こんにちは。

今回は、「現実逃避をやめよ」と題して述べる。

 


何遍もこの趣旨のことは拙者のブログと動画で述べてきたんやが、愚かな現代人は一向に改心する気が無い様子。幾らかの人が拙者に連絡してきたが、覚悟を問うと言葉を濁してそのまま消えるか、至らぬ点を指摘されても直そうとせず、長期間ダラダラして行動に移さず、結局何もせず仕舞い。これは、世の人間たちがキリスト信仰を甘く見てることを示してる。勿論、拙者が宣べ伝えてきた聖書の真理に則る「キリスト道」に希望を見出し、この道を歩もうとしてる人も居るけど、ごく僅かの人だけや。これが主イエスが言わはった「狭い門」の現実である。
何遍も言うてるが、当ブログや当動画を見聞きしてるだけで終わって、現実の生活では何もしてへん「傍聴者」ではあかんで。過去記事「聖書は六十六巻だけが正典やあらへん」でもヤコブの言葉を引用したとおりや。なんであんたらはそれを理解でけへんのかね。現代日本人に最も欠けてる点は「行動力」や。キリスト信仰でも要求される「行い」や。頭では分かってるが、実際にでけへんのでは、理解してへんのと同義やし、むしろ、何も知らん人よりもタチが悪いと思わないかんで。故意の不作為犯なんやからな。途中で諦めて堕ちても希望は無い。コロナ犯罪についても同じや。世との友好関係の維持のために悪に屈して、同じようにコロナ教信者の如くマスク着用したりワク接種するような人は、真のキリスト者ではない。拙者の「キリスト道」をよう読みなはれ。そこにすべて今必要なことが書かれてる。

また、キリスト者を自称する者どもも相変わらず酷い有様で、非常に傲慢で愚かや。その者たちの暗い末路を案じて諭してるのに、正当な理由も無くこちら側の言うことに耳を傾けようとせず、感情的になり、主観的で、正当な根拠や証拠に基づかへん言葉を並び立てて真理を拒絶してる人々をツイッター等で見かけた。例えば、以下の「主のはしためℳ.真実は聖書にありbot」という愚か者や。

 

 


この異教徒らが愚かな会話をしてるのを確認した。他にも愚かなパウロ教信者どもが湧いてきて、陰口を叩く有様。こんな陰湿で愚かな奴らがキリスト者な訳なかろう。こいつらはキリスト者やクリスチャンなどと自称することで、主イエス・キリストの御顔に泥を塗る不届き者や。何も言わずとも「いいね」やリツイートしてる奴らも同罪で、漏れなく悪魔の子ばかり。
 


なんやろね、この不毛な会話の数々は。真理に気付いたまともな人が一人居たという点についてのみ拙者は喜ぶが、この偽使徒パウロ教信者どもの愚かさ具合には吐き気がする。彼らは概して理知的ではない。偽使徒パウロ教への狂信具合が酷く、パウロの教義に外れたら即、「異端だー」とか「カルトだー」等と莫迦の一つ覚えで言うだけ。ほんまに能無し。彼らのような者こそ「カルト宗教信者」であり、聖書的根拠も示さず、自分らの信じてるパウロ教に外れる者に対して「カルトだー、異端だー」等と喚き散らすという誹謗中傷をし、自分らが正統かのように振る舞う悪質な人間どもや。正当な根拠や証拠を一切言わへんというのが大きな特徴である。まぁ、言える筈もないんです。彼らがおかしいんやから。彼らが引用するのは彼らの教祖である偽使徒パウロの書簡のみ。たまに、福音書からも引用するが、主イエス御自身の公生涯にて宣教しはった内容からは引用せえへんし、主イエスの教えに真っ向から逆らうことも平気で言うてるさかい、彼らこそが主イエスの教えに逆らう「反キリスト」であり、そのくせにこちらに対して「反キリストだー」とも中傷する。すべて彼らにその暴言が返ってるブーメランになってることにも気付いてへん愚か者や。
主の端た女とは、おこがましいな。言うなれば、「偽使徒パウロの端た女」やろ。名前を変えろ。主イエスからは、あんたみたいな偽使徒パウロの信者という異教徒なんかお呼びでない。今後も悔い改めず、律法違犯し続けてるやろから、主イエスから「あんた方のことは全然知らない。我から離れよ、不法を行う者ども。」(マタイ七章二十三節拙訳)と言われるのは目に見えてる。元占い師という時点で終わってる。占いという重大な律法違犯を犯し、悪霊に支配され、今もその支配下にある。抜け切れてへんよ、この人は。せやから、パウロ教に入信するんですよ。まともな心と頭を持ってる人なら、パウロが偽使徒やという事実を拙者の論証から理解出来る筈やから。彼女は拙者のブログを読みもせず、何の根拠も無く、勝手にカルト認定してきて、侮辱及び誹謗中傷に当たる罪を犯してる。パウロ教信者というカルト宗教信者は、毎度こないな悪い行いをする者が非常に多いのが特徴や。このことだけで、パウロ教信者は悪霊に支配されてる反キリストと言える。彼らは自分たちが正しいと聖書的根拠も無く思い込み、偽使徒であるパウロの教義に外れる者を不正にカルト認定して、そしる。昔のローマ・カトリック教会による一方的な宗教裁判という蛮行と一緒や。カルト宗教信者本人が他者を異端認定して暴虐の限りを尽くすという悪行のことや。パウロはファリサイ派であり、キリスト者を迫害した。現代も例外やのうて、律法廃止論や行いを否定するパウロ教信者も同じく、拙者といったキリスト者を迫害してる。まったく一緒や。ほんまに歴史は繰り返す。拙者が過去記事「パウロは偽使徒」とそれ以後の連載で論証したとおり、偽使徒パウロはローマ・カトリックの創始者及び教祖故、そのパウロ教信者どもが諸悪の根源。自分らが正統派と勝手に勘違いし、世間の人々も彼らをキリスト者やと誤認しとる。しかし、彼らはキリスト者を偽装するパウロ教信者でしかあらへん。キリスト者と自称してるが、すべて嘘である。聖書と拙者のブログと動画から学べば、その証拠が分かる。また、世の自称キリスト者(パウロ教信者)の人数が多いという時点で、滅びに至る広い門であり、主イエスの言わはった救いに至る「狭い門」(マタイ七章十三節)ではないことは明らかなのにも気付かん愚か者や。なんで多数派に属して、神の律法を無視して違犯するという不法を行い、放縦の限りを尽くしながら、狭い門から入って狭苦しい道を歩いてると言えるのかね。有り得へんやろ。彼らは神の律法違犯をやめて守るという悔い改めを実行せえへん限り、滅びに至る末路しかない。なぜなら、主イエスは「あんた方に言うとくが、悔い改めへんのなら、皆同じように滅びるであろう。」(ルカ十三章三節、五節拙訳)と言わはったからや。このことから、プロテスタント教の言う「一度救われたら救いを失うことはない」という教義の嘘が暴かれてる。そもそも、彼らは実際には救われておらず、勝手に救われたと妄想してるだけや。すべて彼らの勘違いや。彼らのように聖書の大半の文言を無視し、パウロ書簡を最重要視し、律法違犯をし続けて平気で居る人たちこそ「罪の奴隷」(ヨハネ八章三十四節参照)であり、カルト宗教信者であり、まったく愚かである。言うておくが、彼らこそが異端者を通り越した「異教徒(パウロ教信者)」であり、神の律法(十戒のみでも不足)を守らへんとか、行いの重要性を否定する限り、イエス・キリストとは無縁の人や。「イエスを信じる」と口先で言いさえすれば、十字架での贖いを盾にすれば何をしても赦されると思うのは勘違いでしかなく、それは中世時代ローマ・カトリック教会が販売した免罪符に等しい愚かな考えや。実に反聖書的であり、主イエス御自身そないなことは一言も言わはらへんかったし、十二使徒も言わへんかった。彼らは主イエス・キリストの教えにまったく従わず、反キリストである偽使徒パウロの教えしか信じてへんさかい(もっとも、彼らはパウロの教えすら全部守ってる訳でもない)、この「キリスト道」以外のキリスト者(クリスチャン)と称する者どもはキリスト教信者やのうて、極めて自己愛が強いすべてが中途半端なパウロ教信者や。皆、その認識で居るように。
このように、自称キリスト者どもは、知性に欠け、偽使徒パウロの偽福音と偽教義を狂信しており、世の諸教会の牧師といった聖書的根拠が無い自称聖職者どもも偽使徒パウロを狂信し、多数派かつ主流派がパウロの偽福音に基づくため、その考えで間違い無いと盲信し、心を入れ替えることがない。それ故、主イエスが言わはったとおり、また、イザヤの預言どおりや。

新約聖書 マタイによる福音書 十三章十四節〜十五節(拙訳)
そして、イザヤの預言が彼らに実現された。それ曰く、「聞くことで聞くだろうが、決して理解せえへん。見るには見るだろうが、決して認めへん。この民の心は愚かにされ、耳には鈍く聞き、彼らの目を閉じた。彼らは目で見ず、耳で聞かず、心で理解せず、悔い改めへん。そして、我は彼らを癒して完全にせえへん。」

当該聖句の前の文脈から、神に選ばれへん自称キリスト者どもは主イエスの教えを理解でけへんのやから、例えを用いて話し、天の国の神秘を知ることが許されてへん(マタイ十三章十一節参照)と明言しはった。要するに、神に選ばれへん滅ぶべき者は、主イエスの福音や教義を理解でけへんようにされとるということや。主イエスがイザヤ預言を引用して話しはった主旨は、神が選ばはらへん不信仰の者や自称キリスト者どもを滅ぶままにさせるのが狙いなんや。故に、万人救済なんて有り得へんし、神の律法も守らんと口先だけでキリストを信じると軽々しく言うだけの者や律法違犯をやめへん罪の奴隷どもも眼中に無いことは明らか。愚かな自称キリスト者程、「主の名を呼び求める者は救われる」(ローマ十章十三節、ヨエル書三章五節(口語訳以前や英語聖書では二章三十二節)参照)や「独り子を信じる者が一人も滅ばず、永遠の命を得るためや。」(ヨハネ三章十六節参照)等といった耳触りのええ箇所だけをしきりに引用するが、荒野で悪魔が主イエスに聖句引用して正しく見せようとした(マタイ四章六節等)んと同じく、引用間違いである。なぜなら、律法違犯を続けて悔い改めへん自称キリスト者には適用されへん言葉やからや。まさに、聖書どおり、主イエスの御言葉を見ても見てへんかのうように無視し、理解しておらず、偽使徒パウロの偽福音を盲信し、悪霊に惑わされて「完全な者」からは程遠い状態のままで、信仰に入る前と比して何も良くなっておらず、成長せえへん。したがって、彼らは救われへんという結果に終わる。
こないなパウロ教信者たちは悪霊に支配され、嘘や偽りを好み、真理を嫌い、不信仰の者たちよりも物分かりが悪い精神異常者と言わざるを得ない。先の「偽使徒パウロの端た女」のように、「陰謀論的解釈や異端的解釈はしていません」という嘘を平気で言う。彼女は異端者どころか異教徒であり、詳しく自分で調べもせず、未だに「陰謀論だー」なんて言うてる者どもは全員愚か者である。嘘をつきまくり、犯罪行為を堂々と実行してる政府や学校やテレビ等がほんまのことを教えてくれると盲信してるんやからな。そんな人らは正義を憎んで行わず、悪を擁護し、悪行に加担した罪で全員滅びる。もっとも、こないな自称キリスト者どもだけやのうて、聖書やイエス・キリストを真っ当な理由も無く拒絶し、真実を調べもせず虚偽情報を信じ、拙者が語った真理を入念に吟味することもなく、この世の間違うた常識や歴史認識、及び、愚か者自身の主観的感情を基に誹謗中傷する他の異教徒や不信仰の者もあかんけどな。

過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 七」で指摘したとおり、偽使徒パウロがファリサイ派であるように、パウロ教信者(自称キリスト者)も同様にファリサイ派や。これは事実や。その現代のファリサイ派どもの言動が非常に忌まわしいのをとくと見せよう。我が兄弟の一人である栄光氏がツイッターでやり取りした「ふら@フラットアース  聖書」という自称キリスト者のパウロ教信者の無様な言い分を直視せい。そして、愚か極まりないと反省し、熱心に悔い改めい。

 


さて、このふら氏は、主イエスが弱さを思いやってくれるが故に律法を無視して違犯しても問題無く、律法を守るとかえって不信仰にさせるといった趣旨のことを言うてるが、反聖書的であり、完全に間違うてる。これは、拙者が過去の連載で書いたとおり、偽使徒パウロの書簡のみを信じて自分に都合のええように曲解すると、かような間違うた信条を持ち、頑なに手放そうとせんようになるんや。ふら氏のような信条は、反聖書的であり、主イエスの教えではない。その事実をまったく理解してへんし、指摘しても認めようとせえへん。まさに上記で主イエスが示しはったイザヤ預言の聖句が彼らに当てはまってる。それはふら氏のみならず、多くのキリスト者と自称する人々全員同じや。
これ程までに偽使徒パウロの律法を貶す反キリスト教義の偽福音が多くの人々に支持されるんは、世の人々の多くが創造主である主なる神に逆らう悪人であるからに他ならへん。悪人は神の秩序や品性の反映である律法を憎み、自分らが律法を守らへんだけでなく、他の人にも守らんように仕向ける。また、律法を遵守せえへんことによって神の王国に自分らが入ろうとせず、また入ろうとする者を入らせへんのや(マタイ二十三章十三節参照)。これこそ主イエスから偽善者と断罪されたファリサイ派の行いであり、彼らの父たる悪魔の狙いであり、その悪魔から出た人間どもが悪魔の意図を汲んで必死に神に反抗し、その過程で神の律法も否定し、律法遵守に努める真のキリスト者を中傷したりして迫害する。栄光氏は、そのふら氏の発言に対し、神は義なるお方であり、悔い改めを拒絶して不法をやめへん者を赦すことはないと、拙者が常々聖書に則って言うてきたことと同じことを言うてはり、偽りを信じる者はまともに答えることがでけへん。
福音書や黙示録にあるとおり、主イエスは「悔い改めよ」と説教して回りはり、この教えが変わることは一切無いし、十字架以後も世の終わりまで同じ教えが貫徹される。過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 二」で紹介したとおり、使徒ペトロがイザヤの預言を引用して言うた「なぜなら、「すべての生ける被造物は草のようで、人間のすべての美点は草の花のようや。枯れた草とその花は散る。 せやけど、主の御言葉は永遠に残る。」さかい。そして、これがあんた方に告げられた福音の言葉や。」(ペトロの手紙一 一章二十四節〜二十五節(拙訳))とおり、主の御言葉や教えは不変で永遠に残るからや。途中で気が変わって秩序を変更するのが主なる神の御性質ではない。神の御言葉は重く、人間のように冗談等と言うて誤魔化すこともなければ、前言撤回もせえへん。主なる神は全知全能故に、御自身の言葉の重みを理解してはり、一編でも言わはったことは必ず成し遂げはるし、複数回言わはったものは特に重要な事柄であり、途中で変更や廃止になんてなる筈がない。せやから、主イエスが公生涯にて、紀元前の時代から続く律法を廃さへんと重ねて言わはった以上、モーセの律法が廃止されることは絶対に有り得ず、偽使徒パウロの登場によってキリストの教えが変更になることもない。それにも拘らず、多くの自称キリスト者どもは平気で「律法は廃止された」と偽使徒パウロの嘘を信じ、主イエスの御言葉に逆らって主張するやろ。そないな人らは皆、反キリストである。彼らは愚かにも拙者を反キリストとか悪魔や等と中傷してるが、彼ら自身こそが反キリストや。すべてブーメランになってる。
もっとも、天地創造以来ずっと神の律法は存在しており、存在しなかった時代が無い。わざわざ書いてへんが、アダムとエバの時代から安息日の掟はあった。第七日の天地創造の記念として安息日を聖なる休日として制定されて以来ずっと存在してるからや。また、創世記から分かるとおり、アブラハムも神の掟を守ってたし、割礼のみを行ったのではない。また、イスラエル十二部族の内の一部族の祖であり、エジプトの宰相になったヨセフは、姦淫を犯すことが神に対する罪であるとして避けた(創世記三十九章九節参照)ことからも彼らは何が罪かを明確に知ってた。何故か。最初から神の律法や秩序があったからや。つまり、モーセ以前から神の律法や秩序があることの証明や。神と神の律法を憎んで廃止して放縦で居たくてたまらん反キリストのパウロ教信者どもは、モーセの時代から律法が出来たと嘘を言うが、まったく無知も甚だしい。モーセ以前の時代から罪はあり、それは神の法や秩序に反することである。それは口頭で代々伝えられ、正しい人間の間では守られ、モーセの時に成文化しただけのことや。神と共に歩んで死を経験せんかったエノクや大洪水の中生き延びるように選ばれたノアも同じで、彼らは神の掟を守り、神の掟を守らへん多数派の人間は全員滅んだ。このように、神の律法、掟、戒めを守らへん者どもが滅ぼされてきたのが歴史的事実や。この永遠の律法が廃止されたと一世紀を生きたファリサイ派の偽使徒パウロとその仲間らが急に言い出し、それ以後、後世の自称キリスト者であるパウロ教信者どもが偉そうにモーセの律法は全部廃止されてるという大嘘を吹聴し続け、世の諸教会全員がその考えになって主流派にさえなったが、完全に間違いであり、忌まわしいことこの上ない。故に、聖書と主イエスの教えに反して律法の有効性の議論が起こること自体がおかしなことで、大勢の悪魔の子らが神と神が制定しはった律法を憎んでるから、しつこく反抗し、神の法と秩序に対して異議を唱え続けるんや。せやから、ファリサイ派のパウロがキリストの使徒と自称し、キリストの名を悪用してファリサイ派らしい悪魔的な偽教義が世界中で広まり、大勢の罪深い人間どもによって承認されようとも、そないなものを神は真理とは認めへんし、神の民も認めへん。なぜなら、律法遵守を救いの最低条件とするキリストの教義が変更になったという事実は無いし、神も真のキリスト者もその認識で居るため、神の民は当たり前のように神の律法を擁護して守るからや。この世の権力者や大衆がこれを認めなくても、この真実が存在せえへんことにはならへん。なんぼ拒否しようが、逃げて見なかったことにしても、聞かんかったことにしても、すべて現実逃避に過ぎず、無駄な抵抗やということを覚えとき。
この世全体が悪い者の中にあることを我等は知ってる。」(ヨハネ一 五章十九節拙訳)と使徒ヨハネは言うた故、世の権力者や多数派の庶民が悪い者であることを意味し、思考停止して多数派に属して安心してる者どもも悪人と言うことが出来るやろ。頭使えよ。あんたらは思考停止し、聖書に無知であり、世の悪にも鈍感で、それ故、聖書の真理が理解でけへんし、受け入れもせえへん。そないな人は悔い改めへん故に滅びる。世の諸教会や諸教派が勝手にパウロを支持して、パウロが使徒かのように信じて教祖のように崇めて従い、「パウロというファリサイ派の人間の教え」をあたかも「キリストの教え」であると嘘をついてファリサイ派の教義を信奉して周囲にも吹聴してるだけや。拙者が「偽使徒パウロの反キリスト教義一〜七」の連載にて明らかにしたとおり、「パウロの教え=キリストの教え」では断じてなく、むしろパウロの教義は主イエスの教えに反するものが多い。しかし、世の諸教会や諸教派に属する人間たち、ネット上で偉そうにパウロ書簡のみ引用して嘘を吹聴してる自称キリスト者どもは、偽使徒パウロの言葉をキリストの言葉と勝手に置き換えて盲信しとる。故に、世の諸教会の教えや世間の主流派は、主イエスの教えを信じてるんやのて、偽使徒パウロの反キリスト教義を信奉してる「パウロ教信者」に過ぎひん。彼らはファリサイ派であり、キリスト者(クリスチャン)やのうて、キリスト者を自称し、そう偽装してるだけや。カトリック、正教会、プロテスタント等といった世の諸教会や諸教派すべてがファリサイ派の「パウロ教」である。以後、これらを「キリスト教」と言うてはならんし、思ってもならん。拙者が宣べ伝えるな内容こそ聖書の真理に則った「キリスト教」(キリストの教え)である。聖書から偽使徒パウロの反キリスト教義や偽福音を除外せん限り、キリスト教とは言えへんからや。
預言者エリヤの働きをした洗礼者ヨハネや主イエスが口酸っぱく言わはった「悔い改めよ」は「律法違犯をやめよ」と同義であることは使徒ヨハネが書いたヨハネの手紙一の三章四節からも明らかや。罪の定義が律法違犯であることをいつまで経っても理解でけへんという脳無しの人間が多い。非常に不思議でたまらへん。聖書に明確に書かれており、誰でも聖書を読めば簡単に分かることやのに、その悪魔的な品性から頑なに認めようとせず、律法と真理を伝える人を憎み、歯ぎしりして無駄な反抗を続ける自称キリスト者や不信仰の者が多い。

 

 


上図のとおり、ふら氏は偽使徒パウロ書簡を引用し、「信者は不法者ではありません。」と意味の分からんことを言うた。なんでこないな思慮に欠けることを堂々と言えるのか。聖書的根拠が無いのにも拘らず…。まさに十字架を免罪符かのように勘違いしとるからやろな。それこそ偶像崇拝である。主イエスに贖いを受けてるから不法な者ではなくなったと言いたいようやが、それは悔い改め(律法違犯をやめる)という「行い」を要求しはる主イエスの教えに反した反キリスト教義である。栄光氏は、聖書で罪の定義は何かと問うた。
 


そして、ふら氏は回答することが出来ず、回答せずに逃げた。それどころか「都合の良い箇所だけ主張して〜」等とブーメランになってることに気付いてへん痛い人や。律法によって義とされるのではない等と回答になってへん駄文を書くだけや。不信仰の異邦人によって編纂された聖書の言葉はすべて正しいとか、拙者が過去記事「聖書は六十六巻だけが正典やあらへん」や「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 前編」や動画(BitChute)でも言うてきた事実を全然知らん無知を曝け出してる。聖書や歴史を研究もせず、矛盾に疑問を持とうともせず、「六十六巻は全部正しいのだ」と洗脳されてるに過ぎひん。疑問を挟むなと言わんばかりやさかい。拙者が証明したとおり、今の聖書の状態は、本来在るべき状態やのうて、めっちゃ矛盾や誤りや誤訳がようけあるんやで。気付かへんのは聖書に疎い証拠でもある。ふら氏のような自称キリスト者は聖書を通読も研究もせず、それこそパウロ書簡という反キリストにとって都合のええ情報のみを切り取って主張してる。彼らが負け惜しみで言うことすべてが彼ら自身に返って行くという見事なブーメラン。
そして、このふら氏は聖書的根拠を追及されると逃げまくるやろ。「正典に含まれる書物が偽な訳ない」って、これぞ盲目の洗脳民の言い分や。聖書の内容から具体的に反論でけへんからな。現代の学校教育信者やテレビ信者どもと同じ性格やろ。政府が検閲した教科書やテレビが嘘を言う筈がないとか盲目的な信者が多いが、こないな人らはただ盲目で、思考停止しており、愚かで、世の権威への盲従者でしかあらへん。拙者が過去に聖書編纂の経緯を話したとおりで、ローマ人やギリシア人といった異邦人らは、亜細亜系の真正イスラエルを嫌い、素晴らしい神の律法やキリストより直々に教えを受けた十二使徒とエルサレム教会の教えや知恵が不都合故に、異邦人どもがその書簡や資料等を破棄または隠蔽したのであろう。それしかない。律法を守らんでも天国行きになるという偽使徒パウロ教に魅了された異邦人にとって、律法遵守や悔い改めを説く文書が不都合故に排斥したんやろ。新約聖書の正典化にあたり、十二使徒の書簡が皆無ではさすがにまずいと思い、ヨハネとペトロとヤコブとユダの手紙を少しだけ付け加えたっていう感じに思える。書簡の数や分量からして新約聖書の主役が自称使徒のパウロになってるのが完全におかしい。よって、今ある新約聖書の正典について、偽使徒パウロの書簡が新約聖書の約半数も占めてることで、悪い者たちの意図が紛れ込んでると言わざるを得ない。彼らの教祖パウロの文書を多く入れて権威付けたことで異邦人(異教徒)の目的を遂げた。上記過去記事内でも書いたとおり、元カトリック司祭でプロテスタントの始祖の一人であり、パウロ教信者であった独逸人のマルティン・ルターはパウロ書簡を支持する一方で、その偽教義に釘を刺すヤコブの手紙を「藁の書」と貶し、ユダの手紙も軽んじ、ヨハネの黙示録も正典から外そうとした。拙者の言うてることが正しいであろう。元々、主なる神に選ばれてへん異邦人たる西洋人は、こないな反律法的かつ反ユダヤ的な思想を持ってる人が多い。異邦人全員が救われへんとは言わんが、神の律法に逆らう者にキリストによる救いが無いのは聖書から明らかで、それは古代イスラエル人の末裔である日本人も例外ではない。神の律法に違犯して罪を犯す者が滅びるという点は、全人類平等で共通や。他にあるであろう多くの有益な書物がパウロ教信者どもによって排斥されたものの、それでも聖書は真理を悟ろうと思えば出来る最低限の状態に残された。拙者がそれに気付いたように。しかし、多くの選ばれへん者は聖霊の導きが無く、それ故に気付かんし、このように分かり易く教えられても受け入れようともせず、結果的に神の篩にかけられ、ふるい落とされるんや。

 


上図の会話で、聖書は人によって語られたのではないと、またプロテスタント教の洗脳を受けた回答が見られる。そう言うようにと牧師自身が教え込まれてるからな。そして、牧師を信じる一般人も同じく洗脳されるというねずみ講の状態や。世の諸教会や諸教派こそが、カルト宗教なんですよ。世俗社会もカルト宗教や。政府や官僚や大企業の重役らは何処かのカルト宗教信者であるか、悪魔崇拝をしてる者で構成されており、その思想を法規制、社会の規範作り、学校教育、テレビ報道、新聞報道、広告、娯楽(映画、音楽、アニメ、漫画、遊技等)、商品等に大いに反映されてる。せやから、自分は「無神論者です」とか「無宗教です」等と言うても嘘でしかなく、政府や学校や大企業に盲従する多くの人らは世俗教というカルト宗教信者や。悪魔崇拝をする欧米の金持ちの支配層が国際機関や各国政府や報道機関や教育機関や大企業等のすべてを支配下に置き、諸国民を洗脳してるからな。このコロナという存在せえへんものと有害なマスクとワクチンを推奨及び強要という犯罪を犯してるのに、多くの愚民はその犯罪性にすら気付かず、見かけだけ立派な肩書を持つ大罪人どもが言うことが本当なんだと信じて受け入れてるのが大半やろ。きしょいんですよ、この世の多くの人間がアホ過ぎて。思考停止し、正義感が無く、世の権威を盲信し、悪行に加担してるからや。目を覚ませよ。奴らは嘘つきの犯罪者や。この世の権威者である悪魔崇拝者に従う人は皆、同じく悪魔崇拝者になってるんやで。地獄行きを決定付ける獣の刻印もそうすることで押される霊的刻印や。せやろ。物理的なものなら、すべての事情を知ってて仕組んでる権力者たる支配層の富裕層らは避けるからや。ワク接種した振りをした政治家や有名人等も居るけど、霊的な刻印は目に見えず、刻印を押されたか実感はでけへん。それ故、自分らは大丈夫と勘違いし続ける。しかし、黙示録十三章十六節にあるとおり、小さき者や貧しい者のみならず、「大きな者や富める者にも獣の刻印を押させた」とあることから、これは人間皆平等に神は見てはることの証拠であり、支配層や金持ち自身も知らん内に獣の刻印を受けることから、目に見えへん霊的な刻印であることが分かる。即ち、神の律法に違犯し続け、悔い改めを生涯拒否すると心に決め、改心不能となった時に、人間の心を見通す主なる神が天使に命じて獣の刻印を押すんや。偽使徒パウロを盲信する大勢の自称キリスト者どもは、後で主イエスから「あんた方のことは全然知らない。我から離れよ、不法を行う者ども。」(マタイ七章二十三節拙訳)と拒絶され、喚き散らしたり歯ぎしりして悔しがる。なぜなら、彼らは自分らは確実に救われると誤って思い込んでるからや。主を信じると口で言うだけで救われるとパウロの言葉を信じて安心してたのに、その期待を裏切る結果になるから、こない悔しがることになることが既に書かれてる。また、主イエスは「僕の主人が思いがけへん時に来るだろう」(マタイ二十四章五十節、ルカ十二章四十六節参照)と言うてはり、人間たちが呑気に世俗社会にうつつを抜かしてる間、人間自身が気付かん内に審判されて判決も下ってるという意味や。せやから、滅びるまで何も気付かんかったという結果に終わり(マタイ二十四章三十九節参照)、後で自称キリスト者どもは喚き散らしたり歯ぎしりして猛烈に悔しがる。そうなってからでは、時既に遅し。せやから、「目を覚ましていなはれ」(マタイ二十四章四十二節参照)と、気を抜くなと主イエスは言わはる。常にこの悪い世俗社会に呑み込まれるな、世の人々と調子を合わせるな、多数派に属するなという警告である。ワク接種やマイクロチップ等の埋め込みさえ拒否してれば安心という意味やない。それらを避けるのは当然として、不信仰でもあかんし、神の律法を守ってへんようでもあかん。こんな人らも最後には全員滅びる。

聖書は宗教ではないし、支配層の計画書でもない。既に申したとおり、支配層も最終的には悪魔(堕天使)と共に地獄行きになることを聖書は予告してるんやから、支配層に都合のええ計画書である訳がないやろ。こないなことを言うド無知の愚か者をたまに見かけるが、彼らの思慮の浅さもかなり酷い。その者どもは、嘘で他人を惑わした罪を負う上、迷惑極まりない。前にも言うたとおり、聖書(パウロの偽福音や偽教義を除く)は人が正しく生きて行くための指導書、歴史書、預言書、言葉であるイエス・キリストそのものである。この世を支配する悪人どもが聖書の教えを宗教扱いして、人々を聖書とキリストから遠ざけてることに気付け。聖書拒絶者こそが異常であることに気付け。
さて、ふら氏の話に戻す。「普通に考えたら分かります」と正典がすべて正しいと盲信し切ってる人に、そもそも「考える」という過程が彼らの中には存在せず、思考停止しとることが明らかや。ただ、盲目的に信じ込んでるだけ。それを「狂信」と呼ぶ。それは、ふら氏が偽使徒パウロの教えを基にしたプロテスタント教というカルト宗教にはまってる証拠や。疑うことは有り得へんと最初から勝手に決め付け、考えることを放棄してる言い分しかあらへんさかい。せやから、根拠を訊かれると答えられず、苦し紛れに、かような負け惜しみばかり言うことになる。仮に思考してたなら、根拠を訊かれれば即座に答えられる筈やさかい。挙句、ふら氏は過去記事「イキる自称キリスト者になるな、騙されるな」で拙者が弾劾したエホバの証人崩れの狂人リャンピン(ダンベル)の呟きをも引用する始末。リャンピンの狂言に同意するなら、ふら氏も同類の狂った人間であるということや。このように、おかしい人はおかしい人と結託する。

 


悪しき心が自分には無いと言い切るふら氏は、自身を客観視せず、根拠も無く自分自身が正しいと思い込んでる傲岸不遜な人というんがよう分かるやろ。偽使徒パウロ書簡を狂信し、主イエスや十二使徒の教えを無視し、今でも有効かつ有益な紀元前の時代に書かれた書簡もすべて無視してる分際で、偉そうに栄光氏が地獄で焼かれると裁いた。自称キリスト者のパウロ教信者って、なんでこないに愚かで偉そうなんかね。また、リャンピン(別口座のダンベル)のように「人間BBQ」とか「BBQで焼かれる」等と下卑た言葉遣いをするわで、非常に品性が悪い。そないなことを拙者は言うたことはない。BBQ(バーベキュー)と西洋かぶれの言葉を用いて、しかもそれを食事に例えてることからも人肉食(カニバリズム)を想起させ、こいつらはほんまに悪魔の子と言える。
パウロも傲岸不遜やったとおり、その弟子たるパウロ教信者どもも同じような性質の蝮の子であることが分かる。さすがファリサイ派やな。
ふら氏自身が正しいと思える根拠が一切無いし、聖書を基にした議論がまったく出来ず、逃げまくるだけで感情的になって悪口を吐くだけというどうしようもない分際のくせに、自分は確実に救われると愚かにも狂信してるんやろね。かような人たちを見る度に吐き気を催す。

 

 

そして、どうにも反論が出来ず、ぐうの音も出ない状況になり、最後には遮断して逃亡する。お決まりの行動様式やね。これが愚か者特有の行動様式や。冒頭で弾劾した元占い師の偽使徒パウロの端た女も同じで、不都合になるとすぐ遮断して逃亡する。遮断するかせえへんかは個人差があるやろが、大体が、こないに論理的かつ建設的な会話が出来ずに逃亡する思考停止民ばかりや。自分が正しいと思ってる所から降りようとせえへんのよね、その正しさを証明する聖書的根拠も無いのにです。そこにあるんはただ偽使徒パウロの偽教義と偽福音への盲目的な狂信のみ。それを理性的かつ論理的に追及すると、ブーメランになってる負け惜しみを言うて、最後には逃げ出す。このようにカルト宗教に毒された人の心と頭はどうかしてるよ。

これだけ拙者が今まで言うてきたのに未だに日本人には大きな動きが無い。黙って何もせえへんのでは滅びるぞ。ほんまに分かってへんよね、あんたらは。「行い」がすべてを証明する。頭の中で思ってるだけで、何もせん人はあかん。その何もせん人らが九割九分九厘以上で、ほんまに日本は終わりやなと思う。冒頭で言うたように、現代日本人には「行動力」が致命的に欠けてる。
こちら(YouTube)のように、参政党なんかに騙されたらあかんで。拙者の思いに反して支持者が増えてるらしいな。反自民党の受け皿か。しかし、なんでこんな分かり易い偽善に騙されるんかね。参政党も自民党と同じく、欧米の支配層の下僕でしかあらへんよ。参政党の人らは、欧米の支配層が目指す「新世界秩序(NWO)」や連合国のSDGsに賛同しとるし、自民改憲の賛成派でもあり、免疫パスポートを作るとか共産主義思想丸出しで、水道民営化や電子通貨にも賛成し、自民党と同じく超危険人物ばかりの集まりや。党名が異なるだけで、自民党員と思想や信条は同じや。そんな人らが日本を守るという保守なんかでは有り得ず、むしろ日本と日本人を滅ぼそうとしてる人たちや。こんなことも見抜けぬとは、ほんまに知能が無い人が多いよね、現代日本人は。マスク着用とワク接種で知能低下に拍車が掛かったんか。コロナの嘘やPCRの欺瞞に気付かずにマスク着用やワクチン接種等と有害なことばっかしてるのが現代日本人は非常に多いさかい、ほんまにどうしようもない。「参政党に気をつけろ!」(アメブロ)の記事でも見れば、参政党の危険性が分かるやろ。参政党には自民党と同じく統一教会員や朝鮮人が紛れ込んでる。先の動画では吉野氏が日本人だけがこの悪い流れを止められるとか日本人をヨイショしてるけど、ほんまにこないな「甘言」に騙される人の何と多いことか。「日本、凄い。日本人、凄い。」等と言うておけば、アホな日本人はすぐに嬉しがって浮かれるからな。医師という肩書きや地位だけで信頼するな。現代では医師こそ汚れ者が多いんやからな。こちら(gooブログ)でも、電磁波の被曝被害やレントゲン(X線)の被曝被害等について説明されてる故、よう読んで、身近にようけある電磁波商品やレントゲン撮影を忌避しなはれ。日本人に癌患者が多いんは、会社員が一年に一回不当に義務として受けさせられる健康診断にあるのではないかと思われる。ちなみに、海外諸国では健康診断は強制されへん。おそらく日本だけであろう。このコロナ犯罪で医療機関や医師たちの罪深さが痛い程分かったやろ。参政党の人らのように日本人を無意味におだてても、日本人の気持ちが一時的に良くなるだけで実際は何もせず仕舞いで、役立たずであり、政府や官僚や大企業等といった悪人どもに抵抗せえへん。その結果、事態は好転せず悪化するのみで、新世界秩序(NWO)の樹立、超共産主義社会、超監視管理社会の構築という支配層の目的をやり遂げるっていう寸法や。はっきり言うておくが、参政党は自民党の別働隊の一つであり、支配層側に与力しとる。彼らの言動は、建前だけあたかも日本国民に寄り添うかのように見せて自公政権に不満を感じる人たちを寄せ集め、耳触りのええ美辞麗句を並び立てるのみで、決して日本と日本人のためを思っておらず、結果的には裏切る。もっとも、自公政権のみならず、立憲民主党や維新の会等といった既存政党のすべてが悪く、日本国民のためを想って働く者は居らず、国会議員や官僚らやその他公務員が売国奴であることは今更改めて言うまでもない。せやから、拙者は「与野党グル」と言うてるんや。ええ加減理解せい。
現在、日本人こそ世界で最も愚かな国民やろ。コロナという存在せえへん偽感染症犯罪は未だに続いてるんを黙認し続け、マスク着用やワクチン接種に関してまったく法的に義務でもないし(もっとも、義務化は違憲・違法で不可やし、医学的及び科学的にも正当な根拠が無いため義務化は許されへん)、強制することもでけへんと現憲法や刑法で守られてるにも拘らず、憲法と法律に無知で抵抗せず、政府や会社や学校やテレビの言うことに洗脳されて白痴になり、同調圧力なんていうしょうもないもんに負け、自ら進んでマスク着用を続け、更にワク接種にまで及んで自傷したり伝播によって他者に迷惑を掛け続け、コロナ対策という名の凶悪犯罪を犯してる政府や官僚や企業を訴えようとせえへんし、黙って従うばかりの愚民だらけやろ。挙句、多くの日本人が、自民党改憲草案に猛抗議や訴訟もせず、放置してるやろ。ネット上で少し言うだけで終わってては無意味やで。拙者が過去記事「早よ行動せんのなら日本は滅びる」や「全力で改憲反対してワクチンも拒否せい」等と複数回あんたらに呼び掛けたのに、誰もそれに応じようとせえへんよな。どういうつもりや。これが、現代日本人の愚かさの動かぬ客観的証拠である。日本ではコロナ犯罪に係る訴訟や何万人もの大規模な抗議活動も無いし、この暑くなってきた季節でもアホみたいにマスク着用を欠かさず、ワク接種もせっせとやって死んで行く。きしょいんや、ほんまに。同じ人間とは思えへん。先の動画で、彼らは聖書を勝手に持ち出して語ってるけど、内容は全部誤りや。あの人たちは、聖書にしても、〜書の何章何節等と具体的に引用せず、「〜と聖書に書いてある」と嘘を平気で言うやろ。拙者のように聖書を知ってる人にしたら、「そないなこと、聖書に書いてへんで」と言い返せるし、書いてへんことを知ってるさかい騙されへんが、視聴者の殆どは聖書についてまったく無知やさかい、簡単に騙される。信じられへん嘘つきだらけや。高崎氏も自称キリスト者であり、まったく聖書のことを理解してへんし、中東の偽イスラエル国家の親善大使になってる。偽ユダヤ人と親しい人は皆あちら側ですよ。彼の本名は別にあるのに、何故か高崎と偽名を使う。群馬出身らしく、群馬の高崎市に思い入れがあるんやろか。多くの政治家、官僚、芸能人らをはじめ、群馬も怪人脈が多いと聞くしな。吉野氏も聖書知識やユダヤに関する知識が皆無のくせに偉そうに聖書について語る資格無し。聖書についてド素人の無知の者が、知ったかぶって平気で嘘を垂れ流し、視聴者も聖書知識が無い人ばっかやさかい、彼らが語ることがほんまやと安易に信じてまうんやろなって想像する。投稿欄見てても吐き気がする賛同者が多い。日本人がこんなんばっかでは確実に滅びるよ。


拙者がする弾劾を良く思わん敵対者が多いんは知ってる。これも何遍も言うてきたが、拙者は敵対者であろうとも嫌いやからこないなことを言うたり、批判するのではない。主イエスの敵を愛するという教えの実践や。そこをあんたらはまったく理解してへん。これぞ慈愛からや。あんたらの多くが間違うて滅びに向かってるんを見て見ぬ振りがでけへんから、言うてるんや。滅びに向かおうとしてる人たちを救いたいからこそ言うてるんや。愛ある叱責である。黙示録にもあろう。主イエスは、「我は愛する者たちを皆、懲らしめたり、叱責する。せやから、熱心になり、改心せい。」(黙示録三章十九節拙訳)と言わはり、神に選ばれた愛する者を叱り、懲らしめ、鍛え上げる。よって、懲らしめや叱責を受けへん、それらを受けることから逃げる、叱責や矯正を拒絶する、言うことを聞かずに悔い改めへん等する愚か者は滅びる。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 十二章四節〜八節(拙訳)
あんた方は罪と戦い、まだ流血まで抵抗してへん。また、子供たちのようにあんた方に語られた叱咤激励が忘れられた。「我が子よ、主の懲らしめを軽んじるな。懲らしめられる主によって弱くもなるな。」主は愛する者を懲らしめはり、主が受け入れるすべての子を多大な苦難に遭わせるからや。もしあんた方が懲らしめを耐えれば、神はあんた方を子として扱われる。父が懲らしめへん子とは一体何か。しかし、もしあんた方に懲らしめが無いなら、その者全員は参加者になり、それ故、あんた方は嫡子やのうて庶子や。

上記聖句からも明らかやろ。異論は認められへん。懲らしめや叱責を受けて改善すれば神に子として受け入れられるが、拒否したり、聞いたり振りや受け入れた振りをしてるだけで実際に改善してへん者は救われへん。また、この「参加者」とは、神に選ばれて永遠の命を受ける人やのうて、ただ信仰に招かれただけで律法違犯やその他日頃の行いが悪く、主イエスに永遠の命を受けるに相応しいとは認められずに最後には滅びる人を指す。頑なに聖書を拒否する不信仰の者等は論外。当該ヘブライ書の括弧内の言葉は、箴言三章十一節〜十二節からの引用や。そして、新約聖書のみならず、旧約預言(イザヤ書四十八章十節、その他)でも、神は、選ばれた者を苦難で洗練するとある。この世において何の苦難にも遭わへんとか、あらゆる手を尽くして苦難や批判から逃げまくったり、批判や注意も一切せずに仲良くしましょう等と生温いことを言うて馴れ合い、悪い点を直そうとせえへん愚か者どもは後で確実に滅びることになる。人間は誰しも不完全な者やと自称キリスト者どもはよう言うてるが、ならば、批判や叱責を受けて当然ではないか。不完全な分際で、それも主イエスが求めはる「完全な者」(マタイ五章四十八節)から程遠い低偏差値の分際で、なんで成長の糧になる批判や叱責を極度に嫌うのか。それも矯正のため、必要なことでさえも拒絶するやろ。それはあんたらの多くが自分が正しいと思い込む高慢な人間やからや。現代は、ほんまに批判や諭しを嫌う高慢な愚か者が多過ぎる。過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」で述べたとおり、聖書に「主への畏れは知恵の始まり。これを行う者は皆、ええ洞察力がある。主の賛美は永遠に続く。」(詩編百十一編十節拙訳)と「主への畏れは理解力(洞察力)の始まり。愚か者は、知恵と矯正を酷く嫌う。」(箴言一章七節拙訳)と複数に渡って記述があるとおり、聖書を知らず、主を畏れて神の律法に服従せん人が賢い訳がない。また、当該箴言から、聖書に依拠する拙者に敵対する愚か者たちが、知恵と矯正(誤りを正すこと)を酷く嫌ってるんも真実やと分かるであろう。
これは政治家や官僚かて同じや。侮辱罪の厳罰化を最近決めたな。しかし、これは憲法で保障されてる表現の自由に反するため、こないな厳罰は違憲無効と言うべきである。法律の範囲内で言論の自由が許される等と言う人がたまに居るが、これはまったく話にならん愚か者の言い分や。なぜなら、憲法は法律より上位法であり、憲法は国の最高法規やからや。なんで最高法規である憲法が、下位法に過ぎひん法律に制限されるようになるんか。否、有り得へん。ド無知が偉そうに憲法や法律を語るな。憲法二十一条一項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と、このように幅広く言論の自由を制限無く保障してる以上、下位法である法律や政令や条例等によって憲法が保障する言論や表現の自由の範囲を狭めるんは違憲無効である。これが論理的で、正しい法的解釈や。行政権の支配下にあって腐敗してる裁判所やその他の法曹が何と言おうが関係無く(彼らは支配層と行政に都合がええような言い訳理論を組み立てるだけやさかい)、彼らが勝手に制限や私的解釈を加えるのは誤りであり、そうすれば人災である。判例には人災がてんこ盛りであり(冤罪も人災の一つ)、憲法や法律が形骸化及び死文化し、人間の恣意的な判断に縛られていては自由と人権が一切無い独裁国家まっしぐらや。
また、神の律法でも言論に関する規制は無い。ただ各自が自分の言葉の責任を持つだけで、裁きは神が行うのであり、人間が裁くんやない。故に、侮辱罪なんて刑法に組み込むこと自体がおかしい故、侮辱罪自体が違憲無効というべきである。何でも法律にすれば有効なのではない。勘違いするな。全人口のほんの一部に過ぎひん愚かな国会議員や官僚どもが勝手に制定し無理やり可決したものを全国民に強要するな。何様やねん。政府批判や議員批判や官僚批判等を許さんなんて、支那と同じような共産主義の独裁国家やないか。民主主義が聞いて呆れる。明治以来の議会制が民主主義ではないと証明してるようなもんや。選挙立候補にあたり供託金三百万円という諸外国と比して異常な高額設定で敷居を高くしてまともな思考をする貧者が参加出来ず、愚かな金持ちばっか参入し、更に票の集計確認すらせずに不正選挙で毎度売国奴ばかりが議員や知事になり、支配層に立ち向かうまともな人が為政者になられへん仕組みが出来上がってるから、民主主義なんて最初から無いんや。この明治維新以来現代まで続く英国の真似をしてる統治制度そのものを破棄し、反日売国奴を追放及び処罰し、昔の日本らしさを取り戻さん限り、日本の復活は有り得へんのや。人は誰でも喧嘩すれば暴言の一つや二つ出てくるものやし、遠い過去から現代に至るまでそんなん数え切れへんあったし、誰もそこまで大袈裟に捉えへんかった。それやのに、なんで今になって「侮辱罪だー」等と喚き立てるようになるのか。おかしいやろ。民事不介入の原則に反してる。称賛することが許されるなら、侮辱も許せよ。それが言論の自由や。正当な理由も無く侮辱するような人間に対しては、神が罰を下す。わざわざ人間が処罰することやないし、罰則付きで規制する程の大事でもない。よって、こんな権力者による一方的な言論統制と厳罰化は無効と言わざるを得ない。こちら(はてなブログ)のとおり、電車内の監視カメラ設置も東京都調布市の偽旗事件を口実に行われ(このカメラ設置行為も不当な私事権の侵害で違憲であり違法行為。それを指示した国交省とそれに協力する鉄道会社を訴えよ。)、これは庶民の監視のためであり、超監視社会の構築のためや。顔認証付きカメラやろし、誰がいつ何処に居った、行った等と囚人の如く監視されるんですよ。囚人扱いなんですよ、庶民は。なんであんたらはこれに猛抗議や訴訟もせず、呑気にして、黙って放置してるんやろか。おかしいで。監視カメラだらけの状態に慣れるな。もっと私事権や個人情報に敏感になれよ。二千十七年の過去記事「世の中の真相、新世界秩序(NWO)とこれからの動向」で、拙者が「この地全体が刑務所のようになります。」と予告したとおりになりつつある。こない分かり易う教えてるのにあんたらは気付かんし、気付いても何もしようとせえへんやろ。せやから、冒頭で言うたとおり、あんたらには行動力が無いねん。そないに自分たちの自由や人権を奪われたいのかね。そうとしか思えん。抵抗が無いというんはそういうことや。
また、他の事件を口実に侮辱罪の厳罰化が行われたが、あまりにも稚拙で見え透いた嘘の建前であり、本音は明らかに悪徳政府と悪徳官僚らによる国民からの批判封じの言論統制が目的やということが分かり易過ぎる。何処の誰とも知らん人からネット上で侮辱された程度で死ぬ人なんか居らんよ。「やかましい」って言い返すか無視するか投稿を削除したり接続禁止にしたりといった処置をして終わりで、刑罰を科す程のことやないやろ。上述したとおり、侮辱罪そのものが憲法違反の規定のため無効。拙者も誹謗中傷や野次を散々受けてきたが、論破したり削除して終わりや。意に介さへんし、逐一処罰を求めることもない。もしそれをすれば神に逆らう者になるからや。裁き主は、主なる神のみであることを弁えるのが神の民やからな。そもそも、知らん人が言う戯言で、誰が自ら命を絶とうとするかね。有り得へん。学校や職場や家族等での人間関係に悩むとか、顔見知りで身近に居る人たちの態度や言葉があまりに酷くて、深く傷ついたりして起こり得るやろけど、顔も名も知らん赤の他人にきついことをネットで言われたから自ら死ぬことを選ぶ人は居らんよ。一切面識が無い他人からの侮辱なんて絶対に自殺の要因にならへん。こんな害悪でしかないつまらん法律の改悪は迅速なくせに、大切なことは何一つせえへんやろ。過去記事「キリスト者の成長に必要なこと」で書いたとおり、「ガチャ」や「ふくびき」という名の賭博にあたる犯罪やコロナ犯罪(ワク接種の開発・販売・促進者(製薬会社やその資金援助者や株主)、ワク接種の実行犯(医師や看護師等)、ワクの推奨者(政府、官僚、その他公務員、報道各社、医師、学者、芸能人、企業、一般人等)やマスク着用を推奨または強要する者全員、その他コロナ規制に関することすべて)を犯してる者どもを早よ処罰しろよ。そういった社会を健全にするために必要なことはせず、逆に要らんことばっかするやろ。ほんまに、この世の悪人どもは愚かで傲岸不遜であり、自分たちの悪さや落ち度を認めて直そうとせず、矯正や叱咤を受けることを嫌がり、それをさせんように規制して抑えようとする。ほんまに悪の極みや。
話が逸れたが、上記ヘブライ書の聖句や引用元の箴言から明らかなとおり、そないな人間の健全な成長に必要な鍛錬や懲らしめを受けてへん人たち、受けることから逃げる人たちは、主から愛されてへんし、選ばれてもいない。苦難を受けへんというんは神の民やのうて庶子故に甘やかされてる証拠であり、つまり、それは主から選ばれてへんということや。実際、世の中の大多数の人間がそのようである。ちょっとばかり苦労したからというても選ばれた内には入らへん。たまに苦労自慢する愚か者が居るさかいな。その人自身の心や行いが悪いために、不幸を受けることも多いことを知らなあかん。不信仰の者や異教徒らは論外で、キリスト教の看板を掲げるが実際は「パウロ教」を信奉してる世の諸教会等に所属したり通ったりしても、ツイッターやブログ等で徒党を組んで時折生温い言葉を掛け合う仲でしかないのなら、その集団に主イエスは居らず、救いは無いであろう。

過去にも言うたが、未だに拙者が言うことを理解してへん現実逃避者が多いため、再度言うておく。「利益信仰」は意味が無いからやめよ。世の多数派から見れば(不信仰の者やにわかキリスト者等から見れば)、「聖書の真理に従ってると何だか色々我慢して大変そう」てなもんでしょう。律法であれをしろ、これをするな等と決まりがあるさかい。信仰が無ければ、神の律法、掟、戒めを束縛のように捉えるからや。拙者が教えたとおり、神の律法は人間の法律等と何ら位置付けは変わらんのにや(守って当たり前という位置付けのこと)。現代では人間の法律の方が数が非常に多いし、もっとガチガチに束縛されてるとも拙者の過去動画で説明したとおりや。人間の法律は良くて、なんで神の法は嫌うのかってことですけどね。神の律法を嫌うことは、神を嫌ってることに他ならん。律法を嫌い、または律法を好きと心にもないことを言いつつも実際には守らんとか、守るのは十戒だけに限定するという人がキリスト者では有り得へんし、救われへん。世の多くの人は現世利益ばっか求めてる。しかし、聖書では現世利益を提供せず、後の世での永遠の命、滅びからの救いを提供してる。この世は仮のもの、試練ばかり、忍耐が必要とされる場、試用期間みたいなもんと拙者は教えてきた。そう理解でけへん人はあかん。なぜなら、そないな人らは「世から出た人間」であり、この世とこの世にあるものを愛し、創造主たる神への愛も無いし、隣人愛も無いからや。現世利益にしか目が行かへん人は自己愛者や。自己愛者は、この世で苦難に遭いたくない、自分だけでもええ思いをしたい、生活に困りたくない等と思い、それ故に必死に世直しを求める。せやから、トランプ氏を過剰に擁護するQアノンやら偽装保守の参政党やらが出てくる訳やが、こういうんも支配層の手駒でしかない。所詮、この世で大きな動きをする人たちは皆、向こう側の人々や。新世界秩序(NWO)の樹立を目的としてることには変わりはない。仮に本気で支配層に歯向かうのなら、支配層も躍起になって潰しにかかるし、支配層の強大な財力と権力には勝ち目は無いであろう。すべては聖書預言どおりにしかならへんのやから、最悪な状況はいずれ迎えることになるんでしょう。我等がそれを望まなくてもね。しかし、世の権威に不服従で、抵抗し続ける、神の掟を守りながら主イエスの信仰を保つ人だけが救われると黙示録十四章十二節にあるんやから、それを守り通すのみ。せやから、神の律法、掟、戒めを守らん人は、なんぼキリスト者やと自称しようが、「イエスを信じてます」等と言うたかて無駄で、救われへん。この世やのうて、後の世のことに希望を見出すのが聖書が教えてる真理や。しかし、世のことがどうでもええと投げやりになって、改憲も賛成する、コロナ犯罪を黙って見過ごす等をしてええ訳ではない。そういう極端な理解もやめてもらいたい。悪を行うことを避け、善を行わないかんからや。為すべき善を知りながら行わへんのは、その人には罪や。」(ヤコブ四章十七節拙訳)のとおりやさかい。為すべき善は、やらないかん。黙って悪人に対して何もせえへん、傍観者でいるんなら、その人も悪人である。臆病になるな。強く、雄々しくあれ、古代イスラエル人の末裔たる日本人よ。

確かに言うておく。この世にしがみつく生き方やこの世と世にあるものを愛する生き方は現実逃避である。それを早々にやめよ。都市伝説界隈で言われるメタバースやら仮想現実もすべてゴミであり、現実逃避で、非常に愚かと言わざるを得ない。大企業が巨額を投じてやってることやからええもんなんやと洗脳されるな。無視して参加せえへんのが賢明な人や。人間は霊的な生き物ということを忘れ過ぎや。人間は肉体しかない存在ではない。仮想現実という電子的な虚無の世界で生きることもない。それは生きてるとは言わへんからや。例えば、遊技のように、電子上の画面で人や動物等を動かし、操作したとて、それらは生きてる存在と思うのか。有り得へんやろ。なんぼ声を吹き込んで再生出来ても、それ自体は生きてへんやろ。アニメや漫画の登場人物が生きてるのか。ある訳ないよね。全部「創作話」及び「虚構」でしかないんやから。電源が無ければ表示すらされへん虚しいものや。そんな所に逃避しても死あるのみ。日本の内閣府が公表してるムーンショット計画も莫迦げたものでしかあらへん。欧米の支配層の傀儡である日本政府が純日本人を抹殺するつもりやと置き換えて理解せい。ほんまに、現代人は何処まで堕ちたら気が済むんか。聖書を読んで真理を理解して実践してへんから、かように愚かなんや。

また、携挙は希望やない。主イエス御自身や十二使徒が携挙を希望と言わはったことはない。それに与る人がそもそも非常に僅かであるし、誰が与るかも不明やからや。自分自身が携挙対象となると思い込む者は皆、愚かで傲岸不遜と言わざるを得ない。黙示録と福音書と旧約預言から、かつて無かった苦難により、ただでさえ数少ない内の殆どの真のキリスト者が殉教することになろうから。神の律法を守らへん自称キリスト者(パウロ教信者)は皆、世の権威に従うことで迫害を受けず、苦難に遭わず、むしろ真のキリスト者を迫害する側や。まさに、拙者が自称キリスト者のパウロ教信者どもから言われのない悪口や中傷を受け、迫害されてるように。
聖書が示す希望は「復活」と「キリストの再臨による世への裁き」と「永遠の命」や。つまり、後の世に希望を抱くということが正しく、この世に対してではない。使徒ペトロも新しい天と新しい地に希望を持ってることを表明したとおりで(ペトロ二 三章十三節参照)、悪い者どもが支配するこの世やない。過去記事「復活とキリストの再臨への希望」で書いたとおりや。勘違いをやめよ。
また、過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 七」でも弾劾したよちよちクリスチャンという自称キリスト者は、最近「なぜ律法があるのか 」(note)という記事を出し、モーセの律法は一時的な律法で、パウロ書簡を引用して廃止されたと決め付け、「十戒のみ有効」という考えを持ってるが、誤ってる。勝手に律法を十戒と置き換えるな。聖書ではそないな置き換えは認められへん。これぞ置換神学。パウロという偽使徒、かつ、ファリサイ派である人間の言葉をキリストの御言葉かのように置き換えるんも置換神学。世間にはこのパウロ教の置換神学が蔓延しており、彼らの内に真理は無い。パウロ書簡は偽使徒パウロ自身の言葉であり、キリストの御言葉ではない故、主イエス御自身の教えや主イエスから直々に教えを受けた十二使徒の言葉に反する教えが多く含まれる。
あのよちよちクリスチャンは、ルカによる福音書十章の主イエスと律法学者との問答を引用してるが、盲人故に気付かんのやろから、拙者が誤りを指摘してやろう。拙者が過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 七」や「キリスト者の成長に必要なこと」でも触れたとおり、愛することのみを守るようにと主イエスは教えはったんやないで。もっとも、自称キリスト者は愛とは何かをまったく理解してへん。聖書が教えるほんまもんの愛を知りたければ、拙者の動画(BitChute)から勉強しなはれ。
主イエスが守るようにと言わはる「掟」とは「モーセの律法の掟」を指す。それ以外に無いからや。第一に重要なんは全心で神を愛すること、第二が隣人愛やけども、これらは十戒にあることか。否やろ。前者の掟は申命記六章五節からの引用で、後者の掟はレビ記十九章十八節からの引用や。それらの掟は「モーセの律法」の中にある掟であるが、十戒にある掟ではない。このように、明らかに主イエスは十戒のみならずモーセの律法そのものを守るようにと教えはった。よって、主イエスはモーセの律法全体を廃止するなんてことはしはらへんし、十戒のみ守ればええということにもならへんのや。この点だけでも、よちよちクリスチャンやその他十戒のみ擁護するパウロ教信者どもが信じてる教義が反キリストのものであり、間違うてるのは明白やろ。このことに、彼ら自身が気付かんのは何故やろか。聖書を読んでも理解出来ず、研究もせず、知ったかぶりし、自分らに都合のええように曲解してるからやろ。こないな大嘘を恥ずかしげもなく堂々と言い続けられる神経が理解不能や。パウロ教信者(自称キリスト者)たちは厚顔無恥やで、ほんまに。また、福音書や黙示録にある主イエス御自身の御言葉、使徒ペトロやヨハネ、そしてヤコブの手紙から、彼らが言う十戒だけ守ればええなんていう暴論の根拠を得ることはでけへん。故に、嘘である。分かったら、あのような巷のパウロ教信者の言うことを信じるのをやめ、また、愛から自称キリスト者たちや世の悪に気付いた未信者たちを諭すようにしなはれ。もし真の聖書福音を聞き入れるなら兄弟を得ることになるが、聞き入れへん者は滅びる故、異教徒と看做し、今後一切関わらんようにしなはれ。拙者は何一つ好き勝手に言うてるんやのうて、聖書の教えに基づいて語ってるんや。偽使徒パウロとパウロ教信者どもの言うことを盲信するな。それを信じて従えば滅びるさかい。

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。


 

以上