東海道五十三次踏破 第15話 吉原宿~蒲原宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

 

 

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

そして盟友Qさんとの想い出も思いだしながら・・・

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては7日目になります。

 

 

 

2012年10月7日

 

昨晩は、富士駅近くのビジネスホテルに宿泊。

 

時間も早かった事もあって近くの居酒屋でQさんと二人で一日の疲れを癒しました。

 

沼津港の新鮮な魚で美味しい1杯は格別でした。

 

今でも覚えています♪

 

ただ、、、あの頃は自分がブログを始めるなんて思ってもいなかったので飲みの写真は一切撮っていなかったのが悔やまれます。

 

 

 

さて、、、

1泊2日の2日目の朝。

 

昨日の終了地点まで戻り再びスタート。

 

岳南電車岳南線の吉原本町駅から旧東海道を歩き始めます。

吉原宿に別れを告げて次なる蒲原宿へ。

 

 

 

旧東海道はこの吉田写真館の手前脇を左に入って行きます。

 

 

 

20分程歩くと鶴芝の碑がありました。

 

ここには鶴の茶屋があり茶屋から見る富士山の中腹に鶴が舞っているように見えたので名付けられた。

 

 

 

間宿 本市場

 

 

 

本市場一里塚がありました。

 

江戸日本橋から35里。

 

 

 

札の辻跡。

 

 

 

旧松永邸跡。

 

 

 

江戸~京都の全体から見た現在地

 

東海道五十三次を35%ぐらい歩いたかな!?

 

まだまだ遠い三条大橋!

 

 

 

こちらにも札の辻跡がありました。

 

昔、高札を掲げた場所ですね。

 

 

 

間宿 本市場のもう一つの片側。 

 

 

 

JR身延線の柚木駅を過ぎると昔の道標と常夜燈があったが文字が擦れて読めなかった。

 

 

しばらく歩くと水神ノ森と水神社がある。

水神社の境内には渡船場跡の石碑があります。

 

昔は富士川には橋が無かったため渡船場から船で渡っていました。

 

 

現在は県道396号線の富士川橋で富士川を歩いて越える事が出来ます。

富士川橋から見た富士川。

 

 

 

富士川を渡ると間宿 岩淵に入ります。

 

 

 

このような現代版の道標が設置されていると我々旅人はとても助かります。

 

静岡県は特にこういう事に関して積極的に取り組んでおられるのでとても良かったです♪

 

 

 

歴史を感じさせる常夜灯。

 

 

 

岩淵一里塚。

 

江戸日本橋から37里。

 

 

 

岩淵の一里塚は現存する榎が左右にありました。

 

威風堂々として立派です。

 

 

 

都会では見る事が無い標識。

 

いたわりゾーンは都会にも欲しいですね。

 

 

 

静岡県に入るとこういう感じで東海道道しるべが多く設置されているので現代旅人には非常に助かります。

 

 

 

京都まではまだまだです。。。

 

 

旧東海道は少し山間の長閑な住宅地に入ります。

すると一軒の和洋菓子店を発見。

 

こんなところに!?という場所で「東海道銘菓 富士川の栗の粉餅」と書いてあったので寄り道して購入。

 

立派な栗が印象的な粉餅でした。

 

美味しかったです♪

 

 

 

この場所が峠道だった旧東海道の説明書き。

 

確かにここまで山間の道を歩いて来ましたからね。

 

舗装もされていない当時は大変だったと思います。

 

 

 

こういう絵看板もありました。

 

安藤広重の絵でも蒲原宿は冬の峠の絵でしたね。

 

 

 

蒲原一里塚。

 

江戸日本橋から38里。

 

一里塚は慶長九年(一六〇四)徳川幕府が江戸日本橋を起点として、一里(約四km)ごとに築いた塚です。蒲原宿の一里塚は江戸日本橋から数えて、三十八番目のものです。

一里塚は、道路をはさんで両側に約二mほど高く土を盛り、榎か松を植えて、旅人に見やすいように築きました。最初の一里塚は、元禄十二年(一六九九)の大津波で流失して、宿の移転にともなってここに移されたものですが、当初の面影はありません。

 

 

 

蒲原宿の東木戸・常夜燈

 

江戸時代の宿場の入り口には、見附や木戸と呼ばれるものがありました。

蒲原宿の入り口には木戸が設置されており、東の入り口のことを「東木戸」と呼んでいました。

常夜燈は、現在でいう街灯にあたるもので各所に設置され暗い夜道を明るく照らし続けていました。

蒲原宿の東木戸にある常夜燈には「宿内安全」という文字が刻まれていて、宿場の入り口を照らしていました。

 

 

 

やっと蒲原宿に到着しました。

 

 

 

現在の「蒲原宿」の案内板。

 

現在とその当時を比較できるので判りやすいです。

 

 

 

蒲原宿の問屋場跡。

 

 

 

「蒲原夜之雪」記念碑。

 

 

 

安藤広重の東海道五十三次絵図に描かれている「蒲原夜之雪」

 

 

 

当時のまま今も現存する旅籠「和泉屋」の建物。

※現在は旅籠営業しておりません。旧東海道を歩く旅人のお休み処になっていました。

 

 

 

「和泉屋」の向かいにある本陣跡。

 

蒲原宿には旅籠42軒、本陣1軒があったとされています。

 

 

 

こちらが蒲原宿の西木戸。

江戸時代の事件簿「茄子屋の辻」の場所だそうです。

 

 

 

蒲原宿に到着したので第15話はここまで。

 

吉原宿を8時半に出発して蒲原宿に11時半に到着。

 

距離にして11kmの道のりを3時間かけて歩きました。

 

次回の第16話は蒲原宿~由比宿までの5.4kmの話しになります。

 

東海道五十三次踏破のブログ記事も少しUPが遅れ気味になっているので今後は気合を入れていきたいと思います。

 


>>>第16話

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km