立心が旺盛だ」

 

と言われることがあったので

 

「家庭の事情ですから言わないでいただきたい」

 

と申し出たことがあった。

 

そのくらいこの「独立心旺盛」という単語は好きではない言葉だった。

 

 

胎内記憶や輪廻転生などを

信じている方と話をすれば、

生まれる前に自分で決めてきた

と言うことも抵抗はない。

 

 

とは言っても日常的に

そんな観点で話をしている人は少数派です。

 

現実社会で能動的に決めた事柄を

「自主的」「自立」と定義している。

 

 

生まれる前に決めたことは

自主的とはちょっとちがう、

このあたりはまた自分史とは別の機会に触れたいと思う。

 

 

いずれにしても

自分の意思で決めたことは自主的と定義している。

 

 

自分の意思で決めたことを

どう評価されても受け入れることが出来る。

 

自分で決めてないことは受け入れることが出来ない。

 

そんな一面が私の中にあるようです。

 

 

次は 第5章 祖母にコップで殴られる お話です。
悔しかった私のとった思い切った行動に続きます。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598912011.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから