神田明神と、平将門公の首塚に参拝。事後報告してきました | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

ゲームブック風アドベンチャーゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』はこちらから。

ゲーム『香川県からの脱出』のヒット祈願。まず虎ノ門の金刀比羅宮に参拝。
続いて、このゲームに登場させている、平将門公へのご挨拶とご報告のため、神田明神へ向かいます。

 

 

何しろ、『香川県からの脱出』が全く話題になっていないどころか、このブログにアップしたほかの旅行記事のPV数まで、それまでの記事より極端に落ち込んでいるので、将門公を無断で登場させていることが影響しているのかも、と気になっていたのです。
(※虎ノ門金刀比羅宮に行ったときの記事のPVも、元の水準まで回復していませんでした)
事後になりますが、早く将門公にお会いしてご挨拶しないと。

 

虎ノ門から御茶ノ水が、思ってたほど近くなかったです。
銀座駅で、銀座線から丸の内線に乗り換えたのですが、もともと丸の内線の銀座駅は「西銀座」という別の駅だったくらいですから、けっこう歩きました。
2つの駅の間を日比谷線が貫いたことを機に、西銀座駅が銀座駅に統合されたわけで。

 

銀座線の発車メロディは『銀座カンカン娘』でした。
丸の内線の新車(2000系)には、多分初めて乗ったと思います。
銀座線の車両が黄色くなって、丸の内線の車両は真っ赤になって独特の鎖っぽい模様も復活して、懐かしい感じ。

 

御茶ノ水駅到着。改札に、神田明神へのルートが掲出されていて、助かりました。

 

 御茶ノ水・神田明神('23.2.26)

 


甘酒屋さんの隣の鳥居をくぐります。
鳥居の扁額には、現在の正式名称である「神田神社」の文字が。

 

明治の神仏分離で、仏教的な意味合いがあるとされた「明神」の号を改め、1872年(明治4年)から「神田神社」が正式名称になっているらしいです。
御朱印にも「神田神社」と記されますが、御朱印帳は「神田明神」で、お守りは種類によってまちまちです。

 


総檜造の立派な隨身門。1975年(昭和50年)に、昭和天皇在位50年を記念して建てられたそうです。
中の隨神像は、北村西望氏監修の木像。

 


境内に入るとまず目立つのが、高さ6.6メートル、石造りでは日本一大きな大黒様の像。

 


龍角散のテレビCMに登場した、えびす様の像。
2018年(平成30年)に文化交流館EDOCCOが建てられた際、その一角に移されました。

 

神田明神の御祭神は、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、そして平将門命。
このうち大己貴命は、大国主命や大黒様と同じ神様とされており、また少彦名命は、えびす様と同じ神様とされています。
えびす様の像が小さいのは、少彦名命のイメージで作られたからだと思われます。
(東京藝術大学学長・宮田亮平教授作)

 

大国主命を大黒様と同一視する神社は多く、大国主命のお住まいとされる出雲大社でも、彰古館という建物に大黒天像が数多く納められています。
一方で「少彦名命=えびす様」とする神社は珍しいようです。
神田明神の少彦名命は、神磯鳥居で有名な茨城県大洗町の大洗磯前(いそさき)神社から勧請されたのですが、この大洗磯前神社と関係の深い、ひたちなか市の酒列(さかつら)磯前神社では、主祭神の少彦名命の別名が「恵美寿さま」とされています。

 

かつて神田明神は、今の将門塚のあたりにありました(創建は平将門公の時代より古い730年(天平2年))。
将門公が葬られた時代よりかなり後になりますが、天変地異が頻発し、これが将門公の力によるものと恐れられたため、供養が行なわれ、1309年(延慶2年)に将門公が祭神として合祀されました。

 

このように、最初は御霊を慰めるために祭神となった将門公ですが、後に「関東武士の祖」として武士たちに崇拝されるようになります。
そして1600年(慶長5年)、徳川家康が神田明神に戦勝祈願を行ない、関ヶ原の戦いに勝利すると、家康やその子孫である徳川将軍家に厚く崇敬を受け、江戸城の鬼門となる現在地に遷座。
「江戸総鎮守」として、江戸城および江戸の街を守る神社となったのでした。

 


御社殿の前の行列は、長くなったり短くなったり。行列が途切れたところを狙って参拝しました。

 

「事後報告になって申し訳ございませんが、自作のゲーム『香川県からの脱出』に、平将門様を登場させました。悪い形ではなく、ちゃんと江戸総鎮守、特に秋葉原の神様としてお出まし頂くので、どうにか力をお貸し下さい」

 

「あと、成田山新勝寺の御本尊、不動明王像を作ったとされる弘法大師・空海様も、次のアップデートから登場する予定ですが、弘法大師が真言密教の根本道場としていた京都の東寺にも、大師作と伝わる大黒天像がまつられています。ですから、だいこく様の縁結びのお力で、弘法大師と将門公が仲間になるというプロットをお認め頂けますよう、お願い申し上げます」

 

社殿は鉄骨鉄筋コンクリート製なので、比較的新しい建物のように見えますが、実は戦前の1934年(昭和9年)に造営されています。国の登録有形文化財。
江戸時代以来の社殿が、関東大震災で焼失したため、地震や火災に耐えられるよう、神社では当時珍しい鉄骨鉄筋コンクリートの社殿となりました。
そのため、第二次世界大戦時の東京大空襲で、この社殿は軽微な被害で済んでいます。

 

 

お守りをお受けしました。
お守りが並べられていた祭務所が午後4時に閉まり、目の前で撤収作業が始まっていたので焦りましたが、文化交流館EDOCCOの方にもお守りがあり、こちらは6時まで開いているとのことでひと安心(平日は5時まで)。

 

お守りの種類は豊富(神田明神のサイトで見ることができます。一部はオンラインでの授与も可)。基板を模したデザインの「IT情報安全守護」のお守りがよく知られています。

 

神田明神

 

御社殿と青い空が、糸で見事に描かれた錦守(神田明神守護)が美しかったのでまずチョイス。
次に縁結守。今回はゲームに関すること以外をお願いするのは控えようと思っていたのですが、祭神が縁結びの神様として有名な大己貴命なので、つい。
あと、母親のために健康長寿守。
そしてもちろん、平将門命のお守り。カード型です。

 


『桃太郎電鉄』(桃鉄)の「たいらのまさカード」が現実にあったら、こんな感じなのかもしれません。
これを使えば、今までの人生の不運を帳消しにして、せめて平均的な運気を得られることができるでしょうか?
(注:「たいらのまさカード」を使って平均化できるのは所持金だけ)

 

 

あと、絵馬に願い事を書いて奉納。
以前、京都の安井金比羅宮(縁切り神社として有名)で書いたこととほぼ同じ内容ですが、より具体的に書いたせいか、何だかまとまりのない文章になってしまいました。下の写真を撮った後にも、ちょっと書き足しました。

 

 

 

香川県のゲームバッシング条例が撤廃され、又、偽科学に惑わされて、或いは個人的な好き嫌いで、マンガ、アニメ、ゲームを規制しようとする者たちが、改心するか、さもなくば権力の座から滑り落ちますように。

今回はちゃんと自分の名前を忘れずに書きました。(京都の安井金比羅宮、白峯神宮、晴明神社、北野天満宮では、全て絵馬やお札に名前を書き忘れたまま奉納していました)

 


御社殿を囲む境内社を参拝。
三宿稲荷神社・金刀比羅神社と、末廣稲荷神社の間にある梅が満開でした。

 

神田明神下に住んでいたという設定の、銭形平次と八五郎の碑。江戸時代の獅子の石像を使って再建された獅子山。

 

境内をひと回りして、再び「神田明神文化交流館 EDOCCO」へ。
先にも述べましたが、2018年(平成30年)にできた新しい建物です。
2・3階が幅広い用途に使える神田明神ホール。
1階は、さっきお守りと絵馬をお受けした神札授与所のほか、昇殿参拝受付、売店(EDOCCO SHOP IKI IKI)、カフェ(EDOCCO CAFE MASU MASU)があります。
カフェにも行きたかったのですが、まだ混んでる様子。

 

トイレを借りようと地下1階に下りたら、アイドルのイベントが行なわれていました(第1部と第2部の間の休憩時間か)。この階にもイベントのできるスペースがあるようです(EDOCCO STUDIO)。
この日のイベントで、EDOCCO STUDIO公式アイドル「Mikoto」がデビューしたらしいです。


神田明神

 

 

 

EDOCCOの1階に戻り、裏手から外へ出ると、千代田区指定有形文化財「神田の家」がありました。1927年(昭和2年)に建てられた、蔵造りの住宅です。
午後4時まではカフェとして営業しているようですが、今は閉まっているので外観を眺めるのみ。
それでも、中に飾られているひな人形の段飾りを見ることができました。

 

この家は、江戸時代から続く材木商、遠藤家の旧店舗兼住宅。
遠藤家はもともと神田鎌倉町(現在の内神田1丁目)にありました。ここは将門塚(いわゆる将門の首塚)に近く、遠藤家は代々、将門塚を守ってきました。
また、平将門公は明治時代以降、神田明神の祭神から外されていたのですが、遠藤家の先代当主・遠藤達蔵氏を中心とする「史蹟将門塚保存会」のはたらきが奏功し、将門公は1984年(昭和59年)、再び祭神に復帰しました。

 

EDOCCOの裏口から戻ろうとしたとき、アイドルイベントの出演者とおぼしき若い女性が数名、裏口の前を横切っていくのが見えました。
どうやらすぐ隣がSTUDIOの楽屋口のようで、彼女たちはそこへ入っていきました。

 

売店(EDOCCO SHOP IKI IKI)で、ごまあん、ミルクあん入りの「神田焼」を購入。
神田明神を後にして、今日最後の目的地に向かいます。

 

神田明神

 

御茶ノ水駅から、銀座・新宿方面行きの丸の内線で少し引き返して、大手町駅へ。

 

 大手町・将門塚(平将門の首塚)

 

 

東京サンケイビルの出口から外に出ました。
後から調べたら、夕刊フジにコメントを出したのは2005年から2010年の間に5回ほど。年1くらいでしたが、思っていたより長い期間でした。

 

隣が読売新聞社。
Yomiuri Weekly(旧「週刊読売」、後の「読売ウイークリー」)の取材を受けたのは2004年10月3日号と、2005年6月26日号。2回ありました。
ここのロビーで取材を受けたんだなあ、懐かしいなあ、と思っていましたが、すぐに気づきました。
読売新聞ビルは2014年に建て替えられているので、私が取材を受けたのはこのビルじゃないということに。
読売ウイークリーも2008年に休刊してしまいました。

 

2001年から2005年あたりは、All Aboutでガイドをやっていたので、そこ経由の仕事がいくつかあったと記憶しています。

 


大手町の読売新聞社前といえば、正月の箱根駅伝のスタート&フィニッシュ地点。

 

テレビ中継でもよく映し出される、歴代優勝校の名前が記されたレリーフ。

 

この先の交差点を渡ると、「Otemachi One」という再開発ビル。その一角に、平将門の首塚とされている「将門塚」がありました。

 

将門塚は、撤去や移設をしようとするたびに何か悪いことが起こって、計画が中止になるという伝説があり、そのため昭和の時代から、ビジネス街の一等地にたたずむミステリースポットとして知られていました。

 

三井物産ビルの建て替えと、周辺の再開発が計画され、新たな三井物産ビルとOtemachi Oneタワーが2020年(令和2年)に竣工しましたが、この際にも将門塚の位置は変わりませんでした。
ただし、塚の周囲が改修されて、今までより明るくきれいになりました。きれいにする分には、むしろ将門公に対する敬意の表れになるということでしょう。

 

地図で見ると、ビルの入口に面していて、かなり開かれた場所になったような印象でしたが、実際に行ってみると将門塚の周りには囲いがめぐらされており、ビルから将門塚に直接行くことはできず、またビルの中から将門塚を望むこともできませんでした。
将門塚の出入口は、歩道側の1ヶ所しかありません(もっとも、歩道側のすぐ近くにもビルの出入口があるので、歩道を少し歩けば行くことはできます)。

 

 


「明るくなった」と書いておきながら、こんな暗い写真しか撮れなくてすみません。
参拝する人が途切れるのを待ってたり、写真撮って大丈夫かなあと逡巡したりしてる間に、すっかり日が暮れてしまいました。

 

参拝する人の中に、石碑と石灯籠の周りを右回りに3周し、石碑の正面と石灯籠の後ろでそれぞれ手を合わせるという、独特の拝み方をしている方が2人いました。
この2人は別々に来ていて、しかもここにいた時間も重なっていません。こういう参拝の仕方がどこかで伝わっているのでしょうか?

 

史蹟将門塚保存会

 

Otemachi One

 

 


ということで、神田明神と将門塚にお参りしてきたので、将門公のお力もお借りして、あと最初にお参りしたこんぴらさんのお力もお借りして、『香川県からの脱出』が、話題になってくれればいいのですが。
 

ゲームブック風アドベンチャーゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』はこちらから。

 

さて帰ります。Otemachi Oneタワーの地下から、大手町駅に直接入ることができます。
飲食店や商業施設のあるOtemachi One Avenueで休憩することも考えたのですが、日曜だったからか、エリアの入口のシャッターが下りてて、Avenue自体に入れませんでした。

 

 

事前に調べたら、千代田線大手町駅では17時30分から21時30分まで、1時間おきに小田急線直通の特急ロマンスカーMSEが出てることがわかったので、これに乗れたら帰りが楽だ!と期待していましたが。
土休日は15時39分の次は19時51分まで、ロマンスカーありませんでした。

 

でも千代田線も小田急線も、(座れるほどではなかったものの、)思ってたより空いてたので良かったです。

 

※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

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