こんにちは。

 


今回は、太陽暦は悪魔崇拝の暦であり詐欺制度であることについて宣べ伝えます。せやから、どうかこの問題に真剣に向き合い、考え直してください。

まず前置きとして話しておきたいんは、今の日本の現状の危うさです。またこのことを知らん日本人が多いことが問題なんです。偽りの歴史を学校、教科書、テレビ等で学んでその嘘を信じ込んで疑わへんことが最も危険です。せやから、まず世の中の常識とやらが間違うてることを認識することから始めましょう。

英国のロスチャイルド財閥やフリーメーソンによって唆された伊藤博文をはじめとする朝鮮系である長州藩の下人らは古来からあった日本の在り方、文化、習慣等を破壊し、自分たちが権力者の座に上る野望を持ち、そのためには手段を選ばずに要人の暗殺等を行い、同じように西洋諸国に憧れを抱いて売国思想を持っていた薩摩藩や土佐藩と手を組んでついには幕府を倒すという国家転覆を成し遂げました。何故地方の下人に過ぎなかった彼らが明治維新を武力で強行出来たかは、英国フリーメーソンやロスチャイルドの後援があったことと、更に徳川幕府側も仏蘭西のロスチャイルドに取り込まれ籠絡されとったからです。幕府軍は戦力的に有利な状況でありながらも戊辰戦争の緒戦で、徳川慶喜らの幕府の中核が密かに大坂城から江戸に船で逃げる等して必死に抵抗する気が無かったんやから、幕府軍は勝てなくて当たり前で、そのせいで日本中に広がって戦火が長引く結果になりました。巷では徳川慶喜が内乱を避けて欧米に乗っ取られるのを避けるために意図的に逃げたと過大評価する者がおりますが、それは大間違いです。もし幕府軍が全力を出して地方の諸大名にも加勢を命令して鳥羽伏見の戦いに臨んどったとしたら、人数的にも三分の一未満しかおれへん薩長土佐軍なんてあっさり鎮圧出来、戊辰戦争を早くに終結させ、後で薩長らを反逆罪で取り潰して終わったはずです。実際、徳川慶喜が逃亡した後も戊辰戦争は続いたし、成立した薩長らを中心とする明治政府は偽りの明治天皇を擁護し、英国に身売りした事実からも欧米の植民地化を避けたとは言えへんからです。もし日本が完全な独立を保ったのであればその言い分は正しいやろけど、今に至るまで英米の間接植民地やさかい、徳川慶喜は明治維新の協力者であり英国に日本を売り飛ばした売国奴と言えます。故に、内乱に乗じて欧米に乗っ取られるのを避けるために大坂から江戸に逃亡したという理屈は筋が通りません。然り、徳川慶喜が勝ち戦で敵前逃亡したんは、明治維新を強行するロスチャイルドと薩長らの手伝いをするために他なりません。彼は外国を打ち払う攘夷の考えを持たず、彼自身が将軍として君臨して幕藩体制を続ける気が無かったと言わざるを得ません。大将の徳川慶喜がそんな態度やったので、当然ながら幕臣たちの士気はガタ落ちや。総大将である将軍慶喜が戦う気無くて逃げたのに、幕臣は何のために戦うんか分からんようになって戦意が失せるのは当然や。更に、鳥羽伏見の戦いで下級公家の岩倉具視が捏造した錦の御旗(太陽崇拝の紋章)を薩長軍が使い出してそれが天皇の旗であって奴らが官軍で敵対する者は賊軍だと声高に宣言しました。それを戦地で見た幕府軍は帝(みかど)に逆らって賊軍になりたくないと思う者が増えて戦意を益々削がれ、多くの幕府軍の兵が戦いから離脱するか薩長側に寝返って幕府軍は急激に縮小しました。次のことを知らんのはアホやでほんまに。天皇や摂関家は昔から強い武士の言いなりでした。平安時代の源平合戦から学べばそれは明白や。天皇(後白河)や朝廷は、白河天皇の落胤であった平清盛が当時の武家としては有り得ない程の出世(もし平忠盛の実子なら有り得なかった)をして京を支配した時は平家と癒着し、清盛亡き後に源氏が台頭して来て源(木曾)義仲に京を支配されれば平家追討の宣旨を出した上に源頼朝にも上洛を促して義仲と敵対させ源氏同士を仲違いさせ弱めようとしました。このように、天皇や摂関家は武家が京で政治権力を持つことを嫌がり様々な工作をしました。平安時代は最後には源頼朝が京におった平家を壇ノ浦で破ってその力を極限まで弱め、弟の義経を平家追討と義仲討伐等と散々利用した挙句蝦夷地以北へと追いやり(教科書等で言われる平泉で自刃は嘘)、奥州藤原氏を滅ぼして征夷大将軍になり鎌倉幕府を設立しました。頼朝は疑い深く後のことを考えず同じく平家追討に協力させた別の弟である範頼も謀反の疑いを掛けて排除した結果、世継ぎがまともに残らんかった結果、わずか三代で源氏の将軍は終わり、平氏の流れを持つ北条氏による執権政治が長く続きました。三代将軍の実朝が殺害されたことでその名付け親だった後鳥羽上皇が怒り、承久の乱で北条氏率いる幕府軍に鎮圧され、朝廷の権威は失墜し、北条氏の支配下に置かれました。ざっとこのように、昔から朝廷なんて武力で優っている者の言うことを聞く存在であるということです。せやから、徳川慶喜は自ら将軍として、また権力者として日本を統治する気は完全に喪失しとったということです。大坂での慶喜逃亡事件を契機に幕府軍は弱体化し、敗戦を重ねました。当時の最高権力者であった将軍慶喜が間接的に味方したことで反逆分子の薩長土佐らは勢いづいて東や北へと軍を進め、会津藩預かりやった新選組はこの途中で散り散りになり、西洋化して国の在り方や文化等が消えて日本が日本で無くなることを恐れた保守派の会津藩と庄内藩や奥羽越列藩らの抵抗も及ばず、徳川慶喜ら幕府首脳陣の無能さ故に幕府軍として戦う人数が錦の御旗によって減ったのと英国の武器商人であるグラバー等から米国の南北戦争の残りの武器を売りつけられて大砲や銃器を大量に導入した売国奴の薩長らとの戦力差もあって勝てませんでした。箱館戦争で蝦夷が降伏して戊辰戦争は終了し、江戸幕府は完全に滅亡しました。徳川慶喜は早々に仏蘭西ロスチャイルドと密約を交わし、幕藩体制をやめて自己保身(実際、明治維新後に公爵、貴族院議員となり、勲一等旭日大綬章を貰った)と一族の保身を条件として宗主国の英国と同じ議院内閣制という政治体制である明治維新に同意し、日本の主権を英国に勝手に譲渡する手伝いをしました。そういう訳で、徳川家とロスチャイルド家は幕末からずっと仲良しなんです。こちら(NOBODY LOVES YOU)にもあるとおり、現代でも徳川家とロスチャイルド家は懇意であり、ロスチャイルド家は日本自体に特別な思い入れがあるということです。何故か。それは日本こそが古代イスラエル人が集結してダビデの王位を継承している現代イスラエルやからです。それ以外に彼らが日本に特別な興味を持つ点はありません。複数の過去記事で拙者が論証してきたことであり、それをロスチャイルド家は昔から知っとったんや。知らんのは当事者の日本人や。聖書を読んで勉強せえへんやからや。せやから、ええ加減に目を覚ませゆうんじゃ。ロスチャイルドは世界の多くの国々に中央銀行を設置して支配し、国に利子を貸し付ける悪どい詐欺の元締めであり、世界の多くの国の通貨発行権を握る一族や。明治維新という日本侵略および破壊行為も、ロスチャイルド家にしてやられたんや。こちら(マネー研究所)がようまとまって見易いやろ。右翼である保守の幕府側と左翼である薩長土佐といった親欧米派という構図で、どちらも同じ支配層が操っており、支配先の国民同士で互いに争わせ分断して弱体化させ、それから統治するという分断統治の手法や。昔から今もずっとこんな古い手法でまんまと庶民は騙されとるんや。今も自公政権や維新の会が右翼、共産党らが左翼と勝手に思い込んどる愚か者がおるやろけど大間違いや。今はすべての政党がグルで、帰化人や朝鮮系や支那系といった外国人の血統を引く表向きは日本国籍を持ちながらも心は日本人ではない偽日本人が多く、反日の売国奴ばかりの極左集団が国会や霞が関を占拠しており、地方にも知事や公務員として潜入しとる輩も多いです。現在の日本には保守派の政治家、官僚なんておらへんし、経団連等をはじめとする財界を見ても、日本のため日本人のために働く保守派は一人も居らんわ。皆が寄ってたかって自分らの利益や快楽のために欧米や支那相手に売国し、多くの生粋の日本人(特に古代イスラエル人の末裔)を不幸に陥れとる。それが分かってへん庶民も同じや。普段から洋服着て、西洋の文化、習慣、言葉にかぶれて、海外銘柄の物ばっか欲しがるアホも同類や。真正保守は聖書を読んでその教えどおりに生き、和服を着て、和食を好み、明治時代以前の日本人らしさを取り戻す人だけや。洋服着て、片仮名英語混じりで喋ったりせんと、日本人の体質に合う食事である和食を好んで食べ、海外銘柄なんて見向きもせんのが本物の日本人であり、古代イスラエル人の末裔や。現代では昭和初期には多かった個人商店は軒並み潰されるか大手企業に飲み込まれ、例えばコンビニの店名にしても英語ばっかで日本語が全然あらへんやないか。コンビニに代表されるように説明会で甘い話に騙されて加盟店契約(フランチャイズ契約)を安易に結ぶ人らは思慮が浅く、契約で雁字搦めされ、後で利益が出て返せばええと都合良く考えて借金してまで店を立ち上げ、上納金として利益を吸い上げられ、人材不足(安い賃金では優れた人材は来えへんし、所謂バカッター(莫迦がツイッターで自分の愚行を撮影したもんを掲載して披露することに由来)で分かるように異常行動を取る若者や外国人を雇って評判が落ちれば悲惨)で悩まされ、他人を雇う金銭的余裕が無くなれば自分自身が休み無く働く羽目になったり、加盟店の本部社員とのやり取りで悩まされ、途中でコンビニ経営を辞めようにも莫大な違約金があったり、最終的に自殺するか行方をくらますか自己破産まで追い込まれる等と地獄を見ている人が大勢います。こちら(Cosmic)のとおりです。八十年代からこういう詐欺会社が幅を利かせ、昭和中期まで当たり前のようにあった日本の小売産業である八百屋、精肉店、金物屋等と今あるスーパーやコンビニ等と一箇所に集めることをせずに、それぞれが別の専門店をやってた個人商店を潰してきたんや。これは新世界秩序(NWO)への布石や。ほんの一部の大企業が独占し、中小企業や個人事業を潰すんが奴らの目的やさかい、コロナ茶番もその目的が含まれとる。なんで大企業に集中さすんか分かりますか。利益集中だけやなく、支配層にとって統制が安易になるからや。中小企業や個人事業者というのでは数が多く管理や統制するのが困難であり面倒で、スーパーやコンビニ等と一括りにしてまえば個別対応する社数が大幅に減るし、各事業主が勝手に身動き出来んように契約によって支配出来るからや。それで店員に制服を強制出来るし、営業時間も指示出来るし、品揃えも指示出来るし、やがて暗号通貨決済の機械を設置したり等と支配層の理想の超管理監視社会を構築し易くするためや。昭和中期以前のように個人商店が多ければ、それぞれが自由な服装で自由な営業時間や休業日を設定出来るさかい、支配層にとっては統制が難しく、それらの自由を奪うためや。なんで気付かんのか。政府や報道機関の言うことを信じて存在せえへん新型コロナウイルスとやらに怯え、やるだけ損しかない自粛なんかをやって経済的困窮に陥るか心労が重なった結果に自殺者が激増し、多くの中小企業や個人事業者も廃業に追い込まれました。今はマスク着用をしきりに勧め、マスクせんかったら入店拒否、飛行機も降ろすか搭乗拒否になりつつあるやん。今はマスクやけど、次はワクチン接種や。一度注射を受けたら二度と元には戻らん遺伝子改変をすると言われる英米の製薬会社が作ったmRNAワクチンや。一度で終わらず、数回に分けてやられるやろな。段々劣悪になり、ナノボット入りになったり、電子刺青やチップも併せてくるかもしれん。それを受けんと売買活動出来へんとか公共交通機関が利用出来へんようにと、そういう超監視管理社会にしようとしてんのがなんで分からんのや。未だ分からん人や信じようとせん人は盆暗過ぎやで。政府がそんな悪いことするはずないと信じてるからやろ。アホか。そんな盲信を今すぐやめよ。今まで政府が国民のために良いことを何かしてきたか。何も無いやろ。むしろ悪いことばっかやん。政府信者どもよ、ええ加減にせえよ。政府信者、報道機関信者、学校教育信者、教科書信者等は皆、カルト宗教信者です。世の多数派であるカルト宗教信者のせいで多くの人々が苦しんで死んどるんや。すべて悪魔崇拝者らが全世界に構築したがっとる新世界秩序、新しい生活様式への布石やっちゅうことにええ加減気付け。すべて政府や報道機関を信じる人らがアホ過ぎ、思考停止して抗議せんどころか、進んで奴らに従って正常な思考を持つ庶民を攻撃するからや。その結果、世がどんどん悪うなって生きづらくなる社会が出来上がるんや。自業自得です。そういう世の大半の盆暗のせいで、悪魔崇拝者であるNWO支配層らはやりたい放題、警察権を強化し、悪法を整備して独裁体制を敷き、奴らは愚民を味方に付けて正常な賢い人が誹謗中傷され迫害される社会になります。既になっています。未だに日本が英米による文化や言語等にまで侵略が及び、間接植民地にされ続けて、今は支那にも侵食されとるんが分からへん人が多過ぎます。英米の偽ユダヤ人の監督の下、日本の間接統治者には外見が亜細亜系で目立たん朝鮮人や支那人が入り込み、政府、内閣、官公庁、報道機関、司法機関、警察、財閥、経団連、医師会、弁護士会等と至る所に偽日本人や在日朝鮮人等が居てます。支那人や朝鮮人を日本に大量に植民させとる日本政府や地方行政は全部拝金主義の偽日本人です。彼らこそ反日売国奴であり、拙者ではありません。所々拙者が反日左翼等と嘘を書いとる者がおりますが、まったく事実無根であり、拙者に敵対する者こそ反日売国奴やろ。拙者がいつ日本の国益を損ない、日本人のためにならへんことを言うたか。むしろ、逆であり、日本を取り戻すため、日本人、古代イスラエル人らしさを取り戻すため、真のキリスト者を増やすために活動しています。八十年代の中曽根内閣の時代から民営化の嵐で売国を急速に進め、竹下内閣から消費税という搾取税を三パーセントで導入し、自民党が政権から降りた時に阪神淡路大震災と東日本大震災という人工地震の攻撃を食らい(偽ユダヤ人やイエズス会にとって自民党が最も売国する政党で操り易いため、自民党が政権から転落するとそうなる)、悪夢の安倍政権が七年八か月も続いて消費税は十パーセントまで上がり、違憲の悪法を連発で強行採決を続け、憲法や法律を無視した犯罪を繰り返し、主権者である国民を虐げる独裁政治を強行し、米国中央情報局の管轄下にある日本の検察もグルでずっとだんまりで動かず、日本は過去最悪の状態に転落し続けてます。そして、安倍政権の官房長官やった菅義偉氏が自民党総裁になりました。彼は重大なことを追求されても、こちら(白老の自然情報)「問題無い」と簡単に片付けたり、安倍晋三氏と同様に知性や人情に欠けており自分勝手で無責任で冷酷で、安倍政権の方針を受け継ぎ、支那に媚びへつらい続け、移民を加速させて日本をもっと破壊するために向けて動くつもりや。こんな自民党政権のどこが保守なんや。アホかっちゅう話です。自民党、公明党、維新の会が保守なんて思うのはほんまに知能が欠けてます。維新の会は大阪を中心に破壊し、西成に支那街を作ろうとしとるし、支那に媚を売っとるのが明白や。今の大阪府知事がイソジン吉村と揶揄されるとおり、彼は支那共産党の手先です。こちら(日本の黒い霧)やこちら(オークちゃんねんる)にもあるとおり、イソジン製造元の塩野義製薬は支那と合弁会社を設立する程に支那とべったりで、大阪万博の後援企業の一つや。もうどこに日本のことを想う日本人がおるんやと探しても見つからへん位、日本政府も地方行政も報道機関等すべて売国奴の集まりや。もし株価等だけを見て、自分らの利益のために奴らを応援してるんやったら、ほんまにアホや。あんたらの株等の取引や何らかの利権で個人的な利益のために、国益を大いに損ない、多くの日本人が貧困、病気、圧政に苦しむことになってる自覚が足りん。あんたらの周囲の日本人が不幸になれば、国、都道府県、近所等の在り方にも影響が出て、回り回ってあんたらにもその悪影響の結果が出るんやで。自分さえ良ければええ、今さえ良ければええ、お金が自分の許にあればええと思てんのやったら、ほんま日本から出て行けや。そんな利己主義な奴は日本に要らん。外国でもそんな利己主義な人間は嫌われ、歓迎されへんやろけどな。こちら(スプートニク)のとおり、最近米国では共産党員の間諜と疑われる約千人分の支那人学生の査証を取消処分を下しました。こちら(大紀元)のとおり、支那人は日本を征服しようと狙い、支那共産党は日本に大量の支那人を送り込んでおり、売国奴しかおらへん日本政府もグルで支那人を大量に日本に迎え入れています。自衛隊員と結婚させて間諜行為をしとる者もおるし、支那街を造って支那人の自治区にしようと企んだり、水源や国土を買い漁ってるのもそれが狙いや。在日支那人や朝鮮人は、こちら(博士の独り言 II)のとおり、支那共産党による国家総動員法を使い、本国からの指令があればいつでも戦闘員になるんや。敵国人を日本に迎え入れとる場合やないで。ぼーっとしてんじゃないよ、日本人よ。ほんまに。ここ最近電車でも支那語や朝鮮語を併記する看板や電光掲示板が増えただけでなく、コンビニのローソンが商品にも支那語と朝鮮語の併記を始めよった。こちら(八島日報)にあります。どう考えても株主や経営者が支那系、朝鮮系の人なんやろ。日本人にとっては何の役にも立たんし、何の得も無いので日本人がやる訳ないやん。牛乳すら読まれへん日本語能力やったら日本で生活出来へんやろ。祖国に帰れや。それでも頑なに日本に居座る理由は在日特権を享受しながら、間諜のため、侵略のためやろ。どうしても日本に支那人と朝鮮人を優遇して招き、日本を侵略するためにのさばらせたい意図しか日本政府、地方行政、大企業に感じひんやろ。危機感を抱かんのは日本人やない人か、学校教育に洗脳され、テレビの見過ぎ、ゲームのし過ぎ、スポーツ等のどうでもええ娯楽や快楽にうつつを抜かし過ぎた結果、平和ボケし過ぎて頭がおかしなった日本人やで。ええやないかと大目に見れば、奴らは遠慮が無いさかい、どんどん付け上がって増長するだけで、最後は占領されて日本列島から日本人と日本語が無くなることに繋がるんや。支那人や朝鮮人の主張を真に受けたら負けです。こちら(livedoor NEWS)のとおり、支那のモンゴル自治区も支那共産党の支那語を第一言語とするように強権を振い出したとのことです。日本も他人事やないで。八十年代から三十年以上に渡る偽日本人が牛耳る日本政府による意図的な日本人貧困化政策のせいで日本人の人口が減っていき、支那人と朝鮮人をはじめとして移民が日本に大量に流入してあちこちに支那語や朝鮮語が広まる中、どんどん彼らは支那語と朝鮮語を広めさせ、日本語を追いやろうとするやろな。完全な乗っ取りです。せやから、支那人や朝鮮人に対しては厳しく接しないとあかんで。誰にでも親切にするんは大事なことやけど、甘やかすんとは別です。きちんと一線を画すこともせな、理不尽な言いがかりをつけられたら折れずに反論せなあかん。日本では彼らが外国人、つまりよそ者やときちんと認識させ、わがままや道理に背くことを許さず叱責して教育することや。彼らの言われるがまま受け入れたり、譲歩ばっかすると彼らは反省せずに要求の度合いはどんどん上がってくるさかい。日本人の気質や思想とは根本的にちゃうということを忘れたらあかん。彼らは受けた恩を返すことを考えず、それは当然のごとく受け取りつつ、恩知らずで縦横無尽にやりたい放題するだけです。彼らの遺伝子は古代イスラエル系の日本人とはまったく異質やし、彼らが幼少から受けてきた教育や常識はまったく異なることを忘れんように。同じように思うから問題になるんや。欧米人に対しても同じです。白人に対して劣等感を持つ必要は無いで。卑屈にならんと堂々と振る舞い、あかんことはあかんとはっきりと意思表示しなさい。はっきりと断るのが苦手な日本人が多いですが、はっきりとさせんと濁したりすれば、たとえ駄目なことでも彼らは問題無いと思うさかい。彼らに「察する」とか「空気を読む」いうことは出来ません。はっきり言わな分からん人ばっかです。はっきりと断ってもそれに慣れてるところもあるので、彼らはそれで悪く受け取ることはしません。むしろ曖昧な返事をすることに違和感を持たせます。西洋人の表向きの優しさにも騙されんようにしましょう。日本人程に細かい点について文句言ったりもしませんし、かなり大雑把な性格の人が多いです。他人の信条や格好にも文句を言う人はほぼ居ません。それは人種差別やと非難されるのが嫌という人も居るやろし、あとは基本的に他人に興味が無いという人が一番多いやろな。他人が何をしようが、どんな格好をしていようともどうでもええと思う人が多数派や。海外で奇抜な格好や目立つ格好をしても堂々としてる人が多いんは、そういうことが理由です。日本では「出る杭は打たれる」という言葉が出来た程に同調圧力が強く、周囲と同じやないと安心出来へん性格の者が多いやろ。しかし、それは明治時代から始まった学校教育の洗脳の結果や。制服という没個性的な服装を強制され、教科書が正解と思い込まされてそのとおりに解答せんと点数が貰えへんし、その教育方針どおりに生活せんと通知表の評価も下げられる社会やからです。そんなことを幼少期からやってるもんやから、全体主義に傾き易い人ばっかになりました。また、影で他人の噂話をするアホが多く居てるし、周囲を気にせず一人でも堂々と他とは違う信念を持ったり異なる服装をする人と距離を取り、仲間外れにしたりするやろ。そんな悪いムラ社会はあきまへん。自分らこそ日本人のくせに白人に憧れて洋服を着て、海外銘柄に目が無く、テレビの影響を受けて片仮名英語を頻繁に使用して日本語を崩し、西洋文化や価値観に洗脳され、自分らと大いに関係がある聖書を真剣に読んで学ばず神に対して罪を犯し続け、日本の国益を損ない、明治時代以前の日本文化を擁護しようともせんとむしろ潰そうとする売国奴の愚か者であることを恥じるが良い。特に女は化粧したり露出が多い破廉恥な格好をして、そういう愚行が性被害の原因を作っても全面的に被害者面するし、手に負えん位に間抜けです。過去にも書いたとおり、身を飾ることや性的興奮を他人に誘発するような原因を作るな。女たちよ、身を飾ることに執着することをやめ、それらを捨て、化学物質まみれの化粧や香水を肌に付ける習慣をやめよ。短いスカートを履いたりせず、体の線を強調せず、胸元を見せたりせず肌の露出を控えよ。和服を着ることはここにも活きており、洋服のように肌を露出させません。和服といっても長着一着十万円以上する高価なものは要らず、派手な模様や色の衣服や振袖も女袴(袴は男の着物故に)もやめ、無地や落ち着いた控えめな柄の着物を着用し、被り物もすべきであろう。男に嫉妬して並び立つか上に立とうとするな。聖書どおりの創造の秩序を守れ。男よりも下で弱い存在であることを自認して男に物申すことを控えて分を弁えよ。男に手を上げるなんて以ての外や。男も同様に、早く洋服を着るのをやめて房付きの和服に切り替え、あらゆる点において西洋かぶれをやめ、つまらない娯楽や快楽の虜になるのをやめよ。社会的地位や名誉も無意味であることに気付け。女の言うことや性欲に振り回されるな。悪魔の唆しで神に反逆したエバを見捨てることが出来んかったアダムから受け継いだ男の優しさも重要やけど、それでも神に逆らうこととは天秤にかけられへん。女の言うことよりも神に従うこと、聖書に従うことを徹底せよ。女を自分よりも弱い者として認識し、力で虐げるような真似をするな。聖書に依拠して主イエスを模範として従い、神の掟にも服従し、福音伝道し、隣人に愛ある言動をすることに喜びを感じられる者となれ。
また、北朝鮮の有様と比較して日本に生まれて良かったと安易に言う者が多いが、対岸の火事ではないと前にも言うたとおりの状況になるであろう。そして、本来の日本人らしさ、古代イスラエル人らしさに立ち返ろうとせず、主イエス・キリストに立ち返らんのやったら、かえって日本人として生まれたことを後悔するであろう。主なる神が古代イスラエル人を愛したが故であり、その神の愛を踏みにじる代償は異邦人に対するものよりも大きいであろう。これらの戒めは古代イスラエル人の末裔である一部の日本人だけやなく、異邦人にも等しく当てはまることです。西洋人やからといって西洋の異教文化や伝統を尊ぶ道を選ぶなら、それは神の律法や秩序に基づかへん世と世にあるものを愛しているので、そういう者の言動は真理ではないし、その者らには父なる神の愛も無い。
反イスラエル、反ユダヤというのは反日に等しいです。世間が定義する反ユダヤ主義は誤りや。世間で言われるユダヤ人とは、反聖書的な教えばかりのタルムードを信奉するカルト宗教信者集団に過ぎず、ユダヤ人ではないのに自分たちをユダヤ人と言うサタンの会堂に集う者どもである偽ユダヤ人(黙示録二章九節参照)に反対することが反ユダヤ主義というのではない。世界の人々よ、勘違いするのをやめよ。

前置きが長くなりましたが、非常に重要なことなのでよく胆に命じておくように。反感を抱くどうしようもない人もおるやろけど、好きにすれば良い。その悪行をやめないのなら、その悪行に見合った報いと裁きが神から下されるであろう。それがこの現世であるか世の終わりでの地獄の苦しみを増幅させるかは知りませんが、決して良いものではないことは確かです。
さて、前回記事「現代日本の常識は殆ど捏造されたもの」でも少し言及しましたが、英国に日本を売り飛ばして傀儡になった明治時代の日本政府がやった数々の悪行の一つに改暦があります。現在使用されとる太陽暦(グレゴリオ暦)のことです。日本はこんな悪魔の暦を導入する前は聖書が示す太陰暦、太陰太陽暦を採用して少なくとも千三百年はその暦が根付いており、それに沿って暮らしていました。しかし、英国の傀儡となった明治政府は意図的に日本にあった古代イスラエルらしさや聖書的な習慣を奪うことを目的として行った和服を正式な服装とさせない等の数々の悪行があり、その中でも特に悪質かつ重大なことは暦の変更です。まさに時の支配とも言えます。拙者が調べ、考察した結果は以下のとおりです。

まずは、ウィキペディアに書かれとるユダヤ暦とされているものは以下のとおり。

一月:ニサンの月(三十日)-聖書には「アビヴの月」とも。太陽暦の三月~四月。
二月:イヤールの月(二十九日)-太陽暦の四月~五月。
三月:シヴァンの月(三十日)-太陽暦の五月~六月。
四月:タムーズの月(二十九日)-太陽暦の六~七月。
五月:アヴの月(三十日)-太陽暦の七月~八月。
六月:エルールの月(二十九日)-太陽暦の八月~九月。
七月:ティシュリーの月(三十日)-聖書には「エタニムの月」とも書かれています。太陽暦の九月~十月。(農耕暦の新年の初め。偽ユダヤの新年はこの月から)
八月:ヘシュヴァンの月(二十九日か三十日)-太陽暦の十月~十一月。
九月:キスレーヴの月(二十九日か三十日)-太陽暦の十一月~十二月。
十月:テヴェットの月(二十九日)-太陽暦の十二月~一月。
十一月:シェヴァットの月(三十日)-太陽暦の一月~二月。
十二月:アダルの月(三十日)-太陽暦の一月~二月。
閏月:第二アダルの月(二十九日)

以下は、太陽暦の西暦二千二十年を例に取り、太陰暦の基本である月の満ち欠けを基にして拙者が考えた結果は以下のとおりです。

一月:ニサンの月(三十日)-聖書には「アビヴの月」とも。太陽暦の三月~四月。(聖書では正月、本年の過越は四月六日(月)の夕からであり、当教会では実際にその通りに過ごしたとおり。元日は三月二十四日(火)。)
二月:イヤールの月(三十日)-太陽暦の四月~五月。
三月:シヴァンの月(二十九日)-太陽暦の五月~六月。旧暦ではこの月に閏月が挿入されて「閏四月」。
四月:タムーズの月(三十日)-太陽暦の六月~七月。
五月:アヴの月(二十九日)-太陽暦の七月~八月。
六月:エルールの月(二十九日)-太陽暦の八月~九月。
七月:エタニムの月(三十日)-太陽暦の九月~十月。-ティシュリーの月とも言われます。(贖罪日は太陽暦の九月二十六日(土)の夕からとなる。)
八月:ヘシュヴァンの月(二十九日)-太陽暦の十月~十一月。
九月:キスレーヴの月(三十日)-太陽暦の十一月~十二月。
十月:テヴェットの月(二十九日)-太陽暦の十二月~一月。
十一月:シェヴァットの月(三十日)-太陽暦の一月~二月。
十二月:アダルの月(二十九日)-太陽暦の二月~三月。
閏月:第二のアダルの月(三十日)-太陽暦の三月~四月。

太陰暦(太陰太陽暦を含む)の基本原理として、月の満ち欠けで暦を決めるさかい、月の初めの日は新月で固定です。約二週間後には満月が来て、更に二週間後にまた新月でその時に次の月の初めの日になります。この太陰暦の原則を無視すると月の満ち欠けが日数に合致せず(一日に新月にならへん等)、もはや太陰暦と呼べへんものになります。太陰暦(太陰太陽暦を含む)では一年の日数が太陽暦よりも少ないので、それによる季節のずれが起こるのを防ぐ調整のためにメトン周期と呼ばれる十九年に七回の閏月を挿入するという法則があるようやが、拙者が千八百七十年(明治三年)から現在まで調べた結果によると、メトン周期は間違いです。十九年に七回の時もあれば、六回の場合も結構あることが分かったからです。太陰暦が太陽暦よりも年十一日少ないことに鑑みれば、三年に一回は閏月を設けな一か月のずれを起こすさかい、三年に一回ずつ(千八百七十年の次は千八百七十三年等という具合に規則正しく計算し、このやり方でいくと二千二十年も閏月に当たることも一致を確認済)閏月を入れて年代計算を拙者がしたところ、その事実が浮上しました。せやから十九年に必ず七回の閏月を入れるとするメトン周期は間違いです。近現代の物理学や天文学等の似非科学のように、小難しい複雑な数式の計算をこねくり回すだけで現実を無視したものは机上の空論という典型例です。
現在旧暦として流通している暦を基にすると、その閏月の挿入が西暦二千二十年では旧暦四月の後になされ、五月の前は閏四月となり、それが太陽暦二千二十年五月二十三日(土)から始まり、六月二十日(土)の二十九日まであります。一年の内どの時期に閏月を挿入するかは置閏法というものがあり、それによって決まるようです。ユダヤ暦は、アダルの月の後に第二のアダルの月とします。もし西暦二千二十年においてこれをせん場合、第二のアダルの月やなくて次の年のニサンの月が繰り上がりで来ることになってしまい、春分の日よりも一週間早く新月が来てしまい、その調子で行くと来年の最後の月であるアダルの月が四月末で終わり、二千二十二年の過越は五月十四日(土)になることになり、季節感にずれが生じる(五月中旬は例年に比べるとあまりに遅いやろ)ことになって不都合です。そういう不都合を無視するとどんどん季節がずれます。過越の時期を三月〜四月の時期に保ったりと季節感の一定を保つために、今年は閏月が必要となります。

上記を比較して分かるとおり、今の秋を新年とする偽ユダヤの暦は、何故か各月において二十九日と三十日の日を固定している月が多く、年によって変動する月を二つ設けています。しかし、ウィキペディアにあるとおりの偽ユダヤ暦では年によっては朔望月の実態に合わへん上、秋を新年にしていることからも明らかに聖書に基づいているとは言えまへん。月の満ち欠けの周期が三十日ぴったりではなく一定ではない上、月齢は毎年細かなずれを生じており(満月が毎月十五日固定やなくて前後することがある等のずれもある)、聖書では過越の年を正月とせよと主からの御命令があって、主イエス御自身が過越の屠られる小羊となり、それから代々受け継がれてます。中東のイスラエルの地では大麦が過越の時期に近い時期に春の収穫を迎えます。麦は二種類あって、春に収穫するのと秋に収穫するもんがあります。初穂と聖書では訳されてますが、実際は「初物」とするんが正しいです。原語を見れば、first fruitsの意味であり、年のうち最初に取れる実を指し、別に麦の穂に限ったことやないからです。しかし、春に収穫出来る大麦のことを意味するので初穂と意訳した感は否めへん。太陽暦での三月〜四月が正月の時期になるのは確かです。もし異なる季節なら変更になった事件や経緯が見つかるはずやが、それはありまへん。律法(レビ記二十三章十節〜十一節)のとおり、過越祭終了後の安息日の翌日からある祭りの件からも分かるとおり、春が正月であり秋ではありません。朔望月の周期に基づく太陰暦は以上のように一年は三百五十四日であり、一年を三百六十五日を基本とする(閏年として約四年に一度二月に一日足される)太陽暦と比較すると年当たり十一日、閏年は十二日短く、三年経つと約一か月分のずれが生じます。それ故に、閏月を時折挿入することで調整します。これを太陰太陽暦と言い、イスラム圏のヒジュラ暦という閏月で他の暦程に細かく調整せん暦もあり、この太陰暦と比して天保暦等の暦は太陰太陽暦と呼ばれはしますが、広義の太陰暦です。前回記事「現代日本の常識は殆ど捏造されたもの」で太陰暦が聖書的と申したのもこの広義の意味で書きました。もし月の満ち欠け周期が常にきっちり三十日であったならば、調整は一切要らず、楽な計算で一年は三百六十日で固定やったでしょう。過去記事「聖書預言の正しい解釈方法」で既に書いとったとおり、創世記の大洪水の箇所によれば五か月が百五十日なので一か月は三十日かのように思われました。大洪水の時はたまたま第二の月十七日から第七の月十七日までが百五十日にやったのかもしれまへん。しかし、暦や月の満ち欠け周期を調べて分かったとおり、毎年そうやとは限りません。月の満ち欠け周期は前にも述べたとおり、約二十九日半なので一か月が二十九日やったり三十日やったりして一定にならんさかい。今年は、旧暦によれば、旧暦四月の後に閏四月を挿入していました。よって、今年は閏月が入る年です。もし今年閏月を入れへんかったら、季節感がずれるさかい。次の閏月は二千二十三年の予定であり、旧暦二月の直後に閏二月が来ます。

また、来年の西暦二千二十一年についても拙者が計算してみました。

一月:ニサンの月(三十日)-聖書には「アビヴの月」とも。太陽暦の四月~五月。(聖書では正月、過越は太陽暦の四月二十六日(月)の夕から。元日は四月十二日(月)。)
二月:イヤールの月(二十九日)-太陽暦の五月~六月。
三月:シヴァンの月(三十日)-太陽暦の六~七月。
四月:タムーズの月(二十九日)-太陽暦の七月~八月。
五月:アヴの月(三十日)-太陽暦の八月~九月。
六月:エルールの月(二十九日)-太陽暦の九月~十月。
七月:エタニムの月(三十日)-ティシュリーの月とも言われます。太陽暦の十月~十一月。(贖罪日は太陽暦の十月十五日(金)の夕からです。)
八月:ヘシュヴァンの月(二十九日)-太陽暦の十一月~十二月。
九月:キスレーヴの月(三十日)-太陽暦の十二月~一月。
十月:テヴェットの月(二十九日)-太陽暦の一月始め〜一月末。
十一月:シェヴァットの月(三十日)-太陽暦の二月〜三月。
十二月:アダルの月(二十九日)-太陽暦の三月三日から三月末まで。

西暦二千二十一年を見ると気付くように、三十日の月が七回で二十九日の月は五回であり、六回ずつ平等ではありませんでした。まさに月の満ち欠け周期が整数で割り切れない故に起こる誤差です。せやから、偽ユダヤ暦のようなこの月は何十日なんて決めつけは絶対出来ません。そういうことをしていくと、実際の月の満ち欠けとずれが広がるだけやさかい。日本の旧暦はそもそも過越祭のある春の時期を正月、一月としてへん点が間違っていると言わざるを得ないです。旧暦は太陰太陽暦ですが、月の番号割り振りは聖書的ではありませんでした。しかし、おかしな点はそれ位で、季節感にずれを起こす程の矛盾は無く、他は特段おかしな点は見当たりませんし、旧暦の閏月の入れ方がよう分かりませんが滅茶苦茶になることにはなりません。しかし、他の暦はどうしても相容れへん矛盾等があり、それ程に世が反聖書的な考えや異教的な考えを持って暦を作ったことの証拠です。拙者は純粋に月の満ち欠け周期を重視します。もしこの基準が無いとけったいな暦になります。新月が月の初めである一日と固定し、二週間後の十五日前後には満月になり、また二週間後に新月に戻るという繰り返しが基本です(上述したように月の満ち欠け周期は約二十九日半で整数で割り切れへんくて固定ではないので多少の誤差も有り得る)。昔の暦で何か聖書的で今でもそのまま使えるもんなんてありはせんでしょう。二千年前のユダヤ暦も現存せえへんしなぁ。聖書では「主は時節のために月を造りはった。」(詩編百四編十九節拙訳)のとおり、月が暦の基準となり、時節は月の満ち欠けを基準にした正しい暦の下で定められるべきです。拙者が何故新月を月の初めの日に拘るかは、聖書に根拠があります。新月が月の初めの日する根拠は民数記二十九章です。一節から第七の月のことについて記載があり、第七の月の一日に仕事せんと集会を開けとあり、六節に新月の文言があることから月の初めの日である一日が新月であることの証拠です。このように、拙者は聖書に依拠しながら月の満ち欠け周期と時節に着目して考えました。現在流通する旧暦もそれに沿う形であり、新月が毎月の一日に設定されているという点が非常に重要です。約三年に一度発生する閏月の挿入方法についてのみ、置閏法については未だはっきりとしませんが、それは大して重要ではありません。拙者が二千二十年の太陰暦を基に最後に一か月分閏月として第二のアダルの月を設ければ大きな矛盾を起こすことは無いのです。旧暦のように閏○月のように、どこに挿入するかなんて考える必要性は無いんとちゃうか思います。大洪水の時の五か月の百五十日を絶対視するあまり月の満ち欠けを軽視するんは不適切です。拙者の考えでは、創世記のあの記述は、たまたまその五か月は各月が三十日でいけたんか、それとも、厳密には百四十七日〜百四十九日かもしれへんかったが概算として百五十日として書いたかやろなと思います。創世記の記述者はおそらくモーセでしょう。主イエスは「もしモーセを信じたなら、我を信じただろうからや。モーセは、我について書いたさかい。」(ヨハネ五章四十六節拙訳)と仰いました。モーセは主イエスについて書いたとあり、他の箇所でも主イエスはモーセの名を出すのみで他の人の名前は出しませんでした。ダニエルをはじめ預言者の書が各預言者によって書かれたんは言うまでもなく当然であり、聖書の主要な最初の部分や神の教えである律法はモーセが書いたということになります。モーセ五書(トラー)とも呼ばれているとおりです。日本でも「虎の巻」がこのヘブライ語のトラー(元来聖書は今のような本の形状ではなく巻物やったことにも由来する)から来とるというのも聞いたことある人はあるやろ。このように昔から日本には聖書があったんや。過去の戦乱等で消失したのか、または天皇やその取り巻きや政府が意図的に隠しとるかだけの話や。日本人に聖書を読んで主なる神、イエス・キリストに立ち返って欲しないというというのが支配層の真意や。せやから、聖書を読みなはれ。聖書を読まな損することはあるが、読んで損は無い。断言出来ます。
あと、暦について調べとってこちら(人力検索はてな)に、興味深い記述がありました。

以下、抜粋。
「四大(しだい)とは旧暦(正しくは太陰太陽暦)における大の月(30日)が、四ヶ月連続する現象を指す。平均の朔望日数は29.5306...なので、大の月と小の月(29日)が交互に出現するが、計算方法が進歩するにつれて、四小(小の月が四ヶ月連続)も登場し、これを忌避して恣意的に「四大、四小を避ける」ことも行われた。─ 内田 正男《日本暦日原典 19750710 雄山閣》 」
抜粋ここまで。

しかし、実際は二十九日の月と三十日の月が必ず交互になるとは限りません。もし四か月連続で三十日が続くことも有り得るんなら(四大は実際にあったがそないに多発はせんかった)、五か月連続もあったかもしれへんなと思うだけで、それが毎年適用されると看做すんは筋違いやろなって思います。実際、今年は四大ではないし、三大ですらありまへん。黙示録預言でも四十二か月等とあるように概算値(一月三十日、一年三百六十日)でも決めとかな計算しづらくて大変という点を考慮したのかもしれません。拙者は専らその意図があると思います。
あと、余談ですが、太陽暦の祖は古代エジプトであり、シリウス暦と呼ばれるものです。それを古代ローマ皇帝カエサルが利用してユリウス暦を作り、ユリウス暦を中世時代にカトリックのローマ教皇が修正してグレゴリオ暦を作成して現在に至るのです。一日二十四時間というのは洗脳です。元々古代バビロニアや古代エジプトで十二進法、六十進法を使用していたことに由来します。そして、古代ローマ帝国では真夜中を零時にしていました。このように、現代で常識として擦り込まれてる一日二十四時間、一日の始まり(日付変更の時期)は零時、一年は十二か月で固定というのは完全に太陽崇拝、太陽神崇拝をしとる悪魔教の秩序であり、日本のもんやないし古代イスラエルのもんでもない。月の満ち欠けに基づく太陰暦(太陰太陽暦)や一日の始まりを日没とするのを明確に秩序とする聖書とは似ても似つかぬものです。実際、世界で最も使われているグレゴリオ暦でもずれを生じており、閏秒やらなんやかんや言うてる位やし、正当化する理由はありません。遥か昔、ニムロドの時代より延々と悪魔崇拝を継承しとる世の支配層が太陽神崇拝をしてるために行われとることです。よって、太陽暦は忌まわしい悪魔崇拝の暦なんや。今ではグレゴリオ暦と呼ばれ、ローマ教皇の名が付いとるしな。
月齢が一か月に三十日と一定せんのは、月は絶えず満ち欠けし続けており、視認出来る時の月齢が一定せんからやと判断します。新月は月齢は0としてても、絶えず満ち欠けをしているので、その間にも時計の針が動くのと同じように満ち欠けが進行します。例えば、聖書暦で七月一日(今年の太陽暦で九月十七日(木))の月齢は29.3でありますが、新月の扱いです。月齢はぴったり0ではありません。そして、翌日には月齢は1となってうっすら発光しとるのでもはや新月ではありません。翌々日は月齢2と一つずつ刻んで行き、太陽暦十月十七日(土)に月齢0.6で新月となって、聖書暦の第八の月の一日となります。その前日の十六日でも月齢29で満ち欠けが見えへん実質新月状態になり、二日間月が見えへん状態になります。調べたところ、月齢28.6から1に満たない状態は新月のように月が見えへん状態になります。月齢が三十日周期ぴったりにならへん理由は創造主である神のみがご存知です。敢えてそうされへんかったのでしょう。

以下、二千二十年(令和二年)における拙者が作成した聖書暦である第七の月(エタニム)を示そう。月の満ち欠けと聖書で示される主の祭日を併記し、おまけとして太陽暦を最下段に記載しておきました。



どうやろか。太陽暦に慣れきった人はごっつ違和感を感じるやろが、日本では千八百七十二年(明治五年)の十二月まで天保暦を使てて、太陰太陽暦やから聖書暦とほぼ同じやから違和感はそないに無いねん。アホみたいな太陽暦と比較するからその余りの違いに違和感が大きいんや。明治初期の日本人たちも太陽暦なんかに強制改暦やと政府から一方的に通達されたんやからどれだけ混乱を招いたか想像に難く無いやろ。創造主たる神、主イエス・キリストに従うなら今後は拙者が示したような聖書暦を参考にして信仰生活をするようにしてください。慣れれば違和感も無くなっていくはずや。太陽暦における七曜は、「日・月と、火星・水星・木星・金星・土星の七つの天体。七曜星。」と定義され、およそ存在せえへん宇宙観を基にしたものと思われます。つまり反聖書的な異教由来の考えであることは間違いないです。聖書にも今の七曜の呼び名が無いことからも明らかです。真の聖書暦に慣れていきましょう。

現代の会社で所々普及し出した年俸制(年にいくらと収入を決め、それを太陽暦の一年十二か月を前提として十二分割して各月に支給する給与形態)という仕組みは太陰太陽暦の下では成り立ちまへん。もし現代も太陰太陽暦の下ならば、年俸制の人は三年に一度給与を一か月分上乗せしてくれへんと労働者は決まった年収から十三分割されると一か月分の取り分が減るだけで、一か月分ただ働きすることになるので、年俸制なんていう給与形態は考えられへん程アホな仕組みです。あと、人間がどの暦を採用しようとも、時の流れは不変やさかい、実質的に太陽暦はこのように年俸制や月給制(三十日ある月が年五回、三十一日ある月が年六回、基本二十八日の月が年一回、このどれも同一賃金であり、結果的に太陽太陰暦と比べて一年当たり十一日多いのにその分の給与は増えません。)から正体が分かるとおり賃金詐欺のために英国の傀儡と化した愚かな明治政府によって日本に導入されたと言わざるを得ません。日本はそれまで最低千三百年は太陰暦(太陰太陽暦を含む)で生活して根付いとったにも拘らず、明治政府の暴政によって無理やり破壊されたんです。他方、古代ローマ帝国のユリウス暦も太陽暦であり、グレゴリオ暦はユリウス暦を修正した同じ太陽暦です。つまり、欧州やその周辺国は古代ローマ帝国の支配にあった時からずっと偽りの暦の下で生きとるんです。何故太陽暦が詐欺なのかは、太陰太陽暦から見たら約三年に一回必ず一か月分の差分を生じるからです。約三年に一回は一年十三か月になるんやから、その分給与も上乗せになるはずがならへんのやから太陽暦の下での月給制や年俸制は毎年十二回しか給与支払がないさかい、三年に一回は一か月分を搾取されとるっちゅうことです。官公庁、企業、経営者、株主にとっては人件費の支出を減らせるという長所があるが、被雇用者の労働者にとっては損でしかないし搾取されとるんです。このことに気付いた人っておるでしょうか。誰も居てへんのちゃいますか。明治の改暦の時も差し迫った翌年(明治六年)が閏月がある年になるさかい、明治政府は賃金支払を減らそうとして慌てて強行しました。そして、その一回分(明治五年の十二月が二日しかなく、それは無視されて翌日の明治五年十二月三日を明治六年一月へとすり替えたためその年は実質一年十一か月しかない扱いやった)だけやなしに今に至るまでずっと一年につき十一日分の給与が不払いなんです。それが三年になれば一か月分に相当し、三十六年経てば一年分に相当します。せやから、人間一人当たり還暦になるまでに一年分もの給与をごっそり削られることになります。酷い詐欺ですよ、これは。これからも改暦せんのやったらずっとこの詐欺制度が続きます。せやから、こんな過去のローマ教皇の名がついたグレゴリオ暦(太陽暦)なんかがええと支持するのはおかしく、それでは世の悪を肯定して倣っているだけです。そもそも、神の律法では月給制は違法であり罪だというのは前回記事でも指摘したとおりで、当然年俸制も月給制に関連するので同じく違法です。要するに、世が神の律法に逆らっているだけで、本来は世の方が神に服従して聖書に倣って直すべきなんです。神の律法では日払いで、かつ、日没前に給与を支払う必要があります。

旧約聖書 申命記 二十四章十五節(拙訳)
その日に賃金を支払わなあかん、日が入るまでに。その人は貧しく、その賃金に望みをかけとるからや。その人があんたを主に抗議して、それがあんたに罪となることがないようにしなさい。

このように神の律法どおりに日払いにしていれば、太陽暦と月給制や年俸制で生じるような詐欺は起こり得ないのです。なぜなら、日払いやからです。日が入るまでの支払いというのは、日没が一日の始まりであり終わりであるが故です。正しい暦である太陰暦(太陰太陽暦を含む)においては、日没してしまっては日付が変わるさかい、日払いを実現するために日没前の支払いは当たり前です。日払いであれば、太陽暦の下での月給制や年俸制を悪用して賃金の誤魔化しは出来へんからです。こんな賃金詐欺をする政治家や官僚、企業、その他雇用者ら、世の悪しき制度を作って悪用して富んでいる者たちへの警告はヤコブの手紙五章にあるとおりです。

新約聖書 ヤコブの手紙 五章四節(拙訳)
見よ、あんた方の土地を刈り入れた労働者の、あんた方によって詐取された賃金が叫び声を上げ、また、刈り入れをした人々の叫びは万軍の主の耳に聞かれました。

現代の正社員や派遣社員等、それぞれの仕組みに問題があり、月給制も問題です。日払いのアルバイトがあっても殆どは低賃金でしょう。相応しくない低賃金で搾取し、人を奴隷のごとく酷使しとる事実は神の知るところです。賃金を出し渋って低賃金で雇ったり、悪徳企業のように残業代を踏み倒し、昇給させず、賞与も削る等をしとる人たちは不正の富を蓄え、罪を増し加えているだけです。それは後で地獄で自分らが燃やされる時の薪を増やしているに等しいのです。そういう愚かな仕組みに漫然と従わず、天地と万物を創られた神への畏れがあるなら忌まわしい太陽暦を廃止して太陰暦(太陰太陽暦を含む)に基づく聖書暦にせよ。月給制や年俸制をやめよ。更に、制服もやめよ。背広やその他の洋服もやめよ。それらもすべて神の律法に反するものやからや。一日の時間は日没から始まり、次の日没までが一日や。一日が二十四時間とか七曜の呼び方、真夜中の零時が日付変更の時間なんて悪魔教を奉じてきた古代ローマ由来で西洋人が勝手に決めたことや。いつまで間違った秩序に従うんか。日本が好きな日本人なら、古来の日本のことをもっと調べぇや。そしたら、今まで拙者が教えてきたように、特に幕末から明治維新以降の政府らによる悪事に気付けるはずやし、日本と古代イスラエルに深い関係があることにも気付くはずや。今までの考え方や生き方を根本的に改めなあかん。知ってもなおこの世の権威に従順に従うなら、それはあんたも世の権力者や富裕層といった神からではなく世から出た存在であり、悪人どもの仲間ということになるさかい。主イエスは「悔い改めな滅びる」と繰り返し教えはりました。今までの価値観や学んだことが全否定されるなんてどうでもええんねん。そんなもんを固守したかてあんたをいっこも幸せにさせへん。地獄で滅びたいんなら別やけどな。拙者は必死にあんた方を正しいキリスト道に導くために活動してます。しかし、世の大多数は聞き従いません。それは分かってます。主イエスの教えどおりで、「滅びに至る門は広く、その道も広くて、そこから入る者が多い」(マタイ七章十三節参照)さかい、何ら不思議はありません。神から選ばとる者も少ないし、神から憐れみを受けないことには心が頑なになっており、拙者の言うことや聖書の御言葉を信じひんし、従順に従わんし、興味も持たへんやろなぁ。せやかて、別に拙者は強制しません。無駄やと分かっとるし、強制することが神の御計画でも御意志でもないからや。しかし、サタンとサタンの代理人である悪魔崇拝者の権力者や富裕層らは強制という手段を使います。今既にやっているように、彼らの新世界秩序(NWO)を世界規模で構築するため、新しい生活様式として、所によっては罰則付きで社会的距離を維持させたり、人々の団結や集会を阻止し、愛が冷えさせるように仕向け、それを実現させるためにコロナ茶番という嘘をでっち上げて名目にし、マスクを法整備によって強制着用にしたり集会禁止にして違反すれば罰金刑にしたりと豪州や欧州をはじめとして海外では既にやられてます。日本でも都民ファシストの会(都民ファーストの会なんて実態に合致してへん)が東京都条例で他人にコロナ感染させたら罰金五万円なんていう理不尽かつ非合理的なアホさを曝け出してます。存在せんもんを移すなんて出来へんし、仮に「新型コロナウイルス」とやらがある前提で話をしたとしても、誰が誰に移したなんかの証明なんて不可能や。東京の都会で外に出れば、一日に数え切れへん人とすれ違うしな。満員電車に乗ったら誰が誰に移したって断定出来るんか。出来る訳ないやろが。小学生でもこんな底抜けにアホな条例案考えへんで。小池東京都知事をはじめその一党独裁の専制主義(ファシズム)を行う連中の考えそうなこっちゃ。都民よ、こんなんでええんか。ぼさーっとしてる場合ちゃうやろ。良識ある法曹や科学者や医学者もこんなアホなことに猛抗議せなあかんやろ。こちら(dailymotion)から分かるとおり、ドイツの医師団や弁護士たちは立ち上がっとるで。日本人はだんまりか。アホか。恥を知れ。何のために医師や法曹になったんや。金銭や保身のために権力者に忖度するなら辞めてまえ。誰も言わへんというのは、大金を握らされて新世界秩序を導入するためにコロナ茶番を引き延ばす役割の工作員か、コロナ教信者の脳内お花畑な人か、保身のために抗議せん臆病者ばっかということやな。マスクもワクチンも有害無益なんやからもっと全力で反対せえや。ツイッター等のネット上だけで吠えてないで、普段の生活から行いで示しなさい。日本人は特に周囲の目ばっか気にして主体性が欠けとる人が多いから、全体主義になり易いんや。このままでは戦前回帰するんは時間の問題やで。戦前の日本では、天皇や政府が英米を中心とする連合国相手に開戦を決めてから、しきりに戦争へ全国民が協力するように大本営が戦争美化報道を執拗に繰り返し、学校教育も天皇やお国のためと洗脳教育をし、戦争反対と言えば非国民と言われ罵られる空気を醸成し、治安維持法を悪用して憲兵が戦争反対者の正常な人々を思想犯として逮捕、投獄、最悪の場合は拷問の果てに獄死させました。歴史から学べや。今もマスクせん奴は周囲に迷惑を掛ける奴と間違った価値観を政府やテレビがしつこく嘘をついて煽った結果、国民は洗脳されてマスクもワクチンも拒否する正常者を非難してます。やってることが戦前と同じやで。同じやと分からんのは洗脳されとる証拠や。オウム真理教がカルト宗教で入信したら危ないと周囲の人間がいくら止めても聞かんと入ろうとしてる人に等しいで。コロナ教信者らは正常者がマスクやワクチンの有害無益性を証拠を挙げて説明しても聞き入れへん程愚かになって洗脳されとる。自分で調べず、論理的な思考をせず、政府の言うこと、テレビや新聞が言うことばっか盲信して周囲と調子を合わせとるようでは明るい未来は無いで。カルト宗教は別にオウム真理教に限ったことやなく、カトリック、正教会、プロテスタント、イスラム教、仏教等と過去記事で非難してきたとおりこれら世にある宗教すべてであり、加えて似非科学(この地が球体だとか自転や公転しとるとか、進化論等と莫迦げた妄想の数々)、権力者が改ざんした歴史等を含めて人間が勝手に創作した宗教や教えを信じる者は皆、カルト宗教信者や。しかし、聖書だけは本物であり、宗教ではありません。世の中の宗教と呼ばれる団体におる奴らは皆、聖書に逆らっとるさかいな。聖書は人間が勝手に創作したもんやないからや。主イエス・キリストこそが真理や。聖書を読めば分かる。この点について文句言うたり、野次を飛ばす輩はもれなく聖書を通読したことなんてない人や。内容を知らんくせに偉そうに批判するなや。読んでもないのに批判する資格は無い。それこそ根拠の無い悪口で誹謗中傷やからや。

最後に、太陽暦が偽りの忌まわしい暦であることに触れたついでに、気になることについて言及しときます。Eden Mediaがこちら(YouTube)のとおり、異邦人の動画を翻訳し、キリストの誕生日が紀元前三年の九月十一日と米国の古代歴史学者であるマイケル・ハイザー氏が述べとるが、これは間違いです。何があかんかと言うと、まず太陽暦(グレゴリオ暦)を基に計算しとんのが駄目です。なんでか言うたら、太陽暦(グレゴリオ暦)は中世時代である千五百八十二年から施行された暦やからや。当然それ以前はグレゴリオ暦なんてあらへんし、古代ローマで使用されとったユリウス暦も太陽暦やし、古代ユダヤでは広く使用されてませんでした。古代ユダヤでは当然に聖書のモーセの律法に則り、太陰暦(太陰太陽暦)の使用が当たり前でした。もし違うたら、主イエスは何らかの意見を言わはったやろなぁ。せやから、それは無いということや。古代ユダヤは古代ローマ帝国の支配下に置かれとったので、古代ローマの影響で太陽暦は領主ヘロデやローマ人のユダヤ総督等の支配層においては使用され、聖書暦と併用されとったとみることは可能ですが、太陽暦しかなかったというのは有り得へん。しかし、主イエスや十二使徒らをはじめとして当時の多くのユダヤ人は従来の聖書暦を重視したはずです。ファリサイ派や律法学者らといったユダヤ教徒らも聖書に則り、聖書暦を維持しとったはずです。ハイザー氏が主張する根拠としてコンピュータ計算によってはじき出したとしてますが、計算過程の説明が一切無く、結果だけを主張してますのであんな数秘術や占星術を基に考え出したもんを盲信する方がどうかしてます。上記画像で太陰太陽暦の聖書暦を拙者が示したとおり、日付において太陽暦とでは日付に大いなる誤差が生じるし、閏月という特殊なことも発生するさかい、あの太陽暦二千一年九月十一日に米国で起こった自作自演の爆破事件の逆張りと安易に考えるんは計算が甘過ぎます。また、過去記事「自由と律法に対する誤解」で書いたとおり、メシア誕生を恐れて下したベツレヘム一帯の二歳以下の男子を殺害するようにというヘロデ王の命令と彼の死期が紀元前四年という史実にも反します(もし主イエスが紀元前三年の秋生まれなら既にヘロデ王は死んでいることになり、メシア誕生を聞いた後で占星術師らが主イエスに拝謁した後でヘロデ王の許に戻らへんかったことでヘロデ王が怒ってベツレヘム一帯の二歳以下の男子殺害命令を出した聖書の記述に反する)ので、主イエスが紀元前三年秋に生まれはったんとする説は有り得ない憶測に過ぎません。時期的に初秋の仮庵祭の頃は有り得るが、紀元前三年というのが有り得へんということや。
そもそも、前にも拙者が述べたように、主イエス・キリストの誕生日を祝うなんてことを主イエス御自身求めておられへんし、父なる神もそれを求めてません。もしキリストの誕生日を祝うことが重要な行事なら聖書に記載があるはずやが、無いさかいな。誕生日を祝うなんていう描写は、創世記四十章二十節の古代エジプトのファラオとマタイ十四章六節とマルコ六章二十一節の古代ユダヤの為政者であり洗礼者ヨハネから律法違反を咎められとったヘロデがしとっただけであり、主イエスや使徒たちは誕生日祝いをするように命じてはりませんし、神の律法にも無いし、ダビデ王等といった古代イスラエル王国においても一度もありませんでした。聖書暦の下では三年に一回発生する閏月となる第二アダルの月があり、その時に誕生する人は誕生日が無い年を多く持つことにもなるし、こういう理由で誕生日祝いなんて無意味なんや。せやから、個別の誕生日祝いなんていうのは古代イスラエルの習慣ではないということや。つまり、誕生日祝いというのは太陽暦を使い、神に従順ではない古代エジプトのような異教信者や異邦人らが勝手に習慣付けた行為と言うことが出来ます。昔の日本は太陰暦(太陰太陽暦を含む)を長年用いており、古代イスラエルと同様に数え年で生まれた年を一歳として正月(春)で皆が年を取るという考え方故に、個人の誕生日なんて重視してませんでした。これも古代イスラエルの証しなんやなと思います。今みたいに各個人が太陽暦を基に何年の何月何日が誕生日やとかどうでもよく、祝うなんていうこともありませんでした。現代で行われとる新生児は零歳から始まり、個人の誕生日で年を数えるのかはこれもすべて西洋の異教由来の慣習であって、古来から日本にある慣習ではないし古代イスラエルのものでもないです。現代日本は著しく異教の西洋に侵されてます。何もかもが。ええ加減に目を覚ましなさい。もうこれまで何度西洋文化があかんか、服装にしてもいかに反聖書的であるかを論じてきました。父なる神と主イエスを愛しているなら、聖書に基づく聖なる信仰生活を送りなさい。世に倣ったらあかんと聖書にあることを過去記事で散々書いて説明してきたとおりや。もう時間があんま長く残されてません。一日でもはよ悔い改めなさい。宜しければ共にキリスト道を歩もうではないか。共感し、共に聖書を学び信心深く生きて生きたいと願う人は過去記事「「兄弟の集いの場」に関する告知 再掲」を読み、ご参加ください。

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。
 
以上