こんにちは。

 

今回は、律法にある食物規定について述べる。

拙者は過去からずっと律法を守るようにと言い続けてきたが、それは主イエスを仲介者とする「新しい契約」の範囲内においてであり、古い契約に拘泥するのではない。過越祭の守り方の変更や(復活祭は、異教(カトリック等)の祭り)、石打ちの司法律法をやらずとも良い(この世で死刑にしないだけで罪を容認してるのではなく、悔い改めずに罪を犯し続けるなら地獄行きになる)等と主イエスがこの地に来はって以来、モーセの律法を全廃にすることはせえへんが、律法の守り方には一部変更があるんは揺るがぬ事実や。拙者は大分前からその事について言及してきた。それにも拘らず、世間には、この区別が全然出来ておらず、誤った解釈をしたり、聖書を曲解し、誤った事を頑なに信じたり、嘘を言い広めてる者が多い。もしモーセの律法をそのまま旧契約のとおりに守るべきと言う自称キリスト者が居るならイエス・キリストの教えに逆らっており、新しい契約を結んでへんと言え、その者はキリスト者ではない。偽使徒パウロの律法廃止論を信じて、モーセの律法を全部無視して守らへん者もキリスト者ではないし、十戒だけ守ればええと言うてる者どももキリスト者ではない。これらはすべて信仰の偽装者であり、彼らに騙されてはならん。

さて、食物について、最近は、世俗のカルト宗教信者だらけの連合国(UN)、世界経済討論会(WEF)等がこおろぎを含む昆虫食を意図的に推進し、欧州連合(EU)も世界経済討論会の工作員ばかりで構成され、昆虫食を認可し、日本政府や日本の大企業等も同じく世界経済討論会や連合国のSDGsというカルト宗教を信奉し、その反キリストの宗教的政策をごり押ししてる。


画像引用元: https://twitter.com/amiisinyourmind/status/1629070229816119296

現代日本人にはテレビ信者という偶像崇拝者が多いさかい、テレビやユーチューブで報道各社が、かように動画を出して宣伝してるのを見て、「こおろぎは食べても大丈夫なんだ」と誤解してる者が多いであろう。
立憲民主党の山田勝彦氏は、ころおぎ食についてアレルギー反応を起こしたり、カドミウム等の重金属類があることを述べ、たんぱく質として大豆の方がええと言う多数の国民の声を届け、「安全性への懸念があるにも拘らず、何故こおろぎ等の昆虫食に対し、日本では表示義務が無いのか。」と政府を追及した。


画像引用元: https://twitter.com/mi2_yes/status/1641313251194728448

しかし、政府の対応は以下のとおり。


画像引用元: https://twitter.com/moeruasia01/status/1641327308056276992

よりによって、担当は河野太郎氏や。前回記事「日本人の問題点 五」で書いたとおり、彼はイエズス会の意向に沿い、正当な根拠も理由も無いのに、高慢かつ横柄な態度で、まともな反対意見をすべて「陰謀論」と莫迦にして聞く耳を持たず、ひたすら日本国民にこおろぎを食わせて危害を加えようと必死で、かような悪事を働く。彼は、コロナという存在せえへん偽感染症騒動に乗じて有害ワクチンで日本国民を大量虐殺したり、傷害を負わせたりして、更にこおろぎ食を推進し、純日本人を減らし、移民に帰化させて「新しい日本人」に変えようとしてると自白し、個人番号券(マイナンバーカード)の推進で個人情報を支那等と外国に流出させ、日本を支那のような超監視管理社会の共産主義国家にするために多くの悪行をやってるやろ。日本国民よ、なんで凶悪な売国奴かつ犯罪者の彼を野放しにし続けるのか(河野氏だけやのうて、他の大臣や議員や官僚や都道府県知事や彼らと癒着してる大企業や報道各社等も同罪やが)。
そして、キリスト道でも書いたとおり、イタリアとハンガリーは、こおろぎ食について法律で規制し、消費者が誤って食べへんように対策を講じることを決定した。規制した理由は、こおろぎが食用に適さず、人体に有害であることが確認され、昆虫を食べたない人の権利を守るためや。かように、諸外国できちんと分かってる人たちの間でこおろぎの有害性は既に把握されてるし、過去の歴史上においても人類がこおろぎが食用として定着したことはない。日本でもいなごは食べてもこおろぎは食べへんかったんが史実であり、漢方でもこおろぎは毒と言われ、人間が摂取するものではない。モーセの律法でもいなごを食べることは許されてるが、その他の虫はあかんし、こおろぎもあかん。そして、こおろぎを食べる事に対し、「具体的な影響事例は未だ無い」と河野太郎氏は答弁したが、実際に健康に悪影響な事件が起こってるし、そもそも、有害事象が懸念されるのに事が起こるまで何もせえへんというのはおかしいやろ。



上図のとおり、太陽暦二千二十一年五月にこおろぎを食べたある若い女がアレルギー反応を起こした事例が発生した。今から二年程前や。公にされてへん悪影響の事例はおそらく他にもあろう。あれれー、河野さんよ、こおろぎを食べたことで健康に悪影響な事例は無いという嘘を言わんといてもらえますか。それなのに、こおろぎを使用してる旨の表示義務は要らないとよう言えるな。また、本件のみならず、コロナワクチンについても何も害は無い等と言うてたよな。こちら(YouTube)の太陽暦二千二十一年七月二日公開(六月二十四日収録)の動画で、あるユーチューブ投稿者が河野太郎氏と対面で話をし、河野氏は明確に「色んな国の様子を見てると、多分(コロナ)を発症しないとか、重症化しないだけじゃなくて、ワクチン打ったら、多分、感染しないってことも言える」、「アメリカで二億回位コロナウイルスのワクチンって打ってるんですけども、二億回打ってワクチンで死んでる人は一人も居ない。そんなに心配することではない。」と言うた。



おいおい、なんでこうも嘘ばっか言うのかね、河野太郎氏は…。実際は改善どころか悪化したし、日本は三年以上も違憲及び違法な規制をし続け、コロナという架空の偽感染症騒動を世界一長く引き摺り(太陽暦二千二十二年三月頃には欧州全域でコロナ規制を撤廃)、政府や報道機関等に騙されてワクチン接種した者たちが日々倒れ、救急車は多く走り回り、死者も多く出し、戦時中並みに人口が減ったのが事実やろが。ほんまに、厚労省や河野太郎氏や実際に国民に注射した医師どもは大犯罪者やのに、その責任を取らへんタチの悪い精神の持ち主やし、とんでもない嘘つきや。もし検察等が彼らと同じ無能の犯罪者でなければ、とっくにこないな売国奴犯罪者どもは収監されてるからな。与党だけやのうて野党も誰一人としてコロナが嘘と言わへんし、ワクチンにも反対せず止めようともしてへんし、犯罪であると追及もせえへんやろ。故に、彼らは皆お仲間同士で、反キリストであり、人類の敵であることが分かる。コロナ騒動が始まって三年も経ってようやく反ワクや反マスクを言い出すような御用学者や御用医師や弁護士等も国民の味方を偽装する敵やさかい、騙されるな。事が起こる前に必死にワクチン接種をやめるように言い、今も継続的に民を守ろうと警告し続けてる拙者とは天と地の差やと分かるやろ。それやのに、未だに多くの人間たちは凶悪な嘘つきや日和見主義者の世の権威者を信じ続け、拙者が言う事を聞こうとせえへん。その報いを受けてるんやと思い知ったやろ。「我等は神から出ています。神を知る人は我等に聞き従いますが、神から出てへん者は我等に聞き従いません。これによって、真理の霊と迷謬の霊とを知る。」(ヨハネ一 四章六節拙訳)と使徒ヨハネが言うたとおりで、聞き従わぬ者は世から出た人間であり、迷って誤った生き方しかでけへんのや。

上述のこおろぎ食に話を戻す。甲殻類のアレルギー持ちの人は、こおろぎを食べた結果、アレルギー反応を起こした事例や。それなのに、河野氏は販売する食品の表示にこおろぎに関する注意書きを書く必要が無いと言うた。おかしいですよね。明らかに故意にこおろぎ食の悪影響を隠し、市販の食品成分表に表示もさせず、こおろぎの有害性を隠して、日本人にこおろぎを無理やり食わせて健康被害を与えたいという悪意しか感じられまへん。陰謀を持ってるんは国民やのうて、政府やイエズス会といった権力者どもやろ。河野氏よ、嘘をつくな。ワクチンの件でも嘘ばかりつき、こおろぎについても息を吐くように嘘をつき、罪悪感は微塵も無い様子やな。日本政府は嘘つき犯罪者だらけで、日本国民も愚かで、フランス国民のように大規模の猛抗議をせず、WBCという野球の大会で優勝したら号外を求めてアホみたいに集まる現代日本人はほんまに恥ずかしい存在で、人としても国としても終わってる。

 



かように、こおろぎ食の推進もワクチンやマスク着用と同様に人に危害を加えるものであり、殺人罪及び傷害罪に関わる刑事事件として処罰すべきものやが、世俗の行政と司法が腐敗してるさかい、中々処罰されへん非常に凶悪な時代や。だからと言うて諦めて何もせえへんとか、黙るというのでは正しい人ではないさかい、拙者は声を上げ続ける。黙って何もせず、善良な市民ぶる多数の日本国民よ、あんたらも支配層と同じ位の悪人やということを覚えとき。「知らなかった」で済ませられる時代ではないからな。



今みたいにネットやスマホ等も無かった八十年前でさえ無知は許されへんのやから、無知は大罪やと言うてるんや。知らん奴は故意に調べようともせず、知ってる人から話を聞こうともせえへんし、知ろうとする事を怠ったり、現実逃避して真実を知る事を拒絶するというのが非常に罪深いからや。また、自分で情報を取りに行って行動せん人は無能の愚か者でしかあらへんからや。いつまでもテレビや新聞等の大手報道各社が出す虚偽情報を受け身で見て信じてるようでは情弱で騙され続け、滅びることになる。スマホという便利なネット接続機能を持つ端末を持ちながら、なんで自分で指一本動かすことなく、積極的に有益な情報収集せず、有能な人と繋がろうとせず、しょうもない事ばっかのために時間と労力を消費してるのかね。多くの日本人は有益な行動を殆どしておらず、しょうもない外国製の間諜アプリ(LINEやTikTok等)を使てしょうもない会話をしたり、しょうもない情報発信や閲覧をしたり、しょうもない虚偽情報を信じ、ユーチューブで娯楽動画等を見て時間の無駄遣いばっかしてるんやろ。また、自称キリスト者は、大して伝道もせず、聖書研究もせず、何の役にも立ってへんのに、その分際で「自分は有能で賢い」とか「救われて永遠の命を得るに値する」とでも思ってるのかね。大多数がこの勘違いを起こしており、自分が正しい病に罹ってる高慢な者や。こないな者たちも滅びる。

こおろぎ食に関連し、聖書についても少し話題になったさかい、説明しておこう。


画像引用元: https://twitter.com/Sleepy_Eutychus/status/1628757571543896065

上図のとおり、日本語訳聖書では新改訳のみが「こおろぎ」と訳しており、その他の翻訳ではこおろぎとは書かれてへん。そして、現在約八万九千人のフォロワーを持つ橋本琴絵氏は、あたかも新改訳二千十七のみがこおろぎに変更してるかのように思わせる虚偽情報を流し、かつ、聖書を宗教扱いしてることは非常に問題がある。聖書に無知な人は、こないな嘘を平気で言うたり、信じたりするから困る。

しかし、新改訳の翻訳者は何を考えて神に逆らい、神の律法を捻じ曲げ、千九百七十年からずっと古代ヘブライ語の原典には無いこおろぎなを加筆し続け、原典に忠実という嘘の宣伝文句を掲げて日本人を騙し続けてるのか。今はもう確認でけへんが、新改訳二千十七の発売当初、販売会社は「原点に忠実」等と大々的に特設サイトを作って宣伝してたんを覚えてる。そして、本自体にもその記載をしてる証拠はあり、以下のとおり。



虚偽宣伝は人間の法律にも引っ掛かる違法なものであるし、神の律法(レビ記十九章十一節)においても嘘をつく行為は罪に当たるし、黙示録二十一章八節では地獄行きの罪とされる程の重い罪や。聖書に携わる人たちがこんなんでは困るよ。せやから、世の諸教会や諸教派は全部あかんと拙者は言うてるんや。彼らも悪魔崇拝者の支配層側に与してる反キリストとしか言いようがないわな。

 

何遍も言うてるが、聖書を無視して世俗的に生きることこそカルト宗教信者の生き方や。世俗の政府や国際機関や報道各社等すべてがカルト宗教信者で構成され、その悪魔崇拝に基づくカルトの思想や信条が政治や悪法の成立や報道に関わってるんやから、それらを盲信して従う大多数の庶民も同じカルト宗教信者というんは論理的な帰結や。統一教会の自民党と創価学会の公明党が与党となって政権運営を長年してる日本政府に従うあんたらの多くも同じカルト宗教信者、またはその支持者ってことですよ。「悪法もまた法なり」という莫迦な言葉があるが嘘や。憲法九十八条一項により、日本国憲法に反する法律、命令、詔勅(天皇が発する公式文書)、国務に関する行為(条約締結、閣議決定等)等はすべて無効故、憲法に反する悪法や命令等に従う必要は一切無いし、そないな悪法を思いついたり可決するような悪人どもを非難せい。安倍内閣時に憲法九条に反して集団的自衛権を容認した等も違憲で、普通は即時、内閣総辞職ものの暴挙なのに、日本国民は大規模抗議によって彼らを猛烈に非難もせず放置したよな。

 



田中角栄氏は大正生まれで戦争を知ってる世代で、戦争の悲惨さと平和憲法のありがたみを理解してた故、米国からベトナム戦争への協力を要請されても憲法九条を理由にして自衛隊の派遣を拒否した。反対に、安倍晋三氏は戦後生まれで戦争の悲惨さを知らず、教養が無く憲法にも無知で無視して違反しまくり、欧米支配層の傀儡やった。最高法規である憲法が長年蔑ろにされ、その事に対して誰も非難もせず責任追及や処罰もせえへん日本は法治国家ではない。日本国民よ、この事を学んで、売国政府らに反対を堂々と表明し、従うんをやめよ。臆病で黙って、カルト政府に従う庶民も同じ罪を負うことになろう。

さて、市販の聖書について事実から言えることは、新日本聖書刊行会が出版しいのちのことば社が販売する新改訳は、千九百七十年から今に至るまで五十年以上も意図的に誤訳をし続けてる故、すべてその翻訳どおりの文言を信用することはでけへんということや。翻訳の文言をすべて信用するに値せえへんのは日本聖書協会が発行する物も同じであり、こおろぎについては間違えてへんものの、他の箇所では誤訳が多く、語句の欠落等も見受けられるからや。聖書の翻訳や出版をするにあたり、彼ら全員が底本の採用からして間違うてるという弾劾を過去記事「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 前編」で書いたとおりやさかい、忘れた人や知らん人は勉強しておくように。拙者は、翻訳の間違いや底本採用の間違いを指摘及び弾劾してるのであって、聖書そのものが信用に値せえへんと言うてるんやないからな。誤解せんといてや。
さて、その新改訳が勝手にこおろぎを付け加えた聖書の箇所について拙者が正しい原典から翻訳したのを見せよう。

旧約聖書 レビ記 十一章二十二節(拙訳)
これらのうち、ばったとその類、いなごとその類、シャルゴールとその類、ハガーブとその類は食べて良い。

一部の名称をヘブライ語のままにしてる箇所があるが、現代ではどの種か特定が困難であり、現代では絶滅して居らへん種の可能性もあり、かようになることをご容赦願いたい。もし種が特定出来れば、書き換えます。欽定訳聖書(KJV)ではbeetle(カブトムシ)と誤訳してる箇所があり、これも当てにしてはならん翻訳や。ばったといなごの違いは、相変異を起こすか否かで、相変異を起こすのがばったで、起こさへんのがいなごや。相変異とは、幼虫時に密集して育つと茶系に変色して遠くまで飛ぶように変異する現象をいう。蝗害は、まさしく相変異を起こしたばったの群れによるもので、出エジプト記十章にあるように農作物を猛烈に食い荒らし、その被害が甚大やと食糧危機を引き起こす要因になる。二十節では、群れて、羽があり、四本足で歩いたりするすべてのものは忌まわしいものとされ、二十一節で跳躍する足を持つものは食べても良いとされ、更に当該聖句で、その例外を規定し、ばったやいなごの四種類とそれらに類するものだけを食べて良いという限定列挙と解するのが相当である。その四種は、אַרְבֶּה(アルべー)、סָלְעָם(ソルアーム)、חַרְגֹּל(シャルゴール)、חָגָב(ハガーブ)である。これらのいずれの言葉もこおろぎを指すものは無い。シャルゴールを新改訳や一部の英訳聖書等ではこおろぎと誤訳してるが、有り得へん。人々にこおろぎを食わせようという翻訳者の悪しき意図がある誤訳と言える。
アルベーは、拙者はばったと訳した。レビ記十一章のみならず、出エジプト記十章で多用されてる単語であり、これは相変異したばったが植物を食い荒らす情景であり、大規模な蝗害を起こすことで有名なサバクトビバッタを指すとみられ、ばったと訳すのが妥当であろう。ここをいなごと口語訳や新共同訳や新改訳は訳してるが、間違いと言える。上述したとおり、いなごは相変異を起こさず、蝗害を起こすことはないからや。なお、トノサマバッタも蝗害を起こし得る種で、日本で蝗害が発生したことはあるが稀で、通常は孤独相で、群れることは殆ど無い。
ソルアームは、当該聖句のみの言及で他所に使用されてへん単語で、具体的にどの種なのかは不明。欽定訳聖書では「bald locust」と訳されるが、それも何を指すのか不明。baldは毛が無い、禿げたという意味やが、そもそもばった全般に毛が無いから、無意味な翻訳や。この語を拙者はいなごと訳した。
シャルゴールは、当該聖句のみの言及で他所に使用されてへん単語で、具体的にどの種なのかは不明。このヘブライ語に似たアラビア語ではばったの群れを意味するようで、このことからもこれをこおろぎと訳すのは有り得へん。群れの意味があるなら、この語の訳にいなごも不適切や。
ハガーブは、他に民数記十三章三十三節、歴代誌下七章十三節、コヘレトの言葉十二章五節、イザヤ書四十章二十二節にも書かれる言葉で、歴代誌下の使用例を見ると、蝗害を引き起こし得る種であることが分かるが、具体的な種は不明。これも群れることからいなごではない。
学術的な区分としては、バッタ目はバッタ亜目とキリギリス亜目に大別され、バッタ亜目にトノサマバッタ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、いなごがある。キリギリス亜目にキリギリス類、こおろぎ類、カマドウマ類がある。かように、ばった及びいなごと、ころおぎとはキリギリスと共に別種ということになる。
結論として、律法で食用として許容されてるのは、ばったといなごであり、こおろぎやキリギリス等は許容されてへん。

こおろぎは、ばったやいなごとは異なって雑食性であり、羽はあるが非常に短くて飛ぶことが出来ず、その短い羽を震わせてオスが音を出すのに使用するのみであり、足もばったやいなご程に発達しておらず、ばったよりも後ろ足が短くて同程度の跳躍は出来ず、基本的には地面を歩くことしかせえへん。こおろぎは動きが非常に遅いし、警戒心も無いのが多い。よって、簡単に捕えることが出来るし、子供でも手掴みで捕獲可能やが、人間が食べるものではない。こちら(YouTube)のようにヒキガエルの目の前にこおろぎを投入した動画があり、それを見てもこおろぎは捕食者の蛙をまったく警戒せず、ただ歩き回るだけで、蛙の近くに自ら近寄って行ったり、蛙の体に登りさえする有様や。こおろぎは、専ら歩くだけで跳躍することはほぼないし、ばったやいなごのように飛ぶこともでけへんのが実態や。こおろぎは、蛙(両生類)や爬虫類やかまきり等の肉食の虫や鳥によって捕食されるもので、人間の食べ物ではない。
また、こちら(National Geographic)にあるとおり、こおろぎにはハリガネムシといった寄生虫が居る可能性が有り、宿主を操り、入水させ、殺すことすらする。もっとも、ハリガネムシは他の虫にも寄生するし、こおろぎに限ったことではない。そして、寄生虫以外にこおろぎに含まれる菌については加熱すれば絶対に大丈夫ってもんやないで。
こちら(YouTube)で、ひろゆき氏が「虫って、野菜や果物を食う生き物なんだけど、昆虫食う前に、野菜と果物を食えば良いんじゃないの」、「なんでいちいち折角育てた植物を虫に食わせて、その虫を食おうとするの」、「牛は肉を食べたいから良いけど、昆虫食いたくないなら草(野菜)食えばいい。なんで食いたくもない虫をわざわざ(野菜等を犠牲にして)育てて食わなきゃいけないのがまったく分からない」、「タンパク質と言っても、それは(虫が食べる)草から生じてるし、きのこ類を育てる等して他にもタンパク質を得る手段はあるのに、何故か昆虫食って言いたがる。」、「大豆っていう野菜はタンパク質で、虫を食う必要は無い」、「虫食いたい奴って、虫を食うのが好きな奴か、事実を知らない頭の悪い奴のどっちか」等と、この件についてはまともな事を言うてる。これには同意出来る。連合国(UN)のSDGsというカルト宗教に乗っかり、政府や報道各社や大企業や有名人等が昆虫食を金銭のためにごり押ししてる奴ら全員、金の亡者で、人々の命や健康を考えへん極悪人どもや。それなのに、無知の愚民が政府や報道各社等を盲信して騙され、学校の給食にも出されて子供が被害に遭ってるのに猛抗議や訴訟もせずに黙って放置し、やめさせようとせえへんやろ。コロナという嘘に騙された人は、昆虫食でも騙される。コロナで騙した人は昆虫食でも騙すんや。もうええ加減に懲りて、世界経済討論会(WEF)や連合国(UN)といった悪魔崇拝者だらけの国際機関や政府や有名人等を信用して従うんをやめ、むしろ彼らを非難し、追及しろよ。「自分はこおろぎを食べへんから関係無い」等と思て、他人事に思うなよ。正義感も隣人愛も無い自己中心的な人は滅びる。拙者は昆虫食についても隣人愛から食べへんように止めてるんや。それを理解せい。
また、黒こおろぎを飼育した人の動画(YouTube)があり、夜に鳴いてめっちゃ音がうるさい(防音対策されてる家でもうるさく、防音対策が無い普通の住宅で飼おうものなら近所迷惑で苦情が来るだろう)、毎日掃除しないと臭う、こおろぎ同士が共食いする(仲間意識が感じられない)といった問題を挙げてた。それ以外にも、こおろぎの飼育には温度管理が必要で、摂氏二十五度から三十度を保たねばならない。夏の間は大丈夫やが、春と秋の涼しい季節や寒い冬にはわざわざ暖房が必要になり、電気代が高い最近は特に負担でしかなく、これのどこが持続可能で環境に優しいのか。嘘つけって感じやろ。こちら(topview.jp)やこちら(はてなブログ)を見れば、こおろぎ食推進の陰に悪しき意図があるんが分かるであろう。また、牛、鶏、豚といったこれまで普通に畜産業としてやって来て問題が無いのに、最近になって急に日本や海外でも不自然な程に多い火災事件(人為的な放火であろう)が牛舎、養豚場、養鶏場で多発し、家畜たちが無惨にも焼き殺され、鳥インフルエンザといった存在せえへん偽感染症をでっち上げて騒ぎ、有害なワクチンを打たれて鶏が病気になったり死に、火災でも鶏たちが大量虐殺されてる。こちら(あなたの身体は食べ物で創られている アメブロ)にもその事について触れられてる。やたら鶏が狙われて放火やワクチン接種によって殺され、鶏が激減すれば卵も激減し、卵の出荷量が激減して品薄になり、価格高騰してるやろ。その理由は、こちら(ツイッター)のように、有害な添加物だらけの偽物の人工卵を普及させ、国民に食わせたいから。天然の動物性たんぱく質の卵は栄養価に優れ、健康に欠かせへんし、卵の黄身がコロワク接種者からの伝播によるスパイクタンパク質汚染から身を守ることも分かっており、それ故に天然の卵を我等から取り上げ、庶民は有害な偽物の卵でも食って、病気になって死ねっていうのが支配層や政府の狙い。こちら(ツイッター)のとおり、ビル・ゲイツは偽肉のみならず、偽物の人工卵産業にも投資してる。

 

 

こうして国民が不健康になり、医療業界や保険業界(金融)等が儲かる仕組み。つまり、医療業界を牛耳るロックフェラーや金融業界を牛耳るロスチャイルド、投資したビル・ゲイツの金儲けに繋がるってことや。最悪、癌等で国民が死ねば、人口削減も出来るしで、支配層にとっては一石二鳥なんでしょう…。日本は、欧米よりも食品成分表示はかなり甘いし、誤魔化されてる実態がある。例えば、こちら(ツイッター)のように、米国で日本製の商品は、有害成分(ヒ素等)があり、発がん性ありと明記されてます。海外は成分表示に厳しく、誤魔化せへんからや。日本では一切こないな正直な表記をせず、隠されてる。こないに悪いもんは日本では隠されて平気で売られてるし、上述したとおり河野太郎氏はこおろぎが含まれても成分表示に明記する義務は無いとして注意書きするのも拒み、日本で流通する食品がすべて律法で許容されてるかどうか見分けるのは至難の業と言える。店で鶏肉や牛肉を買うとしても、それがどないな方法で屠殺されたか不明やろ。締め殺された肉かそうでないか分からへんやろ。野菜や果物等も品種改良と称して遺伝子組み換えは行われ、最近ではmRNAワクチン成分を入れる等といった話も出てきてる。菜食主義に走ったとて健康は担保されず、食への拘りや思い煩いは無駄であり、完全に害のある物を避けることは困難を極める。それにも拘らず、未だに古い食物規定に固執し、守らんと救われへんと信じ、また食物規定を守らん人は偽り者等と陰で中傷する者は非常に愚かであると分からんかね。

なお、聖書で豚や甲殻類といった規定外の生物を食べることは旧契約では禁止されてたが、養豚場も攻撃されてるところから見ても、豚肉は食べても問題無いと言えよう。昔は、人間が豚に人糞を食わせてた時代もあり(豚が雑食性なのをいいことに良質な野菜等の餌を与えるのを渋って人間が食べへんようなもんを食わせた人間のせいであり、劣悪な飼育環境で育った家畜は如何なる種であれ忌避すべきだろう)、昔は衛生面で問題があったが、現代ではそないな飼育方法はされてへん故に憂慮する必要も無いことである。結局は、きちんと管理をしてへん人間が悪いのであり、動物に責任転嫁するんが間違うてる。家畜の管理責任は人間にあるからや。勘違いせんといて欲しいんは、拙者は豚肉等といった律法で禁じられた物を食べるようにと積極的な推奨をしてる訳ではなく、食べた所でそれ程重大な問題にならんと言うてる点です。食べたないなら食べへんで結構やし、それは悪い事ではない。誰も強要せえへんし、禁じてるのでもない。誰でも飲食物の好き嫌いはあるんは当然やし、嫌いなもんを食べるように言うてるんやない。
なお、イエス・キリストによる新契約を結ぶと、旧契約に縛られることはなく(但し、モーセの律法が全部廃止されて、まったく守る必要が無いという意味ではないし、十戒に限定もされへん)、もし今でも豚肉を食べることが罪になるならば、反キリストの連中は養豚場を攻撃せず、こおろぎ等と同様に猛烈に推奨する筈やからや。反キリストの支配層ですら、豚肉なんて別にどうでも良いし、人体に目立った害を及ぼさへんと知ってるのに、律法主義者たちは知らぬままやし、無駄な拘りを持ち続ける一方、肝心な品性や性格が悪いままで本末転倒や。聖書については詳しく後述する。
こないな事をすべて分かった上で、今までどおりにせず、わざと火災を起こして家畜(牛、鶏、豚)を故意に大量虐殺し、米や野菜や卵等を減らして食糧危機を演出し、環境にも人体にも優しくないこおろぎを中心とする昆虫食をごり押す連合国(UN)や政府や報道各社や大企業らといった偽善者どもは万死に値する。彼らに反対もせずに盲従する庶民も同罪や。支配層の目的は、偽感染症騒動をでっち上げてその違憲及び違法、かつ、人道に反する対策(マスク着用やワクチン接種等)を強要することで大量人口削減し、ワクチンを打たへん人をも病気にさせて削減し、残った人間を徹底的に監視管理すること。また、ワクチン接種やその他の手段で遺伝子組み換えをして本来の人間離れさせて超人間(トランスヒューマン)化させたり、飲食物やケムトレイル等によって酸化グラフェンを体内に取り込ませて人体をネットに接続して外部から操れるようにする事を忘れるな。拙者は散々その事を警告してきたやろ。こおろぎや遺伝子組み換え米や野菜、人工肉や人工卵等といった体に良くないもんを庶民に食わせるんは、それらが目的である。
また、キリスト道でも言うてるとおり、こおろぎの中には耐熱の寄生虫も居り、加熱処理によっても死なへん菌があることも有り得ることから、そないなもんを食べたら、人体に有害であろう。また、こおろぎに含まれるグラフェンを摂取することで酸化グラフェンとなり、人体が帯電し、5G等の電磁波によって外部から操られ易くなるということである。こちら(Tanto Tempo はてなブログ)のとおり、世界経済討論会(WEF)の相談役で、同性愛者のハラリが、「人間は乗っ取って操ることが出来る動物で、自由意志は終わった」、「新型コロナウイルス危機は、後世皮下ですべてが監視されるようになった瞬間として記憶されるだろう」と堂々と人間を動物扱いし、監視管理の対象、及び操る対象にしたと、非人道的な事を偉そうに罪の意識も無く言うてることからも分かるやろ。支配層が人々にワクチンを接種させたり、こおろぎを食わせたいほんまの理由は、超人間化という人間離れさせ、外部から操られる媒体になり、自由意志で神を求めて従うことをやめさせ、支配層の家畜奴隷にさせ、悪魔と共に地獄行きの道連れにすることである。豚肉や甲殻類等はごり押しされへんのに、こおろぎがやたら推進されるんは、律法の食物規定から外れてる事実が最重要なのではなく、人を操って滅ぼすという彼らの悪しき狙いや。一部の医師や一般人らが、ワクチン接種しても解毒すれば良い等と言うてるけど、それは嘘であり、不可や。症状を緩和してる(対症療法)に過ぎず、根本的解決はでけへんからや。解毒出来るからワクチン接種しても大丈夫と遠回しに言うてるに等しく、そないな偽善者にも騙されるな。また、こちら(togetter)でも言われてるとおり、通信会社であるNTTが何故こおろぎの養殖に関与するのか等と不審がり、IoB(Internet of Body、人体をネットに接続)の促進という、悪しき狙いに気付いた人は増えてきてる。せやから、こおろぎは人間が食べるべきではない理由はこれらようけあるし、裏付けの一つとして、聖書で許可される食べ物にもこおろぎは含まれてへんという事実がよう分かったやろ。

さて、食物の話に戻す。聖書の律法には、食物規定があり、それを今でも守る必要があるのかについては考えが異なる現状がある。一致せえへん以上、どちらかが正しく、どちらかが偽りということになる。偽使徒パウロが唱えた律法廃止論を信じてる者や不信仰の者といった気にもしてへんような人は論外。一部の自称キリスト者の間で、未だに古い契約に従い、食物規定を厳格に守るべきだと言うてるファリサイ派が居る。その者らは、自分が正しい病に罹っており、高慢であり、反キリストである。こちら(主イエス・キリスト再臨 悔い改めの時 アメブロ)でまるさんに追及されてる女は、陰でこそこそと工作活動を働き、根拠も示せず在りもせえへん「原典」がどうのという嘘を言い(原典の詳細は後述する)、マルコ七章の主イエスのご説明を理解せず、食物規定が未だ有効と言い、またそれに同意しない人を見下し、気の弱い一部の人たちを惑わすことに成功して自分が正しいと思い込んでる高慢で品性に問題があるさかい、この者を弾劾する。彼女のように高慢で他人の諭しを聞き入れず、説明要求してもまともに答えず、根拠を提示するように求めると逃亡し、根拠も無い嘘を正しいと盲信し切って、自分は律法を守ってるから救われるんだと高ぶり(律法主義者の特徴)、他者を陰で中傷したり見下したりしてる者は、まさしく主イエスの教えに反し、品性や性格に問題があって内面が汚れてる反キリストや。最近、そないな工作員たちが密かに暗躍し、他の人も巻き込んで道を逸らさせてる事実を知ってるさかい、これ以上被害者を増やさんためにも警告しておく。彼女のように、ブログの過去記事を全削除し、ツイッター口座も削除して逃亡し、それまでの数年間の活動を自分たち自身で否定し、掌返しで拙者を陰で悪く言うて徒党を組んで外部からの連絡手段を断ってカルト化してる自称キリスト者たちが居り、こないな裏切り者になったらあかん。本人たちは理解してへんやろけど、そないな者にはイスカリオテのユダのような惨めな末路しかあらへん。
以下、律法の食物規定を守るべきかについて論ずるとともに、彼女が道を逸れる原因になったと思われる他の自称キリスト者が言うてる嘘を弾劾する。その言い分が酷似してるからや。

こちら(主イエスの食物規定 現代の預言 エリエナイ)に食物規定を擁護する記事があり、道を逸れた者たちはこういった偽りの情報に惑わされたと考えられる。

 

「こうして、すべての食べ物は清められる。」という主イエスの言葉は、「こうして、イエスはすべての食物を食べることを許した」という意味ではなく、「こうして、イエスはすべての食物をきよめた」という意味であり、イエスが問題にしたのは律法の食物規定ではなくてファリサイ派が独自に解釈を広げた汚れた食物に対する厳格な規定に対してだったのである。イエスはここで、律法で神が禁じている食物を食べることを正当化しているのではなく、律法と縁もゆかりもない彼らの「言い伝え」=「手を洗わないでパンを食べること」を許しているのである。

 

全体的に要領を得ない駄文であり、色々と論点をすり替えており、支離滅裂。「イエスはすべての食物をきよめた」というのも決定的に間違えており、嘘である。この人は市販の日本語訳聖書を信用し切っており、原文を知らんことを曝け出してる。なぜなら、ギリシア語原文にはそう書かれてへんし、主イエスは「我がすべての食べ物を清めた」なんて言うてへんさかい。上述した、マルコ七章十九節のギリシア語原文の「καθαρίζον πάντα τὰ βρώματα」は、清めるに当たる動詞は現在分詞であり、行為主体が主イエスではない。なぜなら、中性の単数の現在分詞やからや。もし主イエスが行為主体ならば、主イエス御自身の発言故、一人称単数男性になる筈であるが、そうではないことから、主イエスが食べ物を清める行為主体ではない。この行為主体は、十八節の「πᾶς(すべて)」であり、口に入る物すべて(食べ物)を指し、十九節の「βρῶμα(食べ物)」という単語も中性名詞や。人間各自の体内に入るすべての食べ物が清められ、厠に排出されることを主イエスは言わはった。不浄な食べ物であったとしても、体内に入れば(肝臓等の臓器による解毒作用があって)清められ、最後には体外に出るし、食べ物は心に入り込まず、その人の内面(性格や品性等)に何ら悪影響を及ぼさへんことを主イエスは説明しはった。もし律法で許容されてる食べ物のみを食べるなら、清める対象にならへんからや。手洗いをせずに食べてもそれは汚れることはないことはマタイ十五章二十節で明記されており、マルコ七章十五節の御言葉で回答が完結しており、それ以降はもはや手洗いの事とは関係無い話に移ってる。結局、主イエスの食物規定の緩和は創世記のノアの契約時に回帰したことを示してる。この事が分からぬ者は、国語力及び読解力が無い反キリストである。
マルコ七章十六節の「聞く耳のある者は聞きなはれ」の欠落について言及されており、この話は「例え」やが、彼の認識は誤ってるし、何も理解出来てへん。使徒言行録十章で汚れた生き物が出てくるが、これは文脈を見れば明らかで、「汚れた生き物=異邦人」という例えや。故に、主イエスは食べ物如きが人を汚し得ないと全否定しはったんや。エリエナイ氏も彼の言う事を信じる者たちもこの事と律法の食物規定が人の例えである事実をまったく理解してへん。ペトロはガリラヤ育ちのユダヤ人であり、主イエスの公生涯での宣教がある前まではユダヤ教徒たちの教えに従い、律法の食物規定を守り、それ故に屠って食べろと神から言われても食べたことがない物を食べようとせずに拒絶した。そして、食べ物ばかりやのうて、異邦人と交際することもなかった。ヨハネによる福音書四章九節にもあるとおり、当時サマリア人は異教徒扱いされており(アッシリア侵攻によって北イスラエル王国が滅んで以来、その首都サマリアに居る人たちは異教徒アッシリア人と混血したり異教文化の悪影響を受け、ユダ王国のユダヤ人から信仰から外れた者と看做されたという背景)、ユダヤ人は異教徒や異邦人と交際せんかったからや。ペトロは、幻で異邦人というだけで拒絶するなと神からお叱りを受け、使徒言行録十章二十八節でもユダヤ人は異邦人と交際を禁じられてると言うた。人間の交際は食事と強く関係するやろ。あんたらも異性と交際を始めるきっかけや友人関係を深めるときも、大体食事である筈や。「一緒に食事でもどうですか」等と誘うやろ。食事の席で歓談して交流するものや。食事を共にせえへん人と深い関係になることはほぼ無いやろし、仲が良くない人と一緒に食事せえへんやろ。つまり、食事と人間関係は切っても切れへん関係にある。せやから、食物規定や交際に関する決まりはイスラエル人と異邦人(異教徒)とを分け隔てるための掟と言え、旧契約下ではそれを神がイスラエル人に教えるために作った掟である。しかし、福音書から明らかなとおり、主イエスは福音が全世界、すべての人に知れ渡ることを望んではるさかい、それらを緩和しはったんや。それを緩和せんことにはユダヤ人である十二使徒やユダヤ人キリスト者たちが異邦人と食事を共にすることが出来ず、伝道にも支障が出るためや。ペトロは異邦人だからというだけで清くないとか、汚れてると言うたらあかんと主から示されたと学び、コルネリウスという異邦人とも接触するようになった。ペトロが汚れた生き物を食べへんかった理由は長い間(おそらく三十年以上)ユダヤ教の文化と習慣で生きてきて、豚肉や甲殻類等を食べへんかったから、許容されたとて自ら進んで食べる気も無かったからや。ペトロは主イエスから使徒に取り立てられる前から既婚者であり、他の使徒たちよりも年上であったことが推測出来、それなりの年齢までずっと律法で許容されへんかった物を食べずに生きてきて、それを主イエスの御言葉によって問題無いとされたからとて、急に食べるようになることは無く、今まで食べへんかったからこれからも食べへんっていうことになってもおかしない。食べなあかん義務なんか無いし、何を食べるかは個人の自由やさかい。また、ペトロは異邦人との交流も長年やらへんかったから自分から中々やろうとせず、神が業を煮やし、あの幻を見せて異邦人と食事を共にして伝道するようにと導きはったということや。よって、使徒言行録十章のくだりが、使徒ペトロが食物規定を厳格に守ったという根拠にはならへん。そして、律法の食物規定で汚れたとされるものは異邦人の例えなのであり、文字どおりの食べ物が主イエスの意図するもんではないんや。霊的な意味とはそういうことである。
あの記事の筆者は何も分かっておらず、全体的に支離滅裂で、結論をはっきり言わず、何が言いたいのか曖昧で全体的に駄文と評価せざるを得ない。彼の他の記事も同じようもので、根拠を示さぬのに聖書に無い内容についての断言が多く、その根拠を調べても見当たらず、嘘ばかりと判断し、彼の記事なんか見ても勉強になる箇所は無い故、読む価値が無いのに、こんなものを信用して道を逸れるとは甚だ愚かと言える。
主イエスは、「すべて外から人の中に入るものは、人を汚すことがでけへんことをあんた方は理解してへん。」(マルコ七章十八節拙訳)と言わはり、「すべて」とあることから、不浄な食物も当然含まれ、汚れた食べ物が体内に入ったからというて、その人が汚れることにはならず、ほんまに罪で汚れるのは人の中から出る悪い思いや性質であると明言されてる。それなのに、「食事前に手を洗わないと駄目だ」、「食物規定がー」等と表面的のみに強い拘りを持ち、性格や品性といった内面の改善をせんようでは全然話にならんことを主イエスは教えはった。日本人は、食事前に手を洗う習慣は未だに残ってる。外食にしてもおしぼり等と手を清めさせる習慣があるのは日本だけや。外国ではおしぼりは無いし、ちり紙すら机上に置かれてへん。飲食物が著しく不健康とか毒がある等と知ってるのは各自の判断で避ければええことで、食べ物如きで不浄な人間になることはないと主イエスの教えから認識しておくべきや。豚肉や甲殻類を日本人も食べて歴史が長いが、それらによって健康被害が発生したという知らせは聞いたことがない。アレルギーは当然問題としてあるけども、それは律法で禁止されたものに特有の問題やないし、個人差もあるし、すべての人に当てはまるのではない。アレルギーは人によって大きな差があり、落花生、蕎麦、卵、小麦、牛乳、その他の多くの食物にもあるもので、律法で不浄とされてる生き物だけにある問題ではない。よって、食物規定を熱心に守ったところで、ヘブライ十三章九節でも言われてるとおり、食物によって生きる者が得る益は無い。それは主イエスの教えに則るものや。

また、海外在住のTovという女が以下のようなブログを書いてる。この名は、Emanuel Tovというオランダ人の聖書原典批判学者の信奉者であるが故に、彼から取ってるのではないかと推察される。
さて、彼女の「最大限に誤解している使徒10章 神の教えのどの部分も永遠に有効変化無し」(アメブロ)という題目で、太陽暦二千二十一年六月二十五日(金)の記事について弾劾しよう。



まず、片仮名英語を乱発する言葉遣いの悪さと西洋かぶれを直せ。海外在住というんは理由にも言い訳にもならんし、洋服を着ること(これは律法違犯)の悪さについても同じ。日本語の教養、日本人としての矜持が無いことの表れであり、日本人として非常に恥ずかしいからや。もっとも、この問題は彼女だけに限らず、現代日本人の九割以上に当てはまり、悔い改めなあかん点やけどね。
そして、彼女が言う、マルコ七章の括弧の文章がギリシア語の原文には無いというのが決定的な嘘である。以下、拙者がマルコ七章を訳したさかい、掲載しよう。

新約聖書 マルコによる福音書 七章十四節〜二十三節(拙訳)
それから、イエスは群衆全員を呼びはって、彼らに言わはった。「皆、我が言う事を聞いて理解しなはれ。外から人の中に入って人を汚すことが出来るものは何も無いが、人の中から出て来るもの、それらは人を汚す。聞く耳を持つなら、聞きなはれ。」そして、イエスが群衆から離れて家に入りはった時、弟子たちはその例えについて尋ねた。そして、イエスは彼らに答えはる。「それではあんた方も愚かや。すべて外から人の中に入るものは、人を汚すことがでけへんことをあんた方は理解してへん。なぜなら、人の心の中にではなく、腹の中に入り、すべての食べ物を清めて、厠に出されるからや。」更に、彼は言わはった。「人の中から出て来るもの、これが人を汚す。内側から、人間の心の中から悪い考えが出る。姦通、婚外性交、殺人、盗み、貪欲、悪意、欺き、淫らさ、嫉妬、中傷、高慢、愚かさ。これらすべて悪い事が内側から出て、人を汚す。」

この主イエスの教えのとおり、「外から人の中に入って人を汚すことが出来るものは何も無い」んやから、不浄な食べ物で汚されるなんてことは有り得へんと誰でもすぐに分かるのに、いちゃもんをつけるのは愚か者としか言いようがない。そして、受け入れられた原典(TR底本)のマルコ七章十九節には「καθαρίζον πάντα τὰ βρώματα」(欽定訳聖書ではpurging all meatsと訳され、拙者が「すべての食べ物を清めて」と訳した箇所)という言葉があり、原典に存在せえへんというのは事実無根の嘘であるのは明白や。なお、改訂版(RV底本)でも同じ言葉が存在しており、英訳といった他の言語に翻訳される時にその翻訳者が勝手に括弧書きにしただけで、受け入れられた原典に同じ言葉があることから、市販の翻訳された聖書が誤訳をしてるとしても、原典にその言葉が不存在なのではないから彼女の主張は嘘や。改訂版を底本とするものは原語と掛け離れた誤訳がなされ、新改訳も括弧書きをしてるが、その翻訳された市販聖書がギリシア語原文に忠実やないだけで、原典に言葉そのものが無いというのは嘘や。偽りの底本である改訂版にさえ、「すべての食べ物を清めて」に当たるギリシア語の記載があり、この女の主張は、事実に反する嘘や。他に別の原典があるのなら証拠を示せばええのに、絶対に示そうとせえへんことから、そないな物は存在せず、嘘である。この人は原文すら読んでへんことは先述の指摘から明らかであり、手洗いは儀式でも何でもないし、そないな律法に無い先祖の言い伝えなんか守らんでも律法違犯の罪にならず、外から人の中に入るもので人を汚す物は何一つ無いというマルコ七章十五節で回答が終わっており、十九節の厠に排出されるくだりは文脈的に関係が無い。口から腹に入って厠に排出されるというのは明らかに食べ物自体の事を言うてるのであり、手を洗うかとか身を清める等とは関係無い。ギリシア語原文でも「すべての食べ物」という書き方であり、食べ物というギリシア語単語の定義を確認しても律法で許容されへん食べ物を含んだ食物全般を指し、彼女が強弁するような律法で許容された食べ物と限定されてるのではないし、限定されるなら「すべて」という包括的な形容詞を使えへん。律法で許容されてへん物はそもそも食べ物に含まれてへんという強弁もするであろうが、それも誤りである。なぜなら、食物規定こそモーセの時に出来たに過ぎず、モーセ以前の太古の神の御言葉と同じではあらへんからや。この人を含め、食物規定に無意味な拘りを持つ者どもは創世記を読んだことがないらしい。創世記九章三節に「動く物すべて食べ物になる」と書かれ、四節で血を除くと但書があるのみで、モーセの律法にある汚れた動物のことは一切触れられてへん。なぜなら、ノアの時代は未だイスラエル人という選民の概念が存在せず、異邦人と分け隔てる必要性も無かったからや。モーセの律法内のレビ記二十章二十四節〜二十五節にイスラエルの民とそれ以外の諸国民(異邦人)とを区別するから清い動物と汚れた動物とを区別せないかんと食物規定の理由及び趣旨が書かれてる。
よって、食物規定はノアとの契約で存在せんかったことから、永遠不変の掟ではないし、神の民とそうでない世から出た人間との区別の象徴的な意味であることは明白である。
使徒言行録十章の使徒ペトロが見た幻も汚れた動物が異邦人を意味してたこととも繋がる。マルコ七章十七節にあるように、これは例えなんや。要するに、食べ物自体が重要ではないし、そないな事について主イエスは教えたんやないということや。また、マルコ七章十九節の説明は、食べ物の体内の処理過程の話であり、手洗い云々の事やのうて、体内で浄化されるんはどう考えても少し害があるとみられる食べ物や不浄とされる物が対象なのは明らかや。そもそも、律法で手を洗わずに食事をすると罪で汚れるなんていう掟なんか存在せえへん事を律法の制定者であり神であらはる主イエスは当然知ってはるし、マタイ十五章二十節でもそう言わはった。律法で許されてる清い物だけを食べてるのであれば、そもそも汚れる云々の問題が生じず、原文にあるような「清める」という言葉遣いは有り得へんし、わざわざ体内で清められるって言う必要性が無いからや。
たとえ、十九節に「すべての食べ物を清めて」という箇所が無かったとしても、食べ物なんか所詮口から腹に入って排泄されるだけなんやから、食べ物といった外部から体内に入る物が人を汚し得ないということが分からんのは主イエスも叱責しはったとおり愚かと言わざるを得ない。そもそも、儀式っていうのは何処から来たのか。そないな単語は出てけえへん。読解力無さ過ぎやろ、このTovという女も、この支離滅裂な意見に同調してる他の人たちも。「文脈が大事」とか文脈を読めてへん人が言うな、って毎回思うよ。当該記事の著者は女で、女なのにこないな「教える」行為を長年やってる。これこそ創造の秩序に反するし、もし本人が洋服を着たりして他の律法違犯をやめへんのに、不必要になった食物規定だけを頑なに擁護しまくるようではとんだお笑い者である。他にも、食物規定に関して偽りを吹聴し、拙者を陰で貶めてる女も同罪であるし、そないな女に従う男どもも罪深い。

また、記事「イエシュアが罪を犯す事は神の言葉に基づきあり得ない 神が伝える聖別」(太陽暦二千二十三年三月七日(火))では、以下のようなことが書かれてる。

 


この記事では、主イエスを「ジーザス」と片仮名英語で呼ぶ始末。西洋かぶれが酷い。この人は、イエス、イエシュア、ジーザスと色々と呼び名を気分で変えてるんですかね。こないな点から安定を欠き、軽薄な印象を与え、信用が薄い。そして、異邦人キリスト者のみやのうて、古代イスラエル人の末裔である日本人キリスト者もこれを否定してる事実があり、意味の無い主張。拙者は、レビ記や申命記等の律法を全否定したことはない。勝手に拡大解釈するな。西洋人らをはじめとするパウロ教徒らはパウロの偽教義を信じて律法を完全無効として無視して違犯してるのと一緒にするな。また、参考にもならん英語訳聖書の事例を並び立てて批判してるが、無価値。

 


上述で創世記でのノアとの契約の話を述べたとおり、神は契約を変える時、決まりも変えてます。大筋では変更はそないに大きなものやないが、一字一句同じであるということもない。よって、この女の主張は誤りや。拙者は何も足したり、引いたりもせず、聖書と主イエスの教えに則って言うてるだけで、この女こそが曲解して勝手な人造神学を言うて、律法擁護をする振りをする偽善者であることに気付いてへん痛い人。

 

 

聖書の記述を理由無く疑う旨を書いており、問題や。構文文法も問題は無い。西洋言語では分詞構文を後置させることはよくあることで、これもその一用例でしかない。それなのに、彼女は、具体的に何が問題なのか指摘もでけへんくせに自分勝手の妄想を平気で言うてる。「それはあなたの感想ですよね」って誰かさんにも言われますよ。上述したとおり、ギリシア語原文に存在する故、この箇所を翻訳者が挿入したとか編集したという彼女の主張は事実無根の嘘や。原文のギリシア語には細工が無いことを拙者が上述で説明済みで、この主張も客観的根拠が無い嘘。編集したもの、挿入されたものと言うのなら、その証拠を出しなはれ。証拠も示さんと、偽り者どもは平気で嘘を言い、愚か者はそないな強気なはったりに騙される。かように、悪い者同士、互いに騙し騙されるんや。
また、異教徒が触れるとか、異教徒の市場なんていう言及はマルコ七章でなされておらず、これも嘘の説明(そもそも、説明にもなってない)。仮にマルコ七章十九節に「すべての食べ物を清めて」という箇所が無かったとしても、口から入り、心に入らず、腹に入って厠に出されるという説明があり、これは口から入って腹を通り、最後に排泄されるという流れは、どう考えても食べ物の体内の処理過程を指し、手洗い云々は関係無い。そして、その流れから、すべて外から入るもので人の性格や品性に悪影響を与える事は有り得ず、汚すことはないという前の十八節にも係り、論理的な説明であり、十九節と矛盾が無く、主イエスのご説明は明快や。しかし、この女が言うことは駄文でしかあらへん。自分が正しい病に罹ってる高慢な者であることを自白してるようなもん。主イエスは律法を廃止せえへんと確かに言わはったが、彼女が見落としてるんは、「契約の変更、更新」の点、何もかもが旧契約と同じではないという点や。拙者も何遍も言うてきた「新しい契約」のことであり、エレミヤ書にもそのことが書かれてるとおりや。上述したとおり、食物規定については、新契約ではイスラエル人と異邦人とを分け隔てる役目を終え、異邦人にも福音を伝える機会を与えるため、ノアの契約時に戻ったと言え、血を摂取するんを避ければ良いのである。その点は不変やからや。

実際、主イエスは十字架の死を以て、また、公生涯においても幾らか律法について変更を加えはった(モーセの律法の全廃は有り得へん)。安息日の守り方も地味に変わった。旧契約下においては如何なる仕事や作業等が禁じられた。安息日に薪を集めただけで死刑になった事例があった(民数記十五章三十二節〜三十六節)。せやから、ユダヤ人たちは安息日に癒す行為(医療行為)も仕事に当たり、やるべきではないという考えであった。それは彼らの律法を文字どおりに守るという姿勢故である。律法を守ろうともせえへん不信仰の者にとっては悩みや議論の対象にすらならんやろ。主イエスは、安息日にええ事をするんは適法であると律法に書かれてへん事を教えはった。安息日に癒したりするんが問題無いってのは、主イエスがそう教えはったから、そう言われてみればそうだよねと今なら納得するだろうが、当時のユダヤ人にとっては従来無かった教えを急に言われたもんやから、すぐに「はい、そうですね」と素直に受け入れることが出来ず、律法の文字に固執し、安息日に仕事をする主イエスを憎んだ。それは彼らが主イエスを救世主(メシア)と信じてへんかったからであり、「ただの人間が何を言うてるのか」、「神でもないのに勝手な教えをするな」という所感を抱いたためや。
また、主イエスは過越祭の守り方も変更しはった。福音書の最後の晩餐のくだりを読めば明らかに律法の文言どおりの守り方を否定し、新たな過越祭の守り方を教えはった。律法どおりに動物の子羊を屠る必要性を無くし、種無しパンと無発酵のぶどう果汁の飲み物のみで過越祭を祝うようにと十二使徒に指示し、聖書読者のキリスト者も同じようにすべきであろう。なぜなら、主イエスの御指示であるからや。これは契約の更新の影響であり、律法の規定から外れ、旧契約下に居ないことになる。過越の食事として子羊を屠って食べたり苦菜を添えたり等してる人たちはキリスト者ではない。
彼女のような律法主義者は、主イエスの教えを無視して従わず、旧契約どおりに守れと言うてることになる。かような律法主義者がおかしい点は、聖書原典に忠実ではなく、自分らに都合のええ主張しかせず、その分際で自分らは正しいと高慢になってどうしようもないという点や。もし今も旧約時代どおりに食物規定を守らねばならんとするなら、割礼や動物の犠牲や司法律法や祭司制度等も全部律法の規定どおりに引き続きやれよ。でないと、矛盾するやろ。それらはせえへんと、なんで食物規定だけは有効と厚顔無恥にも言えるのか不思議でしゃあない。彼女らは主イエスの教えに従わず、新しい契約を結んでへんし、旧契約下にも居ない中途半端な自称キリスト者ということを自白してるようなもんや。彼女や同じ信条を持つ者は、ユダヤ教徒としても中途半端であり、キリスト者としても中途半端で、黙示録三章十六節にあるように主イエスが嫌悪しはる生温い者でしかあらへん。彼女は人の思想や神学で神の言葉を曲げることを非難してるが、自分自身を棚に上げ、ブーメランになってることにも気付いてへん惨めな者や。

そして、このTovという女は、中東の偽イスラエル在住のデイビッド・ビヴィン(David Bivin)という米国人の記事内容を一部パクって翻訳して書いてることも分かった。証拠は、以下のとおりで、彼の「Mark 7:19: Did Jesus Make “Unclean” Food “Clean”?(拙訳: マルコ七章十九節、イエスは不浄な食べ物を清いとしたのか。)」という題で記事を太陽暦二千八年十二月二日に投稿されたんを真似て書いてることはその相似から明らかや。

 

 

マルコ七章に書かれる主イエスの御言葉に対して根拠の無い疑義を呈してるのは、デイビッド・ビヴィンが引用してる「ジョエル・マーカス(Joel Marcus)の本」を根拠にし、食物規定が有効と強弁してることが分かる。先に示したエリエナイという人も、マーカスの言葉を引用して食物規定を擁護してる。ジョエル・マーカスはニューヨーク大卒、コロンビア大学で博士号取得し、Duke Divinity Schoolの名誉教授で、新約聖書について教えることをし、本を出版してる。あと、デイビッド・ビヴィンは、R. T. Franceの文も引用して主イエスの御言葉を曲解してる。所詮、これらは西洋人による聖書曲解やでっち上げの創作神学でしかなく、こないなものを信じて真似て、「自分は正しい」と思い込んで偉そうに講釈を垂れたり、他者を中傷するようでは話にならん愚かな反キリストである。これらこそ主イエスが戒めはった「人の教え」であり、聖書原典ではないし、イエス・キリストの教えではないことを知れ。

また、このTovという女は、記事「ギリシャ人にはギリシャ人 ユダヤ人にはユダヤ人」では、以下のとおり、曲解しまくって偽使徒パウロを熱心に擁護するパウロ教徒でもある。

 


「パウロが人種により神の言葉を変えて、パウロが異邦人と共にいる時には神の言葉に違反する行為を行っていたと解説されていますが、それはとんでもない誤解の解説です。嘘偽り!」と彼女は書き、拙者の「パウロは偽使徒」や「偽使徒パウロの反キリスト教義 五」の主張に抗議してるんやろけど、彼女のパウロ擁護は客観的根拠がまったく無い主張であり、この女の言うことこそ嘘。
また、パウロがユダヤ人と繋がりがあり、ユダヤ人たちと関係を保持して生きてたっていう証拠が無いし、嘘である。過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」等でも言うたとおり、パウロはモーセの律法から離脱を教えてるとエルサレム教会の長老から注意され(使徒言行録二十一章二十一節参照)、ユダヤ人たちと一緒に居るんは難しく、それ故にエルサレム教会や律法に熱心なユダヤ人キリスト者たちとは距離を置き、西方に向かい、聖書を知らぬ異邦人に対して使徒と自称して騙した。パウロが律法を否定して貶した事実は拙者が連載でも示したように多くのパウロ書簡から明らかであり、使徒言行録からはパウロは彼自身がファリサイ派であると自白もした。

 


拙者とは逆に、彼女はファリサイ派を擁護しており、パウロの教師であったガマリエルを「ガマリエル大先生」なんて書いてる。主イエス以外を「先生」と呼ぶべきではないという主イエスの教えに反する反キリストであると自白してる。この女もファリサイ派やから、ファリサイ派を「善良」と擁護し、ファリサイ派のパウロも擁護するんやというのが分かるやろ。主イエスと対立した偽善のファリサイ派のくせに、キリスト者ぶるのをやめよ。

以上、主イエスの御言葉に反し、食物規定を過剰に擁護し、品性や性格がおかしく問題がある者たちを弾劾した。

主イエスの教えに留まらぬ者は反キリストであると過去記事「反キリストについて」でも書いたとおりで、使徒ヨハネがそう定義してる。現代は過去よりも飲食物も空気も毒され、健康を維持するのは非常に難しい状況下にあり、添加物等の有害な化学物質が混入されたり、残留農薬量が多く、遺伝子組み換えも多く、成分表示も隠されてるにも拘らず、主イエスが緩和したのに逆らい、未だに「食物規定がー」等と言うてて愚の骨頂や。こちら(さてはてメモ帳 Imagine&Think!)やこちら(さてはてメモ帳 Imagine&Think!)といった家畜や野菜にもmRNAという人体を遺伝子組み換えさせようとする動きがあるんを知らんのか。

現代人の多くが悪人で、倫理観は著しく欠如しており、食の安全を脅かしてる。一見律法で許容されてる食べ物であっても隠されてるせいで知らぬうちに食べてはならぬ物を口にすることもあるやろし、そないな取るに足らぬ点に注意を払ってばかりで、他の重要な事を疎かにし、キリスト者として実を結んでもいないっていう事実から目を背け、愚かな工作活動ばっかして、自分らは正しいと勘違いしてる人たちの惨めさを当記事で理解してもらえたと思う。こないな脱落者の乱行に加わることがないように。マルコ七章で主イエスが教えはったとおり、拙者が弾劾したような人の悪い性格、悪い品性、悪い行いこそが人を汚すのであり、外部から入ってくる食べ物如きで人が汚されることはないと覚えよ。時があるうちに正しい働きをせい。拙者の言うことを聞かず、言い訳ばっかしてキリスト者として碌に働きもせず、真理に固く立たずに道を逸れ、世俗の用事に追われる等して不毛になる茨の中に落ちた種の人間は皆、神への愛が無く、永遠の命を得たいという利益目的のにわか信仰者や。形式的に律法を守った振りをしたり、自分が正しいと思い込んでも、拙者を陰で貶してもまったくええ行いとは神に認められず、逆に滅びを確定させることになろう。聞く耳を持つ者は聞きなはれ。

 

以上