こんにちは。
 
今回は、現代日本の常識は殆ど捏造されたものであることについて宣べ伝えます。せやから、どうか真面目に考え直し、改めてください。

学校の社会科で、明治維新は文明開化だの、近代化だのと美化されとりますが、完全に間違いであり、実際は過去にも散々述べてきたとおり、十八世紀、偽ユダヤ人家系のドイツのマイアー・アムシェル・ロートシルト(ロートシルトはドイツ語読み、英語の発音では皆さんお馴染みのロスチャイルド)から始まってその息子たちがそれぞれドイツ、オーストリア、英国、イタリア、フランスの五か国にまたがってロートシルト家の祖となり、彼らは金融業界を支配し、世界各国に民間の中央銀行を設立させ、それらすべて彼らの支配下にあり、欧米の有力権力者になり、世の中の出来事の裏では常に密かにその権力と財力を駆使して政府も報道機関も一般大衆人々も操って誤った世論形成をしています。ロスチャイルド家の大まかな情報については参考までにこちら(YouTube)でも見て、基礎情報を得てください。当該動画投稿主自体は信用に値せんが、このロスチャイルド家の金融支配権力については問題無い回でしたので紹介しておきます。しかし、それ以外の動画には嘘が多いので駄目です。あの動画にもあったように、悪しき明治維新も彼らの策略によって成し遂げられたのであり、今の日本円の紙幣を刷っている日本銀行も彼らの支配下にあるし、日本も無関係では無いのです。聖書や神の律法ではなく反聖書的な教えばかりが盛り込まれたタルムードを信じる偽ユダヤ人にとっては、古代イスラエルの痕跡を色濃く残しとった日本らしさを破壊して西洋化、異教化し、最終的には古代イスラエル人の民族ごと殲滅するのが目的です。その足掛かりは中世に遡り、カトリックのローマ教皇の手先機関であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルが宣教師の皮を被り、工作員として日本を偵察しに来て、イエズス会の同僚と共に悪事を働きました。いつも欧米の偽善者は建前はキリスト教の宣教師を偽装しますが、実際はそうではなく異教の偶像礼拝者であり、悪魔教信者であり、聖書と主イエス・キリストの教えをちっとも守らない不届き者であるという点を知るべきです。皆さん、どうか勘違いをやめてください。聖書や主イエス・キリストは西洋のもんやないし、カトリックをはじめとする世の諸教会や諸教派はキリスト教ではないということです。元々、聖書は中東のイスラエルから端を発し、古代イスラエルの十二部族の一つであるレビ族出身のモーセが書き残し始め、それ以後多くの古代イスラエル人の預言者も主なる神の御言葉を今なお残る預言書として書き残し、それらが旧約聖書としてまとめられました。新約聖書も殆ど古代ユダヤ人(マタイ、ヨハネ、パウロ、ペトロ、ヤコブ、ユダ等)によって書かれました。古代イスラエル人、古代ユダヤ人は亜細亜人であり白人や黒人ではないのです。混血して外見が亜細亜系ではなくなるという場合があるやろけど、本来はそうではないのです。異邦人である白人が多い欧州に伝わったのはパウロやペトロがローマに伝道に行ったのが契機で、それ以前には欧州の白人たちはキリストはおろか聖書すら知らん人ばっかでした。パウロやペトロたちの欧州伝道の成果から急速に聖書やキリストのことが欧州で広まり、その時から古代ローマ帝国による迫害にも遭いながらも衰えなかったので、ついに四世紀に古代ローマ帝国で土着の異教と結びついたカトリックがキリスト教と偽って国教化に相成りました。しかし、実際は四世紀から二十一世紀の現在に至るまでカトリックや正教会は偶像礼拝をする異教であり、キリスト教ではありません。聖書では旧約聖書も新約聖書も一貫して偶像礼拝を禁じており、地獄行きの罪です。せやから、マリアを崇拝するのも罪やし、その他の人間を聖人として崇めたり像を造るのも罪です。何度も言いますが、聖書や主イエス・キリストの教えは欧米発祥ではありません。そして、主イエスも亜細亜系の古代ユダヤ人として地上に来られました。それは将来の再臨の時も同じです。なぜなら、使徒言行録冒頭にあるとおり、天に昇られたのと同じ有様でまたお出でになるとのことなので、主イエスは一世紀当時と変わらないお姿で再臨されるということです。そういうことなので、主イエスが異邦人である西洋の白人であることは有り得ないし、黒人であることも有り得ないし、支那人や朝鮮人等の古代イスラエル人と遺伝子的に関係無い民族の人であることも有り得ないし、宗教集団でしかないハザール人系の偽ユダヤ人らも論外です。服装かて一世紀当時のままで、現代の洋服という律法違反の格好もされておられへんでしょう。今の中東のイスラエルは聖書のイスラエルやないという事実は過去記事「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない」でも伝えてきたとおりです。日ユ同祖論というのもYouTubeをはじめとして都市伝説として語られとるのが散見されますが、はっきり言って間違いだらけであり、その名付け方からして間違えてます。その理由はその過去記事内で説明済です。遺伝子的観点、文化的観点、言語的観点から見れば、明らかに古代イスラエルと日本は関係が深く、サムエル記下七章にあるとおり、主なる神がダビデ王の故にその玉座をこの地が存続する間は続くことを保障されたのであり、それが日本の天皇へと受け継がれとるんです。日本が現存する最古の国家であることは周知の事実であり、それは古代イスラエルの北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされてから、東へと移動して来た古代イスラエル人が絹の道を経て、途中で分散してチベットやブータンといった地に残った者らもおったが、本隊はイザヤの預言どおりに東の島である日本に辿り着いて王国とダビデの玉座を天皇として復活させました。このことは過去記事「キリスト者の勝利と日本は英米の植民地という事実」で触れたとおりです。アッシリアが北イスラエル王国に侵攻して滅ぼしたのは紀元前七百二十二年で、日本で最初の天皇が即位したんは、紀元前六百六十年とされ、その年月差は約六十年でした。その昔、世界地図は無いし、飛行機も無く、徒歩か船での移動が主流やった時代で日本列島という土地がほんまにあるんかも当時の古代イスラエル人たちは認識すらしていない状況でただ預言者が発する主なる神の御言葉を信じて東方の島を目指して向かい、遠い中東から日本にまで大勢の集団で渡って来て王国を復活するまでとしては妥当な期間です。古代イスラエル人の東方への移動はその一回だけでなく、何回にも分けて来ました。更に、南ユダ王国がバビロン捕囚に遭ったり、古代ローマ帝国に滅ぼされてからも日本に向けての移動はあったでしょう。平安京造営に貢献した秦氏もヘブライ文化を持った一派であり、日本に来て天皇が古代イスラエルの王の系譜であることを理解して天皇を補佐し、現代イスラエルとして日本の基礎を確立しました。そして、それ以来天皇制は現在に至るまで形式上だけでも続いています。しかし、天皇の在り方は、幕末の欧州の偽ユダヤ人による財閥に唆された薩長らの売国奴によってなされた国家転覆の結果である明治維新によって根本的に失われ、その時から日本人は徐々に和服をやめて洋服を着始め、江戸に下って東の京として東京と改名させるし、明治維新から異邦人が天皇になりすまし、挙句は複製人(クローン)まで現れる酷い有様です。天皇は明治時代から自らを神格化して独裁者と化し、昭和天皇がその極みであり、多くの日本人を洗脳して戦争に行かんと非国民やと罵るように仕向け、徴兵して、多くの日本人男性を餓死、病死、戦死させたし、天皇自身や一部の軍の高官は最初から英米と通じており、本土空襲させたり原爆を使って老若男女問わずに日本人を無差別に大量虐殺しました。このことこそホロコーストと呼ぶべきものです。英米仏ソ連は戦勝国というだけで平和に対する罪を犯したにも拘らず誰も戦犯に問われず、天皇は英米と通じていたので訴追を逃れ、岸信介や笹川良一等といった米国に日本を売ることを誓約した売国奴がA級戦犯から逃れ、愛国者であった東條英機元首相は売国を拒否し、「この戦争の責任は、私一人にあるのであって、天皇陛下はじめ、他の者に一切の責任はない。今私が言うた責任と言うのは、国内に対する敗戦の責任を言うのであって、対外的に、なんら間違った事はしていない。戦争は相手がある事であり、相手国の行為も審理の対象としなければならない。この裁判は、勝った者の、負けた者への報復と言うほかはない。」と言って天皇をかばって自分一人だけが矢面に立ち、連合国による東京裁判も「この裁判は結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たるの性格は脱却せぬ」と言い残して処刑されました。大日本帝国憲法下においては天皇大権があり、軍の統帥権も天皇にありました。よって、天皇が軍の最高責任者であることは揺るがず、それにも拘らず米軍から皇居や巨大財閥は空襲を免れ、天皇は訴追すらされず臣下のみが処罰されている事実は政治的裏取引があったことは明白です。東京裁判時において、他の被告人の多くが自己弁護と責任の擦り付けを繰り広げる中で、東條英機氏だけは一切の自己弁護を捨てて国家弁護と天皇擁護に徹する姿は際立っていたとのことで、今の日本の内閣、政治家や官僚には見られへん厚い人情があったことは窺えますが、昭和天皇をかばったことや仏教に帰依しとったのは間違いでした。天皇は実質的に中身が完全に壊れてますが、それでも一応天皇制が続いているのは、主なる神の御計画、過去に約束しはったからです。そうでないなら、欧米に戦争に負けてから今のような間接植民地やなくて他の東南亜細亜諸国が経験したような完全な植民地にされ、天皇制をはじめとする国体も言語も何もかも改変されたやろけども、他の諸外国のように日本だけはそうなりませんでした。世界の人々よ、なんで分からんのか。日本が現代イスラエルやからです。主なる神が印度やフィリピンのように欧米によって植民地支配を受けて完全に以前の有様から根本的に変えられることを許さなかったのは、ただ主なる神の古代イスラエル人の末裔やから憐れみを受けているが故です。その肝心の当事者である日本人は学校、政府が検閲した教科書、テレビ等によって嘘の歴史や自虐史観等を幼少の頃から植え付けられ、正しい歴史認識が出来ないでいます。今ではその洗脳のせいで、新型コロナウイルスなんていう茶番劇をまともに信じるまでに悪化し、三十五度を超える猛暑日においてさえ有害無益なマスクをお守りかのように信じて義務でも無いのに着用する愚民ぶりを曝け出してます。前から言うてるとおり、はよ世の洗脳から解かれるように聖書を真面目に読んで学びなさい。そして、正しい聖書の知識があれば、当ブログで言うてることも正しいと分かるはずです。もし分からないのならば、聖書を読んでへんか、聖書を私的解釈したり、都合の悪い所を読み飛ばして無かったことにしているかです。世のキリスト教の諸教会に属したりしてる人々はもれなく聖書を隅々まで読んでへんし、聖書を都合良く私的解釈し、都合の悪い所を読み飛ばして無かったことにしています。神の律法を無視しとるのも、主イエスの十字架を機に廃止されたことにしているのも、パウロの言葉を誤解釈して「キリストの律法」と勝手に定義してモーセの律法を無視するのも、すべてのことが実現して天地が消え失せるまで(モーセの)律法の一点一画も廃れることがないと主イエスが断言されたのに勝手にモーセの律法を無きものにするのも、すべて悪霊の導きの結果です。神の律法については、散々過去記事で宣べ伝えてきたとおりなので、ここで敢えて深掘りすることはしません。各自で当ブログの過去記事を読み直してください。せやから、日本人よ、古代イスラエル人の末裔よ、目を覚まし、主なる神に立ち返れ、主イエスに立ち返れ、神の律法に立ち返れ。

明治時代から古き古代イスラエル由来の習慣や暦も変えられました。太陽暦を採用したんは薩長の売国奴が中心となって構成されとった明治政府であり、慶應義塾創設者の福沢諭吉という売国奴が太陽暦を強く推した経緯もあります。福沢諭吉についてのウィキペディアでは彼が太陽暦を推した活動や言論をしたことについては意図的なんか書かれてませんね。明治以前に日本で使用されとった太陰暦や太陰太陽暦は、新月を月の初めにしとるので、十五夜の満月と言うように、十五日前後が必ず満月が来るので月を見るだけで、暦表を見んでも今日は何日かなと推測出来たものです。しかし、太陽暦という西洋由来、過去のローマ教皇の名(グレゴリオ)が付いた暦を有無を言わせず、強制的に採用した経緯があったんを今の現代人は知らん人が殆どです。
幕末の薩長が中心となって構成された明治政府が、旧暦の明治五年十二月三日から明治六年一月一日と勝手に太陽暦(グレゴリオ暦)を強引に速く導入しました。その理由は、従来の太陰太陽暦は閏月があって一年に十三か月ある年で、欧米に倣って今と同じく月給制(神の律法では月給制は違法。適法なんは日払い、かつ、日没前に要支払い。太陰暦では日没が一日の始まりと終わりであるため。)を導入しており、明治六年は閏年に当たり、もたもたしていると一か月分余計に払わねばならないし、明治五年の十二月も二日程度なら払わなくていいという明治政府要人が考え、旧暦の明治五年十一月九日に改暦詔書を出してからわずか二十三日という異例の速度で改暦しました。今の安倍政権(長州の流れを汲む)と同じような凄まじいケチさです。この明治の改暦は速度だけでなくやり方として強引極まりなく、当時の人々は非常に混乱し、日本の日常生活と文化にも多大な悪影響を与えました。月の満ち欠けに基づく従来の太陰太陽暦は月を見れば何日か分かる目印になっていたのに太陽暦では月の満ち欠けを見ても日付が分からなくなり、旧暦に基づく農業計画も考え直しや換算を余儀なくされるし、改暦によって季節感が変わる(○月といえばこれといったことが通用しなくなる)し、年中行事や慣習が新暦ではいつになるのか等と余計な計算を強いられたり、日付換算が面倒だから改暦を機にやめてしまおうと決めてなくなった文化や習慣等もあったことでしょう。旧暦十一月九日に発表され、十二月三日からの改暦まで一か月もない状態だったので、前もって翌年分の暦を販売するために既に印刷済だった旧暦の暦は紙くずになり、販売業者は多大な損害を被ったことでしょう。そして、この大衆の混乱に乗じて「脱亜入欧」を唱えた売国奴の福沢諭吉が、改暦後すぐに新しい太陽暦についての説明として「改暦辨」を書いて出版して売って大儲けしました。

以下、こちら(巌松堂出版)から引用。
「自分(福沢)としては太陽暦の採用に大賛成なものの、政府のやり方に大いに不満を抱いた。暦の変更は一大事件である。改暦を断行するには国民にその理由を知らせ、新旧の暦の差異を丁寧に繰り返し説明して、納得させる必要がある。ところが政府は、簡単な改暦の布告と詔書を一方的に下すのみで、国民は詳細を知ることができない。そのような事情を役人は心に留めず、また説明もしない。そこで、民間人の自分が改暦を説明して政府の事業を助けようと思いついた。(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第二巻』岩波書店 二千一年 百七十三~百七十四頁)。

いかにも偽善者らしい言葉巧みに騙しています。太陽暦採用に大賛成が意味不明ですし、政府の一方的な対応に不満と言いながらも政府を助けると言い、また詳細を知らない国民に親切に教えてあげようというのです。単に古来の日本の習慣や文化等を潰して西洋化するだけの意図しかないのでまったく有り難くないのですが、このような甘い言葉にころっと騙されて次第に西洋文化に順応して行った人が多かったと予想しています。

そして、福沢はこうも書いています。
「日本国中の人々、この改暦を怪しむ人は、まちがいなく無学文盲の馬鹿者である。これを怪しまない者は、まちがいなく日頃から学問の心がけのある知者である。よってこのたびの一件は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といってもよろしい。」(『改暦辨』)

理由も無く西洋の太陽暦を採用しないと莫迦者とまで断じています。そして、思考停止して、黙って何も言わず、疑わず、ただ欧米や政府に従って太陽暦を受け入れるのは知者と勝手に定義しています。明治時代からこういうネトウヨやネトサポみたいな無条件の政権擁護者が居ました。現代の売国奴らも同じですが、やはり共通しているのは金銭欲の塊である拝金主義やということです。複数の過去記事でも書いたとおり、金銭欲は諸悪の根源です。なぜなら、金銭等の富はサタンの支配下にあり、神と一緒には仕えられへんからです。

このように、今の太陽暦(グレゴリオ暦)を使っている以上、暦はローマ教皇に支配されていると言えます。加えて、週の第一日の日曜日を週末とし、休日とするのは太陽神崇拝をしとった古代ローマ帝国とローマカトリック由来の考えであり、ローマ教皇の秩序です。カトリックや正教会のみならず、プロテスタントも日曜礼拝をしており、これらの反聖書的な行いは聖書通りの安息日を貶めようという反キリストの企みやということに留意して従わんでください。主イエスの復活を記念して云々(主イエスが復活したのは当時の暦の上で仕方なく日曜日に当たっただけで、それを記念して礼拝日にするような決まりは一切聖書に記載が無い)等という欺瞞に騙されへんようにしましょう。何度も過去にも言うてきたとおり、日曜日(そもそも今の七曜の呼び方も聖書的ではなく間違い。拙者がそう書くのは皆に分かるように便宜上用いているに過ぎない。)は週の第一日目であり、平日であり、休む日でもないし、安息日でもありませんし、キリスト教の礼拝日でもないのです。過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」をはじめ、何度も言うたとおり、安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までです。日没で一日の始まりと終わりを示すのは太陰暦であり、時計の零時で日付を変更する太陽暦とは大きな違いがあります。聖書的には太陰暦が正当で、太陽暦は誤りです。何故か。聖書にそう書いてあるからであり、創世記にあるとおり、「夕があって朝があった」と繰り返して始まり、朝からではないし、律法の安息日規定にも夕があるものの、時計の零時なんていう基準は無いからです。暦や時間についてもすべて、反キリスト的存在であるカトリックのローマ教皇によって制定され、全世界的に普及させとる張本人です。そして、勿論、その背後にはサタンがいてます。日本に無理やりこれを導入させた明治政府やそれに加担した福沢諭吉の欧米マンセー思考の売国奴等がいかに罪深いか分かるでしょう。福沢は「脱亜論」なんかも世に出し、亜細亜から脱して欧米に倣うという脱亜入欧を勧めたりもした完全な欧米マンセーの売国奴です。現代の慶應義塾大学の一般入試(センター形式は除く)においても、文系学部では文系やのに国語が受験科目に無く、英語、歴史(日本史か世界史の選択)、小論文の三科目だけで、英語の配点が他教科より上で偏り、英語重視なのが明らかです。経済学部等は歴史の代わりに数学もありますが、明らかに国語を軽視して科目が少な過ぎて、このことから日本語という国語を無視して英国の言葉である英語を重視する姿勢が分かります。高校生位でまともな小論文を書ける人間はほぼおらず大雑把で、採点者にまともに読まれてへんやろな。福沢諭吉の脱亜論的思想の反映が明らかです。そして、歴史も教科書にも載らない用語集の隅をつつくような難題を出すので高得点を取れる受験生はあまりおらず、実質英語だけを見ているようなものです。こういう大学や大学院に行って誇りや自意識だけが異常に高まり、学歴という無意味なもので人を判断したり、英語という日本におる日本人にとって本来不必要なものが出来る出来ないで人を判断し、英検やTOEIC(特にTOEICなんかは筆記と会話が無いさかい、英語力があるかの証明にはならへんし、実際に欧米諸国では認知度が著しく低くて有効な資格として認められてへん。)が意図的に持て囃され、何も考えへん愚民はええ年した社会人でもTOEICを無意味に重視し、作られた流行はすべて利権絡みに過ぎず、日本語よりも英語を頑張らせて日本語離れさせようとする政府や行政の意図が見え見えです。報道機関もアホみたいにカタカナ英語ばっかり用いて、芸能人らが崩れたけったいな日本語ばっか使いよって、視聴者は思考停止してそれに影響されて真似しよるし、日本人は酷く堕落しています。日本での国家ぐるみの意図的な西洋かぶれさす計画に気付かんし、拒否するどころか喜んでそれに乗っかる日本人の愚民が増え、内資を蔑ろにして外資の乗っ取りを助長し(海外ブランド等に目が無いのがその最たる売国奴の例)、日本を亡国へと加速させる日本人が激増しています。日本人なら日本や日本語、日本文化等をもっと大事にせえや。それをせんと売国奴の言うことやすることに疑問を持たず同調して一緒に売国しとることに気付かん人が多くて非常に哀れです。学歴信仰する人や拝金主義の人は特に、学校や教科書で覚えたことしか頭に無く、子供の時から勉強することしか知らんので他のことを知らんし世間知らずも多く、語彙力や表現力に乏しく、人の気持ちを理解でけへんし、貧しい人等の弱者の立場を理解せず(最近の自己責任論がそれを証明している)、周囲の人と違うことをする人を蔑み(まさに「出る杭は打たれる」状態の社会で、滅びる家畜街道から抜け出す正常者を迫害する社会の方が異常や)、高学歴や社会的地位を手に入れた男は大人になってハニトラなんかに引っ掛かったり、女は男に劣等感を抱いて神が定めた男を補助するという女としての務めを果たさず、女性の地位向上等と叫んで刃向かう愚か者が多いです。近年ではこれに輪を掛けて悪くなってLBGT等と性的倒錯も紛れ込んでいます。基本的な倫理や人としての思いやりや優しさが欠如し、神に従わずに抵抗し、サタンに操られており、自己愛が激しくなってます。いつも金銭のことや社会的地位や名誉、世間体のことばかり考え、財産を増やすことを思い巡らし、嘘をついてまで見栄を張り、日本らしさや日本文化を蔑ろにして西洋人に憧れて洋服を着て住居も和風ではなく洋風にし、食生活も洋風化し、あらゆる面で西洋文化に身を投じて西洋かぶれになり、損得勘定して人付き合いをしたりするようになります。そして、その結果主イエスの信仰を持てず、その上、神の律法を守ろうともせんと違反して罪を犯し続け、絶え間ない精神疲労や苦痛を負い、最後には滅びます。自業自得です。学校については別に慶應だけに限ったことではなく、すべての有名大学について言えることです。江戸時代までは誰も考えもしなかったのに、西洋の学制が日本にも明治政府によって導入され、次第に偏差値という等級付けをするようになり、競争社会を形成し、それに夢中にさせるあまり、十代という大事な時期に人として重要なことを見失わせるようにサタンは権力者を操ってこんな悪い社会を形成させました。子供の頃からそんなアホみたいなもんを絶対視し、人を判断する物差しにし、上に立った者は下に居る者を見下し、特権階級におる人は金持ちや家柄の故に優遇され、裏口入学や裏口卒業まで横行しており、そんなこともあるので学歴や社会的地位で人を差別するのが罪やと思わんのはほんまに間抜けです。日本だけやなしに、海外でも同じことが言えます。こちら(東洋経済)でも指摘されているとおり、「学歴は金で買える」状態は昔からはびこっており、米国でも有名人がこちら(日刊スポーツ)の一例のとおり、自分らの子供のために大金を遣ったり、経歴を詐称したりするのは日常茶飯事です。せやから、金持ちや有名人について、「あの人は◯◯大卒や」等と気にするだけアホらしいし、政治家や芸能人等も学歴詐称や裏口入学と卒業をしているので、真に受けるだけほんまにアホらしいのでやめましょう。たとえ正規入学と卒業をしたとしても何の価値もありません。学歴そのものに価値が無いさかい、この世の権威やら意図的に醸成された間違った価値観からはよ脱却せえと言いたいのです。西洋化する前の日本の歴史を学びなさい。明治維新で急に進化したんではなく、元々江戸時代まで日本が西洋よりも精神的な面では進んでおり、庶民の識字率は欧米とは比較にならん程高かったし、行儀も良かったし、治安も良かったんです。明治初期に日本を訪れた欧米人は皆そのことに驚いていました。中にはこのまま西洋化していくのは忍びないと漏らす人もいた程でした。日本は、古代イスラエルを継承した国であり、他の亜細亜諸国程に体たらくではなかったのが基礎としてあります。その基礎があっての明治維新と今があります。しかし、物理的な豊かさを求めるが故に西洋文化の虜になり、堕落し、精神的には非常に幼く、悪くもなりました。江戸時代以前の日本人の子供と現代の日本人の子供では比べようもない程です。昔は十代から結婚する位に精神的に成熟してました。時代劇からも分かるように、昔の武家の子供は十代半ばで既にハキハキと受け答え出来、自分の頭できちんと考え、信念を持ち、父母を敬い(父母も敬われる程の徳があることが前提)、国(今でいう都道府県単位)を愛し、将来自分が国を守るんだという気概に満ちていました。百姓もよそに移動せず、地元で地道に働いていました。ところが、現代では、自分の出身地を捨てて大した理由も無いのに東京等の都会に憧れて出て移住する日本人が激増し、地方は過疎化して土地や水源が支那に買収されたり外国人移住者が増えて乗っ取られつつあり、それを知っても素知らぬ顔で自分のしたいしょうもないことをするだけで、政治にも興味無し、経済にも興味無し、聖書にも興味無しでひたすら自分がしたいことを虚しく追い求めて死んで行く自己愛が強い愚か者ばっかでしょう。その結果、神に仕えず、神にとって何の役にも立たんと、何も生み出してへんし、政府や行政と一緒に売国を推進し、滅びるんやないか。中年や老年になっても精神的に成熟してへん子供みたいな大人が増えてるし、いくら年齢を重ねても子供のまんまの人が多数です。ほんまに惨めです。こちら(YouTube)のとおり、幕末や明治初期に日本人の姿や街の様子を撮られた写真を見ると、現代がいかに堕落したか、古き日本の気高い文化が失われているのかが分かります。高層建物なんてあらへんし(地震等による倒壊や火事の危険性を考えれば、ほんまに要らん)、全部の民家が木造二階建てまでで景観も見通しも良く、自然と共存していました。ところが、現代の日本は、江戸時代までのすべての日本の良さを失い、道は舗装されたアスファルトだらけ、特に都会を中心に電飾ばかりでがちゃがちゃしとって景観は台無しで風情の欠片も無く、農民人口が激減して要らん事務作業をおもにする会社員ばかり増やして生産性を著しく落とし、食料自給率は下がり、添加物等の毒まみれ、水道も塩素やフッ素を混ぜられて毒まみれ、病院や医師もアホみたいに利権絡みで患者から搾取するだけして飼い殺しにし、宗主国の英米から間接支配者として朝鮮人や支那人を日本の中枢機関に配置され、古代イスラエル人の末裔である純日本人が迫害されており、外国人から大いにいじめられています。それを神が許可なさってることも事実であり、何故かは過去に説明したとおりです。今の日本人は過半数は大陸や半島等から来た異邦人とその混血であり、一方でハプログループD系統の遺伝子を持つ一部の日本人は血統のイスラエル人であり、それでありながら出自を忘れて異邦の西洋かぶれし、神の律法を忘れ去り、主イエスの信仰を持たへんからです。異邦人である西洋人らは皆聖書をきちんと読んでへんし、律法も無視してるからキリスト者と自称していても信用に値しません。彼らの真似したらあきません。パウロもそう述べています。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 四章十七節〜二十四節(拙訳)
それ故、我は主にあって強く勧めます。今後は、他の異邦人たちのように歩んではなりません。彼らの判断力の腐敗によって、知性は暗くさせられ、彼らの中にある無知と彼らの心の頑なさの故に、神の命から閉め出されています。無感覚であり、好色の奴隷となり、貪欲にあらゆる如何わしい行いにのめり込みます。しかし、あんた方は、キリストをこのように学んだのではありません。もしあんた方がキリストを聞き、キリストにあって教えられたなら、真理がイエスの内にあるとおり、以前の行動のような欺きの情欲に従って堕落している古い人を脱ぎ捨て、霊であんた方の心を新たにされて、義と真の信心において創造された神に倣った新しい人を身に着けることです。

上記聖句の「他の異邦人たち」とあるのは、ハプログループD系統やE系統といった血統的な亜細亜系のイスラエル人を除く外国人すべてを指すのみならず、異邦人のキリスト者をも含むことは原語は示しています。キリストを信じると口先だけで言っておきながら、主イエスの御言葉に逆らってモーセの律法はすべて廃止されたと嘘を吹聴したり、日々洋服を着たりして西洋人がするような身なりや生活様式をする西洋かぶれである日本人や他の亜細亜人、そして西洋人もすべてパウロがここで述べている判断力や知性が腐敗した人であり、永遠の命から閉め出されている者たちということです。要するに、キリスト者と自称したかて、それは嘘やということで、身なりや行動から嘘やと分かるんです。拙者が散々「にわかキリスト者」として弾劾してきた者らのことです。そういう人らは心が頑なで自分たちが信じる偽りのキリスト像を妄想し、イエズス会がでっち上げた偽りの神学を盲信しとう愚か者です。カトリックやプロテスタントを問わず、世のキリスト教と区分されとる自称聖職者どもによる好色の奴隷になっているが故に起きている性的不品行の報道(修道女を性奴隷にしたり、子供に性的暴行を働いたり、信者と不倫したり等)も腐る程明らかになっており、今なおこの地のどこかでそういう忌まわしく如何わしい行為が行われとるでしょう。そんな人らもそんな自称聖職者に盲従する信者らも同じ穴の狢であり、キリスト者ではないんです。生温く間違った礼拝をする地上の諸教会から離れよ。偽りの神学に基づく偽りの教えをYouTube等で吹聴する者の言うことに耳を傾けるな。ただ聖書にのみ依拠し、正しい底本の聖書から学び、主イエスを模範とし、聖書の真理に基づいて信仰を行いで示しなさい。行いが伴わへん信仰なんて死んだものや(ヤコブ二章十七節、二十六節参照)。これから新世界秩序(NWO)の構築を目指す悪の権力者や彼らに扇動されて盲従する大衆のせいで益々世が悪くなり、真のキリスト者にとっては生きづらくなります。神の律法、掟、戒め、創造の秩序、集会の秩序等を守らず、生きづらさを感じんと日々のほほんと暮らし、自分や家族のことだけを心配し、主イエスや失われた羊を集めるために働かん人は、真のキリスト者ではありません。神の刻印を受けることを目指すなら、聖書を読み、きちんと全体を理解し、神の掟を守り、主イエスの信仰を持って忍耐する必要があります。たとえこの世での自分の命が無くなろうとも恐れず、それらを死守する者だけが神の刻印を受ける者です。それ以外は全員、神に逆らってこの世の支配者である悪魔に従った者として獣の刻印を受けることになります。そして、獣の刻印を受けた者は安らぎの時は無い地獄行きという永遠の破滅という刑罰を神から下されます(黙示録十四章十一節参照)。この世の権力者である悪魔も獣(人間)も偽預言者らも同じく地獄である火の池に投げ込まれます(黙示録二十章十節参照)。これは脅しではありません。聖書に書いてあることであり、真実です。
頑なに聖書を読まんと、頑なに主イエス・キリストを唯一の救い主として認めようとせん異教徒や不信仰の者らは論外です。そんな人らも自分らの行いの悪さに応じて死後に神に厳しく裁かれ、今まで自分らが自分勝手で偽りの正義に浸っていたことの報いを受けるでしょう。もう一度言います。聖書は日本人と大いに関係があります。西洋から持ち込まれたもんやありません。ツイッター、YouTube、他のブログで日本人が聖書と関係無いとか、聖書は権力者が書いた計画書だとか、このような類の嘘に騙されたらあかん。そして、主イエスの御言葉ですが、人に惑わされないように気を付けなさい。羊のようななりをしてるが、その内側は貪欲な狼です。日本を救う等と不信仰の愚か者が威勢良くネット上だけで吠えていますが、彼らには何も出来ません。今までも何もせず、これからも同じで何も出来ません。偽りの陰謀論を唱え、世に翻弄され続け、聖書と主イエスと真のキリスト者を憎み、日本人の味方ぶる、救世主ぶるような偽善者が多く居てます。しかし、彼らには日本は救えません。聖書にあるとおり、いずれこの世は滅びます。人手によらないことであり、それはキリストの再臨によってです。この世は初めがあり、終わりもあります。この世ではすべて始まったら必ず終わりがあるのが理です。人間、動物、植物等もすべて生まれては死んで行きます。この世に永遠はありません。永遠なのは次の世です。創造主である主イエス・キリストが統治する世であり、そこではもはや死は無く、悪もすべてこの世と共に滅び去るのでありません。このようなことを一体この世で誰が教えてくれようか。あんた方の周りに居てへんやろ。この世には惑わし、嘘をついたり、嘘を大真面目に信じている者ばっかです。聖書を知らんから、真理である主イエスを知らんからです。捏造された常識なんて無視、人間の虚しい教えや戒めも無視です。大人になって何をするか分からんからなんとなくの流れで大学進学したり、学歴や家柄や知名度、外見等だけで人を判断したり、金があれば何でも出来る等という虚しい考えを捨てよ。この世の常識は世から出たものであり、真理ではないし、神の律法や戒めでもないので、破ったかて罪にならへんのです。しかし、神の律法に違反すれば罪になります。罪とはそういう定義やからです。時代毎に生じては廃れる愚かな人間の言い伝えや常識なんていうゴミ情報に従わず、聖書の真理に従い、決して廃れない主イエスの御言葉に従いなさい。

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。


 

以上