今年も3月11日が近づいてきました。
東日本大震災で大きな被害を受けた地域の中には、その10年くらい前に私が観光で訪れた場所も多かったこともあり、地震の後で日を追うごとに明らかになる被害状況をテレビ等で見て、とても信じられませんでした。
私の住んでいる東京でも、震度5強の地震が長く続き(そのすぐ後にも大きな余震があった)、そのときはたいへん驚きましたが、幸い自宅に被害はありませんでした。
この日、日本縦断紀行で岡崎へ行く予定だったのですが、「新幹線が止まったから」という、今考えれば実に呑気な理由で旅行をキャンセルしました。
その時点の報道では、九段会館で天井が崩落したとか、横浜スタジアムでのオープン戦中に観客がグラウンドに避難した(当時私は横浜を舞台にしたゲームを作っていて、このオープン戦を見に行くことも検討していた)とかが中心で、まさかあんな大惨事が起こっているとは、夢にも思っていませんでした。
福島第一原子力発電所の事故にも、大きなショックを受けました。
震災の10年前の2001年、私はこの原発を訪れていて、展望台から原子炉を直に眺めたことがあるのです。
それだけに、それらの原子炉建屋が爆発した映像は衝撃的でしたし、広範囲にわたって放射性物質による汚染を引き起こしたことも、間違いなく現実なのに、現実という感じがしませんでした。
2001年、私が訪れた福島第一原発は、その後に惨事を起こすことになるとは思えない、実にのどかに見える雰囲気の場所だったのです。
※1999年から2001年にかけて行なった企画、「東京から仙台まで ワンダー・スワンの旅」の一部。
『進ぬ!電波少年』の「スワンの旅」に掛けて、東京から仙台まで、海沿いの町を回りながら、当時あった「ワンダースワン」という携帯ゲーム機用のゲームソフトを探して買っていく企画でした。

2001年5月6日。
この日はまず、富岡町にあった東京電力エネルギー館を見て、

その隣にあった「Tomとむ」というショッピングセンターで、ワンダースワン用のゲーム(『そろばんぐ』というゲームだった)を1本買って、電車が来るまで時間があったので、Tomとむにあったマクドナルドで朝ごはんを食べて、


富岡駅から普通電車に乗って、4分後の11時34分、夜ノ森駅で下車。
夜ノ森('01.5.6)
満開だった夜ノ森駅のツツジと、ハーフティンバーの小さな駅舎

咲いていました。ツツジです。
『JR東日本・小さな旅』という小冊子を見て、夜ノ森駅ホームにツツジが咲くことは知ってたんですが、見ごろが5月中旬と書いてあったんで、どれくらい咲いてるか、気になってたんですよ。
ひと口にツツジといっても、いろんな色があるもんです。
赤、ピンク、紫、白……。
全体の彩りと、一つ一つの花の造形を、絵画を見るように、しばらく観察してました。
特急が通過します。
かなりゆっくりとしたスピードで、通り過ぎていきました。
乗客の皆さんに、この景色を堪能していただくためでしょうか? まさか。
(※後から調べたら、特急が徐行したのは、本当にそのためだったそうです)

駅舎も小さいながら、なかなかしゃれた造り。
正面のハーフティンバー(柱などの木を外から見えるようにした構造)を見ると、南海電鉄の浜寺公園駅(東京駅を設計した辰野金吾氏が、東京駅以前に設計したリゾート駅舎。近畿の駅100選)を、ちょっとだけ思い起こします。
(※夜ノ森駅のツツジは、除染作業の際にやむを得ず伐採され、新たな株が植樹されました。まだ往時ほどの規模ではないものの、現在再び花を咲かせるようになってきたそうです。
駅舎も、人がいなくなったことで老朽化が進み、また除染しても十分な効果が得られない可能性があるため、改築されました。現在は、この駅舎に近い形の待合室が建てられています)

『小さな旅』によるとここは、桜の名所でもあるそうです。
しかし、いくら福島県でも、5月に桜は咲いてません。
そのかわり、新緑が美しい桜並木道。
13時9分の下り電車は、森の中を突き進んでいきます。
一部、視界の開ける水田地帯がありますが、大野までの大部分が森。
民家の数が増えてきて、大野駅着13時15分。
大野

双葉郡大熊町に入りました。
行きたい場所は東の海岸沿いですが、タクシーが西口にしかいないので、西口から乗りました。
憩いの場だった福島第一原発
2001年5月6日13時35分。私がやってきたのはここです。

福島第一原子力発電所サービスホール。
富岡にあったエネルギー館と同じく、原子力発電のしくみを解説する資料館です。
ただ、エネルギー館と違うところは、このサービスホール、発電所の敷地内にあるのです。
東海村でも富岡でも来なかった、原子力発電所の中に、ついに潜入です。

でも見たところ、原発の中という感じはしません。
ここから原子炉が見えないからかもしれませんけどね。
まだ八重桜が咲いていました。
唯一、原発の敷地内であることを感じさせるのが、「環境放射線データ表示板」。
この近辺の放射線量を測って、表示しています。
今ここは、32nGy/h(ナノグレイ/時)。
(グレイは、物質に吸収される放射線のエネルギー量「吸収線量」を表す)
渋谷の35nGy/hより低い数値に抑えられています。
サービスホールの展示を見ます。真ん中に、実物大の原子炉模型。
さすがに場所が場所なので、富岡と違って、ほかに人はいません。
本来は、発電所を見学する団体さん用の施設なのかもしれません。
この発電所の見学には予約が必要ですが、サービスホールと展望台だけは、予約なしで入れるのです。
(※もちろん、原子力発電の仕組みについての展示が中心でしたが、長くなるのと、当然この当時とは状況が大きく変わっているので、今回は省略します)
地元・福島県浜通り地方を紹介する、「ソネルミエール La・浜通り」という施設がありました。
3面のモニターに、名所旧跡が映し出されています。
夜ノ森の桜や、相馬野馬追など、季節が違って見られないものも見ることができました。
出口近くに、発電所内に咲く花の写真が展示されていました。
その中に、「ナンバンギセル」がありました。
知名度の低いのを承知であえて言いますと、この花は、ゲームブック『送り雛は瑠璃色の』で、重要な役割を果たすのです。
今、安部晴明ブームですし、『送り雛は瑠璃色の』もテレビゲーム化されないかなぁ。
サービスホールの外には公園があって、子供たちが遊んでいます。

「シュトラウスランド」と名づけられた一角には、ダチョウの親子がいました。
さて、久々に海へ向かいましょう。展望台に向かって歩きます。
……ずいぶん歩きます。
……まだまだ歩きます。
やっと展望台に着いたと思ったら、

あんな高いトコ。
目の前に放射線を測定する機械があります。
サービスホールからかなり歩いたとはいえ、ここも発電所の敷地内です。
つづら折りの坂道を上って、ようやく展望台にたどり着きました。
福島第一原子力発電所・展望台

この眺めはスゴいです。
海はもちろん、山側もはるかかなたまで見渡せます。
この先のルートでは、当分海を見ることがないので、しばらく眺めていました。
今日はのんびりモード。

原子炉の建屋もよく見えます。
わずかこれくらいの建物が、関東地方で使う電気の1割以上をまかなっているんですから、不思議なものです。

南側には福島県栽培漁業センター。
発電所から出る温排水を使って、アワビやウニなどをふ化させているのだそうです。
(※東日本大震災の津波で大きな被害を受け、現在は別の場所に移転しているらしいです)

で、のんびりと、もと来た道を歩いて戻ります。
展望台にはけっこう人がいたんですけど、皆さん車で来ていたみたいで、歩いているのは私一人です。
サービスホールの前に戻ってきました。
ここへ来るときタクシーから見たところ、駅までの道は水田地帯で、国道6号沿いにも建物はありませんでした。
ゲームソフトを売っているお店はおそらくないでしょう。
じゃ、タクシーを呼びましょう。
時刻は現在15時53分。次の電車は、……16時17分。24分後。
うーん、今からタクシーを呼んでも、間に合うかどうか微妙ですね。
その次は、17時33分。1時間40分もあれば、歩いたって間に合います。
歩くことに決定。
……ホント言うと、さっき乗ったタクシーの電話番号を控えるのを忘れていたのです。
原発周辺の風景も実にのどかだった

カエルの声をBGMに、県道252号線を歩きます。
沿道には、田植えが終わったばかりの田んぼが広がります。
国道6号を渡ったのが16時27分。「大野駅1.2km」の文字が。
畑の向こうに、スーパーひたちが走り抜けるのが見えました。
この辺りは線路が曲がりくねっていて、ちょうど今歩いている道と、ほぼ平行になっているようです。
太陽は徐々に下がってきましたが、歩いているせいか汗ばむ暑さ。
16時49分、大野駅到着。
長い道のりでしたが、歩道が広くて歩きやすい道でした。
駅で44分待ち。お茶を飲みながら、待合室でくつろぐことに。

浪江のサンプラザというショッピングセンターの、別館にあった大きなゲーム売り場で、『With You 見つめていたい』というゲームを買い、特急スーパーひたちで帰りました。
このとき歩いた、田圃や鯉のぼりのある地域とか、この前後に回ったいくつかの町とかに、10年後の原発事故で避難指示が出て、長期間にわたって、人が住めない、帰れない、警戒区域・帰還困難区域になってしまいました。
それからさらに10年以上が経ち、避難指示が解除された地域もかなり増えてきましたが、帰還困難区域もまだ多く、また避難指示が解除された地域でも、住民の避難が長期に及んだために、元通りの生活ができるまでに回復するのはなかなか難しいという話も聞きます。

私がこの前日に訪れていたJヴィレッジも、震災後は、それまで手間暇かけて手入れされていた芝が失われ、福島第一原発事故への対応作業の拠点となっていました。
でも作業が進んだおかげで、再びサッカーのナショナルトレーニングセンターとして使えるようになり、芝も張り直されました。近くに駅もできました。
各地でさまざまな形で復興が進んでいるようなので、特に原発による被害が大きかったこの地域も、なるべく早く、私が訪れた頃のような、のどかに暮らせる町に戻るといいなあと思います。
※「日本縦断紀行」と、日本各地を回ったときの記録はこちら。
・虎ノ門金刀比羅宮、神田明神と将門塚
・愛媛県取材旅行
・銚子電鉄関連記事
・大井川鐵道関連記事
・京都(日本縦断紀行第234回~)
・旧「出雲大社口駅」から出雲大社まで歩いてみた
・ハウステンボス、西大山駅、肥薩線
・テーマ別記事一覧
・第242回 なかなか見られない蒸気機関車(梅小路京都西)
・第241回以前
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