こんにちは。

 

今回は、あるイキってる自称キリスト者を取り上げ、そういう高慢で嘘つきに騙されんように注意喚起をします。イキるというのは、粋がる、調子に乗ってる、格好を付ける、尊大な態度で偉ぶるといった意味です。

 

関西人pjの聖書研究ブログ」っていう無名の自称キリスト者を取り上げます。この者は、ブログのみならず、ツイッターでリャンピン(@J5rYQXLJzZXRc6b)と名乗り、聖書に関して嘘を吐き、最近は律法についても嘘を書き、明確に名指ししないものの、安息日、律法、和服等と拙者の主張に当てはまり、他には当てはまる人が居らんさかい、拙者のことを意味してるのは明白であり、遠回しに拙者のことを誹謗中傷してる。名指しせんことでバレても言い逃れするつもりであるという悪しき魂胆が感じられるし、名指しせずに隠れて非難するという臆病者、小心者の分際で、大言壮語しており、人を偽預言者呼ばわりまでしている始末。そうやって、こそこそと悪口を言う人が偽り者の特徴なんですけどね。フォロワーは現時点で六十六人しかおらず、大した影響力は無いんですが、こういうのがイキって、正しいキリスト者であると自分らで勝手に思い込み、嘘をつき続けてるんは看過出来へん。今は未だ新興の段階であるが、今後益々調子に乗って悪が拡大する恐れがあるさかい、早い段階で弾劾しておきます。

リャンピンって麻雀用語であり、支那語ですね。ネットで調べればすぐに分かる。麻雀は支那の室内遊技であるし、その麻雀の筒子の二の筒子がそう呼ばれる。そないな世の物や博打にも関わるものが好きなんは問題や。賭けなくても麻雀なんてやっても何の意味も無いものやし、それがなんぼ上手でも何ら称賛にも値せえへん。

そないなおかしな自称キリスト者であるリャンピン、pjという人のおかしい主張を明確にすると共に、皆さんには彼のように堕落しないように注意喚起を込めて書きます。彼のブログからは明確に拙者のブログや動画を見て学んだ部分が見受けられるが、拙者に対する敵意を払拭出来ず、反旗を翻したとみています。

 

まず、ツイッターです。聖書暦第三の月六日(太陽暦六月十六日)において、彼は以下のようにスマホでツイートした。


 

くだらんことや嘘の文章も添えて三時間の間に同じブログ記事を熱心に六回も宣伝してる。こないな行為は異常と言わざるを得ません。自分の書いたブログが正しいと自信満々である故に、こないに短い時間で六回も自分のブログ宣伝を繰り返す自己愛者です。他人が推薦せんから、自己推薦するんですよね。やってて、虚しいと思わかんかね…。思わんのですよね、自己愛者は。彼のツイートに「いいね」等をする人も異常者です。

 

次に、彼のブログ記事「モーセの律法での安息日は守るべきか、偽預言者とは誰か」について弾劾します。上から順に述べて行くが、まず、最初に目に付くのは西洋画の貼り付けです。引用であることを明記せんと書いており、これが著作権放棄でない物なら違法です。そして、画像自体、主イエスではないし、しかし、そうだと信じてそれを引用しているのでしょうから、文字通りの偶像礼拝ですね。こないな西洋画を引用する自称キリスト者の多いこと。ほんまにここからしておかしいんです。その画像直下の文を抜粋します。

 

以下、引用。

「安息日を含めた旧約聖書におけるモーセの律法が有効だとする風潮が今は流行っているようです。何か意識高めで勘違いした偽善者自称クリスチャンたちが、「真相論を知ってます、モーセの律法は有効です、世界は茶番です、イエスは神ですフラットアースです」とかパソコンの前に張り付いて金太郎飴状態でのたもうています。こないな信心深いフリをしてキリスト者を名乗る冒涜者反キリストとネット上とはいえ絡んで罪をやめさせないならどうなるんやろね。」

引用ここまで。

 

モーセの律法が有効とする風潮が今流行っているとあるが、嘘ですね。全然流行ってへん。カトリック、正教会、プロテスタント等とおもだった地上の諸教会や諸教派において、モーセの律法に回帰するという傾向は一切見られへん。もう最初から嘘の塊。カトリックが偶像を造って崇めてるのはもうカトリックが成立した時からずっとやし、正教会もカトリックから分離独立してからも同じようにしてるし、プロテスタントも十字架を偶像化してる。十字架を偶像化したのはカトリックが最初であるが、結局どれも異教であり異端ということは一緒や。拙者が多くの過去記事でそう述べてきたとおりや。

意識高めで勘違いした偽善者自称キリスト者って、彼自身のことでしょう。思いっきりブーメランです。それなのに、他人をそのように呼んで誹謗中傷してますね。拙者は真相論を知ってますなんていう自慢げな主張をしたことはない。そして、この人が頻繁に莫迦の一つ覚えのように「パソコンの前に張り付いて」っていうツイッターでもしつこく何度も言い続けてるのが敵意の表れで、目障りですね。金太郎飴状態って、まさにそのように同じ内容をしつこく繰り返すリャンピン、pjのこと自身を指してるのに、本人は気付かへんという痛い人。またしてもブーメランです。キリスト者と自称しながらキリスト者を嫌い、誹謗中傷する彼は反キリストや。

 

目次一で、「モーセの律法からキリストの律法へ」って題してるが、これも典型的な偽りの現代プロテスタントの教義を真似てるだけ。安息日の見解についてエホバの証人(JW)の洞察の本で正しい理解が掲載されているとしてそれを参照するように言うてるが、興味無し。カルト宗教のエホバの証人で何を参考にすることがあるのか。ある訳ない。彼自身が元エホバの証人であり、それ故に彼が過去に在籍した組織を擁護してるに過ぎひん。

モーセの律法が有効、それは一般教会でも教えられていることと述べてるが、これも嘘。拙者が今までプロテスタントを非難してきたように、地上の諸教会でモーセの律法が有効とする主張をする所は無い。十戒を擁護する所はちらほら少数あるかもしれへんが、律法全体を擁護する教会や教派は皆無と言ってよく、律法全体を擁護するのは拙者と拙者の聖書理解に共感する兄弟姉妹だけである。セブンス・デー・アドベンチスト(SDA)というプロテスタントの教派が土曜日が安息日とか律法は廃止されてへんと主張してるが、SDAも律法を擁護すると見せかけて十戒しか守るようには実際には言うておらず、他の律法の掟はすべて無視しており、これも不完全や。所詮、西洋由来であるが故に、間違うのは必然。また、以下の物言いも問題がある。

 

以下、引用。

「安息日守ってるし形式だけの什一献金してる罪を犯せへんやつらは神から嫌われとったで旧約聖書中で。」

引用ここまで。

 

安息日を守ってるというのは当時のファリサイ派や律法学者を意味してるのであろうが、彼らは律法を正しく守ってへんかった。空腹になり麦の穂を摘むことや治癒といったええ行いをすることすらも安息日だからということを理由にやめろと言うた人たちであり、主イエスは人間が勝手に付け加えたような細則が間違うてると批判しはった。せやから、神への愛が欠如し、神の律法を神の御意志どおりに守ってへんから神から嫌われるのであり、安息日を守ることや収入の十分の一を献げる等といった律法どおりのことを行うことが悪い訳やない。この書き方は他の自称キリスト者どもも律法を敵視し、無きものにしようとする意図で書く者が多く、それと似てる。

 

以下、引用。

「パソコンに張り付いてツイッターで偉そうに土曜日の安息日を守れとか講釈垂れ流しながら、真相論ジャーナリスト気取りをするんがクリスチャンやない。土曜日だけ信心深い格好しても無意味や。日頃からの言動が問題や。」


引用ここまで。

 

既に述べたように莫迦の一つ覚えで「パソコンに張り付いて〜」発言を繰り返す、後でまた出て来るし、ほんまに拙者に対して強い敵意や悪意があると思わされる。彼もその記事はパソコンで書いたんだろっていう。そして、彼はスマホで自分のブログ記事を熱心に自己推薦してることも既に当記事冒頭で明らかにしたとおり。他人の行為は許せず、自分はええってか。とんだ自己愛の持ち主や。偉そうに言うてるんも彼自身です。拙者は、真相論記者ではないし、それを気取ったこともない。それも彼の歪んだ主観的な考えでしかあらへん。拙者は土曜日だけ信心深い格好をするのか。何の証拠も無く、勝手に断定するんですね。あんたに拙者の何が分かるのか。拙者が安息日だけ信心深い格好をしてる証拠は何処にあるんか。安息日に何をしてるか、その他の日に何をしてるか、あんたに何が分かるというのか。ただ、根拠の無い悪口であり、これは中傷する者の悪い行いであることは明白。



 

以下、引用。

「安息日を守れとか言いながら、人をアホ呼ばわりするネット教祖もおるさかいそないな人を容認しとったらどれだけ聖書に詳しかろうが間違いなく裁きの日に滅ぶ。」

引用ここまで。

 

彼はキリスト者である拙者を誹謗中傷しており、迫害する反キリストであることを棚に上げてよう言うわ。拙者がそう言うんはあまりに物分かりが悪い者に対してのみである。明らかに納得するに足る証拠を挙げ、拙者は主張をしてきた。自分がこう思うという勝手な主観に基づく物言いではあらへん。
彼は拙者が滅ぶと断言してるのね。人を裁く、まして兄弟を裁く彼は一体何者なのか。彼は聖書で人を裁くなと書かれてるのを読んだことがないらしいな。これも聖書に反した物言いです。拙者への明確な敵意ですね。真のキリスト者は主イエスと同様に世の人々から嫌われるというのは拙者の第三回の動画(BitChute)でも述べたとおりや。アホという言葉は関西ではしょっちゅう日常会話でも出てくるし、何ら罵り言葉でもないし、悪意も無い。彼はブログでは関西人と自称してるが、このことで関西人ではないと露わにしてるようなもん。

 

以下、引用。

「働いてばっかりで休日にはショッピングやら娯楽やらしてる人間は皆一様に神の掟を破りまくってるし最後にモーセの律法の完成形であるキリストの律法に違反したものとして裁かれることになる。」

引用ここまで。

 

ショッピングっていう片仮名英語を書く。普通に「買い物」って言えへんのかね、この西洋かぶれは。
また、この「キリストの律法」という言い方について拙者は第二回の動画(BitChute)でも述べたし、複数の過去記事でもキリストの律法がモーセの律法と別物かのように言うのは誤りやと述べた。動画で述べたように、「キリストの律法」っちゅう用語はパウロがたった一度しか使ったことがなく、他の十二使徒は使用することがなかった。なぜなら、そんなものは存在せんからです。アブラハムが生まれる前から我はあると言わはった主イエスは神であり、モーセに律法を授けたんも主イエスで、すべて御子イエスによって世も世にあるものも造られたと拙者が述べたとおりや。詳しくは過去記事「自由と律法に対する誤解」で拙者が論述したとおりであり、忘れた人は復習しておくように。あと、律法廃止論者かつ艱難期前携挙説等といった間違うた聖書曲解だらけの偽教義を盲信するディスペンセーション主義者も、やたら「キリストの律法」と強調してる。ブログとツイッターをやってるサザエと名乗る人やその取り巻きがこないな嘘を信じ、その嘘を何年も熱心に撒き散らしてる。彼も同じように「キリストの律法」なんて言うてキリストを盾に悪用し、モーセの律法を蔑ろにする者は反キリストであることを明確に示す証拠になってる。

 

以下、引用。

「フリーメーソン、イルミナティについて一層詳しくなってもあなたがパソコンに張り付いて偉そうに講釈垂れ流し、弱者救済のために行動を起こさへん偽善者ならあなたはフリーメソンの文明社会から贅沢を享受した同じ穴のムジナ、いやむしろあなたのほうがタチが悪いと言えるかもしれへんですね。」

引用ここまで。

 

聖書やキリストについて嘘を吐く彼自身こそ害悪や。何故、拙者がフリーメーソンやイルミナティよりもタチが悪いようになるのか。意味不明。ほんまに根拠が無い身勝手な妄想に基づく意見ばかり。拙者が弱者救済のために行動を起こしてへんとなんで言い切れるのか。そもそもやが、あんたらも拙者のブログや動画の伝道が無ければ世の欺瞞や聖書の偽教義にも気付くことがなく、騙されっぱなしやったのが分からんらしいな。恩知らずもいいところ。拙者がネット伝道しかせんと勝手に決めつけてるし、何も拙者の置かれてる状況も知りもせんくせに、ほんまに酷い妄想に基づく中傷や。

 

以下、引用。

「神は不義を愛する者たちには不義を与えて惑わしの霊を送ります。キリストの律法である自己犠牲の隣人愛に背く不法者には、神は惑わしの霊を付与され彼らはその心の中の邪悪さと偽善さ故にこの世での贅沢と心霊術といった大バビロンの滅びの罪と引き換えに永遠の命を失います」

引用ここまで。

 

またもやブーメランです。彼こそ惑わしの霊を送られてると拙者は確信する。再度、「キリストの律法」という言い方を用いており、隣人愛だけがそれと思ってるにわか信者の典型。「心の中の邪悪さと偽善」っていうのが彼がそうやし、地上の諸教会や諸教派におる人たち、その他カルト宗教団体に所属してる人らも同じ。不法とは律法違犯することとも拙者は教えてきたし、隣人愛の掟はモーセの律法の中に数ある掟の一つに過ぎず、それに違犯するだけが不法ということではない。

 

以下、引用。

「誠実な兄弟姉妹たち、未信者より自称信者たちに気をつけてください。「臭い」の漢字の文字にある通り、自分を大きくするもの達はみな一様に神の前に悪臭プンプンなのです」

引用ここまで。

 

何これ。彼に気をつけろっていう自己紹介的なものですかね。臭い、悪臭プンプンって言うが、この言い方が有り得へん。彼こそ人を大いに莫迦にしてるよね。自分を大きくするのは彼自身ではないか。偉そうに遠吠えしてるだけで、悪口の数々を吐きまくる。彼は自分が言うことがことごとくブーメランになってるという事実に早よ気付くべきですね。

 

目次二では、「自称クリスチャンたちは世の友で神の敵で偽預言者や」と題しており、これもブーメランですね。

 

以下、引用。

「SNSで自分をさらけ出したり、露出狂の格好をひけらかす人間は全部キリストによって裁かれます。
謙虚な真のクリスチャンは患難時代に全員殉教します。イエスと同じ盃を飲み干しイエスと同じ死に方をして第一の復活を遂げます。」


引用ここまで。

 

それだけで確実に裁かれるとするのはおかしい。彼の勝手な裁きでしかなく、神はそのように示しはらへん。人を裁くなって聖書にあるのに、彼は自分の意にそぐわない人をすべて罪人と裁いてるが、聖書に根拠の無い言い分。自分を曝け出したとしても悔い改めれば赦される罪であり、裁かれるって脅すような言い方をするのは完全に間違い。
真のキリスト者が全員殉教すると勝手に決めつけてるが、これは明確に主イエスの御言葉に反する。この人、ほんまに聖書を知らんし、疎いくせにこうやって偉そうに講釈を垂れ、他人を偉そうに非難するでしょ。気持ち悪いです。イキり過ぎて、自己陶酔してる偽善者。偽りを弾劾する善人であるかのように自分で思ってるのか知らんが、拙者のような人から見れば、間違いがすぐに分かるし、その誤りの証明も出来る。拙者が言うてるんは、マタイ二十四章二十一節から二十二節のこと。ここで世の終わりには大艱難があり、その期間が縮められなければ誰も救われへんとあり、選民のためにその期間が縮められるであろうとも主イエスは言わはった。これだけで真のキリスト者が全滅というのは有り得へんのです。それにも拘らず、彼は主イエスの御言葉に反し、勝手に全員が殉教で全滅すると言う。おかしいやろ。ただ、黙示録の二人の証人からもそないな犠牲があるのは確実やし、世の支配者が獣の像を拝まんと皆殺しやと大迫害を敢行することも容易に予想出来るし、拙者もその認識でおる。しかし、彼の言うことはまったく話にならん。全然聖書を分かってへん。上述で彼の「聖書に詳しかろうが間違いなく裁きの日に滅ぶ」という戯言を引用したように、嫉妬でしかあらへん。聖書に詳しい人を見ては羨み、攻撃したくなるんでしょう。気持ち悪いにわか信者というだけ。

 

以下、引用。

「自称クリスチャンで偽預言者が安息日を守るだけで救われるとか言うかもしらんが、間違ってるで。キリストが安息日に何をしてたかよく読み直せばええ。セブンズデーアドベンチストはワイも優秀な教派として紹介させてもろてるし、所属される方はされてもええけどな、安息日は形式的に守っても無意味や。SDAとJWは一番優れた教派やけどな、全部鵜呑みにしたらあかん。」


引用ここまで。

 

まず、自称キリスト者というんが彼自身というブーメランですね。安息日を守るだけで救われるなんて誰が言うたんかね。誰のこと。もし根拠を挙げられへんのなら、妄言でしかあらへん。SDAとエホバの証人を推してますね。全部鵜呑みにするなと言いつつ、所属してもええって矛盾する。信頼出来へん所に所属する意味は無いさかいな。言うてることが矛盾してるし、滅茶苦茶や。

 

以下、引用。

「フラットアースなんか当たり前の話や。当たり前のことを毎日ツイッターでつぶやくことが神への奉仕になるんやない、そんなことつぶやいてる余裕があるなら社会的弱者救済のために奉仕しなはれ。」


引用ここまで。

 

ツイッター界隈でやたら大地平面説のことを言い続ける自称キリスト者が多いのは拙者も知ってる。西洋かぶれを直さん奴らでもあり、彼らは全然あかん。それは拙者も同意するが、彼が言えたことではない。また、社会的弱者救済のために奉仕というのがこの人にとっては対面で何かすることと決めつけてる節がある。それだけではないやろ。今は、誰でも手軽にネットに接続して記事やら動画を見ることが出来る時代や。ネットでは地理的、及び時間的な制約を乗り越えて役に立つという利点がある。地理的に離れてて、どうして対面で何かすることが出来ようか。時間的に自分が行動する時間と少しでも食い違えば偶然にでも対面で会う機会は有り得へん。対面での活動っていうのも大事やが、地理的や時間的な制約の下にあるということを覚えなあかん。言うたら、対面での活動はめっちゃ狭い範囲であり、また影響の範囲も狭い。それに比べ、ネットで記事を出す、動画を出すということをすれば、後は知られるのを待つのみであり、知った人は何遍も復習出来るし、各自の時間の都合に合わせることが可能。その場に居らんでも教えることが可能になり有用や。対面で喋るだけなら後には何も残らへん。福音書という一世紀当時のキリスト者が主イエスの発言や行動をある程度書き残したお陰で我らはそれらを知ることが出来るが、誰も何も書き残さんかったら、何も残らへんし、その場に居らん人には伝わらへん。彼はネット伝道を軽んじ、また中傷する理由がただ拙者に対する敵意、悪意、妬み等の負の感情であることは明白。

あと、彼が思う社会的弱者っていう定義が路上生活者といったごく狭い範囲を指してるように思えてしゃーない。これも彼が身勝手な考えに基づいてることを証明してる。普通に仕事して賃貸借りて住んでる人で贅沢しなくても貯金する余裕も無い人、生活保護を受けてる人、その他生活に余裕が無い人も皆、社会的弱者ですよ。社会的弱者がネット利用出来へんかのように思うのは誤り。彼のような偽善者に指図される筋合いはない。

 

以下、引用。

「サタンのプライドの霊が根強い西洋文化のチャラい自己愛に惑わされた偽善者はそもそもが心の奥底に潜む偽善をすでに見透かされてるさかい、せやから霊的におかしくなって自信満々になって霊的姦淫つまり異なる福音を信奉してる偽預言者になるわけや。」

引用ここまで。

 

西洋かぶれで自己愛に陥ってる本人がこないなことを言う資格はあらへん。またもやブーメラン。プライドって英語やし、誇りっていう日本語があるのを知らへんのか。ほんま現代日本人って西洋かぶればっかしとるで。もう無意識に近い位にまで深く洗脳されとる。偽善をやっとるんは彼である。霊的におかしくなっとるのも彼自身。

 

以下、引用。

「一方で神を知らずとも一生懸命に他人のために尽力して生きた人たちや社会的弱者たちこそ神の子供となることがミカ4章に預言されてるさかい、ワイは目から鱗やったわ。ジーザスとか雄叫び上げても救いの保証はないし、口だけで主を崇めるんはホンマに酒(しゅ)に酔った偽善者なんやなと気づいたわ。」

引用ここまで。

 

何これ。主と酒を「しゅ」という日本語の読みで掛けて、上手いことを言うたとか、理解したと思ってるんやろか。自己陶酔も甚だしい。原語は日本語ではないし、まったく関係無いからな。この人には預言書の例えや象徴の意味が分からへんだけのことで、私的解釈してるだけということにまったく気付いておらず、自分で勝手に感心してる。

 

以下、引用。

「旧約聖書、黙示録に登場する偽預言者は現代クリスチャンのことや。

(中略)
むしろ誠実な未信者が救われ形勢逆転が起こる。」


引用ここまで。

 

これまた私的解釈や。根拠を示さず、彼が思うことを勝手に言うてるだけ。それも大勢のキリスト者を偽預言者呼ばわりする中傷をしてる。何なん、この人。毒吐きまくる悪人でしかないのに、自覚が無いって酷いわ。拙者は過去に自称キリスト者どもは現代のファリサイ派やと論証したことがあるが、偽預言者とは言うてへん。預言してへんさかいな。この人は預言っていうのがどういうことかも全然分かってへん。ほんまにええ加減な戯言ばかり。「誠実な未信者」って何やねん。こういう物言いもおかしい。未信者って未だ信仰に入らへん者であるが、言うたら不信仰や。信仰に入るか入らへんかはっきりしてへん以上はあかん。中途半端は有り得へんとも拙者は過去に述べてきた。生温い信仰もあかんのに、未信者も期待出来へん。もう艱難期に入り、各国政府がコロナ茶番を使て、違憲及び違法な規制を強行し、コロナワクチンという生物兵器を投入し、推進し、人口削減に勤しんでる。それでも多くの人々は疑わず、信じ、従う現状がある。そのせいで悪い社会になってるのに、未信者が誠実とは笑わせる。不信仰の者、異教徒、彼を含むにわかキリスト者どもが迷惑なんです。彼らが世の悪化要因やから。それが分かってへんのよ。もし、未信者という不信仰の者が誠実やったら、コロナ茶番が一年以上も長引くこともないんですよ。さっさと政府や地方知事や報道機関どもを訴えて、けりを付けるはず。過去記事「早よ行動せんのなら日本は滅びる」と「全力で改憲反対してワクチンも拒否せい」でも言及したが、国民投票法が改悪されてしまい、日本と日本人は窮地に追い込まれてるのに、それも無視して世俗的な生活に従事してる人のどこが誠実なんか。ふざけるんも大概にせい。彼こそ、そう言うて世に迎合しており、人の歓心を買う甘言を言う偽り者や。

 

目次三は、「安息日の再確認と西洋キリスト教の根本的ミス」と題しており、またミスという英語を使う西洋かぶれ。そして、エホバの証人の教義を引用してる。

 

以下、引用。

「クリスチャンには課せられていない イエスは律法のもとにあるユダヤ人でした」


引用ここまで。

 

これはディスペンセーション主義者と同じ主張内容で、反聖書的な主張や。悔い改めを宣べ伝えるのがキリスト者の仕事のはず。洗礼者ヨハネも悔い改めを説き、主イエスも悔い改めを説きはった。十二使徒たちも主イエスに倣て、当然同じことをしたはずや。パウロは直弟子やないし、使徒とは認められへん。パウロが手紙で使徒と自称してる箇所は多くあるんやが、使徒とは主イエスから直々に教育を受け、主イエスの死、葬り、復活を見た証人だけ。ペトロ、ヨハネ、アンデレ、ヤコブ等といった主イエスと三年半行動を共にしてた弟子たちを使徒というのであり、その他は使徒やない。パウロは幻を示されたかもしれへんが、直弟子たちと同じ経験はしてへん。それ故、パウロの主張は直弟子たちとは異なることを言うてる箇所もあるし、紛らわしい言い方も目立つし、拙者が第二回の動画(BitChute)で示したとおり、ペトロはパウロの手紙には理解しづらい箇所があり、それを曲解する人たちは自ら滅びを招いてると述べた。使徒ペトロからこう言われるということは、パウロの物言いが如何に紛らわしいか、誤解を与えるかを示してもいる。拙者もパウロの手紙を読んで、実に分かりづらい物言いをしてることには同意するし、矛盾と捉えかねない書き方をしたと思うさかい、ペトロの発言はもっともです。拙者個人の考えとしては、パウロがあのように書いたんは、神による「篩(ふるい)」やと考えてます。また、ペトロはパウロを兄弟と呼ぶのみで、彼を使徒と呼んだことも扱ったこともない。これが現実なのに、世のにわかキリスト者たちは、パウロの言葉を最重要視しており、師であるはずの主イエスの御言葉やペトロ、ヨハネ、ヤコブといった十二使徒たちの言葉はめっちゃ軽んじてる。それがあかんことやとも拙者はブログと動画全体で言うてきた。そないな反キリストの信仰を持ち、行いが悪いために、にわか信者の域から出えへんのや。古くから現代に至るまで、キリスト教の業界全体が聖書から外れた考えを持ち、パウロの言葉を主イエスや十二使徒の言葉よりも重要視してるように思える。その結果、今の堕落具合ということや。主イエスや十二使徒の言葉をもっと学び、重視しなはれ。パウロの言葉も参考になるところはあるが、主イエスの御言葉や十二使徒の言葉より上に考えたり、重視するべきではない。相対するとか矛盾があるとなれば、それは誤訳の可能性を疑って原語を確認するか、文脈から判断するべきである。それでも、矛盾すると思料する場合は、パウロの言葉よりも師である主イエスの御言葉や十二使徒の言葉を優先しなはれ。

拙者がこのように言う理由は次のとおりや。
マタイ十九章二十八節に、主イエスは直弟子たちに彼らが十二の座に座り、イスラエルの十二部族を治めると伝えてる。直弟子たる十二使徒がその地位を占めるのであり、それ以外は有り得へん。また、黙示録二十一章十四節にあるように、新しいエルサレムの城壁に十二の土台に子羊(主イエス)の十二使徒の十二の名が刻まれてるとあるし、これは使徒が十二人に限定することの証拠である。パウロは彼の手紙の中で使徒と自分で称しただけであり、誰も客観的に使徒と認めてへん。パウロを先輩兄弟として尊敬してたテモテ等といった人たちはそう思ったかもしれへんけどね。しかし、主イエスは、明らかにパウロを使徒、後の世でイスラエル十二部族を統治する者とは認めてへんし、主イエスが地上で宣教しはった時に御自分で選びはった十二人を差し置いて、後から追加なんてする訳ない。ただ、イスカリオテのユダを除くが、その空いた穴はマティアが選ばれた。使徒言行録一章二十一節以降の記述のとおり、洗礼者ヨハネ以降の時から主イエスが共に生活してた間と主イエスが昇天しはる日まで、いつも一緒に居った者の中から誰か一人がなるべきとあり、くじの結果、十一人の使徒にマティアが加わったという書き方であり、使徒数は十二人に限定するのは明らかやし、キリスト者になれば誰でも良かった訳やのうて条件があった。使徒言行録十四章十四節ではあたかもパウロとバルナバが使徒かのような記載があるが、これは使徒言行録九章や十五章の記述ではバルナバやパウロは使徒扱いではなく、矛盾するため、十四章の一箇所だけ間違えたと思われる。もし、パウロやバルナバといった十二使徒以外も使徒になれるとすれば、すべてのキリスト者が使徒と称することも可能になり、使徒の意味が崩壊するため、妥当ではない。



 

以下、引用。

「『廃棄され』,『塗り消され』,『取りのけられた』のは,モーセの律法全体でした。(エフェ 2:13-15; コロ 2:13,14)」

引用ここまで。

 

このエホバの証人の教義も間違い。エフェソ二章十五節にある「数々の命令の律法を廃止し」という言い方は動物の犠牲、祭司制度、食物規定等が挙げられるのみや。他の聖句をも踏まえるなら、拙者と同じ理解になって然るべきやが、他の聖句を一切無視してこのエフェソの信徒への手紙等とほんの一部だけを抜粋して律法全部が廃止されたとか、ユダヤ人にしか適用されへん等といった類の主張をする者はまるで聖書を理解してへんことを示してるに過ぎひん。コロサイも誤訳及び誤解釈であることは過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」でも示したとおりや。コロサイ二章の内容は、人間各自の過去の罪の履歴を消すという意味でしかあらへん。その過去の罪が自分を責め立てる不利なもの、債務証書といったことになる。過去に犯した罪の記録は、「お前はこれだけの罪を犯してきた」とサタンに訴えられる元になる。それを主イエスの十字架の贖いによって取り除かれたということでしかあらへん。律法を廃棄したのではない。まったく論外な解釈。解釈とも言えず、ただの曲解。

 

以下、引用。

「モーセの律法の精神の核は全く無効になっていない。上記の忌まわしき習わしをパウロの手紙で曲解して正当化する邪悪な人間は神よりも自分の思いを権威づけて自己崇拝してるだけでのニューエイジ信奉者や。間違いなく滅ぶし、神は一番偽善を嫌われる方で、将来必ず滅ぶ。」


引用ここまで。

 

彼は他人を必ず滅ぶと偉そうに言うてるが、自分はどうなんかね。モーセの律法が無効になってへんことを認めておきながら、この人自身に隣人愛がまったく見られへんし、何より兄弟愛が無い。敵意の塊である。パウロの手紙の曲解というくだりも拙者の動画等から学んだとみられるし、その他の安息日に関する記述からも当然に拙者のブログや動画から学んで得た知識を言うてるとみられるが、彼自身は高慢の霊に支配され、拙者に敵意をむき出しにするようになり、自分だけが正しいと自己陶酔し、拙者やその他のキリスト者に対しても誹謗中傷をしてる。そのことを客観視出来へん位に強い高慢な霊に支配されてるのが窺える。「自分の思いを権威づけて自己崇拝してる」っていうのも彼自身です。他者を中傷してるだけで、自分が正しいと思い込んでる惨めな人や。

 

以下、引用。

「クリスチャンは小さな群れであり殉教者クラスの144000人から構成されるエリートであり、大群衆たちは最初から最後まで犠牲者としての生き方を強制された社会的弱者たちで神の選びで救われる義人たちや。」


引用ここまで。

 

これはSDAの教義か何かでしょうか。また、クラスとかエリートとか片仮名英語を使うやろ。西洋かぶれをしてるのに気付いてへん。クラスというのは階級を意味し、エリートというのは選ばれた者という意味があり、これらの言葉を使う時点で自分は大衆とは違うんだ、特別に選ばれてるんやというような意識の表れであり、自己陶酔してる証拠。彼は自分がその中に入ってると思い込んでるんでしょうね。彼のような自己陶酔者が十四万四千人に入るようなことは、今後悔い改めへん限りは有り得へんがね。

 

以下、引用。

「救いは一方的な神の恵みであり罪意識がある人たちと社会的弱者に対してのみ適応され天変地異が起きて形勢逆転が起きるために福音がありイエスの血潮が流された。」

引用ここまで。





救いは神からの憐れみによるが、一方的で終わるとするのは間違い。人間からの応答が必要不可欠。信仰に招くという表現が聖書にあるが、招かれた人でも救われる人と救われへん人の二種類ある。救われへんのはなんでかっていうこの人は説明出来へんような書き方をする。罪の意識があるだけで救われるなんてことはあらへん。重要なんは、悔い改めであり、それが「悔い改めへんのなら、皆同じように滅びる」(ルカ十三章三節、五節参照)と主イエスは二回も繰り返し言わはった程に重要なことや。自分は罪人という意識があったり、社会的弱者という点のみを以って救われるのではない。社会的弱者であっても自分が罪人という意識の無い人も大勢居るし、罪を犯すのをやめへん人も大勢居る。彼のように一見して正しそうな物言いをしても、実は正しくないっていうのが多い。彼は総じて何でもかんでも決めつけが酷いんですよね。社会的弱者なら常に可哀想、罪人意識がある人は救われるとか、話にならん偽善であり、嘘の話ばかりで、彼の主張は反聖書的です。そして、日本語が不自由なんでしょうかね。適応って何。適用でしょ。言葉を間違えてる。あと、血潮っていう言葉遣いも間違えてる。血潮は流れ出る血を意味するが、「血潮が流された」っていう書き方がおかしい。普通に「血が流された」でええし、血潮とか言う単語を使うのはにわか信者に多い。そう言う人を多く見てきたさかいな。


また、形勢逆転って何。そないなことは今後は起こり得ない。拙者のような無名で権威も何も無い人が、台頭して地上の諸教会や諸教派の自称聖職者といった肩書きや名誉を持つだけの偽り者どもを凌駕するという意味ならそれは言えてるとは思うけど。


今すぐにでも世の欺瞞に気付き、世の権威が悪ということに気付き、そうしたら後は頼るべきは聖書、主イエス・キリストしかあらへんということに行き着かへんともう時間切れになるという時期に来てる。もうゆったりのんびり悔い改めを待つという時期ではない。時間は有限であり、主は時を定めてる。拙者が多少きつい言い方でもしてるのは、それ程切迫してることの表れと考えて欲しい。今は一世紀当時でもないし、中世時代でもない。もう終末期なんです。コロナ茶番でそれが明らかやろ。偽りの感染症騒動とその対策により、人権や自由が再び奪われてるのに、呑気な愚民を待つ時間はもう残されてへん。拙者は二千十七年から福音伝道をしてきた。この間、コロナ茶番が起こる前の三年間でも成長出来る余地は十分にあった。二千二十年からはコロナ茶番が世界中を騒がし、今も根強く支配層は強行し続けてる。コロナ茶番を契機に、世の中がおかしいと気付いてくれる人も出てきた。そのために拙者はそれについてもブログや動画で触れてきた。それやのに、真相論を信じると高慢になるとか、この嘘つきは敵意から拙者やその他の兄弟たちを貶すことばかり言うてる。彼のような邪魔をする者、中傷するだけの役立たずこそ、ほんまにタチが悪い。この人は拙者らをタチが悪いと非難してるが、いやいや、どう考えてもあんたこそが役に立たずであり、自己陶酔してるだけのしょーもない反キリストであることを自覚せい。

 

以下、引用。

「安息日守れとか意識高めでパソコンに張り付いて人をアホ呼ばわりしたり、コロナワクチン犠牲者をアホ呼ばわりするカルト教祖たちはどれだけ聖書の律法に精通しても滅ぶので無視したらええ。あとは調子乗ってジャーナリスト気取りでイキってるツイッター教祖たちも滅ぶからそないな人らと関わったらあかん。これ読んでそやつらが悔い改めて言動も生き方も変化させてキリストの律法に従うなら救われるけどな。自由意志で生き方は選択できるさかい、よう考えたらええ。」

引用ここまで。

 

また、「パソコンに張り付いて〜」って言うてる。ツイッターでもしつこく同じことを連呼して罵詈雑言を繰り返すやろ。それはあんたやで。スマホをいじり続けてキリスト者を中傷し、邪魔をする反キリストや。

ところで、コロナワクチン犠牲者って賢いんですかね。コロナワクチンを接種したことが、あたかも可哀想、無実とか言いたげのようやが、無実ではない。拙者をはじめ、他にも多くの人がこのコロナ騒動がおかしい、満員電車は放置で三密があかんとかアクリル板を設置する、有害無益なマスク着用を強要する等と愚かな対策が矛盾だと示してるし、ワクチンもmRNAで遺伝子組み換えになるとか、数々の警鐘を鳴らす有志が居るし、今では多くの死亡例や障害を負った人の報告が多数が出ており、それもスマホでも簡単に確認しようと思えば出来る時代でしょう。もし、これがほんの一部の人しか知り得ない情報であり、それで犠牲になったというのなら、拙者も同情しますよ。しかし、こんだけ情報が大量に公に流れてるのに、まだコロナウイルスがあるとか危険だとか、ワクチンが有用等と政府や報道機関が垂れ流す虚言を信じ続けて、その害を受けたとしてもまったく同情に値せえへん。無知は罪やさかいな。箴言十章八節、十四節、二十一節等からも無知は悪いことやと分かる。彼にはもっと箴言を読むように勧めたい。如何に自分が無知か、愚かなことをしてるか思い知るためにも。無知が罪ということは、拙者の公式サイトにもそう書いた。はっきり言うて、こないに情報社会の現代において、テレビや新聞といった二十世紀に生じた大衆洗脳装置や洗脳機関を信じ切って盲信する方がおかしいのです。戦中の大本営発表が嘘やっという歴史等といったことからも学ばんアホ。大本営発表が嘘やったについては、こちら(第二次世界大戦の解説)やこちら(BuzzFeed News)を参照されたし。政府と報道機関が癒着すれば嘘ばかり言うんは今までの歴史から常にそうや。それやのに信じる方がどうかしてる。政府や報道機関は悪い者に支配されてるが故に、必ず嘘をつく。愚か者は歴史から学ばへんし、怠惰なんですよ。自分で能動的に調べたり、考えたりせえへんからな。ただ政府の言うこと、テレビ等の言うこと、学校で習たことを信じて行動するような人が賢いなんて言えるか。言えへんよ。思考停止し、操られてるだけやからな。そないな人生に意味があるかって問うこともせんのやろね…。死ぬまでそれでは、ほんま虚しい人生やで。世の権威を盲信することは偶像礼拝の罪でもある。不信仰の者や嘘つき等の人間の定めを知らんのか。黙示録二十一章八節にあるとおり、第二の死、火の池行きや。コロナ関連のことや聖書福音のことでも、他のいかなることであっても嘘を言う嘘つきどもも同じ運命や。

この人、ほんまに聖書を知らんのやね。聖書では、この世で正しい人は一人も居らへん、善のみ行って罪を犯さへん人間はこの地には居らん(コヘレトの言葉七章二十節参照)、 っていう教えが根本にあることを知らんらしいな。せやから、主イエスの贖いが必要なんであり、聖霊の力も必要なんです。それによって、神の律法に従えるようになるし、新しい契約を結ぶとも第三回の動画(BitChute)で拙者が宣べ伝えたとおりや。この人は全然聖書を理解しておらず、むしろ反聖書的なことを平気で言い、兄弟を敵視し、誹謗中傷で貶すだけ。こうなったらあかんという悪い見本の一つです。

彼は拙者を「ネット教祖」と中傷してますね。気持ち悪いイキリ、いちびりや。繰り返すが、拙者は記者気取りなんかしてへん。関わったらあかんのは、彼のような人やその他のにわかキリスト者どものこと。


「これ読んでそやつらが悔い改めて言動も生き方も変化させてキリストの律法に従うなら救われるけどな」って何様なんでしょうか。やはり自分だけが正しいという高慢に陥ってる。こないな輩こそ偽預言者です。反聖書的な彼の主張を信じれば救われるんですって。これこそカルト教祖でしょう。オウム真理教も麻原彰晃の教えを信じれば救われるとか言うてたように、この人も自分を高め、自分の言うことを信じれば救われるんですね。カトリックのローマ教皇も同じこと。教皇が無謬だと自称し、取り巻きの司教らも同じことを言うており、それがカトリックというカルト宗教の教義やからね。聖書を無視したり、聖書から外れたことを言うたり、行う輩は必ず自分が正しいと思い込む高慢に陥り、自分の言うことに従えと言う等といった態度を取る。聖書に合致することならええんやが、外れてるから問題なの。拙者との違いはそこ。

また、自由意志で選択出来るとあるが、拙者は過去記事「神の救いは予定か人の自由意志か」でも完全な自由意志があることや自由意志では説明出来へんと述べたとおりや。それも聖書から得られる結論であり、自由意志が完全に保障されるというんも自称キリスト者、道を踏み外したにわかキリスト者の主張である証拠や。ヨハネによる福音書二十一章十八節にあるように、主イエスもペトロに対して、年を取ると望まへん所に行くと告げはった。続く十九節で、主イエスは、聖霊に導かれるペトロがどういう最期になるか、どう神に栄光を帰すかを示しはった。明確に、これは主イエスの信仰によって処刑される運命のことを示したと思われるが、肉の思いでは望まないことやし、それ故主イエスはそう言わはった。主イエスかて、ゲツセマネにおいて、肉の思いで受難する運命から逃げへんように、父なる神の御計画と御意志が成し遂げられるように熱心に祈りはった。このように、人の自由意志とは関係無く、そんなものよりも神の御意志が貫徹されることは明らかや。人間の自由意志次第でどうにでもなる、なんていう考え方は聖書的ではなく、誤り。彼のように、そう思ってる人は皆、真のキリスト者ではあらへん。

 

彼のブログ記事「割礼を含めたモーセの律法の一点一画は有効なのか」についても弾劾しようと記事を作成したが、アメブロの文字制限に引っ掛かったさかい、分量を減らして弾劾する。

 

以下、引用。


「モーセの律法が有効だとか意識高めにつぶやくインチキ教祖たちがネットに増えていますが、その人達は男性の陰茎の包皮の割礼でもしてるんでしょうか。」


引用ここまで。



 

何でしょうかね、この聖書を知らん素人丸出しの発言は。恥ずかしいですね、この程度の理解で聖書を語るなんて。意識高めって、あんたやろって言いたなります。割礼は不要と聖書にあるのを知らんのか。拙者もその旨は過去記事「神の律法と真理に逆らう人々は滅びる」、「真のキリスト者に相応しい姿と信仰 前編」や第三回の動画(BitChute)でも既に示してある。この人、ほんまにおかしい。無意味な肉に施す割礼についてエホバの証人の教義を紹介してるが、意味無いさかい、割愛。

 

以下、引用。


「その人達は割礼は都合よく律法の一点一画から除外して無視してるけど、髭ともみあげを維持して、和服も着るし、その他諸々の細かなモーセの律法規定を遵守しているようです。ほんで無価値な系図論争で選民思想を煽って古代イスラエルの末裔日本人よ目覚めよとか意識高めなことを吐き散らかし、反聖書的な哲学を蔓延させて賑やかしになるのですよ。」


引用ここまで。



 

ここで髭や和服の言及が来ており、明らかに拙者に向けた誹謗中傷。系図論争って何。そんなん拙者がいつした。一度たりとも、してませんけどね。勝手にしたことにするな。日本人の中に古代イスラエルの末裔がおるだけの話が系図論争になると思ってるのか。選民思想でも何でもない。いつそれで選民意識を曝け出しましたか。一度たりとも、してませんよ。彼自身の勝手な思い込みに過ぎひん。そう受け取る彼の心が悪く、敵意と悪意の塊であることを証明してるに過ぎひん。客観的証拠が無いさかいな。また、それを「意識高め」と中傷するでしょう。ほんまに敵意しか感じられへん。あんたやけどね、意識高め気取りで嘘を吹聴してんのは。反聖書的な哲学って、壮大なブーメラン。それはあんたの主張やで。

 

以下、引用。


「モーセの律法は偶像崇拝、殺人、性的不品行、心霊術、偶像崇拝などを避けるなら遵守していることになるし、そこで最も重要なのが「神を愛し、隣人を自分自身のように愛する」ことであるとイエスは教えられたわけです。」


引用ここまで。





何これ。主イエスはそないなことを教えはらへんかった。聖句を引用すらせんやろ。過去に弾劾した偽預言者RAPTといい、こいつらは聖句引用せんことからも明らかに聖書に無い出鱈目を平気で聖書にあることにするから、タチが悪い。
「モーセの律法は偶像崇拝、殺人、性的不品行、心霊術、偶像崇拝などを避けるなら遵守していることになる」って何。たったそれだけで遵守してることにはならへんよ。勝手に狭めるな。「誰であれすべての律法を守ろうとも、一つの点で罪を犯すなら、有罪だからです。」(ヤコブ二章十節拙訳)とあるとおり。律法は成文法として聖書に収録されてるとおりであり、新約聖書の趣旨から一部免除されてるもの(動物の犠牲、祭司制度、食物規制等)以外は守るべきもので、人間が勝手に不要と看做して削除しようとするなら、御言葉を取り除く者になって断罪されるのみ。そのことはコヘレトの言葉三章十四節、箴言三十章六節、黙示録二十二章十八節〜十九節等から導き出される。主の御言葉に付け加えたり、除こうとする者は罪人である。無知は怖いで。

 

以下、引用。


「キリストに倣うならモーセの律法は守っていることになります。いちいちモーセの律法が有効だと声高に抗議されなくともモーセの律法の真髄を固く守りキリストの律法によって神を崇拝する真のクリスチャンは先代にも今にもおられます。」


引用ここまで。



 

何故、キリストに倣うならモーセの律法は守ってることになるんでしょうか。意味不明。因果関係無し。彼自身もそやけど、世の中の自称キリスト者たちはキリストに倣う者、従う者、信じる者と自称してるが、モーセの律法を守ってる事実は一切無い。よって、この主張は誤りやし、彼が言うのは尚更説得力に欠ける。「先代にも今にもおられます」って誰やねん。今でも居るなら一人でも示せよ。一人も挙げられへんのやから嘘やろ。

 

以下、引用。


「割礼は不要になりましたし、キリスト者は「一点一画も消え去ることがないモーセの律法」を今も守り続けるべきとするなら割礼もしないといけません。ですから、イエスとパウロが述べた律法の存在意義とは、律法は一点一画も消え去ることなく有効で常に罪を思い起こさせ善悪を区別するためにあり、律法は良いものであるがゆえに我々は断罪されて、そしてそこで罪の赦しとしてキリストの贖いを享受して恵みを感謝することができると説いたわけです。」


引用ここまで。

 



割礼の意味は拙者が上記で示したとおりや。アホらしくて、これ以上ツッコミようもない。勝手に律法を誤解釈する講釈を垂れるな。

 

以下、引用。


「一点一画も消え去ることなく有効な律法で断罪される⇛キリストの贖いによる恵みと赦しを受けて律法が確立される
の流れです。」


引用ここまで。

 



こんなこと聖書には書かれてまへん。マラキ書の預言どおり、エリヤの働きをした洗礼者ヨハネが悔い改めを説き始めた。主イエスも公生涯に入ってまず宣べ伝えたんが悔い改めの呼びかけやった。福音書を読めば誰でも分かる。それで、こいつの言い分は何。律法で断罪されるって何やねん。そして、恵みを受けて赦しを受けて律法が確立っていう論理も成り立たず、聖書には無い考えや。既に述べたとおり、主イエスが教えはったんは、「悔い改め」や。罪をこれ以上犯すなということ。そうすれば罪の赦しがあるのであり、悔い改めへん人に赦しはあらへんよ。嘘ばっか言うやろ。

 

以下、引用。


「もう目に余るほどずーっとモーセの律法守れば狭苦しい門を通ることになると騒いでる人が多いのでブログに書いときますが、この上記の新約聖書の教えに逆らうものらは実はモーセの律法すら守ってませんよ。」


引用ここまで。

 



あんたのおかしな主観はどうでもええ。「上記の新約聖書の教え」って、「有効な律法で断罪されて、キリストの贖いによる恵と赦しを受けて律法が確立される」のことかいな。弾劾したように、そないな教えは聖書にあらへんよ。あるなら聖句を示せよ。嘘つきの偽り者はいつも根拠を示さへん。

 

以下、引用。


「なんでかって旧約聖書中の偽善者たちは割礼もしてるし、罪も犯さないし全ての律法を守っているのに神から嫌われてましたからね。それは彼らが公正と義を愛さず社会的弱者を救済せずに旧約聖書のエホバを崇拝している気分になって勘違いしていたからです。」


引用ここまで。



 

これも嘘。「旧約聖書中の偽善者たちは割礼もしてる」って何。モーセの律法でせなあかんからしたことであり、それで偽善者と言われる筋合いはないやろ。マタイ一章で、主イエスの義父であるヨセフも(モーセの律法を守る)正しい人という評価が書かれており、割礼もしていたであろう。このpj、リャンピンとかいう人にとっては、律法を守る人や割礼をした人はファリサイ派の人々のことしか頭にないんやろな。視野狭窄や。割礼したら偽善ということにはならへん。そして、すべての律法を守って罪を犯さへんというのは大間違いや。主イエスはファリサイ派たちに「あんた方は人間の教えを守り、神の掟を捨ててるとか蔑ろにしとる」(マルコ七章八節〜九節参照)と非難されとった。ほんまにこの人の言うことは嘘ばっか。


 

以下、引用。


「律法守ってもアガペー示さんかったら偽善だと旧約聖書中ですでに断罪されてるからね。狭い門ってキリストのように弱者に寄り添ったり資産を譲渡したり伝道したり愛を示したり殉教するってことを意味してるんであって、モーセの律法の細かな律法を守ることが狭い門じゃないですよ。」


引用ここまで。

 



拙者は、慈愛を示してますよ。弾劾することも別に嫌がらせでしてるのではなく、信仰の矯正、聖書理解の矯正のためや。道を逸れてるさかい、直してあげてるんです。何処がどう間違うてるか、はっきりしてるやろ。
彼は、慈愛を示さな律法を守っても無駄と言うが、彼は何も守ってへんけどね。あんたが言う資格は無いんです。「狭い門ってキリストのように弱者に寄り添ったり資産を譲渡したり伝道したり愛を示したり殉教するってことを意味してる」って何でしょうかね。次から次へと聖書に無い新しいカルト教義が出てくる。拙者は弱者に寄り添う立場を明らかにしてるし、そもそもの話が、拙者自身が強者ではないからね。資産を譲渡するって何。こんな話も聖書には無い。「持ち物を売り払って、貧しい人に施す」ようには記載があるが(マタイ十九章二十一節、マルコ十章二十一節、ルカ十八章二十二節)、資産の譲渡ではない。譲渡とは、他人に譲り渡すことですよ。全然意味ちゃうからな。同じと思ってるならアホ。資産の譲渡は、例えば、不動産の登記を持ってるとして、それを無償で別人に書き換えて譲渡するとかを意味するけど、主イエスはキリスト者に資産の譲渡をするように教えはらへんかった。資産を譲渡された側が困るよね。真のキリスト者は余計な持ち物や資産を持って富んでてはあかんのやから。資産を譲渡されて嬉しがる人は、救われへん世から出た人間だけ。持ち物を売り払って貧しい人に施すというのは、貧しい人の必要を満たす行いをするために自分の資産を売却して換金し、その金で貧しい人が欲してる物を買い与える等であって、資産を譲渡するのではない。このように全然ちゃうのに、同じと思ってるなら、ほんまにアホ。
あと、「伝道したり愛を示したり殉教する」っておかしい考え。狭い門というのは、門は入口なんですよね。要するに、始まりの点。殉教することは終わりの点であり、最初ではないし、的外れ。こいつの勝手な思い込みでしかあらへん。伝道するんも当たり前にしてるし、拙者がブログや動画による伝道でも今までで何千人以上と多くの人に行き届いたであろう(別に正確な数字ではないし、満足してる訳でもあらへん)。拙者は懸命に伝道活動をしてるが、残念ながら、それに応答しようとする人が少なく、狭い門から入ろうとせん人が多いけどね。このように、入口の時点で入るのが狭い、入ろうとしても入れへんとも主イエスは教えはった(ルカ十三章二十四節参照)。何が殉教だか。嘘つくなよ。「モーセの律法の細かな律法を守ること」は、罪を犯さへんためにすることであり、神を愛するが故に当然すべきことであって、そないな当たり前の原点すら知らへん人がキリスト者と自称する者の中にも多いし、むしろ、それが大多数を占める。せやから、そのことで既に狭い門になってるんは明らかやろ。

 

以下、引用。


「いくつかの預言書をみてもそれが明確ですよ。モーセの律法には隣人を愛するように書いてますがこれを守らず形式ばった律法遵守をして他人をコケにする輩が当時も現代と同じく多かったのでエホバから排斥されてユダヤ教は終わりを遂げたわけです」


引用ここまで。



 

この言い分からは全然明確ではない。明確と言うなら具体的根拠を挙げろ。「形式ばった律法遵守をして他人をコケにする輩」って誰のこと。これも彼自身のことやろ。ブーメランやな。過去のファリサイ派や、現代のユダヤ教徒らにも言えるやろが、彼が拙者や兄弟姉妹たちのことを言うてるなら、とんだお門違い。形式だけ守ってるって何を根拠に言えるのか。ほんま出鱈目ばっか言うよな、こいつ。
また、エホバって何。それは神の御名ではないけどね。エホバの証人崩れらしい言い方やな。

 

以下、引用。


「クリスチャンは一世紀当時ギリシャ人をユダヤ教へ改宗させて細かな規定を守らせようとしていたわけではないですよ。こないな人間が教会内にいたので、パウロがこやつら分裂引き起こす人間は除外せよと注意勧告したくらいです」


引用ここまで。

 



何遍も言うが、分裂引き起こす人間は、あんたらにわか信者のこと。彼らは罪の定義を知らんから律法はどうでもええっていう考え方になるし、神への愛も無いさかい、神の律法、掟、戒めを守らんで平気で居られるんやろ。パウロが注意喚起したんは、律法によって義とされようとする思想、即ち、律法主義に陥ることや。よう誤解されてるんは、「モーセの律法を遵守する=律法主義」っていう有り得へん方程式。こないな反聖書的で愚かな考えをしてるのが、にわかキリスト者の特徴や。もうこの点について、散々過去記事で論証したさかい、詳細は割愛。

 

以下、引用。


「何度も言うが律法は悪いものやないが、それを守って隣人愛を忘れて他人を蔑んだり無価値であるとネットで暴言吐くならあなたはいずれ旧約聖書中の偽預言者と傲慢な贅沢な安全圏で過ごして弱者を無下にして蔑んだ祭司たち同じ運命をたどりますよ。それを支持している人間も同じです。」


引用ここまで。



 

いやいや、律法が悪いものかのように言うてるやないか。矛盾ばかり。隣人愛を忘れるって、思いっきり忘れてる人に言われる筋合いは無い。拙者に隣人愛が無いと彼や他のにわか信者も思ってるやろが、勘違いでしかあらへん。主観的な思い込み。暴言って何。アホっていうことがそうなの。ちゃうと既に上述したとおりや。この文章こそ脅迫めいている。その運命は、彼自身のことやけどね。またもや、ブーメラン。

 

以下、引用。


「まずコロナワクチンがルシフェル成分を含んでいて666だと言って騒いでますが、それが事実であってもwebネットも666だし硬化も666だし人物も666だし至るところへ666は暗喩されてます。そしてネットいわゆる人工知能siriが語りだしたり、ツイッターやブログやフェイスブックで生きた人間が語ることができる有様もまるで、獣の像が息を与えられて話すことができるようになったとする描写と酷似しています。ですから、ご自身が666を暗喩するネットを通して獣の像の意味合いを含んだ人工知能、フェイスブック、ツイッター、ブログなどでまるで命の息が吹き込まれて生きているかのように語り支持させるならそれは獣の像を拝ませる偽預言者みたいになりますよね」


引用ここまで。



 

ルシフェル成分って何。初めて聞いたんやけど。ルシフェラーゼのことか。初めに示したこのpjこと、リャンピンのツイッターについて赤字でツッコミを入れたとおり。ネット、硬貨(彼は漢字間違えてるが…)等と関係無い話に飛ぶやろ。コロナワクチンのルシフェラーゼが六百六十六だなんて誰が言うたん。妄想癖の塊やな。黙示録の六百六十六は、獣たる人間を指し示すと書いてるよな。それ以外は関係無い。
拙者が動画で絵に喋らせたことが気に食わず、獣の像と重ね合わせてるってか。おお、偽預言者と中傷するだけに飽き足らず、獣呼ばわりまでされるとは。拙者は獣を支持するなんてしてへんし、今後も有り得へん。嘘をつくな。

 

以下、引用。


「獣の像の像とはimageつまりイメージとkjvでは訳されています。そもそも偶像崇拝の偶像もimageと訳される事が多いです。画像とはimageイメージです。つまり皆さんはツイッターやブログやフェイスブックなどでご自分の写真であるイメージなる偶像をアップして多数から称賛を得ようとして見せびらかしたりするなら、立派な偶像(イメージ)崇拝を犯させていることになるし、ブログやツイッターで間違った礼拝方式で騒いだりするなら偶像崇拝を犯してすでにモーセの律法を破っていることになります」


引用ここまで。



 

既に二回言うたとおり、彼のブログに貼り付けられてる西洋画こそ偶像に他ならへんけどね。拙者は称賛を得ようとして何もしてへんし、彼の言い分は拙者には当てはまらん。他に、ユーチューブやツイッター等で自画像を貼ってるような人たちはあかんのは同意するけどな。せやけど、偶像写真が大好きなこのpjことリャンピンが言えたことやない。律法を破ってるリャンピンが他人に律法違犯を咎める立場にもない。

 

以下、引用。


「モーセの律法を守れ、法律は大事や神への愛はモーセの律法を守ることやと声高に叫ぶ割には自分自身は一番モーセの律法を破っていることに気づけないのです。ツイッターやブログで教祖になって画像をアップしてひけらかしたりする人間は皆一様に偶像崇拝者です。」


引用ここまで。

 



遠吠えしてる暇があれば、本人に直接言いに行けよって思う。繰り返すが、律法を破ってる彼が他人に律法違犯を咎める立場にない。他人を裁く前に、自分自身を直せよ。主イエスも兄弟の目の埃を取り除く前に、自分の目にある梁を取り除けという教えを知らんのか(マタイ七章三節〜五節参照)。そうやって他人のことばっか言うて、自分自身を直そうともせん彼は偽善者や。

 

以下、引用。


「間違った教えを吹聴して素直に過ちを認めることもできず完璧を装い、安全圏から偉そうに日本を呪う言葉しか吐かないネット教祖を支持すること自体がモーセの律法で一番重視されるべき「隣人への愛」を破っていることに直結し、最後に裁かれる原因となります」


引用ここまで。



 

また壮大なブーメラン。あんたやで、素直に過ちを認めなあかんのは。「日本を呪う言葉」て誰が言うてんの。リャンピンこそ間接的にそうしてる。拙者やその他の人を敵視し、こうやって誹謗中傷や妄想や嘘を並び立てて貶してるんやからね。役立たずの偽善者よ、もっとマシな働きをせい。ネット教祖って誰。偽預言者RAPTやハムタロとか言うツイッター上の自称牧師等のことやったら同意するけど、拙者のことを意味するなら、これも筋違い。教祖って宗教の創始者やけど、拙者は創始してへん。ただ聖書の真理を宣べ伝えてるだけやさかいな。残念ながら、外れや。
隣人愛を守らへんのは、pjことリャンピン自身のことね。あんたは慈愛(アガペ)の意味を何も分かってへん。

 

以下、引用。


「モーセはわざわざエジプトの王族としての立場を捨ててイスラエルに寄り添った指導者でしたが、ネットのどこの誰かもわからなん人から偉そうに日本を呪われて、聖書解釈が疎いのかわかりませんが金太郎飴状態で古代イスラエルよ目覚めよとか騒いでるけど、神はどの国民でも柔和で穏やかで謙虚な人を愛されてますよ」


引用ここまで。



 

また「偉そうに日本を呪われて」とか被害妄想を書いてるけど、誰やねんって。誰のことか全然分からへんのに、妄想で喋ってると思われてもしゃーないで。金太郎飴も、こいつはほんまに莫迦の一つ覚えで同じような言葉をしつこく繰り返すよね。まったく理知的ではない。「神はどの国民でも柔和で穏やかで謙虚な人を愛されてます」って、こいつの主観を勝手に神の思いとして代弁するな。偽預言者らしい行動ですね。神の思いはそうではない。それは、聖書からも明らかで、「神はこないな無知な時代を大目に見てはったが、今は何処居る人でも皆、悔い改めるようにと命じてはる。」(使徒言行録十七章三十節参照)とあるとおりで、一世紀当時でこれやさかい、今はもっと厳しく思われてる。終末期が最も人間が堕落し、苦難が多い時代やさかいな。不信仰が多い世界で愛されてるなんてことはない。
こいつの言う謙虚っていうのが聖書的な謙虚さとは異なる。聖書は一貫して、神の御前にへりくだる、自分を捨てて、神の律法、掟、戒めに服従するというへりくだりを謙遜として扱う。これが分かってへんのよね、こいつも、世間の人々も。褒められて「いやいや、自分なんてまだまだですよ」等と言うたりするんが謙遜とか謙虚って思うのか知らんけど、それだけの意味やない。最も重要、かつ、見過ごされてる点は拙者が指摘した点。民数記十二章三節は、モーセが謙虚と新共同訳では誤訳をしてるが、これは拙者が原語から訳せば、「ところで、モーセという人は地上の誰よりも大層従順やった。」(拙訳)となる。謙遜ではなく従順という意味。英語聖書ではmeekという単語が当てられており、これは従順という意味や。謙遜ではない。謙遜という意味も原語にはあるが、文脈的にはそうならへん。モーセが誰よりも大層従順ということであったが、それは神の律法、掟、戒めに従い、主なる神に従順であったからや。モーセは人間の視点からは偉そうとも捉えかねへん物言いも行いもしとったよ。実際、民数記十六章にあるとおり、モーセとアロンに対して分を超えてるとして不満に思うコラ、ダタン、アビラムが反抗した。このように、いつの時代も反抗者は居るもんです。リャンピンも同じ類の反抗的な人間や。



最後に、彼の自己紹介欄についていくらか述べて終わる。

 

以下、引用。


「pjと申します。聖書を読んだことがない人に向けて正確な聖書の解釈を、そして現役自称クリスチャンたちの偽善性と独善性と身勝手さと間違った心構えや信条(霊魂不滅、聖書を学ぶことができなかったあるいは神を信じなかった誠実な人々が地獄で生殺し等)や人格の腐敗(迫害も殉教もせずに天国へ第一の復活をする等)を糾弾する趣旨のブログを書いていきます。」


引用ここまで。

 



独善性、身勝手、間違った心構えや信条、人格の腐敗って、まさに全部彼自身のこと。それらを糾弾するって、あんたが言う資格は無い。


 

以下、引用。
「ツイッターなどのSNSばかり利用して自分の姿をひけらかしたり意味不明な言動をする自称クリスチャンたちは聖霊の慎ましさと敬虔さを理解していません。自己崇拝、つまりニューエイジ思想、唯心論、心霊術の虜になっています。」


引用ここまで。

 



既に彼について弾劾してきたとおり、これも彼自身にブーメラン。彼は、この無名なブログと、しょーもないツイートで誹謗中傷を繰り返すだけ。

 

以下、引用。

「私はもともとエホバの証人から聖書を学び、そこから離れて今度はプロテスタントの聖霊派とかカリスマ派とされる奇跡的なしるしを重視する団体にほんの少し関わりました。そこで気づいたことですが、明らかに前者のエホバの証人のほうが教理面では格段ウワテで正確な教えを伝えているということです。そこで学んだ知識を誠実な未信者さんたちに共有し、聖書の希望を知っていただきたいと思っています。」

引用ここまで。

 

世に多いカルト宗教の一つとして悪名高いエホバの証人の出身なんですね。やはり所詮こんなもんなんですよ。カルト宗教の教義を引き摺ってるさかい、悪霊の支配から逃れられてへん。拙者のブログや動画で学んでも自我が強く、高慢な者は皆こうなる。過去記事「自由と律法に対する誤解」でも書いたが、エホバの証人もエホバの証人崩れの人もおかしい。組織を抜けても全然悔い改めてへん結果やな。聖霊派やカリスマ派って何やねん。どうでもええわ。こうやって、世の諸教会や諸教派を渡り歩いてるだけの人には救いはない。それらはサタンが用意した滅びに至る広い門であり、広い道。エホバの証人が教理面では格段に上で正確な教えを伝えている、って何を根拠に言えるのか不明。エホバの証人は拙者が過去記事で弾劾してきたとおり、主イエスを創造主の神と認めてへんし、被造物として考えてる時点であかんのよ。論外。異端同士を比較しても、どんぐりの背比べにしか過ぎひん。

 

上記の弾劾から、彼の主張は反聖書的で、信用に値せんことが証明された。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上