日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、
そして盟友Qさんとの想い出も思いだしながら・・・
という事で書き始めた旅歩きの記事。
東海道五十三次としては10日目になります。
一年振りの東海道五十三次の旅。
前回は第20話~第26話で1泊2日で府中宿から掛川宿までの旅紀行を紹介しました。
今回は2泊3日で掛川宿から吉田宿(現:愛知県豊橋付近)までの旅紀行を8話に分けて紹介していきたいと思います。
2014年5月3日
段々、家から遠くなり宿泊しながらの行程も止むを得ない状況になってきている。
遠い地になればなるほど交通費も馬鹿にならない。
なのでゴールデンウィークを利用して満を持して2泊3日の策に出た次第。
その分、荷物も増えるけど仕方がない。
前回歩き終えた掛川宿に向かうべく新横浜駅から新幹線に乗り掛川駅へ。
8時45分掛川駅から出発!
早い時間から歩き始めると気分も爽やか♪
前回終了した地点にから再スタートします。
少し行くと「十九首塚公園」があります。
旧跡 十九首塚
天慶3年(940年)の天慶の乱の時に、平将門をうち破った藤原秀郷が、「逆臣といえども屍(しかばね)に鞭(むち)打つのは非道な行い」と、将門一門19人の首塚をつくり供養したと言い伝えられている。
最初は19基あった首塚も年月が経つとともに数が少なくなり、平将門のものと思われる大きな首塚1基だけが残された。
残りの18基の首塚を復活させたいという地元の方々の想いが通じて、新しく整備された十九首塚史跡公園に19基の首塚が完成した。
こちらが、地元住民の方々の尽力により復刻された十九基の首塚。
旧国道1号線(現:県道415号線)に出ると230キロのキロポストがありました。
倉真川にかかる大池橋。
大池橋を渡り切ると街道案内板がありました。
大池橋と秋葉街道
大池橋は、文化・文政年間に編集された「掛川誌稿」には、長さ二九間(約五二m)余り、幅三間一尺(約五・七m)余りの土橋と記されています。
東海道を東から来てこの大池橋を渡ると、正面に青銅製の鳥居とその両側に常夜灯が建てられていて、火防の神として広く知られた秋葉山へ通じる街道の入口であることを示していました。
秋葉山へはここから九里(約三五km)余りの道のりです。
常夜灯は、明和六年(一七六九)に、鳥居は安永九年(一七八〇)に建てられたものです。
この鳥居と常夜灯は、嘉永七年(一八五四)の大地震により倒壊しましたが、後に常夜灯も建て替えられ、鳥居も木造で建て替えられました。
東海道は、鳥居の手前で左に折れます。
この先、しばらく行くと天竜浜名湖鉄道のガードが見える。
遠めに見える天竜浜名湖鉄道の西掛川駅。
東海道と交差する天竜浜名湖鉄道の橋げた。
大池一里塚跡にある街道案内板。
細田付近には、東海道の松並木が残っています。
旧東海道はこの先で再び逆川に出合い緩やかに右にカーブします。
逆川に架かる和光橋。
この逆川とは日坂宿からのお付き合い。
この辺りは旧暦での催しがあり、七夕(八月)には軒先に笹飾りが見られるらしい。
細田付近にある元造り酒屋。
煙突や家屋に古き良き時代の佇まいを感じる。
「仲道寺」
東京~京都の中間地点、由緒ある寺。
仲道寺の隣にある善光寺は、寺中に如来堂がありその阿弥陀仏は坂上田村麻呂の守本尊とされている。
善光寺の西側から始まる東海道松並木。
歩道と車道がしっかりと分かれているので歩きやすいのが良い。
旧東海道松並木の説明書き。
松並木の両側には田園風景が広がり日本の原風景を見ているようにも思える。
松並木の中で見つけた街道案内板。
国道1号線に合流すると234キロポストがありました。
ここで掛川市とお別れ(画は東向き)して袋井市に入ります。
警察署の管轄分岐標もあるんですね。
掛川市の最後も撮ったので袋井市の最初も撮っておかないとね♪
名栗花茣蓙(はなござ)公園には、東海道可睡三尺坊道標がある。 |
歌川広重の東海道五十三次「袋井宿」の錦絵。
原野谷川にかかる同心橋を渡ると、名栗の立場があったらしい。
再び東海道松並木がありました。
ここでアクシデントが発生!
Qさんが松の根につまづいてしまい転倒し車道に転がってしまいました。
すぐさま抱きかかえ端へ避難。
運よく車が来なかったので難は逃れましたが膝やふくらはぎなどから出血が・・・
持っていた非常用の水で洗いティッシュを当ててタオルで止血。
しばらく休憩していると血が止まったので動けるかどうかを判断してもらい取り敢えず袋井駅へ行く事にしました。
距離にして約3キロ。
少し厳しい距離ですが何とか頑張ってみると言われたので様子を見ながら歩いて行きました。
歌川広重の行書東海道の絵図。
富士浅間宮鳥居
赤鳥居と呼ばれ親しまれているこの鳥居は、東海道分間延絵図にも描かれており重要文化財にも指定されていて木花開耶姫命を祀る冨士浅間宮本殿までの参道の入口に立っている。
妙日寺
日蓮上人の父の法名を寺名とし、代々の邸宅跡に創建されたという。
久津部一里塚
江戸日本橋から60番目の一里塚。
当時は道の両側に小高い土盛が作られていたらしい。
一里塚の説明書き。
面白い名前の小学校だこと♪
正式には「袋井市立袋井東小学校」
こちらは歌川広重の隷書東海道の絵図
七ツ森神社
七ッ森は田園の真ん中に残る七つの塚として、尾張藩士の高力猿猴庵が天明六年(一七六八)に東海道を旅して記した「東海道便覧図路」に描かれている。
一番大きな塚の上に書かれているのが現在の七ッ森神社だそうです。
東新屋にある街道案内板。
小休止を兼ねて最後の記念撮影。
西新屋にある街道案内板。
袋井市役所前にある街道案内板。
袋井駅に到着してお互いに話し合いQさんの強い希望もあり私は歩き続けることになりました。
本来は袋井駅に来る事がないハズだったけど、、、こういう形になってしまったことを胸に刻むため駅の写真を撮りました。
Qさんはとりあえず今晩宿泊予定である浜松のホテルに先に行って宿泊し明日午前中に横浜へ戻ります。
駅でQさんから言われた言葉を聞いて私は大きなショックを受けました。
『実は小脳の病にかかってうまく動けなくなってきているんだ』、、、と。
そう言えばこの日も朝から酔っ払い千鳥足のような歩きをたまにしていました。
※後日詳しく話しを聞いたところ現在の医学では完全な治療法が無いとのことで進行を遅らせるぐらいしか出来ないらしい。
そんな状態なら何故今日この旅に来たの?と聞き返すと最後まで歩く努力をしたかったからだそうです。
一年前、掛川宿まで一緒に歩いた時はなんでも無かったのに・・・
本当に悔しかったです。
ここから先は一人旅になりました。
京都三条大橋までの道のりはまだまだありますが、沢山の事を見て、そして体験しQさんに伝えるために。
袋井宿に着いたので第27話はここまで。
掛川宿を8時45分に出発し袋井宿に13時15分着。
8.3kmの道のりを4時間半かけて歩きました。
次回、第28話は袋井宿~見附宿の6.5kmになります。
過去にも神奈川宿~藤沢宿を一人で歩いていますので何とかなるでしょう。
色々な思いが心の中で錯綜しあの時は、そしてあの時は、、いやあそこで、、、と過去の自分を後悔し続けていますが自分を責めないよう歩く事に専念していきます。
<バックナンバー>
第1話 日本橋~品川宿 11.6km
第2話 品川宿~川崎宿 9.8km
第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km
第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km
第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km
第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km
第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km
第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km
第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km
第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km
第11話 箱根宿~三島宿 14.4km
第12話 三島宿~沼津宿 6.2km
第13話 沼津宿~原宿 6.1km
第14話 原宿~吉原宿 9.0km
第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km
第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km
第17話 由比宿~興津宿 10.0km
第18話 興津宿~江尻宿 4.2km
第19話 江尻宿~府中宿 11.4km
第20話 府中宿~丸子宿 5.3km
第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km
第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km
第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km
第24話 島田宿~金谷宿 4.4km
第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km
第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km