一条戻橋・晴明神社前 ('21.12.16)
一条戻橋から少し北へ戻る。
安倍晴明の屋敷跡の一部に、晴明神社がある。
「一条戻橋・晴明神社前」バス停には、瓦風の屋根や、陰陽五行の色のラインといった、凝った装飾が施されていた。
鳥居の扁額に掲げられた五芒星が目立つ。
安倍晴明が使っていた紋で、「晴明桔梗(ききょう)」とよばれる。
紅葉がきれい。
狛犬がでかい。
1922年(大正11年)から1995年(平成7年)まで使われていた一条戻橋の親柱と、式神さんの像。
細い道を横切って次の鳥居へ。
安倍晴明が住んでいた頃、屋敷の門は、人の目に見えない式神が操作していて、ひとりでに開閉したように見えたという。
この伝説に基づいて、鳥居の奥にある門は、自動ドアになっている。
晴明が湧き出させたという「晴明井」。
晴明桔梗をかたどった水の湧出口は、回転するようになっていて、毎年立春の日に動かされ、その年の恵方に向けられる。
ただし現在はコロナ禍のため、手水舎ともども水が止められている。
桃山時代になると、この場所は千利休の住居となった。
利休も晴明井の水を使っていたといわれる。
晴明井の手前の地面に、北斗七星が描かれている。
1905年(明治38年)に建てられた、本殿に参拝。
晴明神社は、一条天皇の命により、1007年(寛弘4年)に創建された。
安倍晴明が亡くなってからわずか2年後である。
本殿の前、向かって左に、安倍晴明公の銅像が建つ。
向かって右には「厄除桃」。なでると厄が落ちるらしい。
手袋つけたままなでたけど、効果はあるだろうか?
見落とすところだったが、足元に九字紋が埋め込まれていた。
臨兵闘者皆陣列在前と唱え、手を縦横に動かして空中に線を描くあの形だ。
三重県の鳥羽・志摩の海女さんは、晴明桔梗と九字紋を並べた紋様を「セーマンドーマン」あるいは「ドーマンセーマン」と呼び、魔除けとして使うらしい。
セーマンは晴明がなまったもの、ドーマンは晴明のライバルだったとされる蘆屋道満の名前をとったのではないかといわれている。
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・第238回 崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真(今出川、北野天満宮、北野白梅町、円町→京都)
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