九条~京都~五条~四条(しじょう)
~烏丸御池(からすまおいけ)~丸太町~
今出川('21.12.15)
今出川駅4番出口から外へ出たが、道を挟んだ向かいにある、3番出口の方がかっこよかった。
3番出口から左手に、同志社大学の赤レンガ色のキャンパスが続いている。
この色を見て、「そういえばカズレーザーさんは同大卒だったなあ」と思った。
方角がわからなくなりかけたので、Google Mapで確認。
今度はひたすら西へ進む。ちょっと疲れている。
昨日行けなかった、山科のショッピングセンターに行って、休憩した方がよかったんじゃないかと、途中で思った。
10分くらい歩いて、白峯(しらみね)神宮に到着。
白峯神宮は1868年(慶応4年)、明治天皇が創建した。
もともと孝明天皇が、都より遠く離れた讃岐の地に眠る崇徳天皇を慰霊するため、その御霊を京都に移すよう幕府に命じていた。
明治天皇はその遺志を継ぎ、崇徳天皇の御霊を讃岐から迎え、当地にまつった。
また1873年(明治6年)には、崇徳天皇と似たような状況で、淡路島に配流されて崩御した、淳仁天皇の御霊も迎えて合祀している。
崇徳天皇は1123年(保安4年)に即位したが、父の鳥羽上皇が院政を敷いていたため実権はなかった。
皇位継承と院政を巡る争いで、鳥羽上皇や後白河天皇と対立。
1156年(保元元年)、鳥羽上皇が崩御すると、「崇徳上皇と左大臣・藤原頼長が謀反を起こす」という噂を流される。
源義朝が頼長の屋敷を奪い、頼長は崇徳上皇とともに白河北殿に立てこもった。
崇徳上皇を守るべく、源為義や為朝、平忠正らが奮戦したが、源義朝に加えて平清盛が後白河天皇側につき、夜襲をかけて崇徳上皇を破った(保元の乱)。
崇徳上皇は讃岐へ配流され、現地で崩御した。
拝殿に、数多くの提灯が奉納されている。
サッカーなど球技関係者からの奉納が多い。
ここはかつて、蹴鞠(けまり)の宗家・飛鳥井(あすかい)家の屋敷があった場所。
そのため球技をはじめ、スポーツの神様として知られている。
お守りにも「闘魂守」や、各球技のボールが描かれた「叶う輪」、闘魂タオルや、闘魂リストバンドがある。
「蹴鞠の碑」。
地主社の精大明神にお参りした後、この碑にはめ込まれた「撫で鞠」を1回転させると、球運を授かるという。
この碑の奥には京都市指定天然記念物、樹齢800年のオガタマの木が生えている。
毎年4月14日(淳仁天皇祭)と7月7日に奉納蹴鞠が行なわれる、「鞠庭」というフィールド。
サッカーからセパタクローまで、奉納されたさまざまな球技のボールが展示されていた。
地主社の前の、不思議な牛の石像。
左前足でサッカーボールを踏み、左後足に靴(スパイク?)を履いている。
腹の下にラグビーボール。
首輪はおそらく野球のボール。
尻尾がテニスかバドミントンのラケット。
牛の目の前に、文字や図形や楽譜など、雑多なものが書き散らかされたノートが置かれているのも謎。
一応、崇徳天皇に関係する「保元の乱 一一五六」という字もあるが。
本殿に参拝。
今作っているゲーム『香川県からの脱出』が、無事完成してヒットしますように。
「崇徳天皇欽仰之碑」。
小倉百人一首にも選ばれた、崇徳天皇(崇徳院)の歌が刻まれている。
瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の
われても末にあはむとぞ思ふ
境内社の伴緒社(とものおしゃ)では、保元の乱で崇徳天皇について戦った、源為義・為朝親子をまつる。
ともに弓の名手で、特に鎮西八郎こと源為朝は、弓矢で舟1そうを沈めたとされている。
白峯神宮では弓道・武道の神としてまつられている。
潜龍社(せんりゅうしゃ)は、かつて本殿で御火焚祭を斎行した際、炎の中から現れた、龍神様をまつっている。
この御火焚祭が行なわれたのが、1955年(昭和30年)。
「龍神様が現れた」という伝説が、昭和、しかも戦後の話であることに驚く。
潜龍社の前に「笑い龍」の石像がある。
なでる。
本来は口から水が流れるらしい。
京都市観光協会 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第237回 東寺で弘法大師に開運祈願(東寺、九条→今出川)
・第236回 悪縁を切り良縁を結ぶ(京都河原町、祇園四条、醍醐→椥辻)
・第235回以前
・京都(第234回~)
・大津(第224回~第234回)
・テーマ別記事一覧
スマホ用無料ゲームを作っています。
「脱出ゲーム 新入社員・江須恵(えすけい) 例のプールに閉じ込められた!」
「芸能人 真澄田竜子 - 霧笛があの娘を呼んでいる」