こんにちは。
今回は「漆喰で誤魔化すか、根本から直すか」と題して伝えて参ります。
一、我らは主イエスの終末預言の時を生きている
偽イスラエルと米国によるイランへの先制攻撃(国際法違反と言われている)に始まった戦争は、出口が見えない状態が続いております。ホルムズ海峡の実質的な封鎖は続き、石油不足が解消される見通しは立っておりません。
どの国でも燃料が不足し(参照:読売新聞)、種蒔きの季節にも拘らず、石油から作られる肥料にも欠き、非常に先行きが危ぶまれる状況にあります(参照:地球の記録)。
◯飢饉
① 農作物が極度に不作で、食物が不足すること。
② 必要なものが極度に不足すること。
(引用:スーパー大辞林)
文字どおりに「飢饉」が懸念されます。石油危機により、石油から作られるナフサ等、関連するあらゆる物資が不足し「どの分野において」ではなく、すべてにおいて、社会全体、個人の日常生活のありとあらゆる場面に物資不足の危機が迫っております。誇張ではなく社会崩壊が起きつつあります(参照:in deep)。
こちら(note)によると、この状況下にも拘らず、政府が米の減産に手を付け、更に地震にかこつけて備蓄を呼びかけていることから、緊急時の食料配給制(その際、個人番号券を必須にする)を目論んでいるのではないかと指摘しておりました。石油不足への政府の無策に等しい対応も含め(参照:アメブロ)、政府は故意に危機を大きくしているようにしか見えません。今回もまた「問題→反応→解決」の手口(参照:真の聖書福音と預言「黙示録十八章から分かる薬の危険性 後編」)で支配層の政策を導入しようとしていると見受けます。
他にも、こちら(note)では、戦争や石油危機の混乱に便乗し、『市民の生命線を守る』と称して電子身分証(digital ID=個人番号券)を危機管理に使い、それを基に燃料や食料を配給し、更には人工知能による監視管理、電子通貨の導入も進め、庶民の統制に向かう危険があると言われております。『これらは一見するとバラバラの事象に見えますが、実はひとつの大きな目的地に向かって収束している』とは、そのとおりだと思います。混乱に乗じて、かねてから懸念されていた庶民を監視管理する政策が「問題の解決策」と称して導入されようとしております。個人的にはコロナ犯罪の時と似ていると思います。そして、今後、『第三次世界大戦へと向かうエスカレーターを再び登り、究極の目標へと向かう(引用:メモ・独り言blog)』ようになると思われます。おおよそ、このような支配層の計画がある事を踏まえて事態を冷静に俯瞰する事は重要だと思います。
もっとも、これらはミカエル氏が「世の中の真相、新世界秩序(NWO)とこれからの動向」、「動画三回目投稿 新しい契約」等、その他の多くの記事でも随分前から指摘してきた事であり、学んだ人にとっては既知の内容だと思います。
一番重要なのは必ず実現する聖書の終末預言を踏まえる事です。「新世界秩序が構築される大艱難期にどう対処するのが正解か」は聖書に拠らなければ分かりません。その時にはヨハネの黙示録十三章にあるように、どの立場の者も必ず「獣の刻印を押されるか、拒むか」を選択する事になります。これは死後の永遠を決める超重大事項です。ただ単に困難な時期を生き延びればそれで良い訳ではありません。聖書に照らして世の動きを見る必要があり、そのためにミカエル氏の「真の聖書福音と預言」の記事や動画を活かすべきです。今起きている戦争も悪魔の代理人(ローマ教皇=黙示録十三章の「獣」)の台頭に利用されると思われます(参照:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 五」)。悪魔崇拝者どもの狙いが何処にあるかを知り、悪に屈せず、正しく抵抗する方法を知るには聖書の理解が不可欠です。
支配層が扇動して全人類を一つにまとまらせ、全員を悪魔崇拝者の反キリストとなることを誓わせ、そうして獣の刻印を打たれた者のみがこの地で生きる
彼ら(※ 世の権威を持つ獣たる人間や偽預言者)に惑わされ、彼らに聞き従い、獣の像を拝み、獣の刻印を押された多数派の人間、即ち、真のキリスト者以外の人間全員が地獄行きになる。獣の刻印を受けた者は確実に地獄行きになり、もはや後戻りは出来ず、取り返しがつかへん。
主イエスは「動揺させられないように注意せよ(マタイによる福音書二十四章六節参照)」と前もって言われました。戦争、飢饉、悪疫、地震が起きれば、動揺して当然だと思います。しかし、思考停止したり、停滞したり、自棄になるようではいけません。聖書を読み、大局観を見失わず、やるべき事をするまでです。
目下、日本を戦争に巻き込もうと違憲な集団的自衛権を行使しようとしたり、改憲を目論む対米隷従の売国政府らの動きを警戒し、戦争や改憲は絶対に阻止すべく、数百万人規模で猛抗議するべきです(新世界秩序に繋がる個人番号券や人工知能の拡大(悪用)、電子通貨導入への動き等も含め)。
そして、自身の救いのためにも神の律法、掟、戒めを守り、悔い改めを完成させて完全となる必要があり、また、福音伝道も滞ってはなりません。その時、世の権威は全員に反キリスト行為を強要してきます。これを退けるには主イエスへの信仰無くして不可能です。福音伝道が可能である内に伝えなければなりません。
主イエスは、「我は、我を遣わしはった方の業を日中である内に行わないかん。夜が来ると、誰も働くことがでけへん。 」(ヨハネ九章四節拙訳)と言わはった。つまり、日中は神が与えた恩恵期間を暗示し、暗い夜は悪の支配が極まって誰も神の業を行う事がでけへん期間を暗示し、伝道活動もそれに含まれる。それらの活動が誰もでけへんようになる夜は、大艱難期を指すであろう。
主イエスは、晩になるのと同時に、弟子たちと別れた。つまり、日のあるうちしか主イエスに頼ることが出来ず、大艱難期になったら、原則、主イエスは何もしはらず、頼ることがでけへんということや。つまり、恩恵期間終了後、原則、キリスト者は自分たちでどうにかするしかないということを暗示してる。
大艱難期には、主イエスが罪の赦しをされる恩恵期間は終わりを迎えております。アモス書八章十一節にあるように真の聖書福音と預言を伝えられなくなる「御言葉の飢饉(誰も働けない夜)」がやってきます。それよりも前に神が審判を終えるため(参照:真の聖書福音と預言「ヨブ記にみる正しい信仰と大艱難」)、それまでに悔い改めを完成させて、完全となり、清い生活が出来ている必要があります。本当に時間がありません。
二、人の意志か、神の御意志か
今回はエゼキエル書十三章の箇所を見ていきます。この箇所を選定した理由は「悔い改め」に関わる重要な問題を指摘しており、現代の我らこそ我が事の問題として聞くべき警告だからです。現代では律法廃止論により罪の定義が曖昧にされ、偽預言もまかり通っております。その誤りを信じるようでは地獄行きを免れません。
エゼキエル書十三章一節から十六節(参照)
(一節)主の言葉が我に臨み、仰せになる。
(二節)人の子はイスラエルの預言者らに向かって預言せよ。そして、お前は自分たちの心から(自分勝手に)預言する預言者らに言う。「お前たちは主の言葉を聞け」
(三節)神である我が主はこのように仰せになった。『何をも見ず、自分たちの霊に従って歩む無分別な預言者らの故に災いだ。
(四節)イスラエル、お前の預言者らは廃墟にいる山犬のようになった。
(五節)主の日の戦いに耐えるために、お前たちは破れを復旧せず、イスラエルの家のための垣根を修復しなかった。
(六節)彼らは偽りを見、欺きの占いをし、「主の仰せ」と言い、主が遣わされてないにも拘らず、言葉が実現するのを待望する。
(七節)お前たちは無価値な幻を見て、偽りの占いを公言したではないか。我は話してないが「主の仰せ」と言う。』
(八節)それ故、神である我が主はこのように仰せになった。「お前たち嘘を口にし、偽りを見たので、それ故、見よ、我はお前たちに敵対する。」神である我が主の仰せ。
(九節)『我が手は、偽りを見る預言者らや嘘を占う者らにある。我が民の集会に相応しくない。イスラエルの家の記録にも彼らは記されない。彼らはイスラエルの地へ入らない。お前たちは我が「神なる我が主」であると知るようになる。
(十節)我が民を惑わすために彼らが「平和である」と言うにも拘らず、平和は無いからである。ある人が城壁を修復する時、それらを見よ、それに漆喰を塗っている。
(十一節)漆喰を塗る者らに「それは剥がれた」と言え。溢れんばかりの雨が生じ、お前たちに大量の雹が落ち、嵐のような風も起こる。
(十二節)剥がれた城壁を見よ。「お前たちが上塗りした漆喰は何処にあるのか」とお前たちに言われる。
(十三節)それ故に神である我が主はこのように仰せになった。我は、我が怒りをもって嵐のような風を起こし、我が憤怒をもって溢れんばかりの雨を起こし、憤激をもって滅ぼすための大量の雹が起こる。
(十四節)我は、お前たちが漆喰を塗った城壁を破壊し、それを地に付ける。その基礎は露わにされて崩れ、滅びる。お前たちは我が主であると知るようになる。
(十五節)我は、城壁とこれに漆喰を塗る者たちへ我が怒りを完遂する。我はお前たちに「城壁もこれに上塗りする者たちも居なくなる」と言った。
(十六節)エルサレムに対して預言するイスラエルの預言者らは、平和が無いにも拘らずエルサレムのために平和の幻を見る者らである。』神である我が主の仰せ。
一)預言者とは
預言者とは、神の霊を受けて神意(神の御意志)を伝える人と言えます。この事は申命記十八章十八節、ペトロの手紙二 一章二十一節等から明らかです。
その神の霊(聖霊)は、神の律法を守る者に与えられます(ヨハネによる福音書十四章十五節から十六節参照)。普通に考えても、神の御意志に沿わない不従順な者に聖霊が与えられるはずがありません。
真の聖書福音と預言「神に砕かれるか、神に逆ろうて滅びるか」の解説や「エリヤを信じひんのなら滅びる」にある終末エリヤの要件にもあるように『神の預言者は律法を擁護する立場』です。
預言者が神の律法、掟、戒めを守り、聖霊を受けて、人から嫌われようとも、神の御意志を伝えるならば、それが聖書(パウロ書簡を除く)にも矛盾せず適うなら、信用に値する本物と言えます。
二)偽預言者とは
【エゼキエル書十三章一節から三節】
上記の一に当てはまらなければ、偽預言者と言えます。聖霊によって神の御意志を伝えるのが預言者であるのに対して、「自分たちの心から(自分勝手に)」語るのが偽預言者です。当然ながら、神の御意志に適うはずがありません。人は自分を捨て、人間中心とならず、神に合わせる必要があります。神が人に合わせるのではありません。「自分たちの霊に従って歩む」ことをすれば「無分別」に陥るのは当然です。
◯「無分別」の原語の意味
・愚か、邪悪、不信心
→神に従わず、自分勝手な思いを預言と称するのは神に対して不敬で傲慢な行為と言える
ところでこちら(X)によると、米国の「信仰局長」のポーラ・ホワイトが、傲慢で凶暴で大言壮語ばかりのトランプ氏を勝手に主イエスになぞらえて持ち上げておりました。当然、「冒涜」「狂気」との非難が相次ぎました。
それに対して、こちら(X)でカトリック信者がポーラ・ホワイトに対して、これまでの行い(ホワイトハウスで見せ物のように祈った事)や今回の発言(トランプ氏の破壊行為を正当化すること等)を批判しておりました。確かにそのとおりなのですが、今のトランプ氏を批判すれば、どの立場の人でも「まとも」に見えてしまいます。しかし、偶像崇拝を改めず、律法も守らない異教カトリックの信者が何を言った所で同じ穴の狢です。知らない人が見れば、「正論を言っている」として安易に支持する危険があります。
そして、ローマ教皇もこちら(産経新聞)のように『イエスは戦いを挑む者たちの祈りを聞き入れず、拒絶する』とイザヤ書一章十五節を引用しながら非難しておりました。しかし、続きのイザヤ書一章十六節、十七節では自身を清め、悪を取り除き、善を為せと書かれており、律法違犯のローマ教皇こそ、この御言葉に反しており、罪を犯し続ける悪の本丸がよく言えたものだと思います。
繰り返しますが、あからさまな悪役のトランプ氏を見た後だと、これら反キリストでさえも「まとも」に見えかねないため大勢が騙されかねません。善人と悪人の正しい見分け方は神の律法を守るかどうかにあり、如何に聞こえの良い言葉を言ったとしても騙されてはなりません。神の律法は第一に神への愛、第二に隣人愛を説いており(マタイによる福音書二十二章二十六節から三十九節参照)、真のキリスト者であるなら神に逆らって律法に違犯すること(悪)も、戦争(殺人)を肯定することもありません。『これら二つの掟にすべての律法と預言者たちが掛かってる(マタイによる福音書二十二章四十節 引用:真の聖書福音と預言「自由と律法に対する誤解」)』からです。
三)偽預言者の悪質さ
【エゼキエル書十三章四節】
偽預言者は「廃墟にいる山犬(狐)のよう」と例えられております。
◯「廃墟」の原語の他の使用箇所
・イザヤ書六十四章十節、エレミヤ書二十五章十一節、エレミヤ書四十四章二十二節等
→各々の文脈の共通項は、神に背いた事による荒廃(律法違犯の呪い)
◯ 「山犬」の原語の他の使用箇所
・雅歌二章十五節(参照)「我らの狐どもを捕まえよ、ぶどう畑を台無しにする小さな狐ども。」
※「山犬」と「狐」は同じ原語
→「ぶどう畑」はイスラエルの比喩
◯ 山犬(狐)の原語の意味
・悪事の手先、共犯者、狡猾な者、騙す
上記を踏まえると、イスラエルの民の堕落を招き、滅びに導く様を「廃墟にいる山犬(狐)」と例えられていると考えます。
【エゼキエル書十三章五節】
「主の日の戦い」の「主の日」は、今の天地の崩壊の時(ペトロの手紙二 三章十節等参照)と考えられます。また、神があらゆる罪を御処断する様相から「戦い」とも言えます。そして、「耐えるために」必要なのは、死に至るまでの神への忠実です(ヨハネの黙示録二章十節参照)。
◯「破れ」の原語の意味
・不一致、不履行、背き
◯「垣根」の意味するもの
・主なる神のぶどう園の比喩
神は、ぶどう園に垣根を付けたとあり、それは境界を作るという意味や。前に言うたとおり、ぶどうとは聖書ではアジア系の血統イスラエル人を指し、日本人の一部がその末裔であることも別記事や動画で説明済や。そして、それ以外の人種や民族と分け隔てるため、区別するために垣根を付けたという意味や。
「破れ」とは後節に出てくる「城壁の破れ」であり、その「城壁」はイスラエルを外(異邦人)から守る役割と考えられます。「異邦人の道に行ってはならない(マタイによる福音書十章五節参照)」を踏まえると、神の契約の民(イスラエル)たらしめているのは、神の律法遵守にあります。それを守る事でイスラエルの民である(異邦人ではない)と証明、識別し得るはずです。その境界(垣根=城壁)に破れが生じているとは、律法違犯により堕落し、もはや異邦人と大差が無くなりつつある危機的状況にある事を示していると考えます。イスラエルの興亡に関わり、エゼキエル書二十二章三十節にも同様に記述があります。修復する者(即ち、国を立て直し得る、当時の預言者や権力者等)を探し求めたが見出だせなかったとあります。ユダ王国末期には預言者エレミヤが神から遣わされましたが他の預言者は役に立たず、王も家来も民も聞き従わなかった状況(エレミヤ書三十七章二節参照)を言われていると考えます。国は滅びましたが、それでも「ぶどうの収穫期」に本物の預言者(エレミヤ)が遣わされた事を考えれば(マタイによる福音書二十一章三十三節から三十四節参照)、エレミヤの諫言に聞き従った少数は救われたと推察されます。救われる者は少数であると主イエスも言われており、終末もまたそのようになると思われます。
また、城壁や垣根の破れの問題は以下の事も該当すると思います。
「確かにキリストは我等の平和で、両者を一つにし、境界線の衝立を壊しはった。その御体によって敵意を、その二つを御自身において一つの新しい人に造り上げはるために、命令によって掟の律法を廃止し、和解してはる。また、一つの体にあって神に対して十字架によって両者を一致させ、それによって敵意を滅ぼしはった。」(エフェソ二章十四節〜十六節拙訳)
→この文脈から「亜細亜系の血統イスラエル人」と「それ以外の異邦人」という「二つ」をキリストが一つにし、境界線の衝立を無くし、主イエスの十字架での死によって律法を廃止して民族の衝立を壊したとパウロは書いたが、これは完全に反キリスト教義である。
偽使徒パウロこそ大きな破れをもたらした元凶と言えます。
三)悔い改めを説かない偽預言者
【エゼキエル書十三章六節から八節】
偽預言者は「主が遣わされてないにも拘らず、言葉が実現するのを待望」し、主なる神が何も言っていないにも拘らず、さも神からの言葉であるかのように吹聴すると指摘されております。
例えば、預言者ハナンヤは民を安心させるために嘘を言いました(エレミヤ書二十八章十五節参照)。これでは神よりも人を思っております。何より嘘を言うのは律法違犯です。
逆にエレミヤは、王の側近らに率直に神の言葉を伝えたがために水溜に投げ込まれました(エレミヤ書三十八章参照)。
◯エレミヤ書三十八章四節(参照)
それゆえ、役人らは王に言った。「この男を死刑に処すよう強く求めます。なぜなら、彼はこの都に残る兵士の手やすべての民の手を弱め、彼らにそのような言葉を語るからです。この男はこの民の繁栄ではなく、災難を求めているからです。」
過去も現在も変わらず、厳然たる事実や人々に都合の悪い話は嫌われ迫害されると分かります。現実逃避した所で結果は変わりませんが...。
◯哀歌二章十四節(参照)
お前の預言者らは、お前のために無益で愚かな事を見てきた。彼らはお前の捕囚を思い返させるためにお前の罪を暴露せず、お前のために偽りの神託と誘惑を見てきた。
もし、あなたが間違ったことをしているのに、他人から同意してくれて、あろうことか、褒められると間違っていることに気付かず、そのまま間違ったことをし続けます。間違ったことを盲信し続けるのは問題外ですが、あなた自身がちょっと悪い、もしかしたら間違っているかもしれないと思いながらも、周囲の人々が反対しないし、注意もされないし、叱責もされないし、似たような考えの人が他にいるから大丈夫なんだと思うことでしょう。それでは、あなたのためにはならないのです。
「今のままで良い」と言われれば、その時は安心するかもしれません。しかし、悔い改めなければ滅びに至るだけです。故に言うべきを言わず、人に気に入られようと追従するのは悪い事です。神の御意志(預言)を伝えようとするならば、尚更にそうでしょう。
ところで当該聖句を調べている中で「預言カフェ」というものがあるのを知りました。プロテスタントの教会が運営する喫茶店のようです。
預言は、聖書にあるように「人を育てることばや勧めや慰め」。真実の神、主イエス・キリストの愛による、励ましのことばです。
占いや予言とは異なり、何かを言い当てたり、未来や運命を予測したり、具体的・絶対的な指示、答えを与えるものではありません。
引用:預言カフェ
預言の定義からしておかしく、悔い改めを阻害するパウロ教らしい実に生温い言い方です。
主イエスは、『我は、自分が正しいと思ってる人を招くためやのうて、悔い改めに招くために来たからや。(マタイによる福音書九章十三節 引用:真の聖書福音と預言「偽使徒パウロの反キリスト教義 六」)』と言われました。なぜならば、悔い改めなければ人は滅びるからです(ルカによる福音書十三章三節、五節参照)。
預言者である洗礼者ヨハネも悔い改めを説き、どのように改めたら良いかを助言しました(ルカによる福音書三章十一節から十四節参照)。それこそが「我が前に道を備える(マラキ書三章一節参照)」、即ち、間違った考え(教え)を取り除き、律法違犯を改めさせるという神の御意志であるはずです。
こちら(STYLY)には「預言カフェ」の体験談が載っております。断片的な内容とは言え、律法や悔い改めどころか、聖書にすら触れている様子がありません。運営しているプロテスタント教会のサイトを見ても、「預言訓練」と言いながらどの頁を見ても悔い改めにも律法にも言及しておらず、そこで働く人の服装も異邦人の服であり、これでは聖霊が働くはずがないでしょう。
つまり預言カフェで預言をする人は、イエス・キリストを信仰しており、聖霊のバプテスマを洗礼を受けた人で預言の賜物を授けられた人がリアルに神の霊によって預言をしていたのです。
(略)
占いは神の霊からではないので不義に当たります。
なので預言カフェでは、占いの真似やその類は神に対し反逆なので100%できません。
上記も「預言カフェ」を紹介しているサイトですが、「聖霊(神の霊)」が働くと言い、占いではない事を強調しております。しかし、どう見ても主イエスの教えに留まらないこの人々に聖霊が与えられるはずがなく、自分たちの心から(自分勝手に)偽預言をしている状態と考えられます。彼らの言動は聖書に照らして矛盾があり、御言葉に留まっておりません。彼らもまた現代の偽預言者と言えるでしょう。
【エゼキエル書十三章九節】
神は偽預言者らに「我が民の集会に相応しくない」と言われております。「集会」とは神に従う正しい人々の集まり(詩編一編五節、百十一編一節参照)と考えられます。嘘つき(律法違犯)で神の御意志を曲げる者が真のキリスト者に数えられないのは当然であると思います。また、「イスラエルの家の記録にも彼らは記されない」とは、神に覚えられない事(地から彼らの記憶を断つ:詩編三十四編十七節参照、命の書に書かれない:詩編六十九編二十九節参照、マタイによる福音書七章二十三節参照)と考えられます。それにより「彼らはイスラエルの地へ入らない」=「新しい天のエルサレム(ヘブライ人への手紙十二章二十二節、ヨハネの黙示録三章十二節、二十一章二節参照)」に入られないようになるのでしょう。これもヨハネの黙示録二十一章八節と合致します。
四)正しく悔い改め、根本解決を図るべき
【エゼキエル書十三章十節から十五節】
「漆喰を塗る」という言葉が出てきます。これは非常に重要な内容です。
◯「漆喰(白塗り)」の原語の意味
・愚かな事、分別の無い事、いかがわしい事、抑制されてない事
※先に挙げた哀歌二章十四節の「愚かな事」と同じ原語
◯「塗る」の意味するもの
・表面的な覆いで、その真の欠点を隠す
※エゼキエル書二十二章二十八節にも同様の記述あり
本物の預言者の言葉を聞かず、聞こえの良い偽預言者の言葉に傾倒し、自らの罪を認識せず、改めず、「何も問題ない(平和)」と言っている様子が当てはまります。
そして、『我が民を惑わすために彼らが「平和である」と言う』と偽預言者らの故意が指摘されております。聞こえの良い偽預言で偽預言者が得たものは人々からの支持、地位の安定かもしれません。しかし、その代償は大きく、取り返しがつきません。
◯「惑わす」の原語の意味
・堕落させる、迷わせる、誘惑する、騙す
上記の意味からして、律法違犯を唆し、滅びに導く「死への伝道」そのものです。現代で言えば、やはり偽使徒パウロの偽福音と偽福音を吹聴するパウロ教徒が該当します。主イエスが言われたように盲人が手引きすれば共に穴に落ちるだけです(マタイによる福音書十五章十四節参照)。
なお、主イエスは、「兄弟の小さな者たちに罪を犯すように誘惑することがどえらいことで(マタイ十八章六節参照)、躓きのためにこの世の人々は悲惨であり、躓きは必要なんやが、その躓きをもたらす人は災いや。」(マタイ十八章七節参照)と言わはった。まさしく偽使徒パウロや彼の教えを継承してるキリスト教の業界全体は、その躓きの原因になってる。
多数の躓きをもたらしているパウロ教徒は災いです。
そして、城壁の破れ(律法違犯)に対して、漆喰の上塗り(偽預言、偽福音)で誤魔化しても、豪雨や雹、暴風で剥がれ、基礎が露わにされて崩れるとあります。これらの意味する所を考察していきます。
◯「雨」の意味するもの
当該原語が用いられているエゼキエル書三十八章二十二節を含め、雨が「破壊」をもたらしていることから「裁き(刑罰)」を象徴していると考えられる
◯「雹」の意味するもの
当該原語が用いられている詩編七十八篇四十八節、イザヤ書二十八章二節、ヨハネの黙示録十六章二十一節等から、雹もまた「破壊」という「裁き(刑罰)」を象徴していると考えられる
◯「(嵐のような)風」の意味するもの
当該原語が用いられている詩編百七編二十五節、百四十八編八節から、主が起こされた「苦難」を象徴していると考えられる
※真の聖書福音と預言「水上を歩く」の「風」の解説も要参照
◯「(漆喰を塗った城壁を破壊し、それを)地に付ける」の原語の意味
・激しく打つ、即ち、罰する、破壊する
◯「その基礎は露わにされて」の意味するもの
悔い改めていない「問題の根本(基礎)」が暴露される
これらを踏まえて、当時の人々にとっては「平和だ(何も問題ない)」と思っていたにも拘らず、破滅が臨み、自分たちが信じていた事は正しくなかったと思い知らされたのだろうと思われます。また、ユダ王国の末期の様相は明らかに律法違犯の呪い(申命記二十八章参照)であり、それにより律法違犯を改めていないという問題の根本が露わになっております。
また、預言者エレミヤ、預言者エゼキエル然り、信心深い者であっても国が荒廃するという同じ艱難を通っております。「艱難期前携挙」という偽りがありますが、『終末時代のすべての人間は艱難時代を経験し、生温いにわかキリスト者を脱落させるんや。いくら口先だけでイエスを主として崇めていても、艱難が来た時その本性が明らかになります。(引用:真の聖書福音と預言「携挙の真実」)』のとおり、悔い改めていない「問題の根本(基礎)」が大艱難期には露わになるでしょう。神よりも自分を愛し、命惜しさに獣を拝むようになるという事です。本物の信仰(神を愛し、神の律法を守り続ける堅固さ)が無ければ、容易に屈服させられます。その偽り者も、偽りに従う者も、有罪判決を受けて地獄行きになることを主なる神は「城壁もこれに上塗りする者たちも居なくなる」と言われたのではないかと思います。
ところで、「漆喰(白塗り)」から以下の主イエスの言葉が思い起こされます。
◯マタイによる福音書二十三章二十七節(参照)
お前たちには災いだ、律法学者らとファリサイ派の人々よ、偽善者よ。お前たちは漆喰で白く塗られた墓に似ているからである。確かに上辺だけは美しく見えるが内側は死者の骨や汚れで満ちている。
「ファリサイ派」には「分離主義者」との意味があり、本来は『律法の本質を守らぬ人間と自らを分離するという意味合いがあると考えられている(引用:ウィキペディア)』ようです。しかし、彼らは、人の言い伝えを重んじ、名声と称賛を求め、自らの行いを誇り、却って神の律法を守らず、神から心が離れておりました(マタイによる福音書十五章一節から九節参照)。それ故、イエスは彼らの貪欲さ、内面が伴わないにも拘らず外面的な行いに拘泥し、人から敬われようとする偽善的な敬虔さを厳しく叱責しました。
◯ 「漆喰で白く塗られた」の原語が意味するもの
罪を隠蔽する(敬虔さを装って悪意を隠す)
問題の根本(律法違犯、悪い品性)を改めていないのですから、内側は「死者の骨(霊的に死んでいる)」や「汚れ(律法違犯)」で満ちているのは当然です。この事は当該エゼキエル書と同じ趣旨だと思います。
ファリサイ派の人々は律法から離脱する分離主義者となりました。そして、ミカエル氏が弾劾したとおり、律法からの離脱を教えてた偽使徒パウロ(使徒言行録二十一章二十一節参照)の教えはパン種の如く膨らみ、『世のキリスト教と称する教会の多くが、偽使徒パウロの教えというパン種によって全体が発酵して悪いものになる(引用:真の聖書福音と預言「種を蒔く人の例え」)』状態となっております。
【エゼキエル書十三章十六節】
偽預言者らは「平和が無いにも拘らずエルサレムのために平和の幻を見る」と言われております。
◯ 「平和」の原語が意味するもの
・安全(戦争が無い、平穏な暮らし)
・神との契約関係における安定(契約を履行している良い状態)
→律法遵守により神の祝福がある状態と言える
上記を踏まえると、律法違犯を改めずして「平和」が与えられるはずがないと分かります。一貫する原理があり、理解するのに何も難しい事はないと思います。パウロ書簡の偽福音に拠らず、神の言葉で照らし、神の目にどう映るのかを探っていくべきです。
改めて、「それで、どうすると良いか」については、以下の画像が分かり易く対比して示しております。
是非、元記事もお読みいただき、読むだけでなく行動してください。
画像引用:https://ameblo.jp/leo085/entry-12728721571.html
三、結び
◯エゼキエル書二十章三十七節から三十八節(参照)
我はお前たちに杖の下を通らせ、お前たちを契約の絆に導き入れる。我はお前たちの中から反逆者と背教者を取り除く。
「杖」は、羊を数える羊飼いの杖を意味し、「契約」は当該章の文脈から主イエスとの新しい契約を指すようです。羊飼いである主イエスは御自身の羊を覚えており(数えられている)、羊も羊飼いに従います(主イエスとの新しい契約を履行する)。一方、従わない者は追放されます。「反逆者」は最初から主イエスを受け入れない不信仰者が該当すると思います。また、「背教者」は主イエスの教えに留まらない者が該当すると思います。正しく悔い改めない者は偽善者であり、悪人(律法違犯を改めない者)は地獄行きです。主イエスを信じるだけで救われるという偽福音で誤魔化す(漆喰を塗る)のはやめましょう。心の内(基礎)から律法違犯を改めずして救いはありません。
そして、悪を行う者は、御言葉によって自身の言行が悪であると明るみにされるのを嫌うため、光(真の聖書福音と預言)に来ません(ヨハネによる福音書三章二十節参照)。基準は神の律法、掟、戒めにあります。それを正しく守らない者の言う事に従ってはなりません。どんなに社会的地位があり、素晴らしい事を言っていたとしてもです。惑わす者は、自らの悪が暴かれるのを嫌うため、決して神の律法を前面に出しません(むしろ隠したり、廃止されたと言う)。今後、未曾有の大災害が起きれば、「誰かこれを収めてくれ」と期待したくもなるかもしれません。しかし、そのような時、「救世主」かのように振る舞う者にこそ気を付けましょう。その者はやがてあなたに反キリスト行為を強いるようになるでしょう。これを退けるには、本物の信仰が無ければ困難であり、屈しないためにも残された時を大切にして鍛錬していくべきです。
ここでミカエル氏の教会についてご案内致します。律法を遵守し、品性を改め、福音伝道をし、慈愛ある活動をし、悔い改めを完成するのは一人では困難であり、そのためにも日々のご指導や共に励む兄弟の存在が不可欠であると実感致します。かつ主イエスは兄弟で愛し合うようにと命じております。兄弟で愛し合い、主イエスや兄弟に貢献し、切磋琢磨したいと思われる方は、ミカエル氏が用意してくださった教会への入会を果たして、ぜひ共に歩みましょう。尚、ミカエル氏のブログは、アメブロからサブスタックへ移行しました。手間を惜しまず御自身で口座を探し、考えながら行動してみてください。この姿勢もまた今後の信仰生活に大いに活きてきます。
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