高輪の街にとけこむ小さな高野山 | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。
高輪ゲートウェイ駅の近くに、立ち寄りたい所があったので、そちらへ向かいます。

 

 

 高輪(たかなわ)ゲートウェイ('23.9.24)

 


高輪ゲートウェイ駅から、建設中のビルを回り込む形で、南へ進み、西に折れ、第一京浜(国道15号)へ。


第一京浜側から見た、駅前で建設中の2棟の超高層ビル。

ビルを背にして第一京浜を渡り、さらに西へ。

 

この旅に出る前、高輪ゲートウェイ駅付近の地図を見たとき、「高野山 東京別院」という文字を見つけていたのでした。

弘法大師
高野山といえば弘法大師・空海さんが興した、仏教、特に真言宗の聖地です。弘法大師は香川県出身者でいちばんの有名人なので、もちろん『香川県からの脱出』にも登場して頂きました。
【善通寺:4】<脱出ゲーム 香川県からの脱出> 藤原仲成・薬子か、蘆屋道満か
【善通寺:5】<脱出ゲーム 香川県からの脱出> 県民の声の捏造、そして恫喝

以前、京都の東寺には参拝したのですが、和歌山の高野山にはまだ行ったことがありません。
東京に別院があるのなら、せめてそちらには、うかがいたいと思ったのです。

 

ただ、地図ではわかりませんでしたが、ここから高野山まではかなりの上り坂。
染井霊園と明治通りで歩き疲れている状態では、ちょっときついです。

都内の坂でよく見る、坂の名前の書かれた木柱によると、この坂は、昔ツタカズラがはびこっていたから、「桂坂」という名前になったそうです。
名前の由来の別説として、「かつらをかぶった僧がここで急死したから」とも書かれていましたが、それはさすがにどうかと。かつらをかぶった僧って。

 

駐車場の入口らしき所から、高野山東京別院に入りました。


本堂の前で家族連れが遊んでます。
町の人々に親しまれている、のどかな高野山です。

 

高野山東京別院は、慶長年間、高野山の学侶方(高野山の僧侶の3つの派閥「高野三方」の1派(あとの2派は行人方と聖方)。密教の研究や祈祷を行なった)の在番所として開創されたのが始まりです。
1673年(延宝元年)、「高野山江戸在番所高野寺」として建立。当時、高野山の学侶方と行人方には、参勤交代に近い「江戸在番」が義務づけられていて、この高野寺には高野山の重役が交代で参勤していました。

高野寺は、幕府との交渉や、幕府からの通達を全国の真言寺院に伝える役目を担うとともに、学侶教修の道場、大師信仰の実践の場となっていたそうです。

明治時代に在番所が廃止されましたが、葛飾牛島の長壽寺から名蹟を移して寺蹟を継承。1927年(昭和2年)、「高野山 東京別院」と改称し、現在に至ります。
住職は金剛峯寺の座主が兼任し、座主から任命された主監が、東京別院の運営と、東京地区の宗務を取り仕切っています。

 

本堂で、お大師様にお参り。
東寺でもお祈りしましたが、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』のヒット祈願と、大師様の地元・香川県におけるゲーム規制条例が廃止され、まつりごとが正しく行なわれ、(香川以外の都道府県でも)誤った学説による偏見が広まらず、人々が自由に暮らせるようにという祈願。

 


不動堂で、不動明王様にお参り。

 


その隣には、神道式に鳥居が建ち、社が並ぶ「明神社」がありました。
和歌山の金剛峯寺の境内には御社(みやしろ)という鎮守社があり、弘法大師を高野山に導いたとされる神々がまつられています。東京別院にもその神々はまつられていたのですが、明治の廃仏毀釈で失われていたようです。
2015年(平成27年)、高野山開創1200年を記念して再建されました。
建立に携わった石材会社のサイト(株式会社ジョウコウ)によれば、四国産の庵治石(あじいし)と、高野山のヒノキが使われているそうです。

4つのお社は右から、丹生明神と気比明神、高野明神(狩場明神)と厳島明神、十二王子と百二十番神(百二十伴神)、そして東京別院の氏神である高輪神社の御祭神(宇迦御魂神(稲荷大神)、誉田別命(応神天皇)、猿田彦神)だそうです。
丹生明神は高野山の地主神で、高野明神は弘法大師に霊地として高野山を薦め、2匹の犬に高野山への道を案内させた神。

 


明神社のさらに右隣。
この写真のいちばん左は、副総理、官房長官、法務大臣、警察庁長官などを務めた後藤田正晴さんと、妻・松子さんの碑。(ともに徳島県出身)
このお寺の墓地にお墓があるそうです。

 

その右には、正伝大東流合氣武術宗範・佐川幸義氏の顕彰碑。
大東流合気柔術の実質的な祖・武田惣角氏の直弟子で、惣角氏亡き後、遺族に推されて宗家に就任。惣角氏の三男・時宗氏に宗家を譲った際、「宗範」の称号を贈られました。95歳で亡くなるまで、合気の指導者として活動。
佐川氏のお墓は小平霊園にあったのですが、遺族が絶えて無縁仏になりそうだったところを、門人の木村達雄氏や、『下天は夢か』などの歴史小説で知られる作家の津本陽氏らの尽力で、当寺に改葬され、顕彰碑も建てられました。

 

石造十三重塔を挟んで、ナカリングループ顕彰碑。
春日部市で中古車販売・修理等を行なうナカリンオートと、自動車ディーラーの港三菱自動車販売、シュテルン中央(メルセデスベンツ中央、豊洲)から成るグループ。
シュテルン中央は日本初の、メルセデス・ベンツ専門のディーラーだそうです。

 


参道の反対側には、四国八十八か所の寺号と、それぞれの御本尊となる仏様の名を刻んだ石柱が、一直線に並んでいます。
各石柱の上には御本尊の石像が乗っています。小さいながらもそれぞれの仏像の特徴が反映されており、例えば第九番札所の法輪寺は涅槃仏になっていたり、第三十七番札所の岩本寺では御本尊が5尊いらっしゃったり。
それぞれの石柱の下が「お砂踏み」の場所となっており、各寺(霊場)のお砂が埋められています。

 


裏口から入ったので、最後にこの立派な山門を目にすることになりました。
お大師様の銅像と、「第壹番御霊場」「弘法大師」と刻まれた石塔。
第壹番御霊場というのは、“御府内八十八箇所”、つまり東京の八十八か所霊場の第一番札所であることを示しています。
ちなみに、すぐ隣に日本基督(キリスト)教団の高輪教会がありました。

 

境内に戻り、寺務所で、身代大師守という小さな大師像が浮き彫りになったお守り、そして縁結びのお守りをお受けしました。

高野山東京別院には、「高輪結び大師」という別名があります。
高輪という地名は、高台に縄手道(まっすぐな道/さっきの山門が面している二本榎通りのこと)があることに由来する「高縄手」「高縄」に由来するらしいです(異説あり)。

高野山東京別院のサイトでは、高輪は江戸の入口(江戸時代、高輪大木戸があった)として、魔が入ってこないよう、結界としての役割を持つ土地だと解説しています。(しめ縄など、縄は結界を張るときに使われることも多い)
そして縄は「結ぶ」ものでもあり、弘法大師様によって、仏と人、人と人との縁が結ばれるということです。

 

高野山 東京別院

 

 

鉄道コム

 


鐘楼の向こうに、高輪ゲートウェイ駅前の、建設中のビルが見えました。

 


駅へと戻ります。
二本榎通りと桂坂が交わる交差点に、こんなレトロフューチャーな建物がありました。
1933年(昭和8年)に建てられた、旧高輪消防署です。
高輪消防署は1984年(昭和59年)に移転しましたが、この建物は二本榎出張所となり、引き続き現役の消防施設として現在まで使われています。

「高輪ゲートウェイ駅のスタバは今くらいがちょうどいい」に続く)

 


※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

 

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