やったことがないからやってみる
第20章は
「自分で決めた事は出来なくても楽しめる」
という体験です。
ついに高校生になりました。
いやいややっていた
柔道をやっとやめられました。
中学の柔道部の顧問にも
「高校行ったら柔道部で頑張って」
といわれていたのですが、
「絶対にやりません」
と答えるくらいはっきりしていました。
卒業した学校の先生と会うことは
ほぼありませんから
話をあわせて
「頑張ります」と
言葉だけで言っても
良かったかもしれません。
しかし正直に自分の意思を伝えました。
6年間ほんとによく我慢しました。
そして新しいことを始めよう!!
そして
高校に入ると
クラブ活動があります。
我慢してやるような物なら
何もしないという選択肢もあります。
そして
特別やりたいこともないし
何もしなくてもいいかなと
思っていました。
実際に同級生に
「クラブなにはいるの?」
と聞かれても
「はいらない」
と答えていました。
クラスは五十音順に並んでいました。
M君が私の前の席でした。
「森澤サッカーやってみない??」
と聞かれたので
「できないとおもう」
と答えていました。
私としてはクラブ活動よりも
アルバイトを探す方が
優先順位がうえだったので
ほんとにクラブ活動は
しなくてもいいと思っていました。
また
球技コンプレックスがあることも
自分の制限になっていました。
けっこう言いたいことを言って
自分勝手にはしていたものの、
幼少期、
外で遊んでいない
コンプレックスが強くありました。
正直なところ
キャッチボールくらいでも
ボールが飛んでくると
そのままぶつかるくらい
球技が苦手だったのです。
これが、体が弱くて
体育が見学という状態なら
納得もできます。ところが、
健康で動くこともできて
柔道も
人並みには出来るのに
球技に対しては
かなりの恐怖感を持っていました。
M君の誘いもあり
同じクラスに
もう一人サッカー部に入るという
A君からのさそいもあり
「やったことないのでできるようになるかな」
という感じで
サッカー部に入ることにしました。
出来なくても
自分の意思で決められたことは
嬉しかったです。
うちでサッカー部に入ることを話したら
「なんで柔道部にはいらないのか」
などと言われたような気がしますが、
このときはすでに
聞き流す能力が育ってきていました。
スパイクなど
持っていない物も
いろいろありましたが
無事にサッカー部に入ることができました。
またこの頃
は受け身の考え方が強かったので、
入れば教えてくれるし
出来るようになるだろう
くらいに思っていました。
みずからやってやるぞ
という気持ちでなかったのことは
チームの仲間に
申し訳ないと思っています。
高校のクラブ活動は
実質2年ですから
入ってみて
あまりにもできなかったら
やめればいいくらいの気持ちで
3年間続けました。
実際あまり
うまくはなりませんでした。
自分で決めたことは楽しめる
高校生までを振り返ってみると、
偶然のようにできた環境
を受け入れているように思います。
流れに任せてともいえますが、
脅迫観念的に追い込む
環境を作っていました。
よく言えば
決めた期間内はまじめに
普通以上にエネルギーを注いで
最後までやるという特徴が有ります。
ほとんど自分の意思で
やりたいと思った記憶がないので
突き抜ける物はなかったです。
柔道とジュニアリーダークラブが
その大きな物でした。
とにかく自分の意思が
通るようになったら
やめようと思っていました。
また不思議に
冷静なところもありました。
子ども対象の物は
卒業があります。
「どんなに長くてもあと何年」
こんなことばかり考えていました。
サッカーはやったことはないですし、
サッカー部に行ってみると
小学生から
クラブチームで活躍している人もいました。
私は全くの初心者です。
これも実質2年、
出来ないことも含めて
良い経験になりました。
入りたての頃は
まじめに練習に出ていましたが
1年の6月くらいから
アルバイトを始めたので
部活には
参加率が低い状態で
3年まで在籍しました。
この頃は判断基準が
はっきりしていて
部活よりもバイトを
優先していました。
清掃のバイトだったので
様々な現場にゆき
良い社会科見学になりました。
そのバイトも含めて
サッカーも
うまく出来なくても
自分で決めた事は
楽しめることを学びました。
すごい人と接したときの感覚
全くうまくならない
サッカーですが
まぐれでも
たまにゴールが決まったときは
もの凄く気持ちよかったです。
チームメイトも
仲良くしてくれました。
サッカーは
うまくならなかったのですが、
山中湖に合宿の時、
合宿のしおりの表紙が
塗り絵になっていて
この塗り絵は
毎回優勝してました。
またこの合宿の時に
大きな靴擦れができましたが
これも2日の我慢と決めて
最後までやりきりました。
ものすごーーく痛かったです。
また、サッカー部に入ってよかったのは
先輩の都並敏史さんと
練習出来たことです。
第一人者とプレイできたことは
大きな刺激になりました。
全然、ディフェンスは抜けないし、
攻めても
すぐにボールをとられていまう。
中学の時に
国士舘大学で森脇先生と
初めて組んだときのような
「あれっ」という感じ。
すごい人と接するときの
この感覚好きみたいです。
不思議なんですが、
力の差があるときに
「やりかえしてやる」
と悔しさが出る人もいます。
その反対で
もの凄い力の差があって
自分が劣っているのに
気持ちよさを感じる。
あの感覚。
余裕があるというのか、
もの凄いエネルギーを感じるのに
必死ではない。
舞台でもコンサートでも
こんな感覚が湧いてくると
ほんとに芸術を感じます。
次は「第21章 交通事故」です。
立て続けに起きた交通事故
そのときに
またあの体験をすることになります。
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