東寺('21.12.15)
南大門から中に入る。正面に金堂。
(ただしここから金堂に入ることはできない)
右に五重塔が見える。
手前の八島社は地主神らしい。
左に弘法大師・空海さんの像。
東寺(教王護国寺)は、平安京への遷都の2年後、796年(延暦15年)から造営が始まった。
823年(弘仁14年)、空海が東寺を賜り、真言密教の根本道場として発展させた。
大師像の隣には、1992年(平成4年)に再建された鎮守八幡宮が建つ。
空海が彫ったと伝わる、日本最古の神像、僧形八幡神像などが納められているらしい。
1336年(建武3年)、湊川の戦いに勝利した足利尊氏が、光厳上皇を奉じて京都に入り、東寺に本陣を置いた。
新田義貞の軍勢が攻めかかってきたが、この八幡宮から放たれた鏑矢が、新田軍を退却させたそうだ。
またここは空海が810年(大同5年)に、薬子の変の鎮圧を祈った場所でもあるらしい。
薬子の変は、奈良にいた平城上皇と尚侍の藤原薬子、その兄の藤原仲成が、京都の嵯峨天皇と対立した事件。
平城上皇と薬子は、東国で兵を集めようと、奈良を出て東へ向かったが、坂上田村麻呂が素早く対応し、奈良から東へ向かう道に兵を配備。
上皇と薬子は奈良へ引き返さざるを得なくなり、上皇は出家して隠居する。薬子は自害。京都にいた仲成は捕らえられて処刑された。
空海は、鎮圧に貢献したということで、嵯峨天皇に厚く信頼されるようになる。
空海は讃岐の善通寺出身なので、私が今作っている、香川県を舞台としたゲームに、登場させたいと思っている。
あのゲーム規制条例を無理やり成立させた人たちも、薬子や仲成のように、空海さんに調伏して頂きたい。
八幡宮の隣にある灌頂院は重要文化財。伝法灌頂など重要な儀式を行なう所。
塀と2つの門に遮られてよく見えないが、これら2つの門自体も重要文化財だ。
広い空間。人はいるけど、静か。
心が落ち着く。
このあたりのエリアは拝観料が無料ということもあり、地元の方々の憩いの場、散歩コースにもなっているようだ。
右手に金堂と、朱色の柱に白い壁の講堂が並ぶ。
拝観料を払えば中に入れるが、受付は別の場所にあるので、拝観はまた後ほど。
北へ進むと、突き当たりに聖観音像と地蔵像。
奥に宝物館があるが、開館するのは春と秋のみ。
最近修復された御影堂(みえどう)。
(大師堂とも)
屋根の檜皮葺(ひわだぶき)がきれい。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)や石碑やお地蔵さんが、向かいに並ぶ。
御影堂の建つこの場所は、かつて空海が住んでいた所。
現在のお堂は1380年(康暦2年)に再建された。国宝。
空海の念持仏とされる不動明王像(こちらも国宝)がまつられている。
秘仏だが、間近に見える木戸の中にまつられているのだろうか。
毘沙門天、三面大黒天、不動明王を拝み、鐘楼、大日堂(回向所)まで来たところで、
さっきの御影堂は、こっちが正面だったことに気づく。
さっき不動明王を拝んだ、後堂(うしろどう)が再建された後の1390年(明徳元年)、こちら側の前堂と中門が加えられた。
正午になったようだ。何かのメロディーが流れてきた。
食堂(じきどう)へ。
かつて6メートルの千手観音立像がまつられていた建物だが、1930年(昭和5年)に焼失。
現在の食堂は、1933年に再建されたもの。
御本尊の千手観音像は修復され、宝物館に安置された。
代わりに、新たに刻まれた十一面観音立像が御本尊となっている。
その脇に、絹本の不動三尊像と釈迦三尊像。
そしていちばん左側に、かつて千手観音を護っていた四天王の像。
1930年の火災で、かなり大きく焼損してしまったが、像の大きさと、火災の跡の生々しさが相まって、迫力がある。
四天王像の前に、写経の場所がある。
また、四国八十八ヶ所などの納経所もある。
企画展として、観瀾斎(かんらんさい)氏による、ほのぼのとした仏画が展示されていた(2021年12月22日まで)。
昨日もそうだったけど、歩いている間に日差しが増して、けっこう暑くなってきた。
京都市観光協会 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 近畿日本鉄道
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※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第237回 東寺で弘法大師に開運祈願(東寺、九条→今出川)
・第236回 悪縁を切り良縁を結ぶ(京都河原町、祇園四条、醍醐→椥辻)
・第235回以前
・京都(第234回~)
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