建部大社で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にゲームのヒット祈願 | ゲイムマンの日本縦断紀行 + ご当地ゲーム制作・配信

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。
尾崎放哉さんと日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、そして桃太郎さんにお会いして、ゲームに登場させたことの事後報告と、あとヒット祈願もしようと思います。

まずは日本武尊から。
日本武尊をまつる地は全国にあります。私は東京都目黒区の大鳥神社や、名古屋市の白鳥古墳にお参りしたことがあります。滋賀県の醒ヶ井で、日本武尊の体力を回復させた居醒(いざめ)の清水も見ました。
ただしいずれも『香川県からの脱出』を作る前。

今回は、日本武尊を主祭神とする神社の中でも特に大きな、建部大社(近江国一宮)と、大鳥大社(和泉国一宮)に参拝する予定です。1日で両方回れればいいんですけど、そううまくいくかどうか。

 

 

 唐橋前('23.12.22)

 


瀬田の唐橋を渡り切り、さらに東へ歩くこと5分。
建部大社の社号標と一之鳥居が見えてきました。

 


さらに、石灯籠の並ぶ参道を進むと、左手に二之鳥居が。

 

私は、5年前に瀬田の唐橋を渡ったときも、この建部大社に参拝しています。
しかし閉門の時刻が迫っていたので、拝殿・本殿を慌ただしく拝むことしかできませんでした。
今回は境内をじっくり見て回りましょう。

 


二之鳥居をくぐると、参道の右手に、ヤマトタケルノミコトの生涯を紹介する、イラスト入りパネルが並んでいます。
華々しいイラストが境内を明るい雰囲気にしてくれていますが、書かれている内容には、物悲しさの感じられる場面も……。
これらのイラストと文章は、建部大社の公式サイトにも掲載されています。
建部大社

 

建部(たけべ)大社は西暦116年(景行天皇46年)、日本武尊の御妃の、布多遅比売命(ふたじひめのみこと)により創建されたと伝わります。
675年(白鳳4年)、近江国府のあった当地に移り、近江国一宮となりました。

 


神門をくぐると、


すぐに拝殿の前に出ました。

 

建部大社の御祭神はもちろん日本武尊ですが、本殿とは別に権殿という社があり、大己貴命(おおなむちのみこと)がまつられています。
大己貴命は大国主命と同じ神様とされており、大黒様と同じ神様とされることもあります。
『香川県からの脱出』とのかかわりでいうと、登場人物の1人・平将門をまつる東京の神田明神で、将門、少彦名命とともに祭神となっています。

 


拝殿の前にそびえ立つ「三本杉」。
755年(天平勝宝7年)、大己貴命を権殿に勧請した際、一夜にして成長したと伝わる御神木です。

 


拝殿の奥、透かし塀の中に、本殿と権殿が並んで建っています(向かって左が本殿、右が権殿)。

 

源頼朝が平治の乱の後の1160年(永暦元年)、京都から伊豆に流される途中でこの神社に立ち寄り、源氏再興を祈願したことが『平治物語』に書かれています。
30年後の1190年(建久元年)、頼朝は鎌倉から上洛する途中で、お礼参りを行なったそうです。

(※この時点で頼朝はまだ征夷大将軍にはなっていませんが、既に守護・地頭の任命権を朝廷から認可されており、いわゆる鎌倉幕府は成立していた、あるいはこの上洛での後白河法皇との会見をもって成立した、という見方が現在では有力らしいです)

日本武尊の武勇に加え、この頼朝の件もあって、建部大社は出世開運、必勝の御利益があるとされています。
私も日本武尊や源頼朝公にあやかるべく、参拝して『香川県からの脱出』のヒットを祈願しました。
あと、ゲーム中に日本武尊を登場させたことの事後報告も。

 


このゲームの日本武尊は、終戦直後に発行された日本初の千円紙幣の肖像画をもとに描きましたが、その千円紙幣には建部大社の本殿も描かれています。

 


本殿の屋根に、三葉葵の紋がありました。
建部大社は江戸時代、徳川家からの寄進を受けていたそうです。

 


本殿・権殿の左右に、小さな摂社・末社が4棟ずつ並んでいます。
それぞれ奥の2社には日本武尊の親族が、手前の2社には日本武尊の家臣がまつられています。

左側は奥から、聖宮神社(日本武尊の父・景行天皇)、大政所神社(日本武尊の母・播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ))、行事神社(吉備臣武彦と大伴連武日)、蔵人頭神社(料理の神とされる七掬脛(ななつかはぎ)命)。


右側は奥から、藤宮神社(日本武尊の妃で、建部大社を創建した布多遅比売命)、若宮神社(日本武尊の子・建部稲依別(いなよりわけ)命)、弓取神社(弟彦公)、箭取神社(石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置)。

 

 

本殿の裏に回ると、菊花石とさざれ石が安置されていました。

 


重要文化財、鎌倉時代の石灯籠。「文永七年庚午」と彫られているそうです(文永7年は1270年)。
蒙古襲来の恐怖が迫っていた時代に、国家安泰を祈って建立されたものだと伝わっています。

(※実際に文永の役が起こったのは1274年(文永11年)ですが、それ以前からモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンは、日本にたびたび使節団を派遣して、服属を求める国書を送っていました)

 

建部大社

 



鉄道コム

 

「建部大社から瀬田の唐橋を渡り、京阪石山坂本線からJR琵琶湖線へ」に続く)

 

※『脱出ゲーム 香川県からの脱出』のヒット祈願で、ゲームの登場人物ゆかりの地を巡る旅は、以前にも何度か行なっています。よろしければこちらも御覧下さい。

 

(※関西・岡山ダイジェスト) 大津・建部大社と堺・大鳥大社(日本武尊)、神戸・須磨寺(尾崎放哉) 岡山・吉備津神社と吉備津彦神社(桃太郎) 安倍晴明神社と、あべのハルカス、道頓堀、特急ひのとり

 

 

池上駅 池上本門寺(日蓮) 矢口渡駅、蒲田の屋上観覧車 武蔵新田駅から新田神社(1)(新田義興、平賀源内) 新田神社(2) 新田神社(3)

 

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ゲームブック風アドベンチャーゲーム『脱出ゲーム 香川県からの脱出』はこちらから。


※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

 

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