池上本門寺に行ってきました | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

 池上('23.6.18)

 


蒲田駅から東急池上線に乗って2駅、池上駅に到着。
日蓮宗の大本山、池上本門寺を目指します。
 

 

ゲームブック風アドベンチャーゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』はこちらから。

 


くず餅(久寿餅)屋さんの並ぶ通りを抜けると、「南無妙法蓮華経」と刻まれた巨大な石碑(題目碑)の向こうに、池上本門寺が見えてきました。


江戸時代の元禄年間に建立されたと伝わる総門。
本門寺は第二次世界大戦時に空襲を受け、中心的な建物の多くを失ってしまいましたが、この総門などわずかな建物が焼失をまぬかれ、江戸時代の姿を残しています。
扁額の「本門寺」の文字は、本阿弥光悦が揮毫しました(ここに掲げられているものはレプリカで、実物は霊宝殿に収蔵されています)。

 


題目碑のあたりから既に見えていましたが、総門をくぐると、この石段が現れます。
此経難持坂(しきょうなんじざか)といい、桃山時代の慶長年間に、加藤清正が石段を寄進したそうです。(清正は熱心な日蓮宗の信徒であったことがよく知られています)
段数は96段ありますが、これは法華経の宝塔品(ほうとうぼん・宝塔の章)の、偈文(げぶん)の文字数にちなんだものだとか。

梅雨時期なので雨を心配していましたが、この日は晴れたのでむしろ暑く、そのことも相まって、この坂を上るのはなかなかきつかったです。
とはいっても、私は昔、身延山久遠寺で菩提梯(ぼだいてい)という石段を上ったことがあったので、「あれに比べればましだよな」と思いました。あっちは287段あって、しかも蹴上(けあげ)がかなりきつかったと記憶してます。

石段を上り切ったところに飲み物の自動販売機があったので、買って飲んでひと休み。暑いといってもまだ本格的な夏になる前だったからか、木陰に入ったらかなり涼しく感じられました。

 


坂の近くに、日蓮聖人説法像が建っていました。作者は長崎の平和祈念像などで有名な北村西望氏。
日蓮さんの像の周りを、子供が走り回ってるのを見て、ほほえましく思いました。
日蓮宗の大本山ですが、地元の方々に親しまれているお寺でもあるんだなあと感じました。

 


仁王門は1977年(昭和52年)に再建。

 


仁王門をくぐると、広々として居心地のいい広場に出ました。
広場の奥に建つのが、日蓮聖人をまつる大堂(祖師堂)。1964年(昭和39年)に再建されました。

堂内で参拝。内陣中央の厨子に、日蓮聖人像が納められているそうです。(厨子自体がよく見えませんでしたが)
池上本門寺第二世住持・日朗聖人と、第三世住持・日輪聖人の像もあるそうです。

 


前の回にも書きましたが、私がここを訪れたのは、制作中のゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』で日蓮聖人にご登場頂いたので、事後になりますがその報告と、このゲームのヒット祈願のため。

手を合わせながら、心の中で日蓮さんに、「高松の女木島に像があるので香川県にゆかりがあると考えて、ゲームにご登場頂きました」と報告したり、「香川県にいる日蓮さんの弟子筋の中に、腐敗した権力者におもねって、民衆の幸福追求という目的をないがしろにしている人々がいるので、彼らにきつく忠告してください」と願ったり、「といってもその人たちは日蓮宗の信徒ではありません」と補足したりしてたので、お祈りがやたら長くなってしまいました。

 

外陣の天井には川端龍子による天井画が描かれています。龍の画でしたが未完のまま龍子が死去。空白部分がかなり残っていましたが、奥村土牛の進言で、開眼供養が行なわれ、予定通り大堂の天井画となりました。

 


大堂の向かって左隣にある経蔵は、空襲の被害をまぬかれた江戸時代(1784年・天明4年築)の建物。内部は回転式の書架(輪蔵)になっているとのこと。
奥にある建設中の三重塔は、加藤清正をまつる清正公堂になるらしいです。

 

経蔵の手前側には霊宝殿という宝物館があります。
原則として毎週日曜日に開館していて、今日は開いている日でしたが、この後まだ行く場所があり、時間が気になったので立ち寄りませんでした。
でも、狩野派の絵師が描いた、屋島の戦いの絵が展示されていたようで。香川県を舞台にしたゲームのヒット祈願に来たんですから、見ておいた方が良かったかも。ゲームには屋島も源義経も登場しますし。
(義経公ゆかりの場所には翌日行きます)

池上本門寺

 

大堂の裏手に売店と駐車場があり、その先を道路が横切っています。
道路の向かいは寺務所なので、ぱっと見、一般の参拝客はここまでしか入れないように見えます。しかし、実は道路を渡った先、寺務所の隣に本殿があるのです。
(大堂の前の案内所に、境内の地図が用意されています)

 


参道脇の「さざれ石」の横に、きれいなアジサイが咲いていました。

 


本殿は1969年(昭和44年)に再建。お釈迦様をまつっています。
ちょうど法要か何かが行なわれているようで、扉の窓越しに釈迦如来像と四菩薩像を眺めて参拝。
釈迦如来像の胎内には、インドから贈られた仏舎利が納められているそうです。

 

本殿の入口を入ってすぐの所に、一対の仁王像が建っています。現在の仁王門に、最初に安置されていた像だとか。
傷みのため新しい仁王像に代えられましたが、もとの仁王像も修復されて、ここに移設されました。

 


この本殿のさらに奥、わかりにくい場所に、日蓮聖人御廟所がありました。
左右に日朗聖人、日輪聖人の御廟所も並んでいます。
日蓮聖人の御遺骨は、晩年を過ごした身延山久遠寺に運ばれ、現在も身延山に御墓があります。
しかし荼毘(だび)に付されたのはこの本門寺なので、こちらにも御遺骨、御遺灰が集められ、廟所が設けられたそうです。

日蓮さんの御墓の前で、あらためて先ほどと同じことを祈りました。

 

大堂と本殿の間の道路を通って西(本殿向かって左側)に向かうと、下りの石段が。大坊坂という坂です。
帰りのきつさを想像して一瞬ためらいましたが、思い切って下ってみると、その途中に多宝塔(宝塔)がそびえていました。


重要文化財の多宝塔。空襲をまぬかれた建物で、1828年(文政11年)に建てられました。
鮮やかな赤色に塗られ、形もユニーク。ただし近くまで来ないと見えないような場所にあるので、見えたときにはちょっと驚きました。
ここは日蓮聖人が荼毘に付された場所だそうです。

 


さらに大坊坂を下り、大坊本行寺に参拝。
日蓮聖人に帰依した鎌倉時代の武士・池上宗仲の館跡で、1282年(弘安5年)10月13日、日蓮聖人はここで入滅されました。

大坊本行寺

 

大坊坂の石段を上って、大堂の前まで戻り、今度は東側へ。

 


池上本門寺で最初に重要文化財に指定された、五重塔。
1608年(慶長13年)、徳川秀忠の乳母・岡部局の発願で建立されました。基壇からの高さは約31メートルあります。
江戸時代初期の五重塔が、運良く空襲を避けて、現存しているのです。関東に現存する最古の五重塔だとか。

 

この辺りは霊園になっているようです。
お墓参りする方々が多く、この暑さと相まって、一瞬お盆かと錯覚してしまいます。

有名人のお墓も多いのですが、中でも特にお参りする方が多いのか、ある人物のお墓の場所が、大きな矢印で示されていました。
私が今作っているゲームとは特に関係ないのですが、昔からよく雑誌でこのお墓の写真は見ていましたし、戦いでの強さと、商売の上手さにあやかりたいので、私もそちらに向かいます。

 


力道山さんのお墓です。
言わずと知れた戦後の日本のヒーローであり、また日本にプロレスを根付かせ、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんら多数の弟子を育て、そしてテレビの普及にも貢献するなど、後世に大きな影響を遺しました。

 

帰りに大堂の横の案内所で、お守りをお受けしました。
性懲りもなく今回も、「勝守」と「良縁結び守」です。
以前にも書きましたが、私は今まで各地の有名な神社仏閣に参拝しては、勝守と縁結守をお受けしてきたのですが、五十年以上の人生の中で勝運にも良縁にも恵まれないという、パワースポットクラッシャーなのであります。
今度こそ、と期待はするのですが、そもそも私は日蓮宗の信徒ではなく、それで御利益を期待するのもおこがましいと言わざるを得ませんね。

 

今回の旅の行程を決めるときも、「日蓮宗の信徒じゃない者が池上本門寺に参拝してもいいんだろうか?」とちょっと考えました。
でも池上本門寺のサイトを見たら、「京浜四大本山巡り」という御朱印集めのキャンペーンが行なわれていて、池上本門寺と、真言宗の川崎大師(平間寺)、曹洞宗の鶴見・總持寺、そして浄土宗の芝・増上寺が提携していることを知りました。
増上寺とコラボしているくらいだから、信徒じゃない人間が参拝してもいいだろうと思い、本日こうして訪れた次第です。
(過去に身延山久遠寺と、安房小湊の誕生寺に参拝したことがあるので、何を今さらといった感がありますが)

京浜四大本山巡り

 

ちなみに、浄土宗の法然さんにも『脱出ゲーム 香川県からの脱出』にご登場頂いているので、いずれ増上寺にもうかがおうと考えています。
(法然上人は晩年、ごく短期間ながら讃岐に流罪となったことがあり、この際に弘法大師生誕地の善通寺を訪れ参拝しています。また、讃岐にある法然寺は、江戸時代に高松藩を治めた松平家の菩提寺になっています)

 

此経難持坂の上の自動販売機で、再び飲み物を買って飲んで休んで、本門寺を後にしました。

池上本門寺

 

くず餅屋さんがやや混んでいる様子だったので、池上駅まで戻りました。
(『ナムコの聖地・矢口渡と、蒲田の屋上観覧車』へ続く)

 

 

 

 

 

 

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※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

 

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