こんにちは。

今回は、動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多いことについてお知らせです。



 

早速ですが、動画四回目はこちら(BitChute)です。

 




動画の内容を視聴し、以下の記事も併せて読むと理解が深まるでしょう。

諸々拙者が調べた限り、欽定訳聖書(KJV)より前に正しい底本を基に翻訳されたジュネーブ聖書がよりええかなと思うが、その古い英語聖書を通読して全部確認した訳ちゃうさかい、断言は今の段階では出来へん。幾らかの聖句を欽定訳聖書とジュネーブ聖書とで比較してみたが、単語選びが異なる所が見受けられる程度で、現代語訳の聖書に採用される底本がやらかした程にやないが、欽定訳聖書では誤った単語選びの過失が多い。こちら(James Japan 英語サイト)で詳しく比較がなされてるが、比較表のみ参照し、その筆者の個人的な意見には間違いがあるさかい無視しましょう。比較すれば、いかに欽定訳聖書が意図的にジュネーブ聖書と比べておかしい訳をしたか分かる。悔い改めはrepentと欽定訳聖書ではなってるが、日本語にすれば「悔いる、後悔する」だけの意味しか無く、「改める」意味が無いさかい誤訳や。ジュネーブ聖書はamend your livesと訳し、「あんた方の人生、生活を修正して改めなはれ」と「改める」に重点がある訳し方であり、原語の原義に則ってるんはジュネーブ聖書の方である。なお、そのサイトでは指摘漏れがあるが、使徒言行録十二章四節において、過越祭はPassoverと訳すべき所をEaster(イースター)という復活祭を意味する用語に置き換えられており、カトリックや英国国教会に都合がええ言葉が採用された欽定訳聖書はあかんのが分かるであろう。新共同訳ではその部分は過越祭と訳されてるのは正しい。聖書において、復活祭(イースター)なんていう異教の祭は存在せず、律法にあるんは過越祭のみで、主イエスの来臨によっても過越祭が守られ、新たに復活祭なんか創設せえへんかった。このように、ジュネーブ聖書は欽定訳聖書よりはおかしな訳が少ないように思えるものの、やはり誤訳っぽい所があるのは細かい点を言えばちらほら見受けられるさかい、ジュネーブ聖書も完璧とは言い難い。言うても、ジュネーブ聖書においても千五百六十年の初版、千五百九十九年版等と異なる版で単語選びが異なるさかい、ジュネーブ聖書への評価は一概には言えへん。現時点で存在するアプリでジュネーブ聖書を見れば、何故か千五百九十九年版しかあらへん。ジュネーブ聖書は千六百四十四年に出版停止になるまでの八十四年間に百を超える改訂を繰り返したのに、初版の千五百六十年版も無いし、他の版も無いし、何故千五百九十九年版だけなんか。めっちゃ疑問です。

欽定訳聖書も改訂を何度も繰り返し、現在市場に出回ってるのは千六百十一年の初版ではなく、後世に改訂されたもんやさかい、初版と一緒やと思い込まんように。ジュネーブ聖書は欧米では通販で比較的容易に入手可能やったはずが最近は極度に品薄になっとる。それを流通させんように絶対わざと出版社が増刷してへんやろ。若しくは、出版社が世の諸教会や権力者どもから増刷せんようにと圧力を掛けられてるかのどちらかであろう。日本では一般に広く紙媒体でジュネーブ聖書が販売されてへんし、日本の聖書販売業者が取り扱いしてへん。他の改ざんされまくりの新国際訳聖書(NIV)のような現代語英語訳は山程あるし、欽定訳聖書(KJV)もようけあって二千十一年には四百年記念等と盛り立てられてんのに、同じ英語聖書のジュネーブ聖書が紙媒体として入手困難な状態になり、記念もされへんのはおかしいやろ。明らかに世間の権力者や世の諸教会の自称聖職者や秘密結社員どもによる圧力があるやろ。こういう状況故に、しゃーなしに広く普及する欽定訳聖書(KJV)を参考図書として勧めた経緯が過去にある。それは正しい底本を使てるというだけの理由でしかなく、欽定訳聖書そのものが無謬の翻訳で良書と言うてるんやなく、広く普及する他の聖書翻訳よりはマシというだけや。世では欽定訳聖書がもてはやされる一方でジュネーブ聖書は世間において欽定訳聖書程に宣伝もされず、増刷もされず、結果的に普及させへんようにされてる。日本でも広く販売してへんし、海外でも品薄にさせるのも意図的なものを感じる。そもそも、日本の聖書翻訳事業において、正しい底本(受け入れられた原典であるTR底本)を採用して原語から正しく訳してれば、英語聖書なんかも一切必要無いねんけどね。ジュネーブ聖書は、欽定訳聖書よりも五十年も古い故に、vとuが現代と逆の使われ方をしたり、jの代わりにiを使用したり、その他現代英語と異なる綴りの単語が多く、動詞の活用が独逸語に似てたりする等とかなり古い英語表記故に、非常に読みにくいと感じられるであろう。英語の知識が無いとか綴りが現代の英単語とちごてもすぐに推測出来る英語知識の素養が無く、それに慣れへんとジュネーブ聖書を読んで理解するのは困難なのも確かや。ジュネーブ聖書の初版千五百六十年版はこちら(YouTube)で実際に買うた人が少し見せてくれてるさかい、どないな感じか分かるやろ。ゴシック体やなくてローマン体やし、脚注も字がちっこいし、めっちゃ読みにくいと思う。当該動画投稿主はジュネーブ聖書を英国のアマゾンで購入したようで米国のアマゾンも取り扱いはあるが最近は品薄や。日本のアマゾンで取り扱いがあるかは不明で、一般書店には置いてへんやろし、古本屋にあるかないかで、日本では紙媒体での入手は困難と言え、現状それを読みたいならネット上や電子書籍にならざるを得へんことが多かろう。欽定訳聖書(KJV)ではなく、このジュネーブ聖書を欽定訳聖書のように普及させ、また現代訳をするなりすればええのに、不自然なことにこの四百六十年間、今まで誰もしてこんかったやろ。二千二十年に至って、新約聖書のみが初版の千五百六十年版ではなく、千五百九十九年版のジュネーブ聖書を現代英語に訳し直したものを販売してる所を見つけました。旧約聖書の販売の現代英語訳は、太陽暦二千二十一年十二月まで掛かるようや。こちら(Canon Press 露西亜のモスクワの会社)が出版及び販売してるようや。なんで英語聖書なのに露西亜の会社が現代英訳及び出版するんかも謎や。こちら(YouTube 英語)で、そのCanon Press社から販売されてる現代語訳されたジュネーブ聖書の新約聖書部分がどないな感じか説明してくれてるさかい、気になる人は参考にするとええやろ。新約聖書において小冊子で小分けにされて煩わしいし、注釈もすべて消されてしまっており、もはや中世時代の当初のジュネーブ聖書の原型を一切留めへんようになってる。また、現代語訳するのに乗じて誤訳や悪意ある語句の欠落が無いかも憂慮されるべき点や。せやから、拙者としては、こういう原型を留めへんことをするのが嫌いやさかい、買うつもりは無い。更に、各書毎に分冊されてるのが非常に煩わしく、旧約聖書が一緒ではないし、厚紙を使てて非常に分厚くなって持ち運びに不便であるのが致命的に悪いからや。純粋に元の形のジュネーブ聖書を現代の綴りの単語に置き換えし、ゴシック体等と見易くし、注釈もそのように直して残せばええだけやのにと思うが、なんでこない拙者が考えるような単純作業を世の出版社はやろうとせず、余計なことばっかして改悪するんやろか。ごっつ疑問や。真理と利便性を求める心が欠けてるとしか言いようがない。欽定訳聖書は現代英語に翻訳し直した新欽定訳として千九百八十二年にNKJVを出版したが、こちら(BRO. TERRY'S HOME PAGE 英語サイト)で分かるとおり、新欽定訳も誤訳や語句の欠落が多いさかい、使い物にならへん。このように古い言葉を現代語訳する時、翻訳事業や出版事業に悪魔崇拝者やにわかキリスト者が混じるとこういう改ざんがなされることがあり、元のままかは疑わしく、余計あのような出版は信用出来へんさかい、結局元の古い物を読まざるを得ないという悪循環。ほんまええ加減にせえよ、悪徳翻訳者と悪徳出版社どもよ。聖書を改ざんしたり、原型を留めへんことをしたり、原義を損なう翻訳をすることは大きな罪である意識を持て。

 

何故ジュネーブ聖書は知名度が低く、広まらんのか。欽定訳聖書が千六百十一年に発表された後も庶民にはジュネーブ聖書が読まれ続け、千六百四十四年頃にイングランド王ジェームズ一世の息子であるイングランド王チャールズ一世と議会との対立が激化して英国で内乱があって以来、ジュネーブ聖書が政情不安を理由に印刷停止されて以降は広まらなくなって衰退した。そして、内乱収束後は欽定訳聖書(KJV)が躍進していった。このように、意図的にジュネーブ聖書が後世に普及せんかったんは、英国王と英国国教会やカトリック教会の目論見が隠れていることは明らかや。欽定訳聖書が生まれた経緯は、ジュネーブ聖書の脚注にローマ教皇が黙示録十三章の獣の正体であるとか、ローマが大いなる都市バビロンである等が書かれてることにある。中世時代の初期プロテスタントたちはカトリック教会とローマ教皇に抵抗し、宗教団体としての教会よりも聖書に依拠する姿勢を示し、ローマ教皇こそ黙示録の獣と考えていた。ジュネーブ聖書が広まるのは当然カトリック側には不都合な情報が広まることに等しく、明らかに当時カトリックの影響力が強かった英国においてイングランド王ジェームズ一世や英国国教会やカトリック教会関係者、秘密結社等といったその取り巻きの悪魔崇拝者どもが結託してジュネーブ聖書を葬るために別の権威ある聖書を作ってそれを定着させようとしたと考えられる。現代に至るまでローマ・カトリック教会やイエズス会が自分たちの正体を隠すために意図的にジュネーブ聖書を普及させへんようにし、当時の注釈を残して現代語訳して普及させることも許さず、長年受け入れられた原典であるTR底本を退け、TR底本を改ざんした改訂版としたRV底本を基に訳された現代語訳の聖書を普及させた。このように、悪魔崇拝者である世の為政者たちや宗教指導者どもが意図的に正確に訳した聖書を世に広く出さんようにし、改ざんしたものを普及させた。また、拙者のようにその悪行を指摘し、主張し、抗う活動も長年キリスト教の業界において過去に無かったし、今も無い。たとえ言うてる人が居ても、大衆の目に殆ど触れへん一般人のごく少数に留まる。そのことは、真のキリスト者がキリスト教の業界において長年出現せず失われた状態であったことの証拠でもある。誰も聖書を注意深く研究しようとせず、熱心に複数回通読して聖書を学ぼうとせず、漫然と世の諸教会の自称聖職者どもの言うことを真に受けとんやろ。何故、拙者のような指摘をする者が、過去及び現代キリスト教の界隈に一人も居てへんのや。中世時代の欧州では、ラテン語訳聖書からの翻訳を認めず、ラテン語等が分かる自称聖職者や学者どもしか聖書を読めへん状態にし、聖書を勝手に翻訳することを犯罪と勝手に決めつけ、意図的に大衆が聖書を読んで理解出来へんような状況に置き、彼らの許可無く聖書を翻訳することや個人で所持することを禁じた。それ故、地上の諸教会の自称聖職者が語ることを通してのみ、聖書を知るようにしとった。聖書を知りたいと願う英国庶民は自称聖職者等を頼りたくなくても頼らざるを得ない状況に追い込まれていた。このような経緯で英国のキリスト教会においては、聖書の教えから外れて自称聖職者の都合のええことを吹聴し、それを大衆に信じさせるという大規模なカルト宗教として長年はびこり、これは現代のキリスト教界全般においても言えることや。それにしても、このような所業は、世の諸教会と自称聖職者どもらによる悪しき専制支配でしかあらへん。宗教における共産主義と言える。中世時代は政教分離せず、カトリック等のカルト宗教が国王や政治と密接に関係していた。カトリックこそ主イエスや聖書の教えに反する異教の分際にも拘らず正統ぶって異端審問をして、カトリック勢力から一方的に異教徒だの異端者だのと看做されるだけで逮捕、投獄され、非人道的な方法で拷問や処刑がなされた。こない権力を振りかざし、人権や自由を不当に抑圧し、残忍な行いや人殺しも辞さへん彼らこそ悪魔崇拝者であることは明白でしょう。そうでなければ、こない傲慢で残虐非道で、かつ、忌まわしい事が起こるはずもない。こういうのを聞いて、キリスト教は邪教なんて思うかもしれへんが、それはカトリックという異教が悪いのであって、聖書やイエス・キリストの教えが悪いのではない。聖書にカトリックや英国国教会等の悪行を肯定するような教えは一切書かれてへんし、人を殺すなとか裁くなと聖書にはあり、世の諸教会関係者がそれを破ってるのは明白やろ。実際、カトリック、正教会、現代プロテスタント、英国国教会等はまったく聖書の教えに忠実やないで。中世時代は、ジュネーブ聖書が広まるまでは聖書が民衆に普及せず、たとえ普及しても英国人の庶民が理解出来る英語で書かれてへん故に理解出来ず、自称聖職者どもが語る内容が嘘でも嘘やと聖書を根拠に指摘することが庶民には出来へんかった。そないな状況を見かねて、十四世紀にイングランドのオックスフォード大学の教授であったジョン・ウィクリフはローマ・カトリックの教義が聖書からかけ離れてる、世俗化してる等と非難し、ラテン語訳聖書からの英訳した初めての英語訳聖書を作ったが、当時は未だ印刷機が無く手書きで、カトリックによる迫害もあって広く普及せず、カトリック勢力の圧力により大学教授の職も失った。カトリック勢力はウィクリフの死後三十年経ってから宗教会議で彼を異端と決議し、ローマ教皇の命令でウィクリフの墓を暴いて彼の著書と共に燃やして川に捨てるといった悪行も働いた。その後、十六世紀になって、命懸けで聖書を初めて受け入れられた原典(TR底本)である原語から英訳して出版したのがウィリアム・ティンダルや。彼も公然と「ローマ教皇とその法をすべて拒絶する」と断言し、聖書を英訳しようとしたが、援助してくれる人が当時のイングランドには居れへんかった。皆、権力者に洗脳されるか、公権力によって処罰されることを怖がって協力せえへんかったんや。それ故、ティンダルはイングランド国内に居場所を見出せず、カトリックや英国国教会による宗教迫害が酷い状況であった彼の出身であるイングランドを脱出し、その後も聖書を原語から英訳するために欧州各地で逃亡生活を続けながらも聖書の英訳作業と出版を続けたが、ベルギーで逮捕、投獄されて最後は処刑された。彼にとっての同胞の英国庶民を想い、英語訳聖書を広め、聖書から主イエスを知って救われて欲しいと願って命を張って聖書の翻訳と出版を手掛けたウィリアム・ティンダルのような人物を見習え。彼は言語能力に優れており、新約聖書の英訳を受け入れられた原典(TR底本)の古代ギリシア語から翻訳して完成させ、旧約聖書をマソラ本文の古代ヘブライ語から翻訳してる途中で捕らえられて処刑されたさかい、旧約聖書の英訳は完成させられへんかった。彼が翻訳した新約聖書はティンダル聖書と呼ばれ、後の英語聖書の礎となり、ジュネーブ聖書や欽定訳聖書もこれと重複する訳が多い。日本人は日本人の同胞のために正しい底本である受け入れられた原典(TR底本)から和訳して聖書の出版をしようとはちぃとも思わへんのか。言語能力が無い人やその資金が無い人は無理もないが、言語能力がある人はそれを活かして聖書を訳したりし、また、資金力がある人、言語能力等は無くて無力であっても少しでも神や聖書の正しい御言葉のために熱心に働く人を支えようとせん人たちは、主なる神のために、隣人のために尽力せず、ほんまに愛の欠片も無い。自費出版にしても約二千頁もの分量がある聖書を小型版で千部数出す場合、安くても約六百万円程度はかかるらしいし、流通させたり宣伝したりするのに更に費用がかさむらしい。拙者は金持ちちゃうさかい、一人では無理や。日本聖書協会といのちのことば社が現代の日本で聖書を出版する大手やが、彼らは言語能力のある人を聖書翻訳のために適切に役立ててへん。偽りの底本(RV底本)を採用するな、翻訳時に間違うた言葉選びをするな、余計で有害な作り話である神学等を翻訳に反映させるな。改訂版(RV底本)ではなく、受け入れられた原典(TR底本)から訳し、世の諸教会関係者を排除せい。古代ヘブライ語、古代アラム語、古代ギリシア語、日本語の翻訳の職業人のみを集めて訳せ。二千十八年出版の聖書協会共同訳でやらかした「薄荷」を「ミント」と片仮名英語で訳すような愚行をするな。それは日本語やない。女に配慮するとか意味不明な動機で「兄弟」を「きょうだい」と平仮名にして男性っぽい印象を減らすとか、「重い皮膚病、または癩病」を「規定の病」等という訳分からん翻訳をやらかしました。「規定の病」は、ほんまおかしい。その言葉を読んで、瞬時に誰にでもどないな病か想像出来るか。出来る訳ないやろ。こないな数々の原語の原義からかけ離れた醜悪な翻訳をせんときちんと訳し、世の諸教会関係者が誤った神学という余計な入れ知恵をする者が居れへん、日本語を廃して片仮名英語を取り入れるという西洋かぶれしたり、差別がどうのとか訳分からんことを言う人が居てへん方が余程ええ訳が出来るはず。聖書翻訳はそういうくだらん人間の感情に配慮するのでもなく、地上の諸教会で礼拝するのに相応しいものに訳すのが目的でもなく、ただ神の御言葉を忠実に訳し、原義を損なわんこと。それだけや。悔い改めよ。拙者も聖書の翻訳や出版事業に携わりたかった。将来というかもはや終末で今から全部日本語に訳し直す時間も無いであろうが、もし機会があれば参画させて欲しかった。最悪、ジュネーブ聖書を日本語訳する方が既存の日本語訳聖書なんかよりもええ出来になるんやないやろか。英語から翻訳するなら原語から訳すよりも時間はかなり短く出来そうやどけな。しかし、そういう世の悪人どもは拙者のような人材を疎ましく思てるやろし、誰も協力要請してけえへんことが容易に予想される。動画初投稿の過去記事で絵や辞書ファイルの作成について募集をかけても未だに誰も協力を申し出てけえへんし、つくづく世の大多数の人たちは神を熱心に愛する心が欠け、非協力的で世俗的であかん。キリスト者と自称する人たちよ、あんたらの神への愛、隣人愛、兄弟愛は何処にあるのか。大いに反省し、恥じよ。カトリックという異教を非難して正しい聖書の御言葉を求めて隣人愛から聖書翻訳や出版をしたティンダルが嫌われて迫害されたように、世の権力者や愚かな大衆は毎度正しいことをする人を嫌って迫害する。現代プロテスタントの関係者で拙者と同じ考えを持って言うてる人は一人も居れへんやろ。神への愛も無いし、隣人愛も無いことが明らかやろ。毎週日曜日だけ「キリスト者ごっこ」に日々明け暮れてる。おかしいと思えよ。彼らが最初からきちんとした訳を出版すればええのに、せえへんさかい、拙者のように何の権力も資力も無い悩めるキリスト者は少数ながらも居てるはずや。中世時代の初期プロテスタントに比べれば、現代の生温いプロテスタントと自称する者どもには呆れるばかりや。プロテスタントはカトリックに抗議するんが本来の姿や。上記で紹介した中世時代のウィクリフやティンダルたちはカトリックに抗議した真のプロテスタントやった。プロテスタントとは、日本語で、抗議者、異議を唱える者という意味や。それやのに、現代ではかつての方針は完全に捨て去り、教派を越えた教会一致運動(エキュメニズム)に参加して異教のカトリックやその他の異端教派等を非難せずに仲良くするような人は、プロテスタントと名乗ったらあかんのや。恥を知れ。日本をはじめ世界の聖書翻訳や出版に携わる人たちよ、ティンダルの姿勢からも学び、自分たちの悪行を悔い改め、今までの翻訳を全部引っ込めて、早急に拙者が言うたとおりに受け入れられた原典(TR底本)とマソラ本文から原語の原義から逸脱せんように訳し直せ。今までしてきた悪行を改めへんのなら、神の厳しい裁きを覚悟すべきやで。



 

上述で欽定訳聖書(KJV)が誤訳が多いことを指摘したとおり、それを無謬かのように熱心に勧めまくる人は欧米の異邦人をはじめ、日本人でもいくらかは居てるが、はっきり言うて、欽定訳聖書が無謬で正しいなんて盲信し切るのではカルトと化します。新国際訳聖書(NIV)等といった誤った底本を基にし、かつ、欽定訳聖書と比べて約六万語以上もの単語が削除された現代英語訳聖書を盲信するのは論外で、悪質な異端者になるだけや。NIVの単語削除は、参考までにこちら(G.A. RiplingerによるBlind Guides「盲目な案内人」からの引用)。新国際訳聖書(NIV)がおかしいのには理由があり、前述のような改ざんが原因やが、そないな改ざんをしたんはその出版社であるゾンダーヴァン社の所有者が情報媒体企業を多く所有し、巷では「メディア王」と呼ばれるルパート・マードックであることです。こちら(YouTube 英語)からも分かります。新欽定訳聖書(NKJV)の元の所有者であったトーマス・ネルソン出版社は、ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションとその子会社ハーパーコリンズ社に買収された。つまり、現代において人気が高い英語聖書である新欽定訳聖書(NKJV)と新国際訳聖書(NIV)という主要現代英語訳の聖書が彼の手中にあるということ。ニューズ・コーポレーションは豪州発祥の大手報道機関であり、米国の二十世紀撮影所(20th Centry Studios)といった大手映画会社、フォックステレビ等と大手テレビ会社、タイムズやウォール・ストリート・ジャーナル等といった大手の雑誌や新聞社を傘下に収め、大衆の世論形成に幅を利かせてる。報道機関が政府の広報機関で、大衆洗脳機関であることは明白。せやから、これらの現代語訳の英訳聖書は当然に庶民のためになるもんやないし、NIVとNKJVの誤訳や大量の単語欠落については既に上述したとおりで論外なんや。
現状広く普及しとる聖書の中でまだマシと区分出来る欽定訳聖書(KJV)であっても、そこには多くの誤訳や単語選びを間違えてる箇所がある。わざとジュネーブ聖書から表現方法や単語を変えたり、注釈を削除したり等という改悪をした。その原因は、中世時代のイングランド王ジェームズ一世が、他の人たちが翻訳を終えた草案の最終確認と本の装丁のために、独逸発祥の秘密結社である薔薇十字団の英国支部の会長になったこともある英国人貴族のフランシス・ベーコンに預けたことから察することが出来よう。そして、ベーコンは、千六百十一年版の欽定訳聖書(KJV)に啓蒙主義的な悪魔崇拝を象徴する絵を描いたことからどういうことか分かるやろ。現代で普及する欽定訳聖書(KJV)は千六百十一年版ではないし、後世に多数の修正がなされたものやさかい、初版と同一やない。ジェームズ一世は、英国国教会の典礼で用いるための標準訳としてカトリックとプロテスタントのどちらも否定するために新たな聖書を作り、それを王の名と権力によって権威付けて、世に広めたかったんや。即ち、欽定訳聖書(KJV)とは英国国教会の典礼で用いるための標準訳として位置付けるために作られたんや。決して神の御言葉に従順であろうとか、原典に忠実とかそういう正しい目的は一切無かった。千五百三十四年に悪名高いヘンリー八世が国王至上法(首長法)を制定し、これによって英国国教会は英国王を唯一最高の首長とすることを法制化された。国王至上法がカトリックと分離することを意味したため、ヘンリー八世の娘で、カトリック信者でプロテスタントを無慈悲に迫害して処刑しまくったメアリー一世により否定されたが、千五百五十九年に同じくヘンリー八世の娘でメアリー一世の異母妹のエリザベス一世が再び国王至上法を制定し、ローマ・カトリックとは別の組織として英国国教会が確立した(しかし、中身はカトリック要素を多く引き継ぐ)。そのエリザベス一世の後を継いだんは、当時既にスコットランド王であったジェームズ六世がイングランド王としても即位してジェームズ一世と名を改め、彼も当然に先王の制定した国王至上法により、英国国教会の頂点に立っていたのである。拙者もカトリックと律法廃止論を唱える現代プロテスタントの双方を異端を通り越した異教として否定するが、それだけでなく、正教会や英国国教会、聖公会等といったいかなる地上の諸教会や諸教派も拙者は一切支持せえへん。ただ真の聖書の御言葉に依拠するだけや。

さて、欽定訳聖書の編集に密かに携わったフランシス・ベーコンは、現代でも頻繁に用いられるフリーメーソンやイルミナティどもが大好きな悪魔崇拝の象徴的数字である「四十六」という数字に強い拘りを持ち、欽定訳聖書にそれを反映させてる。例えば、創世記一章一節から数えて四十六番目の単語は、ジュネーブ聖書では「God(神)」やが、欽定訳聖書(KJV)では「light(光)」が来るように翻訳を変えられとる。光は、フリーメーソンやイルミナティをはじめとする悪魔崇拝者どもにとっては堕天使「ルシフェル」の象徴として捉えている。それ故、ジュネーブ聖書の訳を意図的に少し変えて、わざとその四十六番目の位置にあったほんまもんの神をどけて、光の単語が来るようにしたんやろ。また、欽定訳聖書において、詩編四十六編の四十六番目の単語は括弧書き等を除いて数えるとshakeであり、「セラ」という音読記号のようなものを除くと、後ろから四十六番目の言葉はspeareや(KJVは何度も改訂されており、最近のKJVではspearと訂正されてるが、千六百十一年の初版ではspeareという綴りやった)。shakeとspeareを足すとシェークスピア(Shakespeare)となり、かの有名なウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)を暗示する。シェークスピアとして世に広く知られて劇作家としての顔、またはその存在そのものが、実はオックスフォード伯爵のエドワード・ド・ヴィアーと彼の後を引き継いだ同じく英国貴族のフランシス・ベーコンではないかと強く疑われる。なぜなら、芸術作品において暗号を利用する場合は大概社会における著者の立場に関係してるさかいな。中世時代における名のある人や身分の高い人は自身の思想を表立って言うことはなく(特に悪魔崇拝なら表立って言える訳がない)、社会や政治等を風刺するような発言を公にすることも立場的に許されなかった貴族たちは、偽名を使て別人に成りすまして書物で婉曲的に表現し、その際に多くの書物が匿名か、頭文字だけか、偽名で書かれることがあったからや。ウィリアム・シェークスピアという人物に関する情報や資料がほぼ無い上に、仮にそのウィリアムという人物が実在したとしても、彼の作品とされる戯曲を書くだけの知識や学歴もウイリアムには無いし文盲であることさえ疑われるし、外国に行った経験も幅広い知見も無いし、身分からして議院法規や宮廷作法等を知る由も無かった。学やその他の知識や経験が全然無いのに、あのような作品を残すことは不自然極まりないし、不可能ということや。法律、哲学、古典の知識、議会や宮廷に関する知識が無い人は、あのような作品を残すことは絶対に不可能や。対して、エドワード・ド・ヴィアーは貴族で知識や教養もあったし、フランシス・ベーコンも貴族の家系で、大学を卒業はせんかったが二年だけ在学し、哲学や自然科学を学び、更にロンドンのグレイ法曹院で法学を学び、仏蘭西に留学したりもして自然科学や政治について知見を広げ、英国に戻って法廷弁護士資格を取得し、後に英国議会の議員にもなった。それ故、ベーコンがシェークスピアとしてあのような作品を書くに足る知識や教養を兼ね備えたことを裏付けるが、ウイリアム・シェークスピアなる人がほんまに存在したとするなら、その知見が浅く、学も無い英国の片田舎出身の者が二十代前半でロンドンに出て来て演劇の俳優やりながら数々の脚本を書いて有名になったって、そない出来過ぎた話があるかってことや。現実的に不可能やろ。片田舎出身で文盲の若者があのような作品を書ける程の知識や教養があったと証明することの方が難しい故、ウィリアム・シェークスピアとフランシス・ベーコンを別人とする方が無理がある。こちら(Hiroのオカルト図書館)にもベーコンとシェークスピアの共通性が論じらているし、他にも英語で探せば、ヴィアーやベーコンがシェークスピアとして戯曲を書いたことは英語圏でもこちら(YouTube 英語)のように指摘する人は居てる。そこで語られるが、シェークスピアの作品とされるものには多くの暗号が散りばめられてることが明白であり、明らかに英国貴族の関与があった証拠がある。また、別にベーコンが欽定訳聖書の編集にも携わった事実について論じた記事も英語で探すと幾らか見つけられる。何故、ベーコンはシェークスピアという筆名を用いたんか。それは、彼が崇拝しとった悪魔を暗示するためやろ。西洋においては、悪魔は三つ叉の槍(spear)を持って描かれるさかいな。槍(spear)を振るう(shake)者が悪魔ということなんやろ。それはギリシア神話のポセイドンも同じ姿やな。
イングランド王ジェームズ一世は、ベーコンに欽定訳聖書の編纂に携わらせた。結果、フリーメーソンや薔薇十字団が信奉する悪魔を示す挿絵が描かれたが、ベーコン自身は欽定訳聖書の編纂者として公にベーコンの名が列挙されることは拒否した。悪魔崇拝者はいつも表に出たがらへんし、正体を隠したがり、そのくせ自己顕示欲は強い故に毎度、分かる人にだけ分かる暗号という手段を用いる。もし欽定訳聖書を見てもそないな挿絵が無いと言う人は、それは後で改訂された物を見てるからや。千六百十一年版を見てみるがよい。系図にフリーメーソン式の握手が描かれたりもする。現代の欧米では握手が挨拶と勝手に決めつけてるが、これはフリーメーソン等の悪魔崇拝者たちが広めた所作に思える。なぜなら、聖書からは握手で挨拶するなんて習慣は一切見られへんからであり、日本という古代イスラエル文化を受け継ぐ国においても握手なんか歴史的になされてけえへんかった。現代日本で握手が行われるんは明治維新以降から西洋かぶれしてるだけで、江戸時代までは誰もせんかった。明治維新後も民衆の間には握手は根付かず、今でも日本では完全に根付いてるとは言えへんが、それでええ。欧米のように握手が挨拶として強要されるんは不適切なものやと思える。誰彼構わずに挨拶として相手の手や体に触れるのもおかしなことやしな。握手せんかったらマナー違反なんて知ったことではない。日本人にそないな習慣は昔から存在せえへんし、聖書にも握手なんていう挨拶習慣は無いし、異教徒である欧米人の習慣を他民族の人に押し付けるなっていうことや。旧約聖書続編にあるマカバイ記二の十三章二十二節に「和解の印として右手を差し伸べて、手を握った」というのがある位で、これはアンティオコスという古代ギリシア系の異邦人の王がやったことであり、ユダヤ人の習慣ではないし、異邦人である古代ギリシア人にとっての和解の印でやったと書いてあり、昔は握手に挨拶の意味は一切無い。何も考えんと欧米人に同調する人はアホ丸出し。握手の意味は、手に武器を持ってへんことを証明する仕草で、相手に危害を加えへん意志を表す仕草といった言い訳をよう聞くが、相手に危害を加えへんのはそれが当然であり自然であり、それなら武器も当然に要らんし、挨拶として握手なんかする必要が無い。相手に危害を加えようとする社会であることがそもそもおかしいことに気付けよと。欧米では昔から殺人、傷害、略奪が横行するというおかしな人が多いさかい(今でこそ激減したが、英国人どもが亜米利加大陸に侵略しに行って原住民を虐殺した時、支那にアヘン戦争を仕掛けた時等のように酷い状況もあった)、危害を加える意志が無いということをわざわざ見せる必要があったために握手が広まったというのであろう。握手しても後で結果的には敵意むき出しのくせにね。せやから、心にも無い見せかけの友好を示す握手なんて意味無いんや。加えて、悪魔崇拝者どもが握手という習慣を広め、一般に皆にやらせれば彼らだけがやってると思われずに誤魔化せるという算段もあろう。実際、フリーメーソン会員は様々握り方で握手をするし、ネット検索すればすぐに分かるであろう。ベーコンは、子供の頃から聖書を自分で訳すという野望を抱いてようや。ベーコンを悪魔崇拝の世界に引き込んだのはジョン・ディーであった。ディーは錬金術師、占星術師、数学者等とウィキペディアでは紹介されるが、実際はそれだけでなく、黒魔術、降霊術、神秘学、暗号、カバラに傾倒し、カバラを理解するためにヘブライ語にも精通していた悪魔崇拝者であった。このディーはケンブリッジ大学に入学して修士号まで取得した人で博学であった。ディーはエドワード六世の治世の時に宮廷学者、宮廷占星術師になり、英国貴族の家庭教師にまでなった。特にオカルトに傾倒していたエリザベス一世からは気に入られており、王宮にも出入りし、貴族たちにも尊敬されて慕われていた。こういう経緯で、ジョン・ディーは貴族のエドワード・ド・ヴィアーとフランシス・ベーコンとも繋がった。こちら(YouTube 英語)にあるとおり、エドワード・ド・ヴィアーもシェークスピアの作品に関係したことが窺える。エリザベス一世から寵愛を受けたディーは、ジェームズ一世からは嫌われて排斥された。ジェームズ一世が魔術を嫌ったからではなく、恐れたからである。しかし、既にベーコンはディーの教えや思想に影響を受けていた。ベーコンはディーがジェームズ一世に排斥されたのを見て、ベーコンは何とかしてディーの思想を広く世に知らしめようと考えた。エリザベス一世の治世から宮廷で演劇等が許可されて盛んになり、エドワード・ド・ヴィアーやベーコンも演劇に興味を持ち、脚本を書くに至ったと思われる。それがウィリアム・シェークスピアとなったのであった。加えて、世に影響を与える絶好の機会があった。それは欽定訳聖書の編纂の話や。英国の民衆に広まったジュネーブ聖書を葬ろうと画策していたジェームズ一世が英国国教会の標準訳として新しく聖書を編纂するという機会であった。それをええ機会やと思たベーコンはジェームズ一世に取り入り、ベーコンは欽定訳聖書を装丁する機会を与えられた。しかし、ベーコンは装丁だけでなく少しだけ翻訳もいじった。少しだけなので当時は気付かれずに終わった。こうしてベーコンの手が加えられた欽定訳聖書、KJV(KIng James Version)とイングランド王の名が付けられた。千六百十一年の欽定訳聖書と千六百二十三年のシェークスピアの「最初の作品集(通称First Folio)」の出版によって、英語はたったの十二年の間に大きく変わったと言われる。このように、ベーコンが編集を加えた欽定訳聖書(KJV)と彼がシェークスピアとして書いた文学作品によってそれまでの英語圏の人への思想に多大な影響を与え、また、英語という言語を世界に広めることにも大きな影響力を持った。こちら(YouTube)にもシェークスピアの本にフランシス・ベーコンの名をあしらった証拠がある。その他のシェークスピア作とされる本はすべてこのようなものが隠されている。このように普通に眺めてては気付かず、注意を向けなければ気付かへんようなものを入れ込むのが秘密結社員のやり方であり、現代社会にもこの手の補助的(サブリミナル)効果をあしらってるのは、会社名や会社の標章、広告、宣伝、映画、アニメ等と数知れへん程存在してる。こちら(YouTube)でもディズニーがそのような手法を用いてることが分かるであろう。ディズニー大好き、ディズニー映画大好き、ディズニーランド等に行きたい、魔法大好き、シンデレラのような衣装を着たい、お姫様扱いされたいという欲求を抱く女はお先真っ暗や。ディズニーやその他有名人等に憧れて傾倒し、同じような格好や振る舞いをしてたら滅びる。上述で光が堕天使ルシフェルを暗示したものと説明したが、これは啓蒙主義にも通じる。啓蒙主義の英語は、英語ではenlightenmentであり、その英単語にも光(Light)が入り、原義は光で照らされることを意味する。こちら(YouTube)のとおり、日本の漫画でアニメ化し、世界各国の言語にも翻訳されて世界的に有名になったデスノートの主人公の名が夜神月であり、月をわざわざライトと読ませ、光(Light)を象徴する。この光は上述したように、堕天使ルシフェルを示し、彼らがルシフェルを崇拝するが故にこういう設定をしてる。月を選んだ理由は、古代バビロンの月の神信仰に由来し、イシュタルに関係するとみられる。それがローマではマリア崇拝をするカトリック、イスラム教ではアッラーを神とし、それ故、イスラムでは三日月を象徴として用いるし、カトリックのマリアの絵にも三日月が描かれ共通するのがその証拠。イスラム教なんていうのは所詮ローマ・カトリック、イエズス会がカトリックの教義の概念を模倣してアラブ人に受け入れられるようにイシュマエルの子孫のアラブ人からムハンマドを選んで預言者に仕立てて、ムハンマドは同胞のアラブ人たちに布教した「でっち上げられた宗教」なんや。ムハンマド自身はコーランを書いておらず、ローマ・カトリックの教会法を借用してイエズス会が書いた。例えば、イスラム教ではムハンマドを預言者として信じひんかったら異端者として死に値するとするが、ローマ・カトリックでもローマ教皇を預言者、神の子の代理人として信じひんかったら死に値するとしてる。イスラム教では聖戦(ジハード)という考え方があるが、これもローマ・カトリックの十字軍(クルセイド)があり、これと同一の概念や。このように、イスラム教はアラブ人向けにカトリックの教義に変更を加えて創作された宗教に過ぎひんのを世の人は知らな過ぎる。こちら(TABU; Towards A Better Understanding 英語サイト)にも詳しく記載されており、イエズス会を脱退した人が内情を暴露した内容が書かれてる。暴露した当のアルベルト・リベラはイエズス会がフリーメーソンによって牛耳られてる事実を知って脱会してプロテスタントに転向したこととその暴露によって、彼らに暗殺されたという。すべてのイスラム教徒はローマ・カトリック、ローマ教皇、イエズス会の掌の上で転がされてるに過ぎひん。何故イスラム教をでっち上げる必要があったかは、アラブ人に聖書から得られるキリストの福音を広まるのを阻止することとアラブ人たちを使て聖書を信じるアラブ人や北阿弗利加に住む一部の血統ユダヤ人を殲滅するためやった。ローマ・カトリック勢力の狙いどおり、イスラム教というでっち上げ宗教を狂信した人たちは、北阿弗利加や西班牙にまで侵略して約七百年も支配した。イスラム教徒のアラブ人を使うことで、ローマ・カトリック勢力には無関係と表向きは装えるし、ローマ教皇に敵対する敵を殲滅するための一大勢力としてイスラム教徒を利用した。エジプトのカイロにフリーメーソンの大きな拠点があり、パレスチナ解放機構を率いたアラファト議長の叔父がフリーメーソンであり、その他の北阿弗利加や中東のおもだった指導者も皆フリーメーソンや。彼らが中東を制御していた。カトリックやイスラム教を信仰する人々は皆、ローマ・カトリック、ローマ教皇、イエズス会、フリーメーソン等に騙されてるんや。過去にフリーメーソン最高階級になった米国人のアルバート・パイクの計画によれば、世界統一するには三回の大戦が必要で、一回目と二回目は彼の計画どおりに既に過去に実現済で、三回目の第三次世界大戦は偽ユダヤ人をはじめとするシオニストとイスラム勢力との衝突茶番劇があるとのこと。イスラム教信者どもは皆、カトリック、ローマ教皇、イエズス会の手の内にあるということ。毎度の偽旗事件と同じように故意に火種になるようなことを起こし、事情を知ってる指導者の上層部もグルで敵意と決起を煽り、何も知らへんイスラム教信者の一般人や偽ユダヤをほんまもんのユダヤと信じるシオニストを唆し、衝突させて戦争を起こすんやな。その戦いの果てにイスラム教も最終的にローマ教皇に従うことで吸収されて世界統一宗教という形に収まって終わるのだろう。このように、戦争や宗教はすべてやらせや。しかし、聖書と主イエス・キリストだけはやらせでもないし真理や。彼らは聖書と主イエスの教えを忌み嫌い、それに反したことをしてるからである。さて、デスノートの話に戻すが、夜神月は、作中で「新世界の神となる」と発言してたし、堕天使ルシフェルの代理人の人間(黙示録十三章十八節にも六百六十六が人間を指すと書いてある)が創造主の神に成り代わろうとする悪魔の意志を明確に示してる。作者の大場つぐみというのが偽名で正体を明かしてへん。あれ程の有名作品で未だに正体を隠し続けるなんておかしいよな。これは漫画家のガモウひろし説があるようで、その根拠も結構あるさかい、その線も有り得るが、悪魔崇拝者の黒幕が別に居る可能性もある。上記から分かるように、デスノートという作品から滲み出てるように、悪魔崇拝をしてることは明らかやさかい、正体を明かしたくないんでしょう。ベーコンがシェークスピアの筆名で活動したんと同じような理由であろう。



 
文字制限に引っ掛かったため、後編に続く。