こんにちは。

今回は、天地の隔たりについて述べます。

新約聖書 マタイによる福音書 二十二章十五節~二十二節(拙訳)
それから、ファリサイ派の人々は出て行かされ、どのようにして彼(イエス)を言葉において罠に掛けるかの協議をした。そして、彼らの弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に彼(イエス)のところに遣わして、言う。
「先生、我等は、あんたが正直で、真理によって神の道を教えはり、誰をも憚らへん方であることを知ってます。ほんまに人々の外見を重視しはらへん。ところで、あんたにとってどう考えるか、教えください。皇帝に税金を納めることは適法であるか、そうでないか。」
しかし、イエスは彼らの悪意に気付いて言わはった。
「何故、我を試すのか、偽善者たちよ。税金の貨幣を見せなはれ。」
さて、彼らがデナリオン銀貨を彼に持って来た。
そして、彼(イエス)は、「これは、誰の肖像と銘か」と言わはる。
彼らは、「皇帝のものです」と言う。すると、(イエスは)彼らに言わはる。
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めなはれ。」
そして、彼らは聞いて驚き、彼(イエス)を離れて立ち去った。


一、ファリサイ派は悪の代名詞
上記聖句で「それから、ファリサイ派の人々は出て行かされ、どのようにして彼(イエス)を言葉において罠に掛けるかの協議をした。」とあるとおり、過去記事「神に砕かれるか、神に逆ろうて滅びるか」で取り上げたぶどう園の話で、ファリサイ派は自分らが人殺しやその他の数々の悪行をしてると主イエスから非難され、前回記事「神の王国に相応しいように準備せよ」での話のとおり、ファリサイ派は神に選ばれた者ではないとも主イエスから言われ、まともに言い返すことも出来ず、ばつが悪いと感じ、その場から一旦退かざるを得なかったため、客観的に見ると主イエスから出て行かされた格好になった。それ故に、原文では受動態になっており、拙者はそのとおりに訳した。その場に居合わせたファリサイ派の長老たちでは、とても主イエスと論じ合って勝つ自信が無かったのだろう。それで、ファリサイ派らは離れた場所に行って、主イエスをどうすれば言葉において窮地に陥らせて社会的に抹殺するか、主イエスに対する庶民の信用や支持を失わせるかの作戦会議をして、ファリサイ派ら自身の名誉や権威の回復を狙った。
また、ファリサイ派の問題点は、多くの過去記事でも触れてきたとおり、一世紀当時の主流派であったファリサイ派は、権力欲や金銭欲等が強く、神から選ばれてへん世から出た人間が多く、人間の教えを信奉し、神の掟に反した事をする人たちやった。ファリサイ派は律法を擁護することを言いながら、その実は律法を遵守してへんかったし、そのくせ自分たちが神に仕えてると自惚れてる惨めな宗教集団であった。それ故、主イエスはその点を指摘して非難しはった。そして、偽使徒パウロもファリサイ派であり、過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 七」でも書いたとおり、パウロがサウロから改名してキリスト者になったとされる時期になっても「我はファリサイ派だ。ファリサイ派の子だ。」(使徒言行録二十三章六節拙訳)と、最高法院の場でパウロは証言した。それ以外の過去記事でも紹介したとおり、パウロは主イエスの教えに逆らうことを多く言うたし、パウロがキリスト者に転向したのは嘘であり、生粋のファリサイ派であり、キリスト者を偽装して内部から破壊するために潜り込んだ工作員や。それは聖書の記録から明らかや。パウロは幼少期からずっとファリサイ派のままであり、途中でキリストを悪用するようになり、聖書を知らぬ異邦人(ローマ人やギリシア人等)に「キリストの使徒、異邦人の使徒」と自称し、嘘を言うて欺き、主イエスを信じようとする人々を弄び、現代に至るまでパウロ書簡により非常に多くの人を滅びに導いた地獄の子や。嘘をつくことは律法違犯であり(レビ記十九章十一節)、黙示録二十一章八節で明言されてるとおり、地獄行きになる罪や。この聖句根拠を以って、偽使徒パウロは陰府を経由して地獄行きになることは想像に難くないし、偽使徒パウロを教祖として信じてるパウロ教信者どもも同じ末路や。そして、不信仰者の多くも簡単に嘘を言い、政治家、官僚、医師、弁護士、芸能人等の社会的地位を持つ者も平気で嘘をつき、子供でも嘘つきが多いやろ。嘘をつくことは、ほんまに罪深い行為やという認識を持ち、悔い改めなあかんで。悪い人間は小学生の頃から悪いのであり、「未だ子供だから」という理由で、神は容赦しはらへんからな。
以上より、ファリサイ派は悪の代名詞的な存在として有名であり、ファリサイ派の偽使徒パウロを使徒と勘違いし続けて教祖の如く崇めてるパウロ教信者である世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)やユーチューブやツイッター等のSNSやブログ上にて偉そうに偽使徒パウロの偽福音と偽教義を吹聴してる者どもは、すべてファリサイ派であり、キリスト者を偽装する反キリストや。主なる神を心から愛してるのであれば、主イエスによって救われたければ、天国行きを目指すのであれば、彼ら彼女らに聞き従わぬようにせい。無論、不信仰者や異教徒らも同じであり、論外や。

二、ファリサイ派も内心では主イエスの正しさを認めてる
ファリサイ派の長老らが主イエスに非難されて適切に言い返せずに困り、一旦退かされ、作戦会議をした後、彼らは彼らの弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に彼(イエス)のところに遣わし、上記聖句のとおり、彼らは主イエスに「先生、我等は、あんたが正直で、真理によって神の道を教えはり、誰をも憚らへん方であることを知ってます。ほんまに人々の外見を重視しはらへん。」と言うた。なんでファリサイ派の長老らは退いて若い弟子を遣わしたのか。それは、ある程度年取ってた長老らは、誇りや自尊心から、冗談でもまだ三十代半ばの主イエスに褒め言葉を言いたくなく、若い者に言わせるためやったためと推察される。代理の人間に言わせたにしろ、当該発言から、ファリサイ派らは、明確に主イエスの嘘をつかへん正直さ、その教えの正しさ、相手が社会的地位を持った世の権威者である等を気にせず、遠慮もせず、外見も重視しないと認めたことが分かる。なお、ここでいう「外見を重視しない」とは、主イエスが世の権威者と分かる外見の人であろうとも臆さず遠慮もせえへんことを意味し、服装が何でもええという意味やない。当時の権力者たちは柔らかな(高級な絹の)衣服を身にまとい(マタイ十一章八節)、権威を見せびらかすために無駄に袖や房を長くし(マタイ二十三章五節)、服装からして地位ある者、権威ある者として威張り、お高くとまり、財力や権力が無い人に対して外見によっても畏怖させてた背景があることを知るべきです。主イエスは、かような金持ちや権力者の装いを見て、怖気付いて媚びへつらうとか言いたい事を正直に言わずに遠慮したりもせず、悪い事は悪い、間違うてる事は間違うてると堂々と非難するお方やった。主イエスは、世の多数派の人間のように権力者や金持ちの前だけ低姿勢になって胡麻をするような卑劣な愚か者ではないということや。
ファリサイ派の悪い所は、ほんまは彼らが悪いとか間違うてるのが分かってるにも拘らず、悔い改めず、神の道を歩む正しい人を嫌い、貶めようとしたり、無理にでもこの世から排除しようとする点や。何がそうさせるのか。ファリサイ派の人間は神に選ばれてへん故というのが背景にあり、それ故、彼らは悪魔の支配下にあり、悪魔が欲する事を行うものや。悪魔が欲することは、主なる神を憎んで逆らい、一人でも多くの人間を滅ぼすことや。その理由は、大昔に天使として神に仕えるために創造されたにも拘らず、ルシフェルは自らが神になろうと高慢になって分を弁えず、同じく神に反感を抱いた天使と団結して神に戦いを挑んだが、あっけなく負けて彼らは堕天使(悪魔)となり、後で地獄行きの刑罰を受けると宣告され、自分らに明るい将来の希望は無く、自身の事はどうにもならへんのなら、せめて神が愛する人間をその地獄の刑罰を受ける仲間にしようと企んでるからや。神にとっても、選ばぬ人間は滅んで構へんと思し召しやし、世の終わりまで悪魔を生かし、聖書預言の予定に反しない範囲内で悪事をすることを許可してるに過ぎひん。せやから、悪魔は、主イエス・キリストから人間を引き離すためなら何でもする。故に、蝮の子(悪魔の子)たる人間たちも、悪魔と同じ行動を取り、神の律法を守らへんし、慈愛も無く、犯罪行為を平気でするし、嘘をつくし、その他の悪事もするんや。
ファリサイ派は、理性的に主イエスの正しさを認めてることから、頭では理解しても、心はそれに従わへんのや。それ故、理解してる事とは違う事を行う。ファリサイ派も主イエスの正しさを認めつつも、実際には従わず、むしろ貶めようと躍起になった。それは彼らが「世から出た人間」(ヨハネ八章二十三節参照)であり、蝮の子(悪魔の子)であり、反キリストであるからや。彼らの理性だけでは、その悪い本性には抗えへんということや(ヨハネ八章四十四節)。せやから、主イエスの教えとその直弟子である十二使徒の教えに従わぬ者は皆、反キリストであり、偽使徒パウロとパウロ教信者もそれに含まれる。偽使徒パウロがファリサイ派の反キリストなんやから、パウロ教信者も同じくファリサイ派の反キリストであるのは論理的な結論や。異教徒(パウロ教信者を含む)や不信仰者は、主イエスの教えを説く拙者に敵対して中傷したり、嘲ったり、無視したりし、積極的又は消極的に迫害する。黙って傍観してる人らは、「何も悪い事はしていない」等と思い込み、己の罪を自覚しておらず、更に悪いことに善人ぶってるのやろが、実際は消極的迫害者であり、神の敵や。こちらに味方せぬ者は敵やさかい(マタイ十二章三十節)。
また、前回記事「神の王国に相応しいように準備せよ」で弾劾した「お真実といっしょ」という名で二つの口座を使て誹謗中傷の罪を犯す反キリストも典型例なファリサイ派であり、真の聖書福音と預言に基づく論破を受ければまったく反論出来ず、ばつが悪くなってツイッター口座を非公開にして逃げた。これは、上記聖句に書かれたファリサイ派が主イエスの御前から退いたのと同じような構図。ほんまに悪人は、陰で威勢のええ事を言うておきながら、いざ見付かって弾劾されると、かように隠れて逃げる卑怯者であり、底が知れる。逃げるのは自分に自信が無く、ほんまは間違うてることを頭では理解してるからやろ。でないと、隠して逃亡する理由が無いからや。自分が正しいという確信や自信があるなら、隠れず、堂々とし、適切に確かな根拠を基に反論しに来いよ。それが出来ず、隠して、逃げて、また陰でこそこそと陰口を叩いたり、パウロ教の洗脳活動を続けるのか。ほんまに呆れるわ。かように悪い行いをしてる自分を客観的に見て、惨めやと思て、悔い改めなあかんで。そもそも、ツイッター等のSNSというネット上の公の場で発信するのは、幅広く多くの人々に自分の意見を表明するため、他人と会話するために使うのであり、弾劾されたのを機に非公開にして隠して閉ざすんは都合が悪くなったからに他ならんし、それではSNSをやってる意味が無いさかい、隠す位ならやめるべきや。また、隠すのは後ろめたい気持ちの表れであり、「お真実といっしょ」のような悪人を擁護したり、懇意になって話す者も同等の悪人や。
ツイッターの「お真実といっしょ」のみならず、真の聖書福音と預言に敵対する者どもに共通することは、彼らは自分に救いが無いことを受け入れられへんが故に、必死に拙者に敵対して言葉尻を捕らえようとし、重箱の隅をつつき、中傷して貶めようとする。まさに、上記聖句のとおり、ファリサイ派どもが主イエスを執拗に狙い、貶めようとしたのと同じ構図や。その悪行は、反キリストの自己愛故にする愚行や。すべて自分中心であり、自分が救われるべきであって、それを否定することを言う人はおかしいとか、自分らに不都合な真実を言う人をカルトだのと罵る。しかし、それは所詮、現実逃避でしかなく、神から地獄行きを宣告されるのは目に見えてるが、当事者らは「そんな訳ない。神は愛で、優しいから救ってくださる。」なんて勝手に思い込み続けるんでしょう。しかし、彼らが聖書の真理や主旨を正しく理解しておらず、神の御意志を行ってもいないことは客観的に明白であり、悔い改めの意味も理解せず、「律法=十戒」と勝手に置き換えるか、律法廃止論を信じて、律法にある多くの掟を無視して違犯し、真のキリスト者を中傷して迫害した罪は重く、かような悪事を働いておきながら天国に行くなんて、頭がおかしくないととてもそうは思えぬ。せやから、こちら側に与せえへんことが如何に悪いか分かるでしょう。

三、質問の根底に律法あり
上記聖句「ところで、あんたにとってどう考えるか、教えください。皇帝に税金を納めることは適法であるか、そうでないか。」というファリサイ派からの質問は、多くの人が理解してへん。これは、ローマ皇帝に税金を納めることが律法に照らして合法か違法かという質問や。せやから、偽使徒パウロが言うたような律法廃止論は完全に反聖書的かつ荒唐無稽なゴミや。一世紀当時のファリサイ派も、主イエスもモーセの律法が廃止されるなんていうのは有り得へんというのは共通認識であり、モーセの律法が有効で在り続ける前提でのやり取りであることを決して忘れてはならん。そして、多くの人がこの質問の意図として考えてるんは、ローマ皇帝への納税を肯定すればユダヤ人の敵となり、納税を否定すればローマ皇帝の敵として処罰される。どちらを答えても不利だというものや。また、ファリサイ派がわざわざ権力者側のヘロデ派を引き連れて来たのは、ローマ皇帝への納税を否定することを言えば、その場で主イエスを反乱罪により逮捕して処罰しようと狙うてたのは事実や。かような誰でも思いつきそうなありきたりな説明だけがなされてるだけで、どれもきちんとした解説は出来てへんのが多い。なぜなら、質問の文言をまったく無視してるからや。そもそも、ローマ皇帝への納税は疑問視されてへんかったからや。ファリサイ派らもローマ属州のユダヤに居住する以上、彼らもローマ皇帝への納税をしてた筈で、もしそれを拒んで納税せんかったなら、彼らがローマから処罰されてるだろうからや。せやのに、それを主イエスに質問したところで、納税して良いと回答を貰ったとしても、ファリサイ派らも納税してるんやから、自分らの事を棚に上げて主イエスだけを責めるのは筋違いというもの。せやから、ファリサイ派の目的は、主イエスが当時ユダヤ人の支持を集めつつあり、それを脅威に思い、何とかして主イエスを貶めて信じて支持する人を減らしてファリサイ派を信じて従うように持って行き、自分らの権威の維持や回復をすることやった。
繰り返すが、彼らの質問は、ローマ皇帝に税金を納めることが律法に適うかというものや。つまり、モーセの律法に関する質問や。ローマ皇帝への納税だけを問題にしてるのではないのに、不信仰者やパウロ教信者どもは律法と照らして合法かどうかについての質問であることを無視し、納税という政治的な問題であると論点ズレの頭が悪いことばかり言うてる。モーセの律法には、ローマ皇帝という外国の元首に納税すべきかどうかの記載が無かったし、当時はローマ帝国からユダヤは属州として併合され、ローマの支配下にあって独立してへんかったから、それに対する不満が当時の多くのユダヤ人の中にあり、それを踏まえ、主イエスがローマの権威に屈したような事を言わせるか、ローマに好意的な事を言わせることにより、ユダヤ人たちの支持を失わせ、最悪の場合は庶民たちから恨まれて命をも狙われたり、少なくとも庶民の誰も主イエスを支持せえへんようになるといった窮地に陥らせようとして先の質問をしたんや。

四、悪意ある質問にはまともに回答する必要は無い
上記聖句で「しかし、イエスは彼らの悪意に気付いて言わはった。「何故、我を試すのか、偽善者たちよ。」と、ファリサイ派からの質問に対して主イエスはかように返しはった。神であらはる主イエスは、ファリサイ派の悪意をすぐに察して気付きはった故、彼らの要望どおりの回答をせえへんことで、彼らの罠には引っ掛からへんかった。主イエスの賢さは、相手の土俵に上がらへんことです。普通は、先の質問が来れば、適法であるか違法であるかと、二者択一と思い、どちらかを答えようとし、その理由も答えようとするが、それは適切ではないことがこのやり取りから学ぶべきや。一見して答えが二者択一に思えても、そうではない場合がある。それは、質問する相手がどないな意図でその質問をしたのかを考え、悪意や敵意等があるかを判断し、罠に掛けようとしてるか否かも判断し、それらがある場合はまともに回答する必要すら無く、相手の質問に莫迦正直に答えることこそが罠に掛かることになると先読みせないかんのや。せやから、かような場合においては、相手の土俵に上がらず、そもそもの質問に悪意があるということを非難せなあかん。せやから、主イエスは、「何故、我を試すのか、偽善者たちよ。」と言わはり、質問に答えずにまず彼らの悪意を非難し、かつ、彼らが律法違犯してることも摘示しはった。なぜなら、神である主イエスを試すことは神の律法(申命記六章十六節)に反するからや。かように、ファリサイ派は色んな点で律法に反した行いをしてる(罪を犯してる)のが分かるやろ。そして、転じて、主イエスに従順で聖霊(神)の導きを受けてる真のキリスト者を試すことも同じであることを知り、試すようなことをすべきではない。神を試す時点で罪を犯すことになると思い、自粛せなあかん。

五、ファリサイ派は金銭に貪欲な金持ちの反キリスト
上記聖句のとおり、「税金の貨幣を見せなはれ。」さて、彼らがデナリオン銀貨を彼に持って来た。」とあり、ファリサイ派らは古代ローマ帝国の貨幣であったデナリオン銀貨を一つ主イエスの許に持って来た。ここで分かるのは、主イエスがデナリオン銀貨を所持してはらへんかったことや。もし所持してれば、彼らに持って来るように指示もせず、手許にあるのを取り出して見せはっただろう。この事からも地味に主イエスは金持ちでもなんでもなかったことを示してる。金持ちなら、財布に多額の金銭を入れて持ち歩いてるやろから。当時は銀行なんて無かったし、必要な時に引き出してくればいいという概念も無かった。故に、主イエスは懐に一デナリオンも所持してはらへんかったことが分かる。過去記事「救いに値する完全な者」で言及したとおり、主イエスは財産を一切持たはらず、すべてを十二使徒と共有してはり、金銭を管理する会計係はイスカリオテのユダが預かってたからや。しかし、主イエスの求めに応じて、ファリサイ派はデナリオン銀貨を簡単に出せたことから、彼らは金銭に貪欲であり(ルカ十六章十四節)、十分な金銭を持ってたことが分かる。ファリサイ派が納税に関する質問を主イエスにしたのは、主イエスを貶めることが主たる目的やったが、その裏にはローマ皇帝への税金を否定して欲しかった部分もあるのではないかと思える。先述のとおり、ファリサイ派は金銭欲が強い人の集まりであり、少しでも手許に金銭を多く持っておきたいと考えてもおかしくなく、それ故に納税を否定すれば、その分だけ財産が増えると考えるのも自然やからや。それも主イエスに皇帝への納税が律法に反すると否定させて、ファリサイ派は「ローマ皇帝への納税は律法に反するらしいから自分らは納税せえへん」と言い逃れし、ローマ側の怒りを買うのも主イエス一人のせいにしてその罪を押し付ける算段だっただろう。
ちなみに、一デナリオンは、当時の一日分の賃金や。一か月三十日として、現代日本で言えば、現在の円安による物価高や高い税負担からすれば、最低月給三十万円はないとおかしいさかい(それ以下の給料なら、それは使用者(会社等)からケチられて搾取されてるだけと心得よ)、月給の三十分の一の金額やさかい、一万円に相当する。「一デナリオンは一万円」と置き換えて理解すれば分かり易いやろ。そして、主イエスは一万円も手持ちに無かったが、ファリサイ派どもは簡単に持って来た。この点も地味に気にした方が良い。過去記事でも書いたとおり、金銭なんかこの世の物であり、昔は徴税人といった金銭や権力者に関わる仕事の従事者は忌み嫌われてた。それは神から遠いと皆が分かってたからや。しかし、現代人は不信仰者が多く、聖書を読みもせえへんために愚か者も多く、感覚がおかしい。せやから、昔の人の感覚を取り戻し、金儲けなんかに執着するのをやめ、特に金融関係は忌み嫌うべきものと覚えよ。後の世ではまったく通用せえへん貴金属(金や銀)や世の権威が発行する金銭に執着したり、貪欲に稼ごうとしたり、既に金持ちである人や所有財産を多く持ってる人らは、神から遠く、救われへん。

六、貨幣経済に洗脳されて依存するな

上記聖句のとおり、「そして、彼(イエス)は、「これは、誰の肖像と銘か」と言わはる。」と、デナリオン銀貨についてファリサイ派らに問いはった。すると、「彼らは、「皇帝のものです」と言う」た。何故、デナリオン銀貨に皇帝の肖像と銘が刻まれてたのか。それは、皇帝が当該銀貨という貨幣を所有することを意味してる。貨幣をローマ皇帝が支配及び所有してるということを意味するために、皇帝の肖像と銘を貨幣に刻んだ。現代では国家元首が通貨発行権を持っておらず、特定の民間人が持ってる。つまり、ロスチャイルド家であり、彼らの手下である中央銀行のことや。現代日本の貨幣は、円であり、紙幣には日本銀行券と書かれてる。これも注意深くなれば簡単に分かることで、日本円の硬貨は「日本国」との刻印があるが、紙幣は日本国が発行してるのではない。つまり、日本国が紙幣を発行も所有もしてへんということや。紙幣は日本銀行券という名であり、中央銀行である日本銀行のもの、転じて、中央銀行を支配してるロスチャイルド家のものということを意味してる。日本銀行は株式会社ではなく認可法人と言うてるものの、上場しており、株やのうて出資証券という名称やが実質的には同じや。ただ、日本銀行法という法律により五十五パーセントは日本政府が出資割合を持ち、株主総会も行われず、議決権も無く、特殊な法人であることから、外国に支配されてへんという建前を信じてる愚か者が居るが、そんなのは建前でしかなく、実情は異なる。そもそも、日本政府自体が欧米の支配層の手下だらけやし、残りの四十五パーセントは民間から出資されており、彼らの意図が働かへん筈もない(意向が反映されへんのに出資する筈がない)からで、まったく意味を成さへん反論や。日本銀行に株主総会や議決権が無いというのは、外部の大口出資者以外から意見されないようにという防御のため、つまり、ロスチャイルド家以外の者が横から口出さぬように防御するためというのが日本銀行法の趣旨や。日本銀行がロスチャイルド家の支配下にあるんは明治時代からずっとや。日本銀行設立の経緯を知れば、その実態は明らかや。

歴史を調べれば簡単に分かる事実や。明治時代、薩摩藩出身の松方正義は、千八百七十七年(明治十年)に渡欧してフランスのロスチャイルド家とその部下であるフランスの財務大臣レオン・セイから日本で中央銀行を設立するように促され、彼らの指示を受けた日本銀行設立案を携えて帰国後すぐに千八百七十二年(明治五年)に設立してあった国立銀行とその紙幣を急遽廃止して、民間中央銀行設立のために動き、千八百八十二年(明治十五年)に無理やり民間企業の日本銀行を設立し、その発行紙幣を通貨として強制的に変更した。渡欧前まで、松方は大蔵省に居て、大蔵卿の大隈重信と対立して大蔵省から出て行かされて内務省に異動し、パッとしない身分であったのに、帰国後の千八百八十一年(明治十四年)に日本銀行設立案を含む財政議を政府に提出してすぐに明治十四年の政変が起こり、大隈重信が政府中枢から追放され、大隈と関係が深かった官僚らは辞職したり罷免され、日本政府はすんなりロスチャイルド家の指示である中央銀行設立案を受け入れて日本銀行を設立し、松方は大隈の代わりに大蔵卿に就任と、急に出世した。また、松方は、千八百八十五年の内閣制発足時、伊藤内閣の初代大蔵大臣になり、後で総理大臣にもなった。これがロスチャイルド家の力であり、日本政府は彼らの下僕なんやと明確に分かるやろ。そして、何故、国立銀行とその貨幣をたった十年で強制的に終わらせ、別に新たな民間企業の日本銀行を設立して通貨発行権を軽々と移譲したのかって疑問に思わぬ愚民が多過ぎる。日本銀行設立目的と通貨発行権及び管理権を民営銀行に移した理由は、ロスチャイルド家に日本の通貨発行権を渡すためであり、それ以外に目的も理由も無い。過去記事「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 後編」等でも触れたロスチャイルド家の始祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトは、ハザール人の末裔たる偽ユダヤ人であり、「一国の通貨の発行権と管理権を我に与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうとそんなことはどうでもよい。」と言ったとされ、彼が三十歳の頃の千七百七十三年に世界革命行動計画二十五か条を策定し、以後、彼の子孫が現代社会の世界経済を牛耳ってる。日本は、江戸時代まで銀行なんか存在せず外国から支配もされへんかったのに、薩長土肥らの権力欲、金銭欲、名誉欲が強い者らが欧州の秘密結社員や武器商人らと手を組んで武力によって国家転覆を行い、明治維新を強行し、英国の議会制を模倣した西洋風の政府を作り、民間の中央銀行(日本銀行)を設立したせいで、今に至るまでロスチャイルド家に日本の財政及び財産を握られ、政治も牛耳られてる。こちら(note)で紹介されてるとおり、福田赳夫元首相も大蔵省の官僚であった時、フランスのロスチャイルド家を訪ねた時に脅迫され、法や契約もロスチャイルド家の前には無に帰し、ロスチャイルド家の言う事を何でも聞かねば消されると身を以て知ったという。近現代において、ロスチャイルド家は、法の支配が及ばぬ所に居るという状態であり、法令違反や契約違反もすべて無視し、自分勝手な都合を他者に強要し、重大な不正も揉み消させる無法者や。何故、マイアー・アムシェル・ロートシルトが通貨発行権と管理権のみを欲して、法律なんかどうでも良いと言うたか分かるやろ。莫大な金の力があれば、自分らは賄賂でも渡したり、脅迫したりすれば、彼らは一切捕まらず安全で在り続けられると信じてるからや。実際、この二百五十年程度ずっとそうなってる。それだけ、世の中の人間が金銭を欲しており、金銭や保身のために法や契約を破り、正義や慈愛を蔑ろにし続けてる悪人だらけである証拠でもある。まさに、「この世全体が悪い者の中にある」(ヨハネ一 五章十九節拙訳)と聖書に書かれてるとおりで、正しいやろ。拙者はそれを断じて許容せえへんし、神も同じや。円にしろ、ドルにしろ、ユーロにしろ、これらは貨幣であり、それらはすべて民間の中央銀行により発行され、世界中の中央銀行の殆どがロスチャイルド家に支配されており、その貨幣が役務や物と引き換える媒体になってる貨幣経済が近現代の社会や。
先般の米国によるベネズエラ侵攻も同じであり、ロスチャイルドの手下である米国のトランプ大統領が指示どおりにベネズエラを攻撃し、マドゥロ大統領を拘束し、ベネズエラを支配した。何故か。石油利権を得る目的もあろうがそれは表面的でしかなく、本当の狙いはベネズエラに民間の中央銀行が無かったからや。即ち、ロスチャイルド家の支配が及んでなかった国であり、あの米国によるベネズエラへの攻撃は、ベネズエラをロスチャイルド家の支配下に置くためやったと知るべきや。証拠として、こちら(note)にあるとおりで、ロスチャイルド本人がSNS上でベネズエラを攻撃したドナルド・トランプ氏を「Well done(よくやった)」と褒めた。せやから、トランプ氏は救世主ではないし、影の政府(DS)と戦う善人だという嘘を信じるな。トランプ氏は支配層の手下、操り人形の一人に過ぎひんからや。そして、日本のみならず米国も欧州も他の多くの国々もロスチャイルド家の支配下にある。民間の中央銀行があって、そこで通貨を発行して管理する国は皆そうなのだから。大手報道機関も皆、彼らの手下である故、侵攻の本当の狙いや目的は一切報道せえへん。拙者が言うてる事はすべて陰謀論やのうて、ただの事実です。事実を認めへんとか、目を背けて無かったことにして、嘘つきで不法行為をしまくる世の権威が正しいと妄信して盲従する愚民は、境界知能の者であり、それ故に理解でけへんのやろな。
聖書の話に戻すと、一世紀当時は、銀行なんて無かった。今でも本質的に銀行なんて社会にとっては不要であり、無くても誰も困らへんし、むしろ無い方が人々は幸せになる。せやから、昔は銀行なんて無かったんや。銀行は、神の律法(出エジプト記二十二章二十四節(英語訳等では二十五節)、レビ記二十五章三十六節~三十七節、申命記二十三章二十節~二十一節)で禁止されてる高利貸しや同胞に対する利子付きの貸付をしたり、大した事をしてへんのに手数料等と称して他人から搾取する泥棒のような存在でしかなく、反キリストの業ばかりする存在や。給与は銀行振込なんて銀行を介さずとも、現金を手渡しすれば済むことやろ。そうすれば、振込手数料なんて余計な費用も払わずに済む。また、電子決済においても、金融機関が手数料を不当に取り立てており、事業主の労力と利益に寄生して、何の努力もしてへんのに横からチューチュー吸い上げる寄生虫や。せやから、こちら(スマホライフPLUS)で言われてるとおり、現金に回帰する事業主も出てきており、極めて当たり前の姿勢です。客側も現金を面倒くさがるべきではない。電子決済はすべての購入履歴が金融機関に見られてるのを少しは気にすべきやで。現金が最も安全、かつ、個人情報も守れるからや。
そして、紙幣なんていう紙切れ、電子通貨という実体の無い電子的な数字なんかに価値は無いと気付きなはれ。近現代のような銀行なんてものが出来る前までは、今のような紙切れなんかやのうて、金や銀という貴金属で出来ていた故、それ自体にそれ相応の価値があった。しかし、現代の紙幣と電子通貨にはそれが無いため、信用創造による詐欺であり、実際の価値は無いのにあたかも価値があると思い込まされてるに過ぎひん。他方、江戸時代まで日本では金貨(小判)と銀貨(丁銀、豆板銀)というのが貨幣で、徳川綱吉の時代にそれまでの慶長小判(純度八割五分)から元禄小判(純度五割七分)まで下げて幕府が財政難を乗り切るために通貨に金の使用を渋って減らした結果、通貨に対する信用が下落し、純度が下がったのは価値が下がったことを意味し、元禄小判を慶長小判と同等とは思わず同額では受け付けへん人が増え、結果的に物価高を招き、社会を混乱させた。かように、金銀の純度を下げるのは価値が下落することであると日本史を勉強した者なら知ってるやろ。現在の日本銀行券の一万円札は、原価二十円程度で作られており、その差が非常に大きく詐欺と言える。しかも、一万円札は昔の通貨のような貴金属でもない故、一万円に相当する価値は実際には無く、それに信用が無くなれば、ごみでしかあらへん。
昨今の異常な円安は、国際的に日本円の価値が下がってることを意味し、輸入に頼る現代日本は円安によって物価高を招いてるのであり、おもに輸出をする一部の大企業らが得をするがために(消費税の輸出還付金という莫大な利益も享受してる)、そんな大企業から献金を受けてる政治家が政府を運営し、意図的に為替介入を行わずに放置し、違憲で無効になるべき消費税も廃止しようともせず、数の日本国民や他の国の庶民も苦しんでることを知るべきですよ。また、銀行という存在とそれを支配してる悪人によって、世界中の庶民が苦しんでることを知って体制を変えるべく動くべきです。悪人に対して黙っておとなしく従ってるから搾取され続け、生活が苦しいままなんですよ。

七、所有は支配
そして、福音書の舞台である一世紀当時、貨幣を発行及び管理してたのは当時の国家元首であった。ローマ帝国は元首である皇帝であり、それ故にデナリオン銀貨といった貨幣には皇帝の肖像と銘が刻まれてた。上記聖句のとおり、「すると、(イエスは)彼らに言わはる。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めなはれ。」そして、彼らは聞いて驚き、彼(イエス)を離れて立ち去った。」とのこと。この主イエスの御発言の意図は何か。まず、拙者の翻訳が市販聖書のそれと異なることに気付いただろう。市販聖書では「返す」という言葉が選ばれてるが、拙者はそう訳さへんかった。なぜなら、皇帝のものは皇帝に返すと言えば、それはローマ皇帝の所有であると認めてしまうことになるからや。過去記事「神に砕かれるか、神に逆ろうて滅びるか」で書いたとおり、この世の権力者や住民はこの世の所有者やのうて、神から貸し付けられた身分に過ぎひん。すべては、創造主である主なる神が真の所有者や。せやから、私有であることを傲岸不遜にも主張すべきではないということや。しかし、かと言うて、悪名高い世界経済討論会(WEF)が「Welcome to the year 2030. Welcome to my city – or should I say, “our city.” I don’t own anything. I don’t own a car. I don’t own a house. I don’t own any appliances or any clothes.(拙訳: 二千三十年にようこそ。我が街にようこそ。それとも、「我々の街」と言うべきか。我は何も所有してまへん。車を所有してへん。家を所有してへん。家電製品や如何なる衣服も所有してへん。)」と言うたように、庶民がすべての所有を放棄して、支配層に所有を委ねる新世界秩序(NWO)の共産主義社会に同意しろと言うてるのでもない。彼らは、富に目が眩んで独占欲や支配欲が強い故に、庶民からすべての私有財産を巻き上げて支配層が自分らの物にしようとして言うてるからや。支配層こそ率先して莫大な所有財産を放棄して皆に分け与え、そもそも今までのような格差社会を解消すべきやのに、彼らは強欲故に絶対にせず、他人にだけ所有財産を放棄させようとする。過去記事「多数派に属す者は破滅に至る」でも言うたとおり、共産主義で庶民が幸せになる国は存在せえへん。なぜなら、必ずごく一部の人間だけが贅沢をして、多数の人間が苦しもうと知ったこっちゃないという自己中心的で利己的な悪い人間が支配する故に庶民が不幸になるに決まってるからや。そして、更に悪いことに、支配層は庶民から私事権(プライバシー)と生存権も剥奪しようとしてる。最近、各国が導入し出してる電子身分証(digital ID)がそれであり、日本では個人番号制度(マイナンバー)のことや。更に、黙示録預言のとおり、獣を拝んで獣の刻印を受けなければ売り買い(経済活動)でけへんような社会にしようと画策し、電子通貨にも力を入れて普及させようと必死に工作活動をしてる。支配層は、優生思想等といった歪んだ選民思想や特権意識を持ち、庶民全員を家畜として見下し、上から目線で監視及び管理して、逆らう者は生かさないという考えを持ち、これらの悪行を彼らの下僕である政治家や官僚や大企業経営者等に命令してやらせてるんや。家畜には番号を割り振って番号札を付けて管理するやろ。それと同じ事を人間にしてると気付き、やめさせようともっと必死に抵抗しなはれ。



世界経済討論会(WEF)らのように他人にだけ所有を放棄させて支配層という一部の人間だけが富を独占して私腹を肥やすのとは対照的に、主イエスも所有財産の放棄をしてたし、そうするように教えはったが、私利私欲のためやない故、一緒くたにしたらあかん。ロスチャイルド家のような支配層の人間は、反キリストであり、一世紀当時のファリサイ派のように傲岸不遜であり、酷く勘違いしており、自分らがこの世を支配したり、莫大な富を所有して管理してると勝手に思い込み、神に逆らい続けてる。
そして、聖句にある「皇帝のもの」という表現について、実際はその所有ではないもの、それを納めなはれと言わはった主イエスの意図は、この世の富なんていう無価値な物なんて、欲しければくれてやるという意味や。過去記事「救いに値する完全な者
」で説明したとおり、主イエスは金持ちを後の世に入れてやらへんと明確に仰せやからや。「あんた方に確かに言うとく。金持ちが天の王国に入ることはほぼない。重ねてあんた方に言うが、金持ちを神の王国に入れるよりも、らくだを針の穴に通す方が易しい。」(マタイ十九章二十三節〜二十四節拙訳)と明確に言われてるとおりや。せやから、この世の富を多く持ってる金持ちは救われず、金持ちでなくても不信仰であったり、金持ちに屈して言う事を聞いて悪事を働くなら同じ末路になる。
当時のデナリオン銀貨に皇帝の肖像と銘が刻まれ、当該貨幣は皇帝のものと言い張るなら、そんな物は皇帝にくれてやるというのが主イエスの御言葉や。金や銀、現代で流通する金銭等を大量に抱えて自己満足してても虚しいのが分からん人は惨めや。そんな物をなんぼ多く持ってても、死んだらすべてを手放すことになるし、死後は地獄行きになり、何の得にもならへんからや。
そして、この世の権威者でも所有が及ばへんものがあり、それは人間自身や。詩編百四十六編四節やコヘレトの言葉十二章七節を読めば分かるとおり、人間は死んだら終わりであり、その後は神の裁きを受けるのみで、後であれやこれやと考えることも実行することもでけへんし、人間の肉体は死後に朽ちて土に帰り、霊は与え主である神に帰る。すべての人間は、単なる肉体だけを持つ存在ではないことを知るべきや。死体を見れば分かるとおり、霊が無いと肉体は一切動かず、心停止して呼吸も停止して血流も止まると、肉体はそれを維持することが出来ずに腐敗し、朽ちて土に返る。せやのに、未だに霊を信じず、人は肉体的な存在であると勘違いし、肉体の美醜等に拘る不信仰の愚か者が多過ぎる。金銭や快楽等を貪欲に追い求めて、物質的なものの虜になってる盲人やからや。主イエスが「神のものは神に納めなはれ。」と言わはった趣旨は、神の民となる真のキリスト者なら、神に自分自身の命も体も献げるようにという意味や。主イエスがまさにそれを地上での生涯で模範として示しはったからや。この世の富なんかこの世の支配者にくれてやるが、神のものである自分の命と体は彼らの手に渡さず、彼らのために何かしてやることもないということや。実際、主イエスは神でありながらも、この世で権力者にならへんかったし、彼らと仲良くしたり手を組んだこともなく、領主ヘロデを「あの狐」と呼びはり(ルカ十三章三十二節)、総督ピラトと対面してもへいこらしたりも命乞いもせず、ひたすら天の父なる神の御意志である聖書の預言の実現のためだけに行動しはり、御自身を神のものとして、神に御自身を納めることを体現しはった。しかし、この世の多数派のように、神のものではない人間、即ち、真のキリスト者ではないのなら、神のために自分自身を神のために献身することがないだろう。
拙者は、二千十六年末(太陽暦二千十七年二月)以来ずっと神のために献身して活動し続けてるが、あんたらはどうなのか。拙者の悔い改めの呼び掛けや伝道に適切に応じず、黙って傍観してるだけとか、必要な努力を怠って成長せえへんくせにキリスト者と勝手に内心で思い込んだり自称してるだけの虚しい人、積極的に拙者に敵対して中傷したり、嘲ったり、言葉尻を捕らえようとする悪意ある輩が多数やろ。そないな事をしてる人たちは「神のもの」ではない。行いは雄弁であり、嘘をつかへんさかい。口先だけでは何とでも言えるし、嘘も言えるが、行いを見て判断すると、その人の本質が分かる。それも拙者が過去に言うてきた事や。神の所有ではない人(神の民ではない人)は、神のために献身することがないし、神の御意志も行わへん。救われたいがため(地獄に行きたくないがため)に、たとえ義務感から少しキリスト者としての活動をしたとしても、長続きせずに必ず途中で脱落する。自身が世俗社会で生きるための努力はしても、神のため、信仰の兄弟のため、隣人のためには何一つ有益な事をせえへん人は滅びる。ええ加減に気付きなはれ。この世の権力者や不信仰の悪い人間に献身しても何にもならず、後で滅びが待つだけやが、神のために献身すれば(主イエスの信仰を持ち、律法を死ぬまで守り、伝道し、慈愛ある行いをすることを指す)、神は必ずその者を救いはる。主イエスは、すべての人間に対して神に自分を献げるように求めてはる。それは、悪魔崇拝者であるこの世の支配層がやったようなモレクに子供を捧げるとか、命を蔑ろにする人身御供を意味するんやないで。主イエスの意図は、神のために生きる、神のために行動するという意味や。この世は試用期間とも拙者が現代人にも分かり易いように形容したとおり、この世での働き具合や成果を神がご覧になって評価しはり、神が認める人間のみが後の世で神と共に永遠に生きることが許されるんや。聖書は、主イエスについて証しし(ヨハネ五章三十九節)、人間がこの世で為すべき事や生き方を示す手引書であり、最重要書物や。せやから、聖書に見向きもせんとか、たとえ読んでも内容を理解せず、神の御意志を行わず、偽使徒パウロに惑わされて律法を無視して違犯し続ける人らはあかん。
せやから、世俗の仕事で消耗してる場合ではないと拙者が言うた理由も分かるやろ。日本の悪しき慣習である長時間労働や低賃金に対して何も言わずに従事してる場合やないで。会社員なら、より良い待遇や環境を求めて改善を上長や会社に対して働き掛けたり、聞き入れる気が無いと分かればそないな会社なんかさっさと辞め、転職するなり、自営業するなり、とにかく動きなはれ。何もせえへんというのが最もあかん。政治に対しても同じで、日本国民が何もせずに売国奴による憲法違反の数々の悪事や圧政によって、国民が不当に虐げられてるんを変えようとせず、人権や自由を守るべく戦わへんのは憲法十二条違反や。
改めて、自分の所有者は誰かと考え、神から出た者(ヨハネ一 四章六節)と思うなら、この世の権力者や会社等に自分を献げるのを早々にやめ、神に自身を献げなはれ。そうせえへん人は「神のもの」ではなく、救われへん。神のものにならへん者は皆、悪魔とこの世の権力者に従って彼らのもの(彼らの所有)になり、救われへん。これは、天地の隔たりがあり、その後の待遇もや。世界情勢も不安定になり、欧米諸国では既に憲法違反を繰り返し、自由や人権が奪われており、不当に弾圧されてる。日本も改憲されれば、今までのような自由も無くなるし、戦争になりかねず、「あの時もっと抵抗してれば」とか「聖書を読んで勉強しておけば」等と後悔しても手遅れになるで。拙者が言うてきたとおり、これ以上後回しにすべきではない。まだ言う事を聞かず、無視し、拒絶し、嘲り、敵対するようなら、もう知らんからな。

この世がおかしい、悪人や悪い出来事が多過ぎるって、拙者のブログや動画を見れば嫌という程、分かるやろ。この世に期待するんはやめましょう。手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなはれ。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。

以上