こんにちは。

 

今回は、天に富を蓄えるということについて書きます。

 

この主題は、聖書を読んだことがある人ならば誰でも目にしたことがあるはずです。しかし、聖書を読んだ者の中で、この意味を理解し、実践している人は非常に少数でしょう。世にいるにわかキリスト者たちは、このことを知識として知っているだけで、まったく行いで示そうとしません。行いで示せないということは信仰が無いか、薄いかのどちらかです。「分かってはいるけれども、できない。」という状態が真実ではないでしょうか。聖書読者の中でキリスト者を自称しながらも、神の律法、掟、戒めをすべて守らず、主イエスの御言葉を実践していない人がほとんどです。これが実態です。

 

本題に入る前に前置きの話をします。世の多くの人々は、日々生活するためだけに仕事をして金銭を得る虚しい生活を送っています。私が言いたいのは、日々この世の生活をするためだけに生きているという点が間違っているということです。あなたがたの中で、好きな仕事に就いて、納得のいく給料や待遇を受けている人は少ないでしょう。仕事内容や給料の額は重要ではありません。理想の仕事をするために生きている者、自分探しをすることに時間と労力を使っている者は、世に属する人間です。理想の仕事のために学校に通ったり資格を取ったりと貴重な時間と労力を使い、死後にその人に何がもたらされるのでしょうか。何もありません。理想の職業に就くというのも自己満足でしかなく、この世に属する事柄であり、死んだら終わりです。聖書に最後の審判で生前の職業が裁きに影響するなんてどこにも書かれていません。ですから、この地上で仕事は何をするかは重要ではありません。神の律法を守り(特に安息日)、生きるだけの糧を得られれば何でもいいのです。仕事の格付けなんていうのもこの世の秩序であって、神の秩序ではありません。現在高給とされる航空機操縦士、医師、政治家、官僚、銀行員等になれば地位もお金もあって最高と思うのは、世に属する人間です。このような価値観を持っている人は、当ブログを見に来ても不快に思われるか、理解不能なことを言っていると思われるので立ち去っていただいて結構です。私は、分不相応に金銭や地位を得ている者、不義や不正を喜ぶ者、聖書の真理に敵意を持つにわかキリスト者や不信仰の者、聖書やキリストの教えを金儲けのために利用する偽り者のために聖書福音を説いているのではなく、兄弟たちと失われた羊に対してです。なぜなら、主イエスに従順に従わない者は、私の言うことにも聞く耳を持たないで、かえって悪意を抱いたり、あざけるだけだからです。また、聖書も同じであり、読む機会は多くの人に与えられているが、その内容を理解できるかは別問題ということです。

とりわけ日本は経済的に発展した国でありながらも自殺者が多く、うつ病等の精神疾患に罹る人も多いし、過労死という言葉が生まれた国でもあります。はっきり言って異常です。何故、彼らは自殺をするのでしょうか。誰も生まれた時から将来は自殺すると思って生きてこなかったと思います。しかし、自殺者は、生きている時に希望を見出せず、生きているのがつらくなって自ら命を絶ってしまうのです。はっきり言って、聖書的には自殺は罪です。殺してはならないという十戒の一つにあるとおり、自分の命を絶つのは自分自身を殺す殺人行為です。イスカリオテのユダも最期は自殺を遂げました。彼らの真似をしてはなりません。日本人の自殺の原因は、真の希望を見出すことができなかったことだと私は考えます。つまり、主イエス・キリストを知らないことが一番大きな原因です。彼らは聖書を読まず、主イエス・キリストを知ろうともせず、この世のこと、この世にある物、あるいは特定の人間に希望を抱いたが、結局はその希望が叶わず、生きている意味を見失って自殺したというのが真実でしょう。失恋や就職に失敗したから自殺するという者までおり、本当につまらないことで命を粗末にする者もいます。彼らは希望を抱く対象を間違えているからすぐに絶望するのです。子供の頃から学校の洗脳教育の虜になって勉強や受験ばかりの生活で教科書信者になって、科学等の人間が創作した理論や欺瞞を盲信し、聖書を否定するようになるのは不幸としか言いようがありません。有名な学校を卒業し、社会的な地位やより多くのお金を得ることが幸福と考えるように多くの人々は洗脳されています。このような人々の一部が、何かのきっかけで世に対して持っていた希望が失われた時に自殺するのです。給料が少ないからといって寝る時間も惜しんで夜も働いて無理をした結果、体は衰弱していき、しまいには病気になります。何の益にもならないお金のために生きて結局満足なお金も得られずに死んでいくのはなんと虚しい人生なのでしょう。満足なお金を得ても、自分の欲を満たすだけ、自分の身内の欲を満たしても同じく虚しいものです。お金に関する悩みばかりを抱えて、夜も眠れないという人もいるのでしょう。FX、株、仮想通貨等の取引をPCモニターの前でやり続けるのも精神的に異常な状態です。このような投資家たちも口座の数字が消し飛んだら、彼らの命も消し飛ぶのでしょう。こんなことで一喜一憂する彼らは愚か者です。日々お金が無く生活を切り詰めるために、食費を削り、栄養失調になって体を壊して働けなくなっては本末転倒です。そんな人々には、身の回りにあるがらくたを捨てて、聖書を熱心に読んで研究していただきたいと思います。主イエスを受け入れるか、受け入れないかは実のところは神の御計画次第であり、目に見える表面的にはその人間次第でもあります。兄弟たち、この世に対して希望を抱いてはなりません。過去記事「聖書が教える真のイスラエル人」でも言及したとおり、この世は仮のものであり、神の民は仮住まいをしているからです(ペトロ一2:11参照)。この世が本物で、この世が自分がいる所と信じて疑わない者、この世で幸せに生きるために聖書とイエス・キリストを知りたいと思う者は、当ブログを読むのはやめて、聖書の真理に反する自分勝手な妄想に浸るか、耳触りの良い話をする偽教師や偽預言者らに耳を傾けるでしょう。私が過去に述べたとおり、ふるいは加速しており、当ブログの訪問者数は減少しつつあります。コメント投稿も減少しました。あなたがたのほとんどが神の民ではないことは分かっています。兄弟ならば、主イエスの掟に従って励まし合って愛し合うはずだからです。離れ去った者は、兄弟ではありません。もっとも、コメント投稿しに来る者が皆、兄弟なのではないのですが。

 

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 1章5節

それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。 

 

聖書の福音、即ち、真理の言葉である主イエスの御言葉こそが希望の光です。主イエスは、人間という罪人を救うために神でありながらも人となって地上に来られ、私たち人間と同じように試練や苦しみを受けられながら従順さを学ばれ、神の律法を遵守され、完全なお方であることを示され、天の父なる神の栄光を現されました。それは、主イエスが私たちの模範となるためであり、私たちも主イエスに限りなく近い品性を持つことができるという希望を与えるためでもあります。上記聖句にあるように、天に希望があるのであり、地上にはありません。地上に千年王国がどうのと妄言を言い続ける朝鮮系カルト宗教と同じ教理を説く偽預言者RAPTとRAPT信者や地上か天のどちらに千年王国ができるのか、千年王国でも死が存在し続ける理由を説明できないプロテスタントの牧師や信者たちは霊的に盲目です。千年王国については過去記事「千年王国の真実 前編」と「千年王国の真実 後編」に書いたとおりです。彼らは私が指摘した千年王国の矛盾点と致命的な誤りを認めようとせず、頑なにサタンの教義を信じ続けています。彼らが認識を改めないのは、神から心を頑なにされているからで、即ち、神の民ではないということです。世に属する人間には、聖書の真理は理解不能な事柄なのです。なぜなら、彼らにはそれを理解して受け入れることが許されていないからです。

 

新約聖書 ペトロの手紙一 1章3~5節

神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、信仰によって守られています。

 

上記聖句や過去記事「神の救いは予定か人の自由意志か」で説明済のとおり、神からの一方的な憐れみと恵みによって人間は聖霊によって新生できるのです。それも主イエスを唯一の救い主である人となって地上に来られた神と信じ、神の律法、掟、戒めを守ることによってです。神から憐れみを受ければ、私が言っていることと聖書の真理が理解できるはずです。もしできないならば、何がそれを妨げているのか自己分析してみたらいかがでしょう。その原因は、あなた自身の信じていることが正しいと思う高慢でしかありません。何がそう考えさせるのでしょうか。悪霊でしかありません。あなたは自分の自由意志で生きていると思っているでしょうが、実際はそうではありません。主イエス・キリストを信じていると口先では言いながらも神の律法、掟、戒めを守らない者は偽り者であり、神に従い得ない悪魔の子であることは散々過去に述べてきました。サタン、悪魔、悪霊と呼ばれるのは、神に反逆したことで天から落とされた堕天使たちです。この堕天使たちが神に従い得ないのと同じように、世に属する人間もまた神に従い得ないのです。彼らは火の池に入れられて滅びたくないという理由から無理をしてでも神に従おうとして神の律法を守ろうと試みるのですが、必ずどこかでつまずきます。そうこうするうちに、神の律法に従うのが苦痛でたまらなくなり、従うのをやめます。そして、これではいけないとまた無理に従おうとしてもまた同じことの繰り返しで失敗します。彼らが神の律法に従うのが完全に無理だと悟った時、神の律法を変更したカトリック、神の律法を廃止されたことにするプロテスタントという二大背教勢力のいずれかに大多数が加わり、似た者を周囲に見つけて安心して大丈夫だと錯覚するのです。それ以外にも、主イエスを神と信じないエホバの証人やその他のキリスト教を建前としたカルト宗教は偽り者の集団です。カルト宗教については過去記事「カルト宗教と偽預言者RAPTの矛盾と迷走」を復習しておいてください。これは明らかに彼らに聖霊がおらず、悪霊に惑わされていることの証明です。このような者たちは、天に富を積むこともしなければ、天に備えられているしぼむことのない財産を受け継ぐこともありません。彼らはむしろ地上に富を築くことばかりを考え、実行しています。しかし、地上の富は必ず朽ちて無くなります。主イエスの御言葉を思い出し、覚えておきなさい。

 

新約聖書 マタイによる福音書 六章十九節〜二十一節(私訳)

あなた方は地上にあなた方自身のために富を蓄えてはならない。そこでは、蛾やさびが食い尽くし、また、そこでは盗人が物色して盗む。むしろ、あなた方自身のために富を天に蓄えなさい。そこでは、蛾やさびが食い尽くさず、また、そこでは盗人が物色せず、盗むこともない。あなた方の富がある所に、あなた方の心もあるだろう。

 

主イエスは、キリスト者に地上に富を蓄えることを禁止されています。それは主イエス御自身がそのようになさらなかったからです。地上の富を持っている人が、他人には地上の富を放棄するように言っても説得力がありません。地上に富を蓄えようとする者、即ち、多くの現金を金庫に置いたり、銀行口座の預金残高の数字やFXや仮想通貨の口座残高の数字を増やすことに執着したり、金や銀等の貴金属を集めたり、不動産を所有したりしても、神の前では何の価値もありません。地上の富、生活の質の向上等ばかり考えているのは、世に心があるので、世に属する人間です。栄華を極めたソロモンが建てた神殿や集めた宝物もすべてバビロンに持ち去られて破壊され、見る影も無くなりました。その後再建された神殿も西暦七十年ローマ軍によってエルサレムが破壊し尽くされました。このように地上に宝を蓄えても誰の物でもありませんし、永続しません。この地上が存続する限り、地上の富は誰かの手に転々と渡るだけで、キリストの再臨の時には一瞬にして無に帰します。だからと言って、キリストの再臨までは地上の富を蓄えてよいということにはなりません。そう考えるのは悪魔の子だけです。

ちなみに、エルサレムの神殿の話のついでですが、イスラム勢力の台頭によってエルサレムを占領され、現在でも第三神殿を復興させることができないでいます。かつてソロモンが建てた神殿の跡地にはイスラムの岩のドームがあり、第三神殿の建設の邪魔になっているからです。シオニストの偽ユダヤ人が支配する国家である現イスラエルは、第三神殿の建設に向けて祭司服や装飾品等の準備を整えています。参考までにこちら(Youtube)。アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都宣言をしたという話を過去記事「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない」でもしたとおり、これはイスラムとの戦争への布石です。将来、シオニストの偽ユダヤ人どもは第三神殿の建設を実行するでしょう。そのためには、イスラムとの戦争は避けられないのです。イスラム勢力は、シリアやイラン等の中東地域のみならず、中東難民を多く受け入れたヨーロッパ、イスラム教徒が多いインドネシア、パキスタン、インド、トルコ、エジプト等広範囲に渡り、第三次世界大戦となるでしょう。最後には、イスラム勢力が壊滅し、岩のドームを取り壊して、彼らは第三神殿を建てる計画でしょう。そして、その出来上がった神殿に不法の者が来て、自分は神であると宣言するつもりでしょう。このことは、以下の偽使徒パウロの言葉を思い出させる。

 

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二 二章三節〜四節(拙訳)

いかなることによっても、決して誰からも騙されたらあかん。なぜなら、まず、背教が起こり、罪の者、つまり、破滅の子が明らかにされなければ、その日は来えへんさかい。この敵対する者は、神と呼ばれるか崇拝されるすべてのものの上に自分自身を高め、その結果、神殿に座り、自身が神であると宣言する。

 

過去記事でも触れたとおり、これは偽預言や。その偽預言を真に受けたBehold Israelの偽教師Amir Tsarfatiをはじめとするにわかキリスト者たちは、中東のみに注目し、シリアを発端とする戦争が起こる前に携挙されると今騒いでいますが、愚かなことです。彼らのような偽り者は、異教徒や無神論者と同じく携挙されず、神の民でさえも戦争前に携挙されることはあらへん。なぜなら、携挙は世の終わりとなるキリストの再臨の時に起き、大艱難の末期に起こるからです。このことは複数の過去記事で話したとおりです。

 

少し前にパナマ文書やタックスヘイブン(tax heaven)というのも話題になりました。世界各国の大統領や首相、大企業関連の富裕層たちや俳優やスポーツ選手等の有名人も税金逃れをしていたことが明らかにされました。イギリスのキャメロン前首相については、マスコミは表向きとしてEU離脱の国民投票の結果を挙げていますが、実際はこの税金逃れのことが発覚した2016年4月から3か月後の7月に辞職し、明らかにこの税金逃れのスキャンダルが原因でした。彼は首相を辞任するだけでなく、議員も辞職しました。彼は、日本の国会議員とは違ってある意味潔いです。日本の内閣や国会議員は明らかな疑惑と証拠を突きつけられながらも一向に辞職しようとしません。日本の政治家たちは往生際が悪過ぎます。また、ロシアのプーチンや支那の習近平等は、バレても辞めるどころか未だにしつこく政権の座に居座り続けています。このことからも、彼らは既にその地位を確たるものにしたNWO支配層と明確に言えるでしょう。しかし、この事実を知って彼らを非難しても無駄です。表沙汰にできないもっと汚いことはいくらでも行われており、地上では誰も制裁を彼らに科すことができないからです。必死に税金逃れをして私腹を肥やしても神の前では豊かにはなりません。心配しなくても、彼らは後で神によって裁かれます。そして、陰謀論でよく言われる1%のNWO支配層と99%の被支配層(家畜)の構図ですが、何故これらの枠組みにあなたは入ろうとするのでしょうか。あなたはどう頑張ってもNWO支配層にはなれません。仮に望めばなれるとしても、絶対になるべきではありません。これはNWOというシステムありき、現在のインフラありきでの世界です。大昔は、ロンドン、ニューヨーク、東京等の大都市はありませんでした。それでも人は生きていけました。しかもより健全な世界でした。今ある複雑な金融システム、交通規則、会社、学校等はありませんでした。アブラハムの頃のように家畜を世話をしながら自給自足するのどかな生活が本来の人間の生活です。新しい天と新しい地での生活を描写したイザヤ書にも言及があります。

 

旧約聖書 イザヤ書 65章21〜22節

彼らは家を建てて住み

ぶどうを植えてその実を食べる。

彼らが建てたものに他国人が住むことはなく

彼らが植えたものを

他国人が食べることもない。

わたしの民の一生は木の一生のようになり

わたしに選ばれた者らは

彼らの手の業にまさって長らえる。

 

上記は少し誤解を招く訳し方をしているので私が訂正を入れます。英語(KJV)では、「And they shall build houses, and inhabit them; and they shall plant vineyards, and eat the fruit of them. They shall not build, and another inhabit; they shall not plant, and another eat: for as the days of a tree are the days of my people, and mine elect shall long enjoy the work of their hands.」です。新共同訳の「他国人」という表現がおかしいです。なぜなら、新しい天と新しい地は、神の民がおり、そこでまた今の地上のように国が分かれるということは考えられないからです。よって、「彼らは家を建てて住み、彼らはぶどうを植えてその実を食べる。彼らは別の者が住む家を建てることはなく、彼らは別の者が食べる物を植えることはない。わたしの民の一生は木の一生のようになるので、わたしが選んだ者は彼らの手の業を長く楽しむからである。」と私は訳します。上記のように、新しい天と新しい地での生活は、自給自足生活ということが分かります。これが神の民の暮らしです。たまにこの箇所を千年王国の描写だという自称クリスチャンたちが言いますが、彼らの得意技である文脈の無視と私的解釈が露呈しています。イザヤ書65:17を読めば、新しい天と新しい地のことだと分かるはずです。サタンを崇拝する世の権力者たちは人々の自給自足生活を嫌い、都市を形成し、かつての田舎暮らしを人々にやめさせました。なぜなら、人々が自給自足をすると、電気やガスといったインフラやお金に支配されなくなり、NWO支配層が市民の支配と金儲けができなくなるからです。故に、都会に住むことはサタンに飼われていると言ってよいでしょう。近い将来、獣の刻印を受けなければ経済活動ができなくなるのは都会から始まるからです。このことも過去に申してきたとおりです。NWO支配層はそんな状況も見越して、日本でいえば支那人に農地、森林、水源といった土地を買い占められつつあります。本来は外国人に土地を売ってはいけないという法律(外国人土地法)を基に政令や条例で規制すべきですが、完全に無かったような状態にされているのが現状であり、行政機関も司法機関も動きません。そして、日本人の人口は年々減らされ、支那を中心に移民が大量に流入しています。例えば、コンビニ店員の名札でも見れば支那人が多いのが分かります。身の回りを見てもアジア系の移民が増えたとよく考えれば分かるはずです。しかし、移民大量受け入れの事実は報道されませんので、ほとんどの日本人が気付いていません。朝鮮人家系の国会議員の売国政治とマスコミの情報操作の下で、日本では確実に緩やかに支那による占領政策が進行しています。参考までにこちら(zakzak by 夕刊フジ)。前回記事「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」で述べた支那の「一帯一路」構想です。本当に現実と向き合いましょう。

本来、現代のような都会は要らないのです。都会が必要と思っているのはNWO支配層に洗脳された結果です。それに慣れ過ぎてしまっているだけです。例えば、限りなく難しいですが(厳密には難しくさせられている)、完全な自給自足生活している人にとっては、今の金融システムが崩壊しようと、食物の物価が値上がりしようが影響を受けないからです。前回記事「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」でNWOの危険性について書きましたが、これはNWOという支配枠にはまることの危険性を分かって欲しいからです。だから、過去記事「田舎への移動と憲法改悪」でも書いたように、田舎に生活拠点そのものを移動すべきなのです。都会にいれば、大災害の影響を酷く受けますし、NWOの規制も真っ先に受けます。しかし、田舎ではこのような都会で受けるダメージがありません。政府や社会のせいにしても何も改善されません。なぜなら、あなたがその社会の構成員だからです。不満を言ったり、嘆く位なら、できる限りNWOの影響を受けない田舎や海外に移動してその支配を受けないようにすれば良いと思いませんか。今は私がネットで伝道や世の真相について語っていますが、近い未来、ネットも検閲が厳しくなればできなくなります。その時は、あなたがた自身で道を切り開かねばなりません。都会から離れ、田舎に移動して田舎で近所の人たちとの結びつきを大事にして結束してNWO支配層の権力に立ち向かえるようにしておくのが理想です。たとえ近所の協力や結びつきがなくても自分一人でも勇敢に悪に立ち向かえる気概は必要不可欠です。誰かと一緒の時は心強くても、自分一人になった途端に悪に屈するのでは意味がありません。まず、今まで誤って常識とされた考え方を捨てることです。学校教育や社会が言ってきた、人間社会のルールを守る、何でも正直に言い過ぎない、自分の意見が少数派ならば多数派に無理してでも従う、周囲に気を遣って自分を善良な人間に見せることに全力を使い、他人の目を気にし過ぎた結果、今の社会の状況を生んだのです。はっきり言って、現代社会は健全でもなければ、正しくもありません。もしあなたがそれをできないならば、将来完全に管理、監視下に置かれる家畜になるだけです。

 

新約聖書 ヤコブの手紙 5章1~3節

富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、終わりの時のために宝を蓄えたのでした。

 

上記の「終わりの時のために宝を蓄えた」というのは、老後に備えたり、世が乱れる終わりの時のために、貪欲に地上の富を蓄えているということです。このような地上の富に目が眩んでいる愚か者は滅びます。過去記事「神の刻印、獣の刻印と黙示録の獣」や「死後の世界」で説明済のとおり、主イエスの「神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16:13)という教えに反するからです。また、以下のとおり、主イエスは教えられました。

 

新約聖書 マタイによる福音書 19章21節

イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 

 

新約聖書 ルカによる福音書 12章33節

自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 

 

新約聖書 ルカによる福音書 14章33節

だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。

 

クリスチャンと自称する者たちよ、上記の御言葉に従っていますか。主イエスの御言葉に従えない者はクリスチャンではなく、反キリストです。また、神の律法、掟、戒めのすべてに従わない者もクリスチャンではありません。しかし、実際はこれらに従わないで「主よ、主よ」と無意味に唱える悪魔の子ばかりです。あなたたちがクリスチャンを装っても私には偽り者だということが分かっています。前にも言ったとおり、99%以上のこの世のクリスチャンは偽り者です。主イエスが仰ったように、主イエスに従順に従うのに邪魔となるこの世の持ち物や財産を持っている状態で主イエスの弟子だと言っても自称でしかないと明確に分かります。主イエスの御言葉をよく読みなさい。主イエスは、あなたたちの持ち物を売り払い、貧しい人々に施し、それを実行した後で従いなさいと仰っています。つまり、自分の財産を売り払って貧しい人々に施せないのに、主イエスに従ってはいけないし、従い得ないのです。何故だか分かりませんか。地上の富のことを考えているからです。もし考えていないというならば、売り払って貧しい人々に施せるはずです。あなたが持っている財産を売って貧しい人々に施せないなら、あなたはあの金持ちの青年のように主イエスから離れ去らなければならなくなります。もしあなたが財産を手放せないけど、主イエスは信じますと言う者がいても偽り者である事実は消えず、主イエスがあなたを知らないと仰るでしょう。これは脅迫ではなく、聖書の御言葉を説明しているだけです。どうするかはあなたの自由です。もしあなたが将来先行き不安だから財産が大事と思って自分の所有にしておきたい、貧しい人々よりも自分と自分の家族こそが大事と思っているなら、どんなに主イエス・キリストの御名を崇めようともあなたはキリストとは結ばれていないことを認識すべきです。私は売って価値のある物を所有していません。売り物にならないか、売ったとしても小銭にしかならない物ばかりです。このような状態は、地上に未練を残さないようになり、地上を生きる間も神のことを第一に考えられるようになります。地上に多くの財産を持っていると手放すのを躊躇したり、財産の管理、税金や相続といった世のしがらみに囚われるからです。そうやって世のことに神経をすり減らすのも神のことを考える時間、神の御心を行う時間を減らしています。そして、それこそサタンの誘惑です。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(申命記8:3、マタイ4:4)と仰った主イエスのようになれるかです。このように、主イエスを愛して、主イエスの御言葉に従順に従い、神の律法、掟、戒めを完全に守って神の御心を行って形成したキリストに近い品性こそが天に持って行くことができる唯一のものです。死んだら地上の物は何も持って行くことはできません。沢山蓄えたお金、不動産、宝石、貴金属、ブランド物が何だというのでしょうか。死んだら地上の物はあなたに何の関係もありません。パウロも以下のように言いました。

 

新約聖書 テモテへの手紙一 6章6~10節

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足するべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲はすべての悪の根です。

 

なお、主イエスはこうも教えられました。

 

新約聖書 マタイによる福音書 16章26節

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 

 

本当に主イエスの教えが心に響かない人が多過ぎます。クリスチャンと自称する者たちもです。地上の富どころか、全世界を手に入れたとしても命を失う、即ち、第二の死で滅びたならば何の得になるのかということです。短い地上の人生で自分の思い通り生き、贅沢の限りを尽くしたところで何になるのでしょうか。高級レストランで食事したり、高級ホテルに泊まったり、世界中を飛び回ったり、欲しい物は何でも手に入れて、快楽の限りを尽くしても、それが何になるというのでしょうか。このような行いをする者、またはそれらを欲する者は、サタンに仕えており、罪を重ねているだけで、後で滅びるだけです。私が何度もこれまで述べたように、神を愛し、神の律法、掟、戒めを守って生活し、神の御心を行い、兄弟で愛し合い、キリストに近い品性を形成することがこの世でなすべきことです。その過程での行いが天に富を積むことになるのです。自然にそうなるのです。これは永遠の命欲しさに主イエスを信仰するという利益信仰ではありません。利益信仰をしている人は真のクリスチャンではありません。神からの一方的な憐れみと恵みを受ければ、神に立ち返り、神を愛し、神の律法、掟、戒めを喜んで守ります。そして、神の御心を行うことで神の栄光を現すことになります。人々はこの真のクリスチャンの信仰から来る行いを通して、主イエス・キリストの真の姿を知るようになるのです。世に出回る偶像(絵画、彫刻等)のことではなく、品性です。キリストに近い品性は、誰の手によっても変えたり、奪ったりすることはできませんし、他人に分け与えることもできません。完全に不可侵で不可分であり、個人に属する性質のものです。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上