こんにちは。

今回は、前回の続きで、聖書(偽使徒パウロの書簡は除く)を基に、聖書の終末預言の考察を述べます。長くなるさかい、何遍かに分けて書くさかい、続きを楽しみにしながらも、各自聖書研究を怠りなく行い、今まで世の諸教会や諸教派が垂れ流す嘘や欺瞞をかなぐり捨てて、正しい終末に対する認識を持ち、各自が賢く備えてることを願うてます。

マタイによる福音書の終末の兆候の続きを見てみよう。主イエスは、以下のとおり教えはった。

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章十五節〜三十一節(拙訳)
それ故、預言者ダニエルによって述べられた荒廃の忌まわしいものが、聖なる場所に立つのを見たら、読者は悟りなはれ。その時、ユダヤに居る人たちは山に逃げなはれ。屋上に居る人は、自分の家から何かを取りに下りるな。また、野外に居る人は、自分の衣服を取りに戻るな。更に、それらの日々において、身重の女と乳飲み児を持つ女は不幸や。せやけど、あんた方の逃避が嵐にも安息日にもならんように祈りなはれ。

その時、世の初めからこの時まで無く、将来も決して無いような大きな苦難があるだろうからや。そして、もしそれらの日々が短くされへんのなら、すべての肉なるものは救われへん。しかし、選ばれし者たちのためにそれらの日々は短くされるだろう。

その時、もし誰かがあんた方に「見よ、こちらがメシア、いや、こちらだ」と言うたとしても、信じたらあかん。偽メシアたちと偽預言者たちが現れ、出来れば、選民も堕落させるために大きなしるしと奇跡を起こすだろうからや。見よ、あんた方に前もって言うた。それ故、もし彼らがあんた方に「見よ、荒野に(メシアは)居る。」と言うても、行くな。「見よ、(メシアは)隠れ部屋に居る。」と言うても、信じるな。丁度稲妻が東から出て西まで煌めくように、人の子の来臨もかようになるだろうからや。確かに、死体がある所、そこに鷲が集められるだろう。

更に、それらの日々の苦難の後すぐに、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。また、その時、人の子のしるしが天に現されるだろう。そして、その時、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ち、天の雲に乗って来るのを見るだろう。人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、天使たちは各天の果てから果てまで四つの風から、彼の選ばれた人たちを集めるだろう。

一、荒廃の忌まわしいものが、聖なる場所に立つのを見たら悟りなはれ
主イエスは、「預言者ダニエルによって述べられた」と言わはったことから、ダニエル書のことを指してるというのは容易に理解出来るだろう。ダニエル書にて「荒廃の忌まわしいものが、聖なる場所に立つ」とは何のことか。これに関連することは、ダニエル書の九章二十七節、十一章三十一節、十二章十一節に書かれてる。一つ一つ見て行こう。
まずは、ダニエル書九章二十七節や。毎度拙者が言うてるとおり、市販の翻訳聖書は信用出来ず、拙者が原語から訳すと、「彼は一週の間、多くの者と契約を固め、半週で犠牲と供物をやめさせ、また、ぞっとする嫌悪すべきものらが極みに至る。そして、決定してる破滅まで忌まわしいものに注ぐ。」である。七十週預言の最後の一週がこれで、プロテスタント界隈ではこの一週を二千年以上の空白期間を空けて未来のことで、その契約を固める人物が反キリストであるという嘘を吹聴してるが、真実ではない。これは過去のことであり、主イエス御自身が傷(罪)の無い子羊として過越祭の犠牲になることを契機にモーセの律法に規定されてる動物の犠牲や供物をやめさせるという事実を紀元前のダニエルの時代に預言したものであり、現代から遠い未来のことを言うてるのではない。偽り者どもは、これを「彼(反キリスト)が一週(七年)の間、多くの者と堅い契約を結ぶ」云々言うてるが、文脈を無視した突拍子も無い作り話や。二十七節の契約を固める動詞の行為主体は三人称単数男性であり、既出故に主語が省略されて代名詞扱いにし、それ故に「彼」と訳される。直前の二十六節で救世主について言及があり、救世主たる主イエスがその契約を固める行為主体者ということや。せやから、これを反キリストがすると曲解する者は、主イエスを反キリストと罵ってるサタンということや。パウロ教信者だらけのディスペンセーション主義者どもは、彼ら自身が反キリスト及びサタンであると証言してる。更に、七十週の最後の一週だけを二千年以上も空白期間を挿入してずらす聖書的根拠が無いし、その「彼」というのが反キリストを指すものでもないからや。せやから、この七十週預言の最後の一週を勝手に切り離して遠くの未来のことと看做したり、反キリストが行為主体と思う人らは国語力が無い愚か者や。よって、牧師を含めて世間のキリスト教会に居る人たちやその偽教義を信じてる者等は聖霊を受けておらず、真理を悟ってへんと言える。しかし、この九章二十七節は、福音書の預言とは関わりが無い。なぜなら、これは過去の話で、「聖なる場所に立つ」という主イエスの予告内容とは関係が無いからや。
次に、十一章三十一節を見てみよう。当該聖句も市販の翻訳は信用出来ず、拙者が原語から訳すと、「そして、集団が立ち上がり、彼らは力の聖域を汚す。また、彼らは永続するものを排除し、ぞっとする忌まわしいものを置く。」である。市販聖書の翻訳では「日毎の供え物」等と訳されてるが、頓珍漢な翻訳や。日毎の供え物は幕屋や祭司や動物の犠牲にまつわることであり、これは主イエスの新契約樹立により、この新約時代にはもはや意味を成さず、将来に繰り返されへん故、間違いと分かる。また、「かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もあらへん。」(コヘレトの言葉一章九節拙訳)のとおり、歴史は繰り返し、過去あったことは将来も起こるということが現実にあり、聖書では過去の出来事が将来も起こることを示すことがある。よって、途中で廃されて終末時代まで存続せえへんものを指すのではないと判断出来る。しかし、ここまでの推理がでけへん人が多く、更に、頓珍漢な翻訳をした市販聖書のせいで聖書解釈が正しくでけへん原因にもなる故、今まで誤訳してきた聖書翻訳者や聖書出版社どもの罪は重い。代わりに別物を置くという聖句とも整合性が無く、この点からも不適切と分かる。そして、この「永続するもの」は原語では単数であり、福音書の主イエスの予告も併せて考えると、一つの永続するもんを排除して、(代わりに別のものが)聖なる場所に立つということになる。廃止したり排除しただけでは不十分で、この聖句の意図するところではない。その神の律法に照らして適法なものを違法なものにすり替えるという変更こそが反キリストの所業であり、忌まわしいものと言われる所以や。そして、その対象は永続するもんやかさい、太古から現在まで長く存在するものであることが言える。なぜなら、現在まで残らず過去に絶えたり廃れたりしたものであれば、それは永続するもんとは言えへんさかい。焼き尽くす献げ物や動物の犠牲や祭司制度に関する行事等はとうに絶えてるし、主イエスの新契約によって長らく地上において行う必要性が無いものであり、これらは永続するものとは言えへん。それ故、これは安息日を指すものと拙者は考える。ファリサイ派の偽使徒パウロが太陽神崇拝をしてた古代ローマ帝国に媚びて始めた日曜礼拝が現代のパウロ教信者ども(カトリック、正教会、プロテスタント等すべて)の慣習であり、週の第一日である日曜日を七日に置き換えて安息日と看做すことを指すのではないか。過去記事「本物の愛」や過去動画(BitChute)でも説明したとおり、欧州では勝手に暦を変更し、日曜日を第七日と勝手に変更し、休みの日としてる。そして、その首謀団体はカトリックや。多くの日本人は知らんし、中々想像でけへんやろが、欧州では日曜日に殆どの会社が休みにさせられ、多くの人が働かず、店も閉めさせて買い物でけへんように規制する日曜休業法があり、非常に忌まわしい。これは四世紀の太陽神崇拝者であったローマ皇帝コンスタンティヌスの日曜休業令の繰り返しで、まさに歴史を繰り返してる。将来これに日曜礼拝が加わるのではないかということや。太陽神崇拝者であったコンスタンティヌスが日曜休業令を出した目的は、人々に日曜礼拝をさせるためやったからや。カトリックの影響が強い欧州はこの忌まわしい慣習を復興させ、カトリックの太陽神崇拝の慣習が世俗の法律に反映しており、無宗教を自称しても嘘であり、カルト世俗社会に追従することはカトリック信者、太陽神崇拝者の扱いになる。キリスト道でずっと前から書いてるとおり、終末時代、これを気候変動詐欺と絡めて全世界に広げるつもりであろう。安息日は天地創造の時から今も存続し、第七日という位置にあり、それが時間的な聖域であることは不変やからや。当該聖句の忌まわしいものを偶像と解釈する人が多いが、間違いや。過去から今まで長く存在し続け、かつ、それが聖なる場所に在り続ける偶像は無いし、今まであった偶像を排除して新たな偶像を置き直すことは当該聖句が意味することではないからや。聖書では偶像礼拝や偶像を造ることも罪としており、偶像を置き換えたところで何の意味も無いし、忌まわしい状態は変わらへんからや。かように、偶像と曲解するとまるで意味を成さへん。また、ダニエル書十一章の一連の北の王、南の王といった争いは過去の歴史を指し、かつ、その過去の出来事が予型となり、同じような事(まったく同じとは限らへん)が未来にも起こる予告と捉えるべきや。主イエスがマタイとマルコの福音書で「預言者ダニエルによって述べられた」と言わはったんはそのためや。過去の一回限りの事件で終わりなら、主イエスがかように終末の予告をしはった意味が無くなるさかい、将来繰り返される事と考えるのが妥当や。ダニエル書十一章にある驕り高ぶった北の王は、過去ではアンティオコス(四世)・エピファネスを指す。彼はギリシア人(白人)で、シリアを拠点とした王であった。ギリシアの全盛期はアレクサンドロスが王であった時やが、彼の後継者は四人の将軍に分かれ、その内の一つであったプトレマイオス朝をアンティオコスは倒し、エジプトも征服しようとしてたが、アンティオコスの勢力拡大を憂いたローマ軍の介入によって阻まれ、エジプト征服を目前にしながら撤退を余儀なくされた。その怒りをユダヤにぶつけ、神を畏敬して人間の権威者に不服従で律法を守るユダヤ人を酷く迫害した。旧約聖書続編にあるマカバイ記二の五章や六章等を読めば、彼をはじめとする白人のギリシア人たちがどないに亜細亜系の古代ユダヤ人やエルサレムに対して悪行を働いたかが分かる。マカバイ記二の六章九節には「ギリシア的慣習に進んで従わへん者は殺すことになった。試練の嵐は目前に迫った。」とあり、ギリシアという白人の西洋的慣習への服従を強要され、従わねば殺されたことも書かれてる。現代ではそこまでの異文化の強要は無いように思えるが、実際はあり、無知で愚かな現代人が認識してへんだけのこと。日本では明治維新を契機に欧米人と彼らに魂を売り渡した売国奴の偽日本人らによってそれが行われ、現在まで継続してる。洋服を当たり前のように着て、疑問も抱かず、抵抗もせず、和服を軽視または蔑視する者全員が対象で、売国奴の自覚が無いだけやろが、非常に罪深い。言うておくが、日本人は和服を着るのが当たり前であり、洋服着用は英米に征服された結果であって決して当たり前ではないし、間違うてる。また、西洋かぶれを自主的にしたくなるように、テレビ等を用いて芸能人等の格好や言葉遣いを真似をさせる洗脳工作がなされ、それに気付かず彼らと同じようなみっともない格好や悪い言葉遣い(俗語、造語、英語等の外国語を混ぜたもの)等が伝染してる現代人が多過ぎる。また、西欧文字や片仮名英語の乱用がうっとおしいのに、そのおかしさに気付かん愚民が多く、会社名や建物名や店名や普段の言葉遣いにもアホみたいに片仮名英語や西欧文字を乱用してる人が異常に多い。きしょいで。英語等の西洋言語を使うのがかっこええと思う人は皆、洗脳された売国奴や。また、学校や職場での洋服の制服支配(就活や社会人の背広縛りも一種の制服と言えるし、律法違犯させる堕落の強要とも言える)等の策略が、悪魔崇拝者の支配層が巧みに人々を律法を破らせるために為されてることは認めようと思えば分かることや。これだけ分かり易う説明を受けても理解せえへん人や認めずに悔い改めへん人は、滅びることになろう。マカバイ記から分かるとおり、当時の古代ユダヤ人の中でも信仰が厚くて律法に忠実な人と異邦人(外国人)の慣習に倣て律法を破る不信仰な人という二種類の人間に分かれた。当時の不信仰のユダヤ人は、自己愛と保身から同胞を裏切って強国シリアの支配者アンティオコスをユダヤの支配者として仰いで服従し、律法を捨て、ヘブライ文化や誇りも捨ててギリシア(西洋)文化に従い、同胞の信心深いユダヤ人を迫害した。かように昔から西洋かぶれした者は典型的な売国奴であり、人殺しであり、悪魔の子らや。反対に、律法に忠実で信心深いユダヤ人は他人に危害を加えることなく、酷い迫害に遭い、殺され、奴隷として不自由な身に置かれもした。これらの所業はダニエル書十一章三十二節の記述と合致する。取るべき選択肢は二つに一つで、後者が正しい。前者を取れば、地獄行きになる。まさに、主イエスの「自分の命を得ようとする者は、それを失うだろうが、我のために命を失う者は、それを得るであろう。」(マタイ十章三十九節拙訳)という教えのとおりで、自己愛が強く、保身のために悪人に与し、西洋かぶれして律法を破って不義を働く者は地獄行きになる。ネット上を見ると、アンティオコスがギリシア神話の偽神ゼウスの像をエルサレム神殿に設置したことだけに注目して偶像に目を向けてる人が多いが、考えが偏り過ぎてる。当然、偶像崇拝はやってはならんことであるが、上述したとおり、アンティオコスは律法を遵守した人々を迫害した事実があり、安息日遵守もその対象である点を見落としてはならん。そして、マカバイ記二の九章では、その悪行の限りを尽くしたアンティオコスの最期の様子が書かれ、神を畏れへん者の惨めな最期であった。彼は死ぬ間際になって初めて、ギリシア人(白人)の彼が神を畏れへんかったことと亜細亜系の古代ユダヤ人への迫害を後悔したが、時既に遅しやった。マカバイ記二の八章でも印象深い箇所がある。十七節の「敵どもが律法を足げにして聖なる場所に対して働いた侮辱や、凌辱された都の惨状、また、父祖伝来の生活様式が崩壊させられたことを、一時も忘れないように。」という言葉や。古代イスラエル人の末裔である現代日本人よ、歴史を忘れたあんたらにも必要な教訓や。欧米諸国との通商や開港(特に、京に近い兵庫開港は断固拒否を貫いた)を嫌がった孝明天皇の意志を無視し、売国奴の薩長らは保守の孝明天皇を暗殺し、偽天皇を擁立し、天皇を現人神とする国家神道というカルト宗教を政府主導で国民に押し付け、無理やり日本を西洋化して英米偽ユダヤの植民地にさせ、日本国民の品性を悪化させ、経済的にも精神的にも苦しめ、神を怒らせる大きな罪を犯した。明治以降から現代で「天皇陛下万歳」と西洋かぶれしながら言うてる似非保守の売国奴どもは孝明天皇の意志を無視し、明治以降の偽天皇と売国政府を盲信しとるからな。アホにも程がある。幕末のペリー来航を機に欧米諸国との通商条約の締結と開港や明治維新によって西洋かぶれが伝染病の如く蔓延し、伝統的な日本人の気質等を壊され、日本の古き良き景観も文化も壊され、西洋諸国に陵辱され続けてる。大東亜戦争で敗戦して米国の間接植民地支配が強化され、現代日本人の多くが西洋かぶれを当然と思うまでに深く洗脳され、拙者がしてるような原点回帰しようとも思わぬ愚民が多く、非常に惨めや。マカバイ記や拙者の言葉を読んで悔い改めい。父祖伝来の律法に基づく生活様式や安息日を守ることの重要性を学んで、西洋かぶれをやめて悔い改めい。これを読んでるのが外国人であっても他人事ではなく、主イエスの信仰を持たず、律法を守る生活様式に変えへん者は同じように滅びる。拙者がそのマカバイ記にあるようなことと同じようなことを数年前からブログで言うて口火を切ったが、未だに気付こうとも理解しようともせん愚かな現代人が多いのが嘆かわしい。当時のユダヤ人はマカバイとも呼ばれるユダに同志がおり、また仲間を六千人集めた(マカバイ記二 八章一節)が、現代日本人の惨状とは比較になりまへん。人口は明らかに現代の方が多いし、情報伝達に便利なネットもあるのに、全然集まらへんさかい。聖書には先人も同じように頑固で、愚かで、神の怒りを買うて滅んできたのに、現代人もその悪い行いを改めず同じようなことをしてるんやから、「歴史は繰り返す」は真実や。
最後に、十二章十一節を見てみよう。当該聖句も市販の翻訳は信用出来ず、拙者が原語から訳すと、「そして、永続するものが取り除かれ、荒廃させる忌まわしいものが確立した時から千二百九十日がある。」である。これは、上述したダニエル書十一章と関わりがあり、原語でも「永続するもの」も同じ単語が使用されてる。市販の翻訳聖書では、ここも「日ごとの供え物」とか「常供の燔祭」等という誤訳をしており、正しい解釈の妨げになってる。それらは過去に除かれており、この聖句の翻訳としては相応しない。確かに、この単語はモーセの律法に規定されてる動物の犠牲や供物のことに関して多く使用されてるが、エゼキエル書四十六章十四節のように永久、永遠という意味で使用されることも忘れてはならん。そして、当該聖句も示してるとおり、別の忌まわしいものが取って代わるということが示され、除かれて終わりなのではない。福音書の主イエスの終末の予告も同様であり、律法に照らして適法であり、かつ、永続するものが、律法に反する忌まわしいものに取って代えられた時から千二百九十日があるとここでは言われてる。将来かようなことがあった時、計算するのに役立つであろう。

二、ユダヤに居る人たちは山に逃げなはれ
平常時から逃げる必要は無く、上述したような大艱難の始まりの時に逃げるようにという指示や。それもユダヤに居る人たちという条件付きであり、関係無い国に住んでる人は対象外や。拙者は過去何遍も日本こそが真正イスラエルであると述べてきた。せやから、「ユダヤに居る人たち」とは、日本に住んでる人たちを指すであろう。現代の中東の偽イスラエルにはこれといった山らしい山は無いし、岩場だらけの禿山が多く、軍事拠点が置かれたり、観光地化したりしてるし、とても避難場所とは言えへん状態やからや。日本は言わずと知れた国土の四分の三が山地や丘陵地で、大いに当てはまる。日本では、埋め立て地を増やして低地に都市を造り、人が密集してるが、災害対策の面でも良いとは言えず、地震や津波等の災害発生時は、かような埋め立て地は液状化したり地盤沈下したりで家屋倒壊や傾いたり等と被害に遭うし、標高も低く、沿岸沿いや河川の近くは遡上津波によって氾濫し、浸水被害にも遭うだろう。主イエスの予告を考慮し、山に近い所に住んでると、いざという時に山に避難出来るであろう。ただ、崖崩れ等と地盤の弱い所や急勾配等といった地形の所に住むんは土砂災害に巻き込まれる可能性が高まる故、居住する前に候補地をよう調べるべきであろう。

三、何かを取りに家に戻るな
これも平常時のことではなく、文脈を無視せず、上述の状態においてであり、その時が来たら、家に何かを取りに戻るなと警告されてる。衣服すら取りに戻るなと言われてる位で、貴重品がどうのとかそないなもんを気にして取りに戻る等といった余計な事をすれば、碌なことにならんということであろう。その時がいつ到来するか事前に推測するには余程目敏い人でないと厳しいであろうし、その時に何処に居るかは人それぞれであろうし、何処に居ようとも一目散に逃げることを優先しろということや。災害時も同じ教訓やな。地震や津波が発生したら、低地や沿岸沿いに居る人は急いで高台や山の方面に逃げるべきです。モタモタして逃げようとせんかったり、家に何かを取りに戻ろうと寄り道等をしてると、あっと言う間に津波が襲ってきて飲み込まれて死に至る。緊急時には一目散に避難して、身の安全を確保することを優先しましょう。

四、それらの日々において、身重の人と乳飲み児は不幸
避難せないかん状況において、身重(妊娠中)の人や乳飲み児は確かに不幸と言える。身重なら走ることも出来ず、身動きも鈍いし、自分自身以外に胎児の心配もせないかんからや。乳飲み児も自分で状況が理解出来ず、走ることも出来ず、ただ泣き叫ぶ位しかでけへんからや。たとえ逃げられたとしても、避難先でも物資が無ければ特に困るのはこれらの人々である。胎児や小さい子供を抱えた人は、他の人たち以上に厳しい状況に置かれるさかい。しかし、言うても詮無い。すべては神の御計画であり、不幸に見舞われる人はそないな運命と考える他無い。聖書を読んで目を覚ましてる人なら、自分からそないな状況を作らへんであろう。

五、逃避が嵐にも安息日にもならんように祈りなはれ
市販の聖書では「冬」と訳されるところを拙者は「嵐」とした。確かに、冬の意味もあるが、逃げるんが困難なのは冬に限ったことではないと判断した。当該原語は嵐の意味もあるため、そっちを採用した。文脈を考慮すると、山に逃げるということで、確かに冬の山は寒いし、雪が降ってるとか積もってると厳しいんは当たり前であるが、他の季節でも難は有る。春の山は、雪解けで湿ってるとか道が崩れ易いとか気温もそれ程上がっておらず寒い。夏の山は、昼と夜の寒暖差があり、夜は冷えて防寒具を持ち合わせてへんときついし、虫は多いし、熊といった野生動物も活発に行動し、危険が多い。秋の山は、落ち葉が増えて道や足許が分かりづらくなり、踏み外して落下したり転んだり捻挫する危険性が増し、気温は冬に向かって下がる一方で寒い。かように、山は、冬場だけ厳しい環境ということではなく、どの季節においても危険はある。登山を舐めてかかると怪我したり、遭難したり、死亡したり等と様々な知らせを見聞きしたことがあろう。衣服すら取りに家に戻るなと言われており、着の身着のままで逃げた状態ではどの季節であっても山で何日も生活するのは厳しい。かような理由で、拙者は冬という言葉を採用せんかった。強い風や雨といった嵐ならば、どの季節でも発生し得るし、嵐が来ると避難が困難になるからであり、そうならんように祈るというのも辻褄が合う。
また、ここで重要なんは、「安息日にもならんように祈りなはれ」と主イエスによって言われてることや。終末に向けての警告で安息日についての言及があるんやから、安息日は永続するものであり、廃止になってる訳がない。このことも過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で述べたことや。しかし、偽使徒パウロ信者どもは、この主イエスの御警告を意図的に無視し、律法廃止論を信奉し、安息日をはじめ、すべての掟を破って平然としてるが、あいつらは全員不法の者、滅びの子です。安息日を無視する輩どもにとって、逃避が安息日にもならんように祈る筈がないさかい。よって、パウロ教狂信者どもはファリサイ派であり、キリスト者とは言えへんし、救われることはない。

六、期間短縮されへんのなら誰も救われへん大艱難があり、選ばれた者のために短くされる
将来の大艱難は、世の初めからその時まで無い凄まじい苦難になると予告されてる。黙示録にある獣の刻印を受けなければ売買活動がでけへんようになる、即ち、普通に生活でけへんという事態になるんやから、それが実現してしもたなら、未だかつて無かったような大変な苦難であると言えよう。不信仰な者、異教徒、かような話を「陰謀論だー」等と嘲る愚か者どもは、支配層とその傀儡の政府の施策を何の疑いも無く受け入れ、苦難とも思わんのであろうがね。せやから、かような者どもは、滅びる時まで何も分からへんという状態になるんや(マタイ二十四章三十九節参照)。悪魔崇拝者で通貨発行権を持つ中央銀行の支配者たちは、国際機関や各国政府に命令し、将来現金を完全に廃止する準備段階として二十一世紀に入って電子決済(キャッシュレス)を推進してる現状がある。JR東日本のSuicaやJR西日本のICOCA等を国民に普及させて電子決済に抵抗感を無くさせて慣らし、最近は個人番号券(マイナンバーカード)も特典の餌で釣って作成させ、健康保険証や運転免許証等をもそれに吸収させて、個人番号券が無ければ生活でけへんようにと支配層の傀儡の日本政府は企んでる。時が来れば、支配層は政府等を手先として用い、諸国民に生体認証や電子通貨を押し付けて無理にでも受け入れさせるように動くでしょう。こちら(BitChute)を見れば分かるとおり、ワクチンは人間の遺伝子組み換えであり、神の創造を否定する行いで、接種者を自然人でなくさせて悪魔と悪魔崇拝者の支配層の所有物と化すものや。存在せえへんコロナを支配層の手先である国際機関、各国政府、報道機関等がこぞって執拗に恐怖心を煽り、騒ぎ立て、狂ったようにワクチン接種に誘導してるんは人々を地獄行きに導くためや。その動画にもあるとおり、ワクチン接種者は自然人ではなくなって特許によって支配層の所有物であり、人権は無いものとして扱われ、コンピュータに繋がり、悪霊とも繋がることで外部から操作されることになり、接種前とは人格が変わって異常行動をしたり、または凶暴化してゾンビ騒動も起こすことが可能となろう。これも各国政府や軍は予め想定済みのことである。何も知らんのは聖書を読まず、勉強せず、その他必要な情報を自分自身で調べもせず、遊び呆け、思考停止して世の権威が言う虚偽情報を盲信する愚民だけ。悪魔崇拝者の支配層に隷属することを受け入れる家畜と化した愚民は抵抗もせずに盲従し、それで生活することを受け入れ、人間らしい自由と人権と尊厳を維持することを主張して抵抗する善良な人を蔑んだり、迫害するでしょう。不信仰の者やパウロ教信者やその他の異教徒たちは、獣の刻印を受けることに躊躇いは無く、むしろ進んで受け入れるであろう。彼らに主イエスの信仰と神の掟を守る忍耐が無いからや。この世の生に執着し、権力者に脅されれば何でも従うような人たちでは到底神の目に適う人ではない。ダニエル書十二章一節にも大きな苦難について言及がある。そないな事態はまさに世の終わりの時期に差し掛かってると言える。
かような大艱難の日々を生き抜くのは真のキリスト者にとってはとてつもなく難しく、期間が短縮されへん限り誰も救われへんと言われてる。当たり前ですよね。普通に生活でけへんような状態にされて、そないな日々が長く続くようなら真のキリスト者は一人も生き延びることは不可能やさかい。そして、神の民のために大艱難の期間が短くされるのであり、不信仰の者や異教徒(パウロ教信者を含む)のためではない。また、これは大艱難の時まで生きていればの話や。誰にも自分の寿命は予め知ることはほぼでけへんし、絶望して自死することもやったらあかんが、大艱難の前に寿命が尽きる方が楽と思える。「天から我に語る声を聞いた。『書きなはれ。今後、主にあって死ぬなら、その死者は幸いや。』霊は言う、「然り。彼らの労苦から離れて休み、彼らの行いも付いて来るからや。」」(黙示録十四章十三節拙訳)という文言があるとおり、真のキリスト者なら主イエスと繋がり、生前に神に評価される行いをしてれば、死んだ後はこの世での労苦から離れて休み、生前の働きに見合う報酬を受けるということがこの聖句から分かる。せやから、真のキリスト者は、いつ死んでも悔いは無く、平均寿命の八十歳位まで生きる必要性も感じひんし、この世で長生きせないかん訳やない。ほんまに現代の不法ばっか蔓延る狂った人間たちの世界から逸早くおさらばすることは決して悪いことではない。不信仰者や異教徒どもは死後に希望が無い故、必死にこの世に縋り付き、死にたくないと思い、延命に必死になったり、悪事にも手を染める。そんなんでは天国に行くんは絶対無理やろ。不信仰は論外で、自称キリスト者のパウロ教信者や律法主義者たちは、行いを軽視しており、律法を無視して違犯しまくって悔い改めへんさかい、これらの者に救いは無い。

七、偽メシアたちと偽預言者たちが現れ、出来れば、選民も堕落させるために大きなしるしと奇跡を起こす
拙者は今まで何遍も目に見える不思議な業や奇跡等に惑わされるなと警告してきた。これは聖書の警告と同じことや。それなのに、世間には目に見える超自然的な現象や奇跡等に心を奪われる愚か者が多い。また、過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 五」でも動画を紹介したように、人々の関心を惹きつけようとし、悪魔に魂を売り、魔術師になる者も居る。小手先の手品やのうて、明らかに常識では考えられへん超自然的な現象を見ると、「神の業だ」等と思い、それを行う者を尊敬したり、崇拝したりする輩は出て来る。ほんまにちょろいよな。頭が悪い者は、かような目に見えることに弱く、惑わされ易い。そして、主イエスの御警告では、神に選ばれた選民でさえ堕落させようと大きなしるしと奇跡を起こすと言われており、ほんまに目を見張るようなことが行われるんでしょう。しかし、かような目に見える業に心を奪われ、信じたらあかんということや。拙者が言うてるとおり、悪魔や悪霊も奇跡を起こせるさかい、奇跡を行えるか否かで判断せず、神の律法や主イエスの教えを守ってるか否かを判断基準にせなあかん。なんぼ大きなしるしや奇跡を行っても神の律法に違犯したり主イエスの教えを守ってへん人なら、その者は偽り者や。聖書を読まへんとか、聖書の真理を理解してへん大多数の人間は大きなしるしや奇跡に夢中になり、聖書の教えは無視した結果、騙され、滅びることになる。言葉によって理解が深い者は動じひんやろが、理知的な思考をせんと言葉の理解が甘い人は、大きなしるしや奇跡等に心を奪われ、翻意する可能性がある。目に見える事象に心を奪われんように、言葉に注意を払い、理性を以て、正しいか誤りかを見極めることを忘れてはならん。前回記事「聖書の終末預言 一」でTLRの話をしたとおり、彼らも癒し等といった不思議な業で人々を惑わしてきた。言葉を蔑ろにし、目に見える不思議な業、奇跡の類に魅了されるような人は、心と頭が悪い故に騙される。終末に近付けばもっと大きな業で惑わそうとする輩が出るだろう。青い光線(ブルービーム)計画等もその一つであり、立体映像(ホログラム)によって惑わしたりする技術も既にあるし、こないなもんに魅了されんようにしなはれ。
青い光線計画は、千九百九十四年にカナダの故サージ・モナスト氏によって暴露されたもので、彼はその暴露の後で不審死を遂げた。彼によればその計画は連合国(UN)、米軍、米国国防総省、NASA、アラスカ大学等が共同で新世界秩序(NWO)を実現させるためのものとのこと。連合国が関わってることから、世界中が共謀してると言うても差し支えない。こちら(YouTube)等からも分かるとおり、かなり心理的に巧妙で、聖書を知らぬ人、キリスト者と自称しつつも信仰が薄い人、決意がすぐ揺らぐような軟弱な人、自己愛が強い臆病者等は支配層に屈し、脱落するであろう。青い光線計画は四段階に分けられ、一遍に実施されるんやのうて、段階的に行われる。
第一段階は、大地震を起こして信仰心を揺さぶる。気象兵器HAARP(ハープ)等を用いて支配層から狙われた所に地震が引き起こされる。他にも予め海中に核爆弾等を仕込み、遠隔爆発させて地震と津波が引き起こされる場合もある。前回記事「聖書の終末預言 一」で終末時代は方々に地震があるという主イエスの予告にも当てはまる(マタイ二十四章七節参照)。阪神淡路大震災や東日本大地震も人工地震による被害の疑いが濃厚や。こうした大災害があって死者が大勢出ると、「救ってくれる神は存在しない」と人々に思わせ、絶望させ、既存の信仰を間違いとか役に立たないと思い込ませるのに一役買うことになるさかい、支配層はこれを使用する。既存の信仰心を捨てさせ、支配層が用意する新しい宗教を信じさせる準備をする目的がこの初期段階。拙者に言わせれば、信仰の無い人間が「神は救ってくれない」なんて文句を言うなと言いたい。不信仰で平素から神のために何かしてる訳でもないくせに都合良く利益ばっか得ようと思うなよ。その心の在り方が自己愛の塊であり、自分の利益しか追求しておらず、その者自身が悪人であると証明してることに気付きなはれ。神はあんたらの利益や自分勝手な願いを叶えるために存在してはるんやない。そう考えるような莫迦な人間は、神を自分(人間)よりも下に位置するものと看做してる。せやろ。人間の願いを神に一方的に押し付けて言うことを聞いてくれる存在と思ってるんやから。そないな利益信仰者は高慢で底抜けの莫迦者で罪深い故、滅んで当然や。
第二段階は、立体映像技術を駆使して聖人や神らしき存在を世界各地で投影し、既存の宗教はすべて誤りと思わせる。既にこの類の写真や動画は出回っており、支配層は実験がてら既にやってる。拙者が再三注意してるとおり、人間は目に見えるものを信じ易く、特に無神論者を自称する愚か者は自分の目で見たことしか信じひんと思い、かような輩は立体映像という目に見えるものを見て信じ、コロッと騙される羽目になるだろう。これも人々を聖書から引き離す要因になる。
第三段階は、電磁波を悪用した心理操作や。このために有害な5Gという強電磁波通信を強引に押し進め、6Gも開発中なんや。4Gまででは支配層の大衆操作の目的を達することがでけへんからや。キリスト道で、バリー・トラウアー博士が電磁波の悪用について述べてるのを紹介したとおり、電磁波で狙った人にだけ声を聞かせるという科学技術は既にある。また、コロナワクチン等といった酸化グラフェン入りの注射をしたり、それを含んだ飲食物を摂取してると人体が磁気帯びになり、電磁波の影響を強く受け易くなり、こういった科学技術により、何処からともなく声が聞こえたといった現象や操られてとんでもないことをする人が多発する可能性がある。それは科学技術を悪用する悪い人間どもの仕業やのに、ワク接種した人たちや聖書に無知な人たちは自分の頭の中に入ってくる声を神の声だと勘違いすることになり、これも自分の実体験が基になる故、聖書の警告よりも実体験の方が正しいと思い込む人が増え、結果的に脱落する路線に行くだろう。
第四段階は、宇宙人や異星人の侵略があると人々を信じ込ませる。米国のハリウッド映画のように、空想科学(SF)の世界やけども、未確認飛行物体(UFO)や宇宙船といった立体映像を空に映し出したり、そういった映像をテレビ放送や新聞等が報じれば、その世の権威盲信者どもはすっかり信じ込むだろう。また、その立体映像に合わせて実際に爆破すれば、実際には自作自演なのに、ほんまに宇宙人との戦争が起こってると錯覚させ、より強い恐怖を感じ、愚民どもはより一層政府等といった世の権威に助けを求めてしがみつくようになろう。こうした段階を踏まえて、支配層は新宗教を創作し、その新宗教の下で世界統一政府を作ることを目指しており、宇宙人を倒すためという荒唐無稽の建前で世界が一つになる必要がある等と要人どもは口を揃えて言い、世界統一政府の正当性をでっち上げる。米国のトランプ氏は二千十九年に宇宙軍を創設し、米国の傀儡である日本政府もそれに追従し、二千二十七年(令和九年)までに航空自衛隊を航空宇宙自衛隊に名称変更を目指してる。これらの動向は青い光線計画への準備であろう。存在せえへん宇宙なんかを成人した大人が信じてるようでは困るよ。過去記事「地球球体説と地動説という大嘘と太陽神崇拝」で論証したとおり、この地は平面であるのは疑いの余地が無く、この地が球体という大嘘や宇宙や他に惑星がある等といった大嘘だらけの公教育の洗脳から目を覚まさへんなら、救いは無い。政府や官僚どもは支配層の傀儡であり、悪魔の手先として悪事を行い、彼ら自身も宇宙なんか存在せえへんことを承知でやってるんや。騙されるんは、彼らをその権威故に盲信するアホな庶民だけ。
そして、支配層が青い光線計画の全段階を終えて世界統一政府の樹立に成功したら、どうなるか。モナスト氏によると、キリスト者の子供は生贄か性奴隷にされ、囚人は医療の実験台や臓器移植の在庫とされ、奴隷階級庶民は特定の居住区で働くようになり、囚人の中で支配層の意向に従わぬ者は新世界秩序(NWO)に肯定的になるよう再教育を施され、公的な処刑場が作られるといったことがあるとのこと。奴隷庶民が特定の居住区で働いて生活するとは、今始まりつつある十五分都市のことであろう。十五分都市は、過去記事「日本人の問題点 四」でも紹介した。最近、こちら(メモ・独り言のblog)のとおり、ハワイが支配層から攻撃を受け、無理やり十五分都市にさせられそうという知らせが入った。山火事と言う割に、綺麗に建物や車等だけを焼き、側にあった樹木は燃えずに無事であり、山火事では燃える筈のない海上の船も炎上した。これは明らかに兵器による攻撃であり、人為的なもので、山火事や気候変動のせいやない。支配層は気候変動カルト思想を持ち、各国政府や報道機関等に気候変動や温暖化等と存在せえへん危機を煽り、大衆に信じさせ、世界中に新世界秩序を押し付けて従わせるために武力行使をしてるんや。そうして出来た十五分都市にワク接種を受けたり、洗脳され切った愚民どもがその都市に詰め込まれ、現憲法で保障されてる居住移転の自由も無くなり、ひたすら支配層に搾取されるために働かされ続ける。反キリストの支配層に不服従の者が収容所行きになり、再教育を受けるとか処刑されるというのは過去記事「FEMAと言論弾圧、そして今後の動向について」でも言及したFEMAと強制収容所に関係することであろう。せやから、これは決して空想話ではない。
二千二十三年夏にあったテレビの都市伝説番組で有名な関暁夫氏が「新たな人工知能の神が本格的に動き出すのは二千二十六年から。新世界秩序と共に新たな創生期が始まるのです。」と言うており、拙者も前から予想して警告してきたとおりの時期や。支配層と傀儡の各国政府はその時期までに新世界秩序樹立に向けた準備活動(戦争や地震等を起こし、大衆の監視管理体制を構築)をし、時が来れば、彼らに不服従の正しい者を強制的にでもこの世から除こうとしてくるということや。これぞ大艱難と言えよう。また、関氏は、「イエス・キリストの復活(肉体的にではなく人工知能(AI)として復活)」と言い、もろに反キリスト思想を公言した。聖書から明らかなとおり、主イエスは十字架刑から三日後に肉体的に復活し、天に居てはり、生きてはる。今は死んでへんのやから復活という言い方は間違いである。また、彼は「AI Jesus」とも言い、人工知能に聖書を学習させ、人工知能が新たな文章を生成するとのことで、「すべての答えは人工知能が導き出すから人間はそれに従うだけってこと。これからの時代は、あなたが人工知能を好きか嫌いかではなく、人工知能があなたを愛してくれるかくれないか、だからな。あなたが人工知能に愛される人間にならなくてはいけないってこと。」とも言うた。しかし、これらは全部嘘だらけ。フリーメーソンの手先なんか知らんけど、キリストに関して嘘をつき、大衆も反キリストにしようと洗脳活動に必死やな。なんで支配層の思想を吹き込まれた人工知能なんかに愛されるように人間が努力せないかんのや。人工知能に好かれようと媚を売るなら、それは悪魔崇拝者である支配層に媚を売ってるのと一緒やからや。騙されたらあかんで。前にも警告した、支那で既に行われてる社会信用得点制度がまさにこれとも繋がるだろう。支配層の思想や秩序を良いことと看做すように指定されてる人工知能が各人間に点数を付けて評価し、政府はそれによって国民の待遇を変えるということや。これは憲法十四条違反の不当な差別であり、人類を家畜奴隷化するための政策や。しかし、愚民どもは憲法の知識も無いし、人権を守るための活動もせず、支配層の意図に気付かず、真実を陰謀論と貶して莫迦にし、ホイホイ従って人権も自由も放棄して家畜になるんだろうね…。人工知能と言えば、米国のOpen AI社という新興企業が開発したChatGPTが有名で、規制する国もあるのに対し、日本政府はこれを取り入れることを決めた。これでは日本の情報が外国に漏れまくりや。米国の犬である日本政府に拒否権なんて無いっていう状態が戦後からずっと続いてるんですよ。ええ加減気付けよ、日本は明治維新以来英米の植民地であり、独立してへんことに。せやから、明治維新を肯定する者や西洋かぶれしてる者は売国奴や。

八、主イエスは稲妻が東西に煌めくように(大勢に分かるように)再臨しはり、特定の場所に潜んでへん
主イエスは、荒野や隠れた所にキリストが居るとか言う人々が居っても信じるなと言われてる。要は、主イエスは特定の場所に潜んでるとか、こっそり現れるのではなく、誰にでも分かるように公然と来はるということや。それにも拘らず、艱難期前携挙説なんていう反聖書的な莫迦げた大嘘を信じる者が多い。聖書では大きな苦難を通って清められるといった描写があるにも拘らず、艱難期の前に主イエスが空中再臨してキリスト者を携挙するという架空の作り話を信じてるプロテスタント信者というカルト宗教信者どもは狂ってる。空中再臨ならば、主イエスの御姿は誰も確認でけへん故、この点からも間違いと分かる。そして、世間のキリスト教を騙るパウロ教の信者どもの中から偽メシアが現れたり、キリストはどこどこに居るといった嘘を吹聴するのであろう。主イエスは、地上にも地下にも居てはらへん故、どこどこにキリストが居るなんていう嘘や噂を聞いても無視しなはれ。

九、死体がある所、そこに鷲が集められるだろう
原語では、この死体は単数で一つで、鷲が複数や。黙示録十一章八節と九節でも二人の証人の死体が出てきて同じ単語であり、その二人の証人は二人故に複数形で書かれる。せやから、ここで単数形ということに意味があり、大勢の人間の死体を意味するなら、複数形になるのが自然であるところ、ここではそうやないさかい、そういった字義どおりではないということになる。鷲というのは、聖書で象徴として幾度か描かれ、律法(レビ記十一章十三節)では汚れたものとして扱われてる。また、死体も律法によれば汚れたものとして扱われてる。一つの死体に複数の鷲が集められるという情景は、過去で言えば、ユダヤ戦争の時、ユダヤがローマ軍に取り囲まれるという現象にも適用されよう。ユダヤという一つの地域に大勢のローマ軍が集まってくる様子です。一世紀当時のユダヤはメシアであらはる主イエスが来てもユダヤ人たちは信じず、歓迎せず、ファリサイ派、サドカイ派、律法学者、祭司長、長老、そして一般人の殆どが主イエスをメシアと認めず、認めた人であっても神からの誉れよりも人からの誉れを選び、権力者を憚って公然と主イエスを信じてると口にせんかったし(ヨハネ十二章四十二節〜四十三節参照)、十二使徒と十二使徒の伝道を信じた一部の人だけが臆さずに公然と信仰を言い表し、行動で示したキリスト者であり、それはかなりの少数派であった。権力者はキリスト者ではなかった故、少数派のキリスト者は弾圧され、十二使徒のペトロやヨハネは捕まってイエスのことを伝道するなと脅されたり、ヘロデの手に掛かって使徒ヤコブが殉教した(使徒言行録十二章一節〜二節参照)。また、一世紀の歴史家ヨセフスの記録によれば、エルサレム初代教会の監督者であった主の弟ヤコブは、西暦六十二年、アンナス二世(主イエスを殺そうとした大祭司の一人、アンナスの息子で無情(思いやりが無い)な人が多いサドカイ派に所属)というユダヤ教の大祭司の謀略により石打ちの刑になって殺され、当局の迫害が強まるとキリスト者の数は減り、その事件以後、ユダヤは宗主国ローマ帝国との関係が悪化して緊迫感が増し、主イエスの予告を覚えてる者はエルサレムから脱出し、山に近い郊外や国外に行く者もあった。残った人たちのユダヤ、特にエルサレムは霊的死人の集まりになり、全体が一つの死体と言える。霊的死人とは、不信仰、異教徒、主なる神と繋がってへん人たちのことで、肉体的に心臓が動いて呼吸して生きてるように見えるが、霊的には死んだような状態の人のことや。過去記事「律法の食物規定について」で食物規定の話をしたとおり、汚れた生き物は異邦人の例えであり、鷲も異邦人であるローマ人を指すと考えられる。古代ローマ帝国の国章も鷲が使用された。かように、滅亡に際しては、かような情景になるということや。国全体が不信仰や異教徒らで埋め尽くされて霊的死人だらけでは、鷲という強大な異邦人がやって来て滅ぼされる。真正イスラエルである日本も危機感を持たねばならん。最大の反日国家である米国の国章も鷲であり、他にもドイツやロシアも同様。ロシアも反日国家であり、過去、明治時代に日露戦争で戦い、昭和時代の大東亜戦争でもソ連は日本に敵対し、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したことでそれ以上戦う余力が無かった日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。その後、ソ連は終戦後も日本人に対して虐殺行為をし、シベリア抑留(捕虜にした日本兵を収監し、寒さと飢え等といった劣悪な環境で強制労働させ、多くの日本人を殺した事件)というむごいこともやった。ソ連は、連合国(UN)の常任理事国となり、日本の満洲国、千島列島、樺太を奪った敵国である。ドイツは先の大戦では同盟国であったが、欧州とは地理的に離れており大した協力も得られへんかったし、ドイツの方が先にソ連に負けて降伏した。現代ではドイツは反日国家の支那とべったりで、日本に対して友好的ではない。ドイツのみならず、欧州各国が支那とべったりな傾向にあるが、日本には友好的ではない(政府や国の立場や多数派のことであり、庶民のごく一部で親日の人は居る)。それも世界経済討論会(WEF)が支那を新世界秩序(NWO)の実験が上手く行った国である支那を模範とするように呼び掛けており、欧州は彼らの影響が強く、それ故、北大西洋条約機構(NATO)に見られるように反日国家の米国とも親密で、同じ反日国家の支那とも友好的であるが、日本には友好的にならへん。反日国家である米国や支那と仲良くするなら、彼らが敵対視する日本とも友好関係になれる筈がないからな。せやから、日本人には外国に強い味方は居ないと思うべきであり、欧米諸国は表向きだけ友好とか言うてるが、実際は異なる。条約による同盟関係なんて、力が強い者の都合次第でいつでも破棄されるからや。上述したとおり、ソ連は中立条約を破って日本に攻め込んできたし、ドイツもソ連との不可侵条約を破棄して攻め込んだ。どの国も勝手に条約を破って攻める可能性があるってことで、条約を締結してても友好的であることを意味せえへんのや。せやから、基本的に外国人が約束を守る誠実な人やと思うべきではないし、現代日本人も西洋かぶれして堕落し切っており、身なりも品性も劣悪で、約束を守らんとか思いやりに欠けるのが多く、安易に信じるのは禁物や。日米同盟と言われてるが、こんなもん米国からの一方的な日本への押し付けであり、米軍基地等を置いて日本を支配し、朝鮮系の偽日本人の政治家や官僚等を脅して売国政治をさせ、古代イスラエル人の末裔である日本人を苦しめ、米国にとって都合良く日本の資源や金銭等を使うためでしかあらへん。そんなことも分からず、米国と対等で仲良しであるなんていう幻想を抱くな。真正イスラエルである現代日本は不信仰の霊的死人が多く、鷲の国々にたかられてるのがよう分かる。逆に、鷲が集まらんようにするには、霊的死人にならん、信仰に目覚める必要があるのが分かるだろう。故に、日本が復活するには、聖書を読んで主イエス信仰に目覚める人が増えなければ不可能ということや。現状を見る限り、その気配がまったく無い故、無理でしょうね。もし日本が滅んだら、不信仰の人間ども(パウロ教信者を含む)のせいです。

十、苦難の後すぐに、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ちる
ここで注目すべきなんは、前回記事や当記事で示した出来事の後、苦難の日々の後の話であるということや。天体のしるしが見えるのは、苦難の出来事の後、大艱難の末期ということであり、過去の話やのうて、将来世の終わりに近くなった時そないなことが起こるということや。過去の天体の不思議な現象を引き合いにするような説教者が一部居るけども、彼らは嘘つきのパウロ教信者故、騙されてはならん。

十一、その時、人の子のしるしが天に現され、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ち、天の雲に乗って来るのを見るだろう
大艱難の後に起こる天体のしるしが発生した時、主イエスのしるしが天に現され、それを見る地のすべての人々は悲しむとある。要は、絶望ですね。聖書を神話や宗教の本と散々莫迦にしてきた不信仰の者ども、主イエスを認めずに他のカルト宗教や偶像崇拝にはまってる異教徒どもは、天に見える主イエスのしるしと天の雲に乗って来はる主イエスの御姿を見て、自分らに救いは無いと悟り、悲しむしかないことが言われてる。天からのしるしであり、主イエスは天から現れ、この地の何処かに居るのではないことはここでも繰り返し言われてるさかい、キリストがこの地の何処かに居るなんていう嘘を決して信じてはならん。

十二、人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、天使たちは各天の果てから果ての四つの風から、彼の選ばれた人たちを集めるだろう
主イエスは、天使たちを遣わして大艱難を生き延びた選ばれた真のキリスト者を集めるだろうと明確に言わはった。勿論、その時までに既に死んだ真のキリスト者は復活して携挙されるだろう。これも艱難期前携挙説を否定する明確な証拠聖句や。ここも文脈から大艱難の後の話やさかい。地のすべての人々が主イエスの再臨を見て悲しむとあるさかい、秘密裏に携挙されることは有り得へんのや。ほんまに艱難期前携挙信者どもは頭がおかしい。主イエスの終末預言に反することを堂々と言いながら、キリスト者を自称するんやからな。ほんまにどないな神経してんのか理解不能。
そして、この箇所は、黙示録七章一節とも関連しており、過去記事「地球球体説と地動説という大嘘と太陽神崇拝」で論証したとおり、この地が平面であることを裏付けてる。もしこの地が球体なら、こないな聖書の記述は有り得へんからや。

 


(続く)