前回の記事

 

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・世界からの「批判」にさらされる日本

 

 

駐日外国大使らの抗議

 

 

ところが、東京にいる各国の使臣たちが、この凄惨な虐殺場景を見かねて、日本政府に抗議を申し込んだ。そのとき、外国人の大使館員や公館員は、日比谷の帝国ホテルに避難していた。同ホテルはライト式建築とあって、ビクともせず健在していた。

 

各国の外交団は期せずしてホテルに同宿し、朝夕に食堂で顔を合わせ、話題は当然“虐殺”に集中した。その結論は、日本は文明国ではなく残忍な野蛮国というものであった。

 

とくに、アメリカの大使が強硬だったようである。

 

アメリカは朝鮮内に多くの宣教師を派遣しており、四年前の三・一独立運動のときの虐殺ぶりをよく知っていた<その時はスルーしていたが>。

 

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そして軍縮問題その他においても日本帝国に対して厳しい態度であったのだ。

 

大国として各国の大使・公使への影響も大きかったのであろう。

 

かくて、各国の外交使臣が日本外務省に対して強硬な抗議文をつきつけたのである。この文書を確認すべくもないが、このことは当時の新聞記事から察しても確かなことである。当時、若きアナキスト作家であった江口渙は、抗議文の内容を次のように書いてる。

 

「このような、おそるべき大虐殺が公然とおこなわれる日本という国は、断じて文明国とは認められない。ことに、それを平気で見ていて止めようとしない日本政府は世界中でも一ばん野蛮な政府である。このような政府と国民を相手にして、われわれは今後とも正常な国交をことがつづけてゆくできるのだろうか」と。

 

日本政府は、その抗議文に驚き、われに返ったようである。

 

文明開化をめざして五〇年、世界<欧米列強>から「野蛮国」のレッテルを貼られることほど恐ろしいことはない。そこで、吸血の地獄相となった巷に、朝鮮人に対する虐殺の中止令を出した。

 

それはだいたい、九月五、六日ごろとみられる。

 

しかし、実際には九月十日すぎまでも虐殺が続いた。抗議文がなかったならば、朝鮮人は全滅したにちがいない。

 

臨時震災救援事務局警備部は朝鮮人対策の本拠であり、警備部長は内務省警保局長である。同部は九月五日午前中「極秘の打合わせ」を行ない、朝鮮人殺害に関する外国人への基本的態度を申し合わせた。

 

①日本帝国に不利な宣伝や風評を極力防止すること。殺戮事件の「発表」に関しては官庁名を用いず、関係各官の談話の形式で発表すること

 

②一部の朝鮮人に放火や略奪や爆弾投擲などが実在した、そのために混乱が起こり朝鮮人殺害も少数あり、また日本人の危害も多数あったと宣伝すること(傍点は筆者<引用ではアンダーライン>)

 

③朝鮮人の暴行または暴行せんとしたる事実を極力捜査し、朝鮮人に関する風説を事実として出来うる限り肯定すること

 

④殺害の惨状が国外に伝わらないように朝鮮人を一切動かさないこと

 

⑤軍隊や警察に集められた朝鮮人は“保護している”と宣伝すること

 

⑥大量の死体を昼夜督励<とくれい-仕事・任務を進めるため、監督して激励すること>して速やかに焼却するか穴に埋めてしまうこと

 

⑦朝鮮人をみだりに殺害してはならないことを指示する

 

⑧自警団の取締まりを奨励し「流言蜚語」に迷わないこと

 

などである。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 42~44頁より

 

 

人々を容易に「サイコパス」に変えられる 国や社会の『本質』

 

 

まさに「『マッチポンプ(自作自演)』ここに極まれり」である。

 

反省するどころか、居直り隠蔽工作に必死で、「馬鹿につける薬はない」とはよく言ったものだ。

 

無論、他の欧米帝国主義国家の「批判」が、自らの植民地体制を度外視した「偽善的なもの」であったことは忘れない。しかし「そのような事実」を差し引いても、到底、大日本帝国政府と、その臣民らの蛮行を容認することはできない。

 

前回の記事を拝見してわかるように、あまりにも常軌を逸しすぎている。

 

普通に暮らす大衆が、「象も殺すような」殺気を帯びながら、完全武装し、少数の武器を持たない在日朝鮮人(中国人/一部の日本人)を追いこみ、捕まえた人を柱に縛り付け、生きたまま目玉や鼻を削いだり、喉を破ったり、腹を裂いて腸をむき出しにさせ、若い妊婦を殺害して胎児まで引きずり出すようなことを、平気で行い、あまつさえ「自らの行い」を自慢するような、狂った「精神異常者」を筆頭に、近代以後の日本人が、そうしたヤバすぎる性質を持ってしまったことは、やはり大日本帝国の存在や、関係する歴史教育、そして根底にある呪術的な天皇崇拝があったことを無視して話すことはできぬだろう。

 

日本の国家権力の正当性を天照大御神の「神勅」に由来し、明治憲法第三条にて、天皇の存在「神聖ニシテ侵スヘカラズ」などと謳い、政治学者マッキーバー「君主制がなお存続しているところではどこでも古代の魔術信仰の一部を保持しているが、最も顕著なのは日本(以下略)」(秋永肇訳『政府論』上巻16頁より)と表現している。

 

‐福沢諭吉の思想をたどる(日本軍国主義の淵源)‐

 

冷静に考えて、あそこまで朝鮮や大陸の人々に対して「憎悪」を持つことは、普通の社会状況ならありえず日常的に「かなり強い洗脳状態」に置かれていなければ説明がつかない。

 

クソ以下の保身的『立場主義』に固執し、本質的な劣等感と憎しみを持った、かの政府が、どのような被害者意識をひっさげる「言い訳」や「御託」を並べたところで、それは自らに跳ね返ってくるブーメランにすぎず、歴史を通して行ってきた振舞いや思想性を俯瞰して、そうした情報を発信する「意図」がおのずと見えてくる。

 

‐あの戦争で我々はものすごいものを失った‐

 

モノリンガルの国内の空間では決して認識できぬが、先の大戦における日本軍の蛮行だったり、それに対する報いを是認する世論は、アジアや他の国々において常識であるし、結果的に戦争によって発生した「連合軍による日本民間人の虐殺」を肯定して、今回の凄惨な虐殺事件を鑑みて、下のアメリカ人による主張が、ある種、正しいものと言わざる得なくなってくる。

 

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12330003251.html

 

非常に複雑な気持ちですが、ただ言えることは、仮に「ひとつの大きな間違い」を起こしてしまえば、それが止めようのない連鎖によって、行くところまで行ってしまうことだ。

 

虐殺も、戦争も、決して消せない過去である。

 

それらを直視するかしないかによって、「先々の状況」は大きく変わってくる。

 

最終的に、大日本帝国は「粉々に吹っ飛んだ」。が、完全についえたわけでもなく、今もその系譜にある人間が政権中枢に居座り、見せかけの右翼政治の裏に、宗主国アメリカに対して、民衆の利益を献上し続ける、奇妙な政治が繰り返されていることは珍しくもない。

 

ある一方では「右翼主義」、他方において「売国主義」と、総じて国家の品格や信用をぶち落としている時点で、日本はオワコンなのだが、こうしたスパイラルにある自国を、当の日本人らが認識できぬのなら、いよいよ国の衰亡は、ここ10年で加速度的に進んでいくだろう。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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