心配の電話
第42章は
恨みの感情を手放し感謝だけを残すことを学んだ体験です。
退院して1ヶ月は自宅療養ということになりました。
その月の舞台も代役をお願いし
休養することになります。
このときから夜討ち朝駆けの
電話で疲弊してしまいました。
病院で19時に消灯だったこともあり
家に帰ってからも早く寝るようになりました。
実際おきていられるような状況ではありません。
それが心配してくれる方から、
毎日のように7時と21時に電話がかかってくるのです。
メールを見ないで寝てしまうと
返事をしないと電話がかかってくる。
次の月の舞台は大丈夫なのかと
毎日同じ質問をされる。
多くの人に心配をかけて
申し訳ない気持ちはありました。
それでも
このときは本当に静かに止まっていたかった。
心配していただく気持ちはわかります。
ただ、それに応えることも
憂鬱に感じられてしまうような精神状態でした。
何でもないことに悪意を感じてしまったり、
何もしていないのにイライラしていたり、
体調とともに精神もおかしくなっていきました。
返答に困る質問
このときに一番困ったのが
大丈夫かと聞かれた時の返答でした。
自分では倒れるとは思っていないで
入院した訳です。
それなので自分では全くよくわからない。
こちらが教えてほしいくらいです。
常日頃、調子が悪くて
今にも倒れそうな状態が続いていたわけではありません。
入院した人はわかると思いますが
寝ていれば平気な事ってあるわけです。
寝てて元気だから
おきて走れるかと言えばそんな体力はありません。
自分で判断できるようなものでもなく
「絶対大丈夫か」ときかれても
「大丈夫だと思います。」としか
答えられませんでした。
不誠実だと思いながらも
こんなことが毎日続いていたので、
気の休まる暇はありません。
とにかく動かないでいたい。
そんな状態ですから
半年で21キロ一気に減りました。
表側の皮がぶよぶよしていて
着ぐるみを着ているような感じだったのは
貴重な体験です。
人生最悪の出来事
そのときに、なんの気まぐれか
荷物を持ってくれと呼び出されました。
入院費用のこと高額医療費のこと
保険のこともうろうとした頭の中で
お金のことをずっと詰問されました。
心配していただいた善意だとは
思っていても1ヶ月休むはずが
2週間で呼び出されて通常営業です。
ホントにやめようと思いました。
それに反論し人生最大ともいえる
トラブルを起こしてしまいました。
家に帰ると元妻と一歳になる娘が
実家から送られた着物を着る
練習をしていました。
突然帰ってきた私は
「もうやめようと思う」といったら
ふたりで「おめでと~!!」といって
喜んでくれました。
そんな言葉に涙があふれてきました。
弱者を究極まで追い込むのは
ほんとに良くないことです。
ほんとにこれからしばらくは、
よいこと、悪いことが交錯し
ぐちゃぐちゃでした。
誠実に生きなければ最終的に
人生はよくならないと
身にしみてきました。
このときも表面的には
何もなかったように
淡々と舞台を勤めていました。
どんないきさつがあっても
評価されるのは
舞台上の自分だけだということを痛感しました。
いままでダメだしされていた諸先輩方が、
もの凄く優しく接してくれたことに
「このままだと仕事無いな」
という感覚が強くなっていきました。
こればかりはどんなに
ハンデがあったとしても言い訳出来ません。
もしやな事があっても
時間という死刑執行人に任せて、
恨みの感情を手放す。
感謝だけを残す。
人のことを恨んでいるのは
人生最大の時間の無駄です。
このときに人としてどう生きるかということが
全く自分の中に欠如していました。
どう生きるのか考えるための
イエローカードが脳梗塞だったと思います。
このときはゲームオーバーになりませんでした。
まだやり残していることがある。
しかしそれは具体的に夢とか希望ではありませんでした。
生かされている限り
目の前に出てきた事に
最善を尽くして生きることだけは決まりました。
そう思っても一度、
舞台を勤めると
2日寝込むような感じで
とくにかく静かに休みたかったです。
次は「第43章 いのちの電話」です。
単発の出来事は我慢していれば通り過ぎますが、
毎日のことはじわじわと心をむしばんでいきます。
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