こんにちは。

 

今回は、田舎への移動と近い将来実現する憲法改悪について語ります。

 

私が言う田舎とは、周りが草木ばかりで民家もまばらというような”ど田舎”と呼べる地域をはじめ、都会から離れた郊外、比較的小規模地方の町のことを指しています。必ずしも隔絶された孤立無援の地という訳ではありません。

ど田舎と呼べるような地域と言えば、以下のような風景を思い浮かべるでしょう。私が、ど田舎と言うのは客観的な意味であって、そのような地域に住む人を蔑んでいるのではありません。

 

 

画像引用元: http://minkara.carview.co.jp/userid/940432/blog/30856137/

 

比較的小規模の町も東京都内の新宿や渋谷、大阪の梅田や難波に比べれば田舎の部類でしょう。

例えば、以下のような所が郊外です。

 

画像引用元: http://www.goodrooms.jp/journal/?p=8266

 

上記は日本の風景であり、勿論、外国では国によって日本とは大きく異なった風景です。

 

現代の日本では、東京一極集中、中央集権の結果、東京に中央省庁があり、多くの人が地方から流入し、企業が本社を据えたり、商業繁栄してきました。しかし、その流れは2011年3月11日の東日本大震災以降、現在では少しずつ変わりつつあります。変わりつつあるのであって、現在のところ、まだ完全に流れが変わったと言っているのではありません。依然として、東京一極集中状態には変わりありません。しかし、これが近い将来非常に危険であることが否応無しに分かるでしょう。建物が密集した都会ならば地震等の災害や人々の暴動、争いが起これば以下のような姿になります。

 

画像引用元: https://www.bustle.com/articles/83918-is-san-andreas-scientifically-accurate-it-might-not-be-perfect-but-theres-some-solid-truth-to

 

2020年に東京オリンピックが開催されるので見に行きたいからとか、都会は便利だからといって、このまま東京や東京の近くの神奈川や千葉、埼玉等に住み続けたいと思っている人もいるかもしれませんが、そのような人たちは神の御言葉である聖書を信じないでしょうし、私の言うことも聞き入れない世に属する人間なので無視します。さて、今後、東京、及び東京近郊の都市に住むことの何が問題なのでしょうか。大地震の被害をまともに受けた人なら実感してお分かりでしょうが、大地震等の大きな災害が都市を襲えば、すべての都市機能が簡単に麻痺します。電車は動かない、道路は交通規制によって車移動が困難になり、建物は倒壊し、あちらこちらで火事が起き、火事場泥棒というような者も現れて窃盗や強盗も起き、強姦等の性犯罪も誘発され、スーパーやコンビニからは商品が早々に消えて品切れ状態が続き、水道、ガス、電気も止まります。ある日急にそうなったら、あなたはどうやって生きて行くつもりなのでしょうか。多くの人間は平穏無事な時、非常時の備えをしないし、考えもしないのでしょうが、起こってからでは遅いのです。事が起こってから「あぁ、事前に準備しておけば良かった。」、「田舎に移動していればよかった。」等と後悔しても遅いです。大災害が襲ったら、あなたがそのような後悔をする余裕がある状況であるかさえも分からず、生き延びることができるかどうかも分かりません。倒壊した建物の下敷きや身動きできず火事で焼死する可能性もあります。このように大都会で生きることは危険と隣り合わせであることを認識するべきです。今後、この地上で長く平穏無事な状態が続くと思わないことです。

 

都会を離れて田舎に移ろうと思っても、お金や仕事等といった問題は誰にでも直面することです。現在でも郊外に住んでいながら都心に仕事をしに行っている人が多いでしょう。しかし、私が言う田舎に移動するというのは、住居のみならず生活拠点をも田舎に移動させることを意味しています。しかし、もし神があなたに田舎に移動することを望んでいるのに、それを無視したり、逆らったりすることが正しいことなのでしょうか。前回記事「聖書が教える真のイスラエル人」や過去記事「人生の過去と主イエスに従う覚悟」でも説明したことを思い出しましょう。

 

新約聖書 ヘブライ人への手紙 11章8節

信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

 

上記聖句のように、「信仰によって」と条件が付されていることに注目すべきです。信仰ありきで行動することが重要です。自分の利己心が原因で、転居する機会を拒絶したり、転居先を決めるのは神の御心ではありません。なぜなら、それは自分の利己心を神の導きよりも優先しており、自分を捨てていないからです。複数の過去記事で既に申したとおり、主イエスの御言葉で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)とあるとおりです。自分を捨てて、主イエスに完全に服従しなければいけません。神から別の場所に導かれたなら、それに従うことは神の御心に適うことです。神の導きに従った結果、時に、それは枕する所も無い場所や枕がある保証も無い場合であってもです。アブラハムの信仰が義であると主なる神に認められたのも行いからです。創世記12:1以降、主なる神は、アブラハムに生まれ故郷を離れて神が示す地に行くように指示されました。出発当時、アブラハムは75歳でした。年齢なんて関係ありません。ただ神に従順かが問われるのです。アブラハムは神に従順だった結果、義と認められました(創世記15:6、ローマ4:3,9,22、ガラテヤ3:6、ヤコブ2:23)。仮に、アブラハムが地元を離れたくないとか、見知らぬ土地に行きたくないと利己心から従わなかったら、彼は神から見放されたことでしょう。それはあなたがたも例外ではありません。神に従順ではないならば、切り取られて捨てられることは、前回記事「聖書が教える真のイスラエル人」でも説明済です。

 

神に導かれて信仰に入り、真のクリスチャンへと成長するには大都会のような世俗的な誘惑の多い所から離れ、自分自身を冷静に見つめ直し、神のことを思い、聖書の真理を知るためのまとまった時間を持つと良いです。安息日に神と個別の関係を築くことをすべきだと過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で述べましたが、これは必要不可欠であるとともに最低限です。金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日以外は神のことを考えなくてよいということではありません。むしろ、考えなくなるようでは問題です。また、平日は忙しいからといって聖書をまったく読まないのでもダメです。世俗のことで忙しいと言い訳をする時点で、自分は世に属する人間だと言っているようなものです。

 

ところで、いつ田舎に行くべきなのでしょうか。あなたはどう思いますか。艱難が目の前に来てから移動すれば十分だと思いますか。あるいは、ヨハネの黙示録13章にあるとおり、獣の刻印を受けなければ売買ができなくなるような事態になってから移動するのが良いと思っているのでしょうか。私は、そのように誰にでも分かる危機的状態になってから移動するのでは遅いし、場合によっては移動したくてもできないと思っています。その事態になるまで肉の思いで頑なに田舎への移動をためらってきたり、拒んだりした報いがその時に来るでしょう。

しかし、誤解して欲しくないこととして、私はあなたに何がなんでも田舎に行くように強要しているのではありません。神の導きは人それぞれ違いますから、時期も場所も人それぞれ違います。真のクリスチャンが皆揃って同じ時期、同じ場所に移動するのではありません。諸事情により今すぐに都会を離れて田舎に移動することができなくてもいるでしょうが、そのような兆しや機会を見出せたなら、拒まないことが重要です。勿論、都会でしかできない神のための働きがあるならば、それも良いでしょう。しかし、都会に残る理由の根底に人間の利己心がある場合、または田舎に移動する理由が艱難から逃げたいという臆病風に吹かれるのでは神の御心とは到底言えません。神に導かれるならば、人それぞれ違った方法や機会が神によって与えられます。何でも神が導いてくれるから自分自身では何もしなくてよいという怠惰になってはいけません。「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」(フィリピ2:12)のとおり、人間自身での努力も必要になります。何でも神がやってくれるから自分は何もしなくて良いというのは、神に頼っているのではなく、怠け者に過ぎません。行動するのは人間自身であり、故意に行動しないのは怠惰な者です。怠け者について聖書は多く警告しています。

 

旧約聖書 箴言 6章6~10節

怠け者よ、蟻のところに行って見よ。

その道を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もなく、指揮官も支配者もいないが

夏の間にパンを備え、刈り入れ時食糧を集める。

怠け者よ、いつまで横になっているのか。

いつ、眠りから起き上がるのか。

しばらく眠り、しばらくまどろみ

しばらく手をこまぬいて、また横になる。

 

旧約聖書 箴言 20章4~10節

怠け者は冬になっても耕さず

刈り入れの時に求めるが何もない。

 

旧約聖書 箴言 21章25節

怠け者は自分の欲望に殺される。

彼の手が働くことを拒むからだ。

 

旧約聖書 箴言 26章16節

怠け者は自分を賢者だと思い込む

聡明な答えのできる人七人にもまさって。

 

このように、自分で何もしようとしない人は単なる怠け者なのです。ですから、複数の過去記事で行いの重要性を宣べ伝えてきました。行いは、強制されてするのでもなく、義務感からするのでもなく、救いが欲しくてするのでもありません。主イエス・キリストへの信仰の故に自然にすることなのです。ですから、正しい信仰から来る行いは善い業であり、利己心や肉の欲等も存在しないはずです。反対に、間違った信仰、または利己心等から来る行いは善い業に装った偽善行為でしかありません。

真のクリスチャンは、都会を離れて田舎の方に移動する傾向があると思います。勿論、田舎に移動する者や田舎に住む者の全員が真のクリスチャンという訳ではありません。単にある特定の田舎の地域に生まれるか、長く住んでいるからという理由から発生する地元愛からそこに住んでいるだけの不信仰の者や異教徒もいるからです。都会ではキリストに近い品性を形成するのは非常に難しいです。都会には罪への誘惑が多いし、世に属する人間の数が多いです。そのような悪影響から離れる意味でも重要な意味を持ちます。都会よりも田舎の方が霊的成長やキリストに近い品性の形成がし易いことは言えます。特に、子供の教育、健全な発育には田舎の方が良いでしょう。だからと言って、田舎に行けば絶対に安心という訳でもありません。都会と違って遊びに行く場所が無く、何もすることがないからと言って家でゲームに夢中になったり、漫画や雑誌を読んだり、ネットでくだらない動画視聴等に時間を割いているようでは田舎に住む意味がまったくありません。また、田舎に行っても偽預言者や偽教師等の偽りの教えを信じたり、偽預言者や偽教師そのものになることもいけません。

 

例えば、農夫の生活からも田舎暮らしの良さが分かります。

自らの手で土を耕し、作物を育てて自給自足をした場合、その農夫次第でその作物の出来が変わってきます。手抜きしたら収穫時の食べられる量が少ないでしょうし、品質もそれ程良くありません。しかし、手抜きせずに熱心に管理して労力を注いだ分だけ品質も上がって収穫も多いです。つまり、人の努力で、豊かな実を結ばせることができるのです。しかし、それも「自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ2:8)とあるとおりで、人間の努力という形に見えますが、実際は神の業なのです。神が信仰の厚い人をお恵みになり、そのようにさせてくださるからです。「「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」(申命記8:17~18)のとおりです。ですから、信仰の厚い人は自分の行いを誇らず、神に栄光を帰します。

上述で怠け者の話をしたように、農夫が怠ければ、作物は腐って収穫は減るか、最悪の場合収穫はまったく無くなります。しかし、昨今では人工的な台風や豪雨による土砂崩れや河川氾濫といった気象操作やケムトレイルのせいで自給自足生活も容易ではなくなり、必ずしも人間自身の努力ではどうにもならないこともあるでしょう。ですから、主イエスを信じ、神の導きのままに移動することが重要です。人間の肉の欲を基に判断すれば間違った選択になるでしょう。よって、皆が同じ所に移動するのではなく、人それぞれ適切な場所は異なり、神の御計画次第です。

 

上述したとおり、田舎に移動することは霊的成長、キリストに近い品性形成のためには理想的な環境なのですが、神の御計画は単純なものではなく、人間には完全に分からないものですから、都会でそれが実現不可能とまでは言いません。神からの召命で、都会での働きをするためにいる人もいることでしょう。しかし、肉の思い、肉の欲等が原因で都会にいるのは完全に誤った道であることは確かです。過去記事で話をしたとおり、第三次世界大戦や大地震等の大規模な災害が起ころうものなら、都会で真っ先に暴動や争い等の混乱が見られるでしょう。そして、その時になって田舎に移動したいとか海外に行きたいと思っても行けなくなっているでしょう。いつでも自由に住みたい所に住んで、海外も含めて行きたい所に行けるのは、はっきり言って今のうちです。憲法改悪以後は、基本的人権はすべて制限されているので、日本国憲法憲法が保障する居住移転と職業選択の自由(第22条1項)も無いに等しくなっているでしょう。以下のとおりです。

 

日本国憲法 第22条1項

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

自民党改憲草案 第22条1項

何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

上記だけを比較すると改憲草案の方が公共の福祉という制約が無いので良いのではと思うかもしれませんが、巧妙なトリックが隠されています。自民党改憲草案第12条を見ると分かります。

 

自民党改憲草案 第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 

上記のとおり、"常に"公益及び公の秩序に反してはならないとありますから、政府の決めた秩序、その政府を操るアメリカと背後にいるローマ教皇の秩序、即ち、新世界秩序(NWO)に従わなければ生きていけなくなるということです。NWOに従わないと自民党改憲草案第12条が脅しているように「自由及び権利には責任及び義務が伴う」とあるとおり、NWOに従うことが強制され、もし国民が逆らったら権力者が制裁を課すということです。過去に申してきたとおり、主イエス・キリストに従うのか、ローマ教皇を筆頭とする反キリストに従うのかの選択が迫られているのです。自民党改憲草案は他にも内閣の無制限の独裁を認める緊急事態条項の新設や人権よりもNWOを上にする問題だらけの内容です。今まで複数の過去記事でこの緊急事態条項の危険性について言及しましたが実際にその草案を見てみましょう。

 

自民党改憲草案 第98条

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、

閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

3

内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4

第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。

この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

 

自民党改憲草案 第99条

緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2

前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3

緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4

緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 

改憲草案98条のように、首相は簡単に緊急事態の宣言をして、人工地震や気象操作による人工台風等を引き起こせば故意に緊急事態にすることが可能になります。要するに、首相の一存で勝手にできる緊急事態宣言の発動要件が緩過ぎるのです。国会の承認が必要とありますが、与野党グルですから、簡単に承認されますのでこんな条文の存在意義はありません。また、改憲草案99条3項が恐ろしく、「国その他公の機関の指示に従わなければならない。」とあり、FEMAや武装した警察の指示に従い、FEMAキャンプのような収容所に行くように言われたらそれに従わなければいけないのです。反抗しても結果的に同じで身柄拘束されるでしょう。人権に配慮するような文言もありますが、上述で説明済のとおり、改憲草案12条が大前提であり、国民の人権よりもNWOが重要視されているのです。緊急事態条項の危険性については、こちら(YouTube)やこちら(YouTube)が参考になるでしょう。また、こちら(YouTube)とこちら(YouTube)も必ず見てください。約80年前のドイツのヒトラー政権の失敗を日本で繰り返そうとしています。むしろ、日本の内閣は故意になぞっているのです。麻生副総理の「ナチスの手口を学んだらどうか」発言からも明白です。参考までにこちら(JCASTニュース)。発言を撤回したのは表向きであり、内心は変わらず、それが憲法改悪の動きに現れています。緊急事態条項の危険性がよく分かると思います。そして、これをできるだけ多くの人に知らせてください。政府やネトサポらは緊急事態条項が必要だとか肯定することばかりを東日本大震災のような人工地震をダシに言いますが絶対に騙されないでください。憲法が改悪されたら日本は終わりです。日本国民は人間扱いされなくなります。この事実を知ってもなお、あなたは日本国民であることを誇るでしょうか。海外に移住しただけでは国籍は変わりません。滞在許可と国籍は別物です。日本は国籍法により、二重国籍を認めていません。他の国の国籍を取得するなら、日本国籍は放棄しなければなりません。移住先の国にもよるでしょうが、暮らした年数や言語能力やその土地への適応性も関係します。しかし、例外的に簡単に国籍変更や移住できる国もいくつかあるようです。気になる方は、参考までにこちら(沖哲光ブログ)やこちら(QlaDoorクラドーア)。

 

また、過去記事「サウルとダビデの違いとダビデと主イエスの関係」で述べたとおり、臆病な故に自分の保身だけを考えて、都会から田舎や海外に逃げた方が良さそうだと思って移動することは善い行いではありません。都会に住んでいようが、田舎に住んでいようが、常に神の御心を考えて行動することが重要です。神の御心を少しでも正しく知るために聖書を複数回通読して真理を知ることは重要です。今後、憲法改悪後、共謀罪による迫害が強化されれば、過去記事「共謀罪と真のクリスチャンのあるべき姿勢」や「共謀罪、刑事手続、反キリストと新世界秩序、RAPT教というカルト」で説明したように、聖書に対する圧力、主イエス・キリストの福音を伝える伝道活動にも圧力が掛かり、神を畏れて人間を畏れない真のクリスチャンは権力者から身柄拘束をされることにもなるかもしれません。聖書を持っているだけ、福音伝道をしただけ、主イエスの御名を公に言い表しただけ、聖書について誰かと語ったり、クリスチャンの兄弟同士が集まっただけ等で逮捕、拘留されるのが近未来の状態です。何度も警告しておきますが、神のことを思わず、自分の身を第一に考える臆病者は不信仰の者と同じ(黙示録21:8)です。

 

上述で田舎に移動することを述べてきましたが、多くの人々が都会にいるのに、どうやって伝道するのかと思うでしょう。それを解消する一つの手段がインターネットです。ネットであれば、場所を問わず可能です。距離も時差も関係なく、各自が読みたい時に読めます。それは聖書と一緒です。すぐ手許にあって、読みたい時に何度でも読めます。聖書は必ず紙媒体で持っていましょう。Kindleやスマホ用アプリでは電気や端末がないと読めないという制約を考えましょう。ただし、聖書や当ブログを読めるのも言論の自由、信教の自由がある間のことです。今のうちに何度も読み返し、心に刻んでおいてください。何度も申したとおり、日本においては、2020年に憲法改悪を施行予定で、2018年中に国会で憲法改正の発議を目論んでいます。参考までにこちら(BUSINESS INSIDER)。施行という言葉の意味を分かっていますか。法律用語であり、公布と施行は異なります。公布は世間に発表することですが、実際に運用されるのが施行です。過去記事「共謀罪、刑事手続、反キリストと新世界秩序、RAPT教というカルト」で、共謀罪の公布日と施行日について言及したとおりです。共謀罪の公布日は2017年6月21日で、施行日が2017年7月11日でした。2020年に自民党改憲草案に改悪した憲法を施行させようと第二の獣であるアメリカの指示で日本政府は動いているのです。日本は随分前からアメリカの属国であるということを覚えておいてください。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上