三島由紀夫「行動学入門」との出逢い

第35章は今という瞬間に全力を注ぐ。

生きるという事を学んだお話です。

 

能楽を始めたものの

どうしてもやり続けるというはっきりした

理由がありませんでした。

そのときに出会ったのがこの行動学入門でした。

 

この「行動学入門」は

三島由紀夫の作品です。

 

この本は自分の人生に大きく影響した一冊です。

悩んでる人にはよくプレゼントしていました。

 

小学校の頃は

角川文庫の横溝正史、

森村誠一さんの作品を

ほとんど全部読んでいました。

 

 

高校を卒業したくらいから

何のきっかけだったか

三島由紀夫作品を読み始めました。

 

渋谷によく貼ってあった

憂国紀のポスターだったかもしれません。

 

昭和天皇御崩御の年に

憂国記の集まりで宮中祭祀の講義がありました。

 

この講義に参加したのが

きっかけだったように覚えています。

名作文学として

文庫本は何冊かは持っていましたが

熟読はしていませんでした。

 

 

さてこの「行動学入門」は

ざっくりいうとすべての物事には

「はじめ」と「終わり」

があるということが語られています。

 

国立能楽堂の試験に合格し

能楽を始めてはいましたが、

始めた時点で能の知識はほぼ0でした。

 

そんなときに能楽と書いてある

文庫本を見つけて

最初に購入したのが「近代能楽集」です。

 

 

帰って読んで見ると

どうも演劇の台本のようです。

 

能かと思って広げてみたら

演劇の戯曲、、、。

 

はじめは文庫で能を学べると思っていたので

がっかりでした。

 

これが初めての

三島由紀夫作品との出逢いです。

 

その近くにあって

薄くて読みやすそうだと思い一緒に購入したのが

この「行動学入門」です。

 

この本と「不道徳教育講座」の2冊は

だいぶ長い間、毎日読んでました。

 

 

物事にははじめと終わりがある。

 

まさに私の今までの人生を

反映しているような事が語られていました。

 

引き込まれるようにどんどん読んで

何度も読み返しました。

 

これが女性自身の連載コラムだったというのですから

当時の雑誌は侮れません。

 

 

国立能楽堂の試験に合格はしましたが、

まだ専門も決まっていない時期でした。

 

2次試験で希望を出して合格しなければ

将来のことを考え直さなければいけません。

 

ほんとに続くのか全く想像もつかない状態です。

 

自分では「やる」と決めていました。

 

しかし、

どうしてもやるという

強い理由がありませんでした。

ここに危機感が有ったのです。

 

そんなときにこの本の中の言葉が自分の判断基準になりました。

 

「行動の美」という章の最後の文章です。

瞬間こそが永遠

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

芸能の本質は「決定的な事が繰り返され得る」といふ処にある。だからそれはウソなのである。『葉隠』の著者が芸能を蔑んだのは多分このためであり、武士が凡ゆる芸能を蔑みながら、能楽だけを認めたのは、能楽が一回の公演を原則として、そこへこめられる精力がそれだけ実際の行動に近い一回性に基づいている、といふところにあらう 。

 

二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことが出来ようか。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

思わず「やります!!」と心の中で叫びました。

この一文が森澤勇司が

能楽を決定的に志すきっかけになりました。

 

瞬間こそが永遠。

探し求めていた物はこれでした。

 

このときには勤めた曲は0、

知っている曲も0でした。

 

今は2000番ほど舞台を

勤める事が出来ました。

 

そうしてみると能楽の曲は

登場人物の死に様という

瞬間を表現することによって、

生き様を感じさせる物が多い。

 

生きていることのことを

くどくどと語らない。

 

こんな死に方をした人がいる。

そんな最後を迎えられる

生き様は感じる物であって

舞台の上にはありません。

 

死に様とは生き様の反映なのです。

 

こうしたことを一生かけて追求していくことに

抵抗はありませんでした。

 

この本はこのときから

今まで原点回帰として30年以上読んでいます。

 

本や映画というのは

自分の年とともに

感想が変わるものも多いですが、

この「行動学入門」は今読んでも

初めて読んだときも

今でも同じ感覚がする貴重な一冊です。

 

この本に出会ったときには

まだ予想もしていない、

いろいろな事が起こってきます。

 

「はじめ」があれば「おわり」がある。

 

これで乗り越えられた問題は

ほぼすべてといっても過言ではありません。

 

またどんな出来事も

嬉しいことも悲しいことも

すべては「はじめ」と「終わり」があります。

 

この感覚があるから

乗り越えられたことも数知れず。

 

余韻に浸ることもなく

「今」という瞬間に

全力を注ぐことが出来ます。

 

この「はじめ」と「おわり」は事柄の

因果ではなく

「時間」という事で語られています。

 

 

時間がつきれば命が終わる。

時間とは命だという事をこのときに

言葉ではなく

感覚的に教えてもらったのも

この「行動学入門」です。

 

花火以上に永遠の瞬間を

誰が持つことが出来ようか

 

この一瞬の時間とは

、一つの音であり、

舞台であり、

人との出逢いでもあり、

自分の人生でもある。

 

良きことも悪いことも、

花火の色が違うように

その時々の人生を彩っています。

 

こうして自分史を綴っていても

それぞれに色の違う花火を見ているような

悪いことも良いことも

区別のない大切な体験です。

これが

一話完結型の生き方にいたる

始めでもあります。

 

 

次は「第36章 国立能楽堂とアルバイト」です。

理想を語っているだけでは

物事は進みません。

現実に直面したときに

したことはこんなことでした。

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598893795.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第41章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから