東海道五十三次踏破 第14話 原宿~吉原宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

今回は、久しぶりに東海道五十三次回顧録の記事です。

 

東海道の記事を挙げなきゃ・・・と思いながらもラーメン記事を続けてUPしていたので今回やっと話しを繋げることが出来ました。

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日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

そして盟友Qさんとの想い出も思いだしながら・・・

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては6日目になります。

 

 

2012年10月6日

 

第13話で原宿に到着したQさんと私の二人。

※原宿と言っても東京にある若者の中心地の原宿ではありませんヨ(笑

 

沼津市を抜けて、やっと富士市に入りました。

 

この後、数キロ直線の道を歩く事になりますが日陰もなく見どころも全くない道を歩きました。

 

ある意味、、、ハッキリ言って東海道五十三次の中で辛い思い出ベスト10に入るぐらいの場所でした。

 

喉が渇いても店も無いし自販機も無い。

 

修業でしたね。

 

やっと見つけた自販機で飲んだ水がとても美味しかった記憶が心に焼き付いてます。

 

 

 

ここに 間宿 柏原 の本陣跡の説明書きがありました。

 

「間宿」とは本来の正式に認められた宿場と宿場の間に設けられた休憩所の事で”あいのしゅく”と読む。

間宿のWikipedia

 

誤解を招かないように先に言っておきますが”愛の宿”ではないです。

 

 

 

”望獄の碑”の説明書き。

 

東田子の浦駅から西に曲がりしばらく歩くと立圓寺がある。

 

ここから見た富士山の絶景をたたえた望嶽の碑があります。

 

 

 

望獄の碑から少し歩くと沼田新田一里塚がありました。

 

江戸日本橋から33里。

 

 

沼田新田一里塚から15分程歩くと元吉原宿に入ります。

西・北・南とありましたが、東を見つけられず残念あせる

 

 

 

左富士神社。

 

 

 

東海道の名勝「左富士」

 

江戸から京都へ向かうと富士山は常に右側に見えていたけど、この場所だけは左側に富士を望むことができたので「左富士」と名づけられたと言われている。

 

 

 

モチロン私ごときの運の持ち主では富士山を丁度良く見る事なんて出来ない。

 

 

 

「平家越えの碑」

 

この辺り一帯は1180年(治承4年)富士川の戦いで平家軍が陣を構えたところである。

源氏の迂回作戦で飛び立った水鳥の音に平家軍は驚き、浮き足立ってしまい敗走したといわれている。

この故事に因み、平家越の碑が建てられた。

 

 

 

右 鈴川(現:JR𠮷原駅付近)  左 𠮷原宿

 

 

 

𠮷原宿の西木戸跡。

 

𠮷原宿は最初、元𠮷原辺りにあったが大きな災害に二度ほどあったため現在の宿場跡に1682年に移転したと言われています。

 

 

𠮷原宿に到着したので第14話はここまで。

 

原宿を出て𠮷原宿に到達したのが15時半。

 

距離にして9kmの道のり。

 

3時間20分の行程でした。

 

本日の東海道歩き旅はここまで。

 

今回は一泊二日の行程で、富士駅近くに宿を取っていたので電車に揺られて戻りました。

 

次回の第15話は吉原宿~蒲原宿までの11.1kmの話しになります。

 

東海道五十三次踏破のブログ記事も少しUPが遅れ気味になっているので今後は気合を入れていきたいと思います。

 

 

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<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km