こんにちは。

 

今回は、気楽に生きることについて書きます。

 

過去記事「現在進行で人類は選別されている」でも会社員生活について散々叩いてきましたが、今回でとどめを刺します。日本人よ、何故、あなたは会社員を続けているのか。会社員じゃなくて役員や公務員だという人がいても同じことです。日本では、過去記事「日本乗っ取り計画、日本人抹殺計画」で話をしたとおり、幕末から欧米のフリーメーソンが暗躍し、明治時代という悪しき時代が始まり、旧長州藩出身の朝鮮系日本人が中心となって意図的、かつ、急激に日本は西洋化させられました。つい百五十年前までは当たり前に着ていた和服である着物は何故今ではほとんど着られていないのでしょうか。完全に和服と洋服の比率が逆転しています。いにしえの頃から平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と千二百年以上に渡って日本人に着続けられた着物が何故今は着ない人が多いのか。日本人よ、和服である着物を着ましょう。欧米のフリーメーソンやロスチャイルドに操られている朝鮮系日本人による乗っ取りから始まった支配体制や習慣から脱却するべきです。江戸幕府という当時の政府を転覆させた反逆分子である旧薩摩、長州藩が中心となって国を乗っ取り、着物を捨てて進んで背広をはじめとする洋服を取り込んで役人に服装規定を設けて洋服を指定し、日本に古くからある文化を消滅させようとしました。そして、徐々に庶民でも着物を着る人は減り始め、大正を経て昭和になってから戦争に負けた勢いで更に日本人の着物離れが促進されました。これは、GHQの戦略でもある日本人に自虐史観を擦り込み、日本文化が西洋文化に劣るという印象を植え付けた結果です。しかし、少数でも着物を守り続けた人々がいたおかげで、今も着物は受け継がれています。複数の過去記事で述べたとおり、現在、日本は亡国直前の状態です。このまま本来の姿を取り戻さないまま、やられていいのでしょうか。海外に住む日本人も着物を着て、キリストの品性を現し、周りがそれに感化されて主イエス・キリストに従順に従い、天の父なる神を崇めるようになるためにするべきではないでしょうか。周りと同じように洋服を着て、同じような習慣や行動をしていてはやはり彼らと同化してしまうでしょう。それを姿から変えていくのも一つの手段だと思っています。これは肉の思いではありません。最低限着る物として、洋服から和服である着物に切り替えるだけのことです。着物は下着を洗濯すれば良いだけで、上着等については汚れない限り洗濯は滅多にする必要はありません。洗濯できないほど高価な物を着る必要性はありません。手頃で長持ちするしっかりした物で廉価な着物で十分です。派手な柄や装飾を買い求める必要もなく、質素で無地や縞模様等、ありふれた物で十分です。周りの目や評判を気にしたり恥ずかしいと思って着物を普段着として着れないと思う人もいるかもしれませんが、そんな他人の目や評価を気にするような心持ちの人はクリスチャンとしては失格です。着物を着るのが恥ずかしいと言う人は日本人であることを恥ずかしいと思っているに等しいです。もし、着物を着てみたいと思った男性はこちら(ぐるりみち。)、女性はこちら(ゆいいつむにLIFE)を参照してみてください。普段着として着物を着る参考になると思います。今時の着物の着付けは江戸末期や明治の頃の伝統ばかりですので、それを盲目的にガチガチに守り、それに外れた人を蔑んだり、文句を言うのはやめましょう。洋服で着崩している人を見ても文句を言わないですから、和服になった途端にうるさく口出すような通ぶる人には気を付けましょう。着付けの基本をネットや本で調べ、あとは自分流に着こなせば十分です。

日本では、子供の頃から学校に強制的に入れられるという義務教育が明治時代から始まり、現代では小学校と中学校の合計九年は強制的に学校に入れさせられます。学校では、この地上が丸いとか、地上が一日一回転する自転、太陽の周りを公転しているとか、明治維新が文明開化だとか、戦争に負けたのは日本の責任とか残虐非道な行いをした等の自虐史観を植えつけられる嘘ばかりの歴史を吹き込まれ、周りと合わせないといけないとか協調という範疇を超えて、同じような考えや価値観を持って権力者や教科書に疑いを抱かない忠実な下僕のような人間を大量生産させています。要するに、学校は、世の支配層に逆らわないで愚直に貢ぐための家畜養成機関なのです。学校では、権力者が国民を奴隷のように扱って搾取するために皆が走らなければならない軌道を勝手に敷き、そこから外れないように調教されているのです。自分たちだけ甘い汁を吸ってきて頭の固い団塊世代等の人間たちが、このような社会の軌道を確固たるものかのようにし、後に続く世代にそのような道に行くように教育し、それが悪循環になっています。そのように社会に洗脳された国民は、その軌道から外れた人を異端とみなし、決まった軌道を走らない人を失敗した人、変な人扱いします。これが物凄い害悪です。この事実に気付いてください。過去記事「天に富を蓄えよ」で自給自足が本来人間のするべき生活だとお伝えしたとおりです。政府といった権力者が一般人に田舎で自給自足をさせないのは、彼らが庶民を支配して金儲けをして富を独占しようと企んだ悪しき策略によるものです。そのため、彼らは都市を形成し、強制的に土地収用法等の法律によって土地を取り上げて人々を田舎から都市に集めました。そうすれば、世の権力者は一般人に自給自足させないことで、お金によって支配でき、一定の秩序の下に支配できるからです。だから、明治時代からの流れで出来た有名な学校を出て、有名企業や官公庁等に勤め、地位、多額のお金、名誉を得ることが至上命題かのように騙されてきたのです。過去に何度も言いましたが、それらはキリスト者にとってはまったく要らないものです。むしろ、それらを捨てないでキリスト者を名乗る者は自称キリスト者に過ぎません。地上に富を蓄えてはならない、着る物と食べる物があればそれで満足すべきと聖書に書いてあるからであり、地位、名誉、必要以上のお金等は要らないというのが聖書の教えです。もしそれらを握りしめていると主イエスに従順に仕えられないでしょう。主イエスの直弟子も何もかも捨てて主イエスに従ったのです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 19章27節

すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」

 

ペトロは主イエスの十二使徒の筆頭でしたが、彼だけでなく皆がすべてを捨てて主イエスに従っていました。なのに、何故、たんまりと蓄えたお金、不動産、株等の財産、地位、名誉等を大事に持っていて、それでも主イエスに従順なクリスチャンですなんて嘘つきにも程があります。過去記事「天に富を蓄えよ」でも書きましたとおり、金持ちが天の国に入るのは難しい(マタイ19:16~30)のは事実です。主イエスを固く信じていれば、貧乏だからと言って悲観する必要はまったくありません。むしろ、喜ぶべきです。変に多くの財産を持っていると手放すのに躊躇するからです。

 

ここからは独身者に向けて、もっと気楽に生きるための提案をします。既婚者も不可能ではないでしょうが、配偶者の理解が得られないと難しいので、独身の方が身軽で思い立ったらすぐに行動に移すことができます。それもあなたの考え方、価値観次第です。

 

まずは、ニートです。例えば、pha氏というニートがいらっしゃり、京都大学を卒業し、一般企業を3年で退職してから定職に就かず、最低限の生活費等を稼ぐだけでシェアハウスで共同生活を送るという生き方です。参考までにこちら(Naverまとめ)。動画はこちら(YouTube)。誤解していただきたくないのは、彼の生き方を真似するように私が言っているのではありません。ただ生き方の選択肢の一つとしてアリだと言っているのです。自由でのびのびした生活で、会社員という名の社畜とはまったく違う世界です。日本であってもこういう価値観もあるのです。もしあなたが彼が京都大学まで行って彼のような生活をするのはもったいないと思うようなら、家畜街道まっしぐらでしょう。しかし、私は過去に述べたとおり、東京のような都会に住むことは推奨しません。福島原発事故以来、放射線物質汚染が関東まで広がっているし、次に来る大地震等の災害でも甚大な被害が想定されるからです。

 

もう一つニートの例です。

こちら(YouTube)の7:28から出てくる和歌山県田辺市の山奥に住まわれて、石井新氏です。彼はNPO法人共生舎で引きこもり支援をしつつ、自身も時々近所からの依頼を受けて突発的なパートタイムの仕事したり、ネットで仕事を時折するだけで、田舎で自由な暮らしを満喫しています。多少でも働いているので完全なニートとは言えないでしょう。前編(YouTube)と後編(YouTube)で、そこでの実生活の一部が見ることができます。近所の老人も「人生全部遊びやん」とかなり気楽な生き方をされており、楽しんで生き生きとしています。それに比べて、都会のサラリーマンたちの顔を見たらどうですか。皆、死んだような顔つき、険しい顔つき、本当に殺伐として生気を失っています。常にイライラしたり、電車が遅延しようものなら駅員に怒り出す人もいたり、肩がぶつかった等の些細なことから乗客同士で喧嘩を始めたりする場合もあります。安息日も守らない社会が勝手に決めたそんな生活やめたらどうですか。私は彼らの真似をしなさいと言っている訳ではありませんが、これも一つの生き方として提示いたします。もっと人生は楽に生きられるということです。家畜として何の役にも立たない正社員等の地位、世間体、お金、名誉、周りの評価等を気にして過労の余り精神を病んで死ぬ位ならこのような生き方の方が余程健全です。すべては価値観に基づくものです。今の社会や学校等が人々を洗脳し、皆同じような生き方をしなければいけないかのように仕向けているだけであり、その点に気付かなければ死ぬまで暗闇をさまようことになります。

 

次に、小屋暮らしをする若者を紹介いたします。こちら(YouTube)をご覧ください。場所が千葉県九十九里浜の近くという関東の立地はお勧めしませんが、生き方という点で参考になるものがあるのではないでしょうか。月給や賞与を目当てに何となく会社に属して、家畜のように決まった時間とそれ以上の残業を強いられ、上司に逆らえずに言いなりになって虚しく生きているよりは、より生きるという感覚が身に染みて実感できるでしょう。このように生きている人の方がやはり生き生きして、楽しんでいます。ニートと同じように、彼らにも言えることは周りの目や世間体を気にしないことです。そんなくだらないしがらみに囚われれば、固定された社会の蜘蛛の巣に引っ掛かって動けない哀れな虫みたいなものです。地震が起きたらどうなのかと思うかもしれませんが、それも自分で建てた小屋だから自己責任ですし、何があっても納得いくでしょう。地震を想定して頑丈に建てればいいだけです。他人の手抜き工事の家に住んで潰されるよりはるかにマシです。つくづく思うのは、会社勤務等で日曜大工の一つもできない人間より、野性的に生きることができる人間の方が強いということです。子供の頃から家事(炊事、洗濯、掃除等)を手伝ったこともなく、家のちょっとした修理等もできないような人間は、はっきり言って役立たずです。そんな人間が地震でボロボロになった都会に残されたら、どうやって生きるつもりなのでしょうか。政府や行政が何とかしてくれるのを待つだけなのでしょうか。そんな状況でいくら財産を溜め込んでいても、社会的地位があっても無意味です。お金で人を動かそうと思っても、そういう非常事態では誰も動かないでしょう。お金で何とかしようとする人間は、本当に人間として終わっています。会社に行ってお金を稼ぐしか能が無い偉そうな人は、人としてまったく役立たずです。そういう人たちは都会ではお金を出せば大体の物が手に入るので快適に暮らせるでしょうが、大地震等の災害があった時は終わります。平常時は偉そうにしていても、有事の時にそのような人は自分がいかに無力で役立たずかということを痛い程思い知るでしょう。

 

次に、横浜で会社員をしていた女性が福岡の田舎に移住し、自給自足生活を目指しているという話もあります。こちら(講談社)です。彼女が田舎に移住、及び自給自足生活をしようと決断したのは東日本大震災が契機とのことです。彼女に限らず、あの人工地震を契機に生活を変える人は少なからず存在しています。フィギュアスケート選手だった浅田真央氏も、山で自給自足をしたいと言い、実際に山梨の農地を購入し、高原野菜の栽培についても勉強しているようです。参考までにこちら(BLOGOS)。日本の隣の南朝鮮でも日本の福島原発事故を他人事と捉えずに、自分たちのことを冷静に見つめ直し、田舎に移住し、自給自足生活をしている家族もいます。参考までにこちら(HUFFPOST)。彼ら彼女らもキリスト者ではなさそうですが、日本に住んでいない日本人でもない人が福島原発事故から教訓を学んで生活様式を変えたのに、何故、当事者である日本に住む日本人は変わらない人が多いのでしょうか。それは日本人の多くが洗脳され切っており、都市で生活するという西洋文明の虜になっているからです。お金に支配され、この世のつまらない娯楽(テレビ、スポーツ、音楽、映画、お笑い、漫画等)にうつつを抜かしているからです。賢い人はそんな暮らしに見切りをつけて、そこから離れるでしょう。同居する家族がいる場合は難しいかもしれませんが、結局は信仰や価値観の問題でしかありません。カナダの老夫婦も隔絶された環境で暮らしています。参考までにこちら(livedoor NEWS)。この夫婦も手作りで自分たちの住処を造られたとのことです。非常にたくましいですね。このように、田舎で暮らし、自給自足のような生活をしている人は結構います。田舎を拒絶して都会にこだわる人は、前回記事「無神論者の問題、偽りの聖職者と教会制度」で述べたとおり、唯物主義者、自称無神論者という多神教信者がほとんどで、この世の物を愛し、非人間的な生き方を好んでいるからでしょう。

 

大家族が限界集落に移住した例も紹介いたします。こちら(YouTube)です。八人家族と犬一匹という大家族が兵庫県西宮市から京都府綾部市という田舎に移住しました。都会暮らしの癖が残っており、会社に就職、スーパーマーケットに買い出しに行く等、自給自足生活には程遠いですが、徐々に慣れて、自分たちで農作物を植えたりすれば自給自足に近づくと思います。しかし、昨今、テレビ等でも田舎暮らしの特集を組んだりして、田舎暮らしの良い面だけを見せて、悪い面を見せない騙しの編集が行われることがあるので注意が必要です。田舎の長所ばかりに目を向けず、短所にも目を向けてください。田舎ならどこでも良いのではなく、行く先を下見するかネットでも詳細に調べておかないと後で非常に後悔するでしょう。こんなはずじゃなかったと思わないようにすることが大切です。

 

そして、自給自足と農業の差についても知っておくと良いでしょう。参考までにこちら(YouTube)。自給自足は、狭義では自分が食べる物を自分で用意することです。電気、水道、ガス等を利用するなら広義の自給自足生活とは言えません。現実的に、この世の中が人々に完全な自給自足をさせないように仕向けているので、無理して完全な自給自足をしないといけないなんて思わなくて大丈夫です。しかし、少しでもお金の支配から解放されたい、自然と共存したい、人間らしく暮らしたいと思うなら、田舎暮らしは絶対にするべきだと思います。過去記事「田舎への移動と憲法改悪」でも書いたとおりの理由もあります。田舎暮らしの長所として、時間にゆとりが持てるということですね。世に属する人間は絶対に言及できない点ですが、聖書を読んで研究する時間が都会暮らしより格段に増えると思います。これが最大の長所です。時間に余裕ができたからといって、つまらない娯楽(ゲーム、漫画、小説、スポーツ、音楽、映画、お笑い等)に時間を割いていては無意味です。

 

最後に、究極的な田舎暮らし、原始的な生活の様子を紹介いたします。こちら(YouTube)であり、Primitive Technologyとまさに「原始的な技術」であり、自然の材料をそのまま使い、小屋を建てたり、火を起こしたりと原始的な生活の技術や知恵を紹介しているチャンネルです。ここまでしなさいとは言いませんが、これが昔の人々がしてきた生活なのだと参考になること間違いなしです。生きて行く知恵、技術が学べると思います。こういうのを見ていると、デスクワークがいかに非人間的な生活であるか分かり、バカみたいに思えてきますよね。

 

しかし、私は上述で紹介した彼らの生き方のすべてを肯定する訳にはいきません。必要最低限稼いで、ゲームや漫画等の娯楽、ネットサーフィンだけで終始するようで私は間違いだと言っておきます。何が問題かと言うと、聖書を読まず、主イエス・キリストを信じて神の律法、掟、戒めを守って生きていないことが問題だと言っているのです。彼らはこの地上でストレスなく気軽な人生を送っています。その点においては都会のサラリーマン等よりはマシでしょう。しかし、それだけで満足し、聖書を読んで主イエスを知ろうともせず、神の律法、掟、戒めを守らない生活をし続けるのは結局滅びに至り、無意味です。折角、自由な時間が多くあり、都会暮らしよりも神の律法、掟、戒めを守り易い環境が整っているのに、それをしないのはもったいないことです。あのような自給自足、または自給自足に近い生活様式をしながら、神の律法、掟、戒めを守って主イエス・キリストに従順に従う生活をすれば文句なしのように思えました。それも真のクリスチャンが集まり、集落を形成すればもっと心強いでしょう。現在の日本の状況を見る限り、今更そのようなことをするのは夢のまた夢かもしれませんが。複数の過去記事で私が警鐘を鳴らしたとおり、憲法が改悪されれば、田舎であっても日本では生き延びるのが困難を極めるでしょう。国民から主権、人権、自由が奪われ、ネットも検閲されてNWO樹立を目指す政府に不都合なものは削除されたりアクセス制限されたり、今のようにいかなくなるでしょう。上述で紹介した小屋で暮らす若者がするYouTubeで収益を得たり、フリーランスとして記事を寄稿して原稿料をもらうネットを使った収益を得ることができるのもそう長くできることではありません。憲法が改悪されて言論の自由が無くなれば、その仕事はできなくなるからです。だから、将来を見据えて、一つの仕事に拘るのではなく、複数考えて備える方が賢明です。田舎の自給自足生活への締め付けもいずれなされるでしょうが、都会の方が早く締め付けられることは認識しておくべきです。

 

上記で紹介したのは日本が中心でしたが、当然私が何度も複数の過去記事で勧めてきたとおり、海外に移住して同じような田舎暮らしをするのも手段の一つです。海外移住を難しく考える人は参考までにこちら(YouTube)やこちら(YouTube)。何でもやってみなければ成功するかなんて分からないのです。実際にやってもいないのに失敗したらどうしようという失敗恐怖症の人が多過ぎます。上述したニートだって、完全に開き直っています。人生に失敗は付き物だと考えることで楽になると思います。何でも失敗したくない、成功したいと誰もが思うと思いますが、失敗恐怖症で何か新しいことに挑戦するのに躊躇すれば、何も達成できません。聖書も最後まで読み切ると思っているだけで聖書を読むまとまった時間を作る努力すらしないようでは、いつまで経っても通読し終わりません。複数回通読も夢のまた夢になってしまいます。そんなこんなしているうちに、日本は大変なことになりますし、個人の恩恵期間や寿命も終わってしまうかもしれません。それも私が過去に散々時間がないと言ってきたのに、あなたがそれを真剣に聞き入れず、改善の努力という行いを軽視してきた結果です。先の2つの動画は日本の大学を卒業して日本で新卒就職せずにすぐにドイツに移住した人で、ブログ、YouTube、その他フリーランスとして働いている女性の例でした。女性でしかも単身で海外に移住するのは度胸が要ると思う日本人が多いでしょう。当記事をお読みのあなたと同じ日本人ですよ。問題なのは、心の持ちようです。彼女がクリスチャンかどうかは言及しないので不明ですが、おそらくそうではないと思っています。無理して海外に行く必要もありませんが、色々と生き方はあるのだということを知ってもらいたいのです。日本のどこかの企業に就職して会社員であること、公務員になることが唯一の生き方でもなければ安全でもありません。

 

今回の記事をお読みいただき、是非、あなたの人生というのを振り返ってみて、今後どうするか考える契機になることを願っています。難しく考えず、余計な患いを捨ててもっと気楽に生きて、神に感謝し、主イエス・キリストに仕える、主イエスのために生き、神の律法、掟、戒めを守り、隣人を愛し、人間らしく生きることができる生活が理想なのではないでしょうか。世の中のことで上手くいかずに絶望して自殺する人が特に多い日本人にこそ、当ブログのメッセージが心に届くように願っています。自殺する位なら、今の暮らしをやめて、違う生き方をしてみてください。そして、聖書を読んでみてください。主イエス・キリストがあなたを導いてくださるように。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上