ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

 野幌森林公園 ('02.5.31)

 


午後1時30分、北海道開拓の村を出る。
森の中の裏道を通って、

 


北海道開拓記念館へ。
北海道の歴史について、詳細に紹介されている。
アイヌと和人の交易や戦いの歴史があるのが北海道ならでは。
ざっと見て回っただけだったが、出たときには3時を回っていた。

※北海道開拓記念館は、2015年(平成27年)から、北海道博物館となっています。
北海道博物館のホームページはこちら。

 

 

 

開拓記念館の裏に野幌森林公園のシンボル、北海道百年記念塔が見える。行ってみよう。
道がまた森の中に消えていくので、不安に思ったが、記念館の警備のかたに聞くと、その道で合っているそうだ。

 


森を抜けると、高さ100メートルの塔が目の前にそびえ立っていた。
北海道開拓百年を記念して、1970年に建てられた百年記念塔だ。
一見、中には入れないように見えるが、真下に行くと入り口があった。
ただし、23.5メートル上の展望台まで、階段しかない。
暑い中、狭い階段をひぃはぁ言いながら上っていく。
ま、あの東京湾観音よりはまだマシか。
途中、風の入る所もあるし。

 

※「日本縦断ゲーセン紀行」の前に行なっていた企画「東京から仙台まで ワンダースワンの旅」で、千葉県の東京湾観音を登っていたのです。真夏に行ったのでそうとう暑かったです。

 


札幌の街並みが広がる。
真正面には、明日サッカーワールドカップのドイツ対サウジアラビア戦が行われる札幌ドームも見えた。

 


反対側には野幌森林公園の森が広がる。
開拓の村からここまで、かなりの距離を歩いてきたが、これでも森林公園全体のうち、ほんの一部でしかないのだ。

 

※北海道百年記念塔は、老朽化のため2014年(平成26年)から立入禁止となり、2023年(令和5年)に解体されました。

 



鉄道コム

 

森林公園の入り口にある、「開拓の村入口」バス停(朝着いたのとは別のバス停)に来た。
ここまで来れば、バスの本数が多いのだ。
もう少し歩けば、函館本線の森林公園駅もあるが、私は新札幌駅にまだ用事があるので、バスで戻ることにする。
3時53分にバスが来たが、満員なので1本待つ。
3分後に来たバスは、がらがらだった。
どこから来たかで混み具合が全然違うということか。

 

 新札幌

 


4時2分、新札幌駅着(ゲーム路銀 -\200=-\6,190)。
またマイナス6,000円を超えた。

 


サンピアザ水族館へ(入館料\900)。
デパートの一角ながら、魚のサーカスもある本格的な水族館。
ラッコの餌づけにホッケを与えるところが、さすが北海道。
ゴマフアザラシやペンギンもいた。

新さっぽろサンピアザ水族館のホームページはこちら。

 

私が新札幌に来た理由は、この水族館が見たかっただけではない。
新札幌にはデパートが多い。ゲームコーナーもあるだろう。
そこでゲーム路銀を稼ごうというつもりだ。

 

    
日本縦断ゲーセン紀行 ルール説明
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」から捻出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(現在のゲーム路銀 -¥6,190※北海道内はマイナスでも可。

 

駅ビル「DUO-1」の案内を見ると、地下1階に「ハロータイトー」とある。
行ってみると、けっこう広いゲームコーナーだった。
ただし、客層が女子高生中心だからか、スペースの大部分がプリクラ系と、UFOキャッチャー……タイトーだからカプリチオか……系。
アップライトのビデオゲームは数少なく、やったことのないゲームばかり。
名前は聞いたことがある『式神の城』もあるが、自信がない。
それなら早々に場所を変えよう。

 

 

駅に戻る。先へ進みたいところだが、いったん札幌に戻ることにする。
以前札幌駅の広告で見た、エスタ内のナムコ・プラボに行こうと考えたのだ。
(7日目-1参照)

 

(続く)

 

札幌観光情報サイト ようこそさっぽろ JR北海道

 

 

※最近の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。

 


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午後4時50分発の北斗星1号に乗る。
今回はソロ(個室寝台)上の段。

 

2002年5月31日、午前9時20分札幌着。
寒い。
雨のせいもあるだろうが、やはり東京に比べて、気温自体が低いようだ。

札幌駅に着いて初めて知ったが、明日もう札幌ドームでW杯の試合があるという。
てっきり7日のイングランド-アルゼンチン戦が最初だと思ってた。

 

 

 

 

 札幌 ('02.5.31)

 


来るたびに札幌駅の写真を、同じ位置から撮っているが、もう外観はほぼ出来上がった感じ。
ワールドカップに外観だけでも間に合わせたのだろうか?

 


来年春オープン予定のJRホテル日航札幌も、このとおり完成しているように見える。

 

 

今回はいよいよ、札幌から先へ進むことにする。
9時55分の快速エアポートに乗って、10時3分、着いたところは、

 

 新札幌

<~苗穂(なえぼ)~白石(しろいし)~平和>↑

 


新札幌駅(ゲーム路銀 -\5,530-\260=-\5,790)。
ここから25分発のバスに乗って(ゲーム路銀 -\200=-\5,990)、

 


10時38分、北海道開拓の村に到着した。
空は曇っているが、野幌森林公園の緑が心地良い。
1908(明治41)年から1951(昭和26)年までの、旧札幌駅を模したエントランスがお出迎え(入場料\610)。

 


ここ開拓の村では、明治~昭和初期の建物が保存・復元されている。
旧開拓使札幌本庁舎をかたどったビジターセンターに入る。
特別展「北海道のスポーツの歴史」で、元ロッテの高沢秀昭選手のユニホームを見て感動する。
私と同じ苫小牧市出身の、パ・リーグ首位打者なのだ(ユニホームは苫小牧市博物館所有)。

 

立ち並ぶそれぞれの建物の内部には、当時の様子が人形を使って再現されていたり、ちょっとした展示室ができていたりする。
人形だと思っていると、たまに人間だったりして、驚かされることも。

 

有島武郎の旧宅に来た頃から、空が少しずつ晴れてきた。
平日だからか、学生さんが大勢訪れている。

 


北海中学の建物の前に、ライラックがきれいに咲いていた。
通りがかったボランティアのかたの話では、ここはヤクルト若松監督の出身校・北海高校の前身だとか。

 

農村部ではセミの鳴き声がする。エゾハルゼミだそうだ(ボランティアさんの話)。
農家で鶏も鳴いている。

 



北海道開拓の村のホームページはこちら。

 



鉄道コム

 

 

「北海道百年記念塔の展望台まで階段で上る(新札幌・森林公園)」に続く)

 

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『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。
尾崎放哉さんにゆかりのある、須磨寺にやってきました。

 

 

 須磨寺 ('23.12.24)

 


1184年(寿永3年)の、一ノ谷の戦いで討たれた、平敦盛の銅像がありました。
手前の紅葉との、色の組み合わせが美しく感じられますが、同時に、はかなさも感じられます。


敦盛の像があるということは、もちろん源氏方の熊谷直実の像もあります。

 


平家物語の有名な一場面、「敦盛の最期」を再現。
一ノ谷の戦いの大勢が決し、平清盛の甥にあたる敦盛は、馬に乗って海に逃れ、沖で待つ総大将・平宗盛の船に向かっていました。
それを見つけたのが熊谷直実。敦盛に向かって、「大将が敵に後ろを見せて逃げるとは卑怯でございましょう」と叫び、一騎打ちを所望します。
これに応じて敦盛は岸に戻ってきますが、歴戦の猛者である直実に、あっという間に組み止められました。

 


直実は敦盛の首を斬ろうとしましたが、ここで相手がまだ16歳か17歳くらいの若者、しかも美少年であることに気づいてとまどいます。
直実の嫡男(熊谷小次郎直家)も同じくらいの年齢だったこともあり、「自分が彼を討ったら、彼の父親が悲しむだろう」と思ってしまいます。
彼1人を討とうが討つまいが、戦の大勢に影響はなく、直実は敦盛の命を助けたいと思ったのですが、そこへ味方の土肥実平や梶原景時の軍勢が近づいてきました。
こうなると、逃がしたところで敦盛がほかの誰かに討たれることは必至。やむなく直実は、泣きながら敦盛の首を斬りました。

 

後年、熊谷直実は、法然に弟子入りして出家しています。『平家物語』では、敦盛を討ったことによって、直実に、出家をしたいと思う気持ちが強まったとしています。

織田信長が桶狭間の戦いの前に舞ったと伝わる、幸若舞(こうわかまい)の『敦盛』は、この平敦盛の最期を題材としたもの。「人間五十年……」のくだりは、熊谷直実が出家したときの言葉として書かれています。

 

 

平敦盛が討ち取られたときに持っていたという「青葉の笛」(平家物語では「小枝」(さえだ))が、宝物館に展示されていました。青葉の笛と同じく敦盛が持っていたと伝わる「高麗笛」という細い笛とともに、厨子に納められています。

現在この宝物館は入館無料ですが、江戸時代には拝観料を取っていたようで、松尾芭蕉が「須磨寺の笛は拝観料に見合わない」と書いた手紙が遺っているそうです。

 

そのほか、宝物館に展示されているのは、敦盛と直実の画像や錦絵、直実が出家後に作ったという敦盛の像。
直実が敦盛の母衣(ほろ)に書いたという「南無阿彌陀仏」の名号。法然上人直筆と伝わる「南無阿彌陀仏」名号。
武蔵坊弁慶が、戦場で軍の統制をとるために使うべく、長刀に引っかけて運んできたという鐘。

 

現在の本堂を建てた、片桐且元が揮毫した扁額。運慶作と伝わる鬼面。鰐口。敦盛と直実の文楽風人形。
重要文化財・南北朝時代の絹本著色普賢十羅刹女画の複製。
須磨寺ゆかりの「一絃琴」。1枚の板に1本だけ絃が張られた琴で、在原行平(六歌仙・在原業平の兄)が一時、須磨に流されたとき、その場にある材料で作ったのが始まりとされています。

 

宝物館の隣の部屋は「小石人形舎」。小石人形は木島武雄氏という方の作品で、小石を人の体に見立てて、須磨寺の歴史、百人一首、一ノ谷の戦いなどを表現しています。

 

須磨寺

 



鉄道コム

 

(続く)

 

※『脱出ゲーム 香川県からの脱出』のヒット祈願で、ゲームの登場人物ゆかりの地を巡る旅は、以前にも何度か行なっています。よろしければこちらも御覧下さい。

 

JR大津駅 瀬田の唐橋 建部大社(日本武尊) 建部大社、琵琶湖線 大阪駅となんば駅 南海・浜寺公園駅 阪堺・浜寺駅前駅と浜寺公園 夜の浜寺公園と堺市

 

JR阪和線・東羽衣支線 大鳥大社(前編)(日本武尊) 大鳥大社(後編) 仁徳天皇陵 堺シャトルバスなど 阪神なんば線 阪神本線、神戸三宮

 

(※関西・岡山ダイジェスト) 大津・建部大社と堺・大鳥大社(日本武尊)、神戸・須磨寺(尾崎放哉) 岡山・吉備津神社と吉備津彦神社(桃太郎) 安倍晴明神社と、あべのハルカス、道頓堀、特急ひのとり

 

 

池上駅 池上本門寺(日蓮) 矢口渡駅、蒲田の屋上観覧車 武蔵新田駅から新田神社(1)(新田義興、平賀源内) 新田神社(2) 新田神社(3)

 

東急&相鉄新横浜線&相鉄・JR直通線 緑園都市駅&ゆめが丘駅 藤沢本町(源義経) 辻堂駅・テラスモール湘南(前編) テラスモール湘南(後編) 片瀬江ノ島駅

 

多磨霊園(前編) 多磨霊園(後編)(大平正芳、大川博、菊池寛) 虎ノ門の金刀比羅宮 神田明神・将門塚(平将門) 東寺(空海) 白峯神宮(前編)(崇徳天皇) 白峯神宮(後編)(崇徳天皇) 晴明神社(安倍晴明) 北野天満宮(菅原道真)

 

ゲームブック風アドベンチャーゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』はこちらから。


※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

 


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