北野天満宮前 ('21.12.16)
北野天満宮。
鳥居も大きいが、その両脇の狛犬も大きい。
鳥居をくぐると、参道の右手に影向松(ようごうのまつ)。
天満宮創建時からここにあるとされる。
初雪が降ると天神様が降臨されて、詩を詠むという伝説がある。
そのため、初雪が降った日には、筆と墨と硯(すずり)がお供えされる。
石灯籠の並ぶ参道を歩く。
灯籠にまじって、早くも最初の撫牛(なでうし)が現れた。
撫牛は天満宮・天神社でよく見られる。
なでると体の具合が良くなる、頭が良くなるなどの御利益があるとされる。
北野天満宮の創建は947年(天暦元年)。
菅原道真は903年(延喜3年)に太宰府で没したが、その後、道真を陥れたとされる藤原時平が若くして死去。
さらに御所の清涼殿に雷が直撃し、大臣や役人などに多数の死者が出た。
醍醐天皇も間もなく崩御した。
これらが道真の祟りとして怖れられた頃、右京に住む多治比文子という少女に神託があり、また近江の比良宮の神主である良種の子・太郎丸にも神託があった。
それらに基づき、北野の朝日寺(現在の東向観音寺)の最珍が、菅原道真をまつる当社を創建。
さらに右大臣・藤原師輔が立派な社殿を造営した。
1587年(天正15年)には豊臣秀吉が「北野大茶湯」を開催。
1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の命で片桐且元が社殿を改築(これより少し前に、東寺の金堂もこの2人によって再建されている)。
これが現存する社殿となっている。
江戸時代には既に観光名所として人気があったようで、『東海道中膝栗毛』でも、弥次さん喜多さんが参詣している。
この中で、北野天満宮創建の経緯が、比較的詳しく記されている。
2つめの鳥居をくぐる。
3つめの鳥居の先に立派な楼門が見えてきた。
この鳥居の手前に、菅原道真の母親をまつる伴氏社。
門の少し手前、左右に立派な銅の撫牛。右は子連れだ。
右の撫牛に奉納された前掛けには、甲子園で準優勝した智辯学園野球部の選手による、感謝の言葉が書かれていた。
楼門には年末ならではの、
巨大な虎の絵馬が掲げられていた。
そういや2021年は丑年だったか。
手水鉢に生け花。
トイレに行こうとしたら、道の途中に、
地平を駈ける獅子を見た。
さすがマンガミュージアムのある京都、こんな所にジャングル大帝がいるのか。
(もちろんジャングル大帝ではない。
後から気づいたけど、これは宝物殿前の狛犬の1匹で、一の鳥居にあった巨大な狛犬と同じ姿だった)
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※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第238回 崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真(今出川、北野天満宮、北野白梅町、円町→京都)
・第237回 東寺で弘法大師に開運祈願(東寺、九条→今出川)
・第236回以前
・京都(第234回~)
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