7月27日(土)
源来亭@関内で食べた後、この日の2軒目はこちらのお店へ。
「寄」
”やどりき”と読む。
この店の事は全く知らなくて源来亭に行く時に乗っていたバスの車窓から横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅3番出口のところにラーメンの幟があったのを偶然見つけた次第。
えっ!?って感じで二度見しちゃいましたヨ!
7月27日(土)
源来亭@関内で食べた後、この日の2軒目はこちらのお店へ。
「寄」
”やどりき”と読む。
この店の事は全く知らなくて源来亭に行く時に乗っていたバスの車窓から横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅3番出口のところにラーメンの幟があったのを偶然見つけた次第。
えっ!?って感じで二度見しちゃいましたヨ!
7月27日(土)晴れ
この日は、関内に出来た新店を訪問してみました。
店の名前は
「源来亭」
場所はイセザキモール途中にあるブックオフの角を曲がったところにあります。
系統は味噌ラーメンの店です。
今回は初訪という事で、源来亭ラーメン¥900を購入。
横浜市営地下鉄ブルーライン
「伊勢佐木長者町」駅下車
出口3Bより徒歩4分。
JR根岸線
「関内」駅下車
徒歩6分。
横浜市営地下鉄ブルーライン
「関内」駅下車
出口5より徒歩8分。
日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、
という事で書き始めた旅歩きの記事。
東海道五十三次としては18日目になります。
2014年10月25日
いしべ宿驛のすぐ近くに石部宿本陣跡がある。
明治天皇も宿泊されたことがある小島本陣跡。
石部宿には本陣2軒、旅籠32軒あったという。
小島本陣跡の先を進むと石部宿田楽茶屋がある。
石部宿は、東海道五十一番目の宿場町として栄えました。
歌川(安藤)広重が天保三年~四年(一八三二~一八三三)の時、東海道を五十五枚の風景道中画で表し、田楽茶屋は石部宿の象徴として紹介されました。
栗東の岡に、「京いせや」、「こじまや」、「元いせや」の三軒の代表的な田楽茶屋があり、ここは平成十四年旧石部町制百周年記念事業として再現されました。
旧東海道は田楽茶屋の角を右に曲がり突き当りを左に曲がる。
疲れていたせいか江戸日本橋から116里の石部一里塚を通り過ぎてしまっていた。
( ノД`)シクシク…
石部宿西見附跡
石部宿西見附から少し歩くと野洲川の向こうにある三上山が見える。
石部宿西縄手跡
東屋などもあり疲れている時などはここで小休止するのも良いかと思います。
近江富士とも呼ばれる三上山がだいぶ近くに見えるようになりました。
しばらくの間、JR草津線の横を並走していた旧東海道は、石部砕石場の先で名神高速道路の下をくぐる。
栗東市にある長徳寺の門前角には”従是東膳所領”の領界石がある。
さらに進むと新善光寺への石道標がある。
六地蔵跡の門と石碑。
国賓地蔵尊とある。
この付近に六地蔵一里塚があったらしい。
江戸日本橋から117里
旧和中散本舗。
胃腸薬として知られる「和中散」を製造販売していた。
徳川家康が腹痛を起こした時、この薬を服用し快復したところから「和中散」と名付けられた。
小休本陣としても利用され国の重要文化財に指定されている。
この向かいには旧和中散本舗が本陣として使われた時に大角家の住まいとして使われた「大角家住居隠居所」がある。
少し進むと先程紹介した六地蔵一里塚の石碑が建っている。
先に見えるのは国道1号線バイパスから名神高速道路栗東ICへ繋がる道路。
旧東海道はその下をくぐり西進する。
JR草津線の手原駅
この駅には少し珍しいものがあるので記念に寄ってみた次第。
手原駅は東経136度の子午線が通る駅として有名。
ココが東経136度の子午線だそうです。
ちなみに経度の1度はどれくらいの距離なのか!?
答えは、地球が球体なので場所によって変わります。
赤道上では約111km。
日本の関西地方付近である北緯35度上だと約91km
だそうです。
ではココで問題。
北緯90度だと経度1度はどのくらいの距離でしょうか?
答えは、0km
北緯90度は北極点なので横の距離は全くありませんネ(笑
手原の街並、白壁と土蔵のある家は風情があって素敵です。
すずめの茶屋跡
足利義尚公の鈎(まがり)の陣所
奥の右手にある大きな石碑には『九代将軍 足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地 文明十九年(一四八七年)』と書いてある。
左手に建っている常夜燈はグーグルストリートビューで見る限り現在は無くなっているみたい。
葉山川に出ると三上山が、はるか遠くに見える。
「川辺」と書いて”かわづら”と読む。
ココもGoogleストリートビューで見ると川辺の文字が上鈎に変わっていた。
よくよく調べてみると厳密にはこの場所は川辺地区ではなく上鈎地区になるみたい。
旧東海道は金勝川の堤防に突き当たる。
この金勝川も天井川である。
現在は金勝川の改良工事が行われていて川底を掘り下げているとのこと。
金勝川の堤防のT字路には分岐の道標が建っている。
右 東海道
左 中郡街道
目川一里塚
江戸日本橋から118里
一里塚石碑の側面に『目川ひょうたんの里』と書かれている。
ここら辺は瓢箪の生産地なのだろう。
史跡 老牛馬養生所阯の石碑。
昔、この付近で不要の牛馬が処分されていたのを見て、不憫に思った庄屋が老牛馬に静かに余生を過ごさせる施設を設立された。
草津川の堤防をのぼり橋を渡るが川に水は流れていない。
草津川は川道を変えられていて、ここより南に流れている。
橋を渡り右へ行くと灯篭がある。
ここが草津宿江戸口見附。
旧東海道は草津川の南側を西に向かって下っていく、、、のだが現在は新しい橋が架けられていてそちらを通り西へ下っていく。
灯篭のところで通行止めになっているので私が通った道は通れない。
しばらく歩くとT字路になるが、右に行く道は江戸五街道の一つでもある中山道。
ここが、中山道と東海道が合流する追分である。
市指定文化財『右 東海道いせみち 左 中山道美のじ』道標
草津宿本陣
ほぼ昔の姿のまま残されており国指定史跡となっている。
草津宿に到着したので第52話はここまで。
石部宿~草津宿まで10.5kmを3時間10分掛けて歩きました。
次回、第53話は草津宿~大津宿の14kmになります。
あと残り2話。
東海道五十三次踏破の記事を作成するにあたり記憶を呼び起こしながらGoogleストリートビューで歩いた道を辿り作っています。
10年前と現在では色々と変わっているところもありましたが懐かしい風景などもストリートビューを見ることで蘇ってきます。
残り2話も頑張って仕上げていく所存でおりますので気長に見守ってくださいマセ。
<バックナンバー>
第1話 日本橋~品川宿 11.6km
第2話 品川宿~川崎宿 9.8km
第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km
第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km
第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km
第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km
第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km
第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km
第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km
第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km
第11話 箱根宿~三島宿 14.4km
第12話 三島宿~沼津宿 6.2km
第13話 沼津宿~原宿 6.1km
第14話 原宿~吉原宿 9km
第15話 吉原宿~蒲原宿 11km
第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km
第17話 由比宿~興津宿 10km
第18話 興津宿~江尻宿 4.2km
第19話 江尻宿~府中宿 11.4km
第20話 府中宿~丸子宿 5.3km
第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km
第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km
第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km
第24話 島田宿~金谷宿 4.4km
第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km
第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km
第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km
第28話 袋井宿~見附宿 6.5km
第29話 見附宿~浜松宿 14.5km
第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km
第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km
第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km
第33話 白須賀宿~二川宿 5.9km
第34話 二川宿~吉田宿 7.7km
第35話 吉田宿~御油宿 11.1km
第36話 御油宿~赤坂宿 2km
第37話 赤坂宿~藤川宿 9.9km
第38話 藤川宿~岡崎宿 10.7km
第39話 岡崎宿~池鯉鮒宿 11.8km
第40話 池鯉鮒宿~鳴海宿 11.7km
第41話 鳴海宿~宮宿 6.6km
第42話 宮宿~桑名宿 25km
第43話 桑名宿~四日市宿 12.6km
第44話 四日市宿~石薬師宿 12.2km
第45話 石薬師宿~庄野宿 3.3km
第46話 庄野宿~亀山宿 8.5km
第47話 亀山宿~関宿 5.1km
第48話 関宿~坂下宿 5.3km
第49話 坂下宿~土山宿 10km
第50話 土山宿~水口宿 11.8km
第51話 水口宿~石部宿 10.5km