東海道五十三次踏破 第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

 

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めたこの歩き旅の記事。

 

東海道五十三次としては3日目になります。

 

2012年3月11日

 

神奈川宿の近くにある横浜の青木橋から一人で歩き始めた私。

 

第4話では保土ヶ谷宿まで歩いてきました。

 

宿場町に着くと歴史的建造物などの跡地が数多く現れます。

 

 

最初にお目にかかるのは保土ヶ谷宿の本陣跡。

 

 

 
江戸時代当時の保土ヶ谷宿の施設の説明書き。
 
この後、国道1号線から離れ住宅地方面へ旧東海道は進んでいく。
 
 
 
権太坂。
 
正月恒例の風物詩ともなった箱根駅伝の2区・9区で有名な権太坂は国道1号線の権太坂の事だけど旧東海道は少し違う場所にあります。
 
狩場から環状2号線方面へ抜ける裏道的な生活道路にこの権太坂があります。
 
 
 
権太坂の由来などの説明書き。
 
 
 
権太坂の先には境木立場跡があります。
 
宿場と宿場の間の設けられた休憩所的なところです。
 
 
 

境木の標柱。
 
ここが東海道での武蔵国と相模国の分岐処なので境木という地名が名付けられたとか。
 
 
 
権太坂の急坂で疲れた旅人を癒した茶屋があってそこで焼餅を売っていたことからこの名前がついたとも言われている。
 
 
 
品濃一里塚。
 
現在でいうとJR東戸塚駅の東側辺り。
 
 
 
品濃坂上という地名からも判るとおり坂が多いエリア。
 
 
 
吉田一里塚。
 
十番目の一里塚で江戸から約40kmになります。
 
 
 
戸塚宿には二つの本陣があったと言われていてその一つが澤邊本陣になります。
 
 
 
戸塚宿の本陣跡を示す標柱が民家の敷地入口に建てられています。
 
 
戸塚宿に到着しました。
 
保土ヶ谷宿の本陣跡を10時55分に出発して戸塚宿の本陣跡に13時55分に着きました。
 
距離は9.4km
 
3時間かけてゆっくりと見学しながら歩きました。
 
単独だと心細いけど自由気ままに歩ける利点もあるから一長一短ですね。
 
第6話は戸塚宿~藤沢宿です。
 
戸塚という名前の由来になった神社などを見学しながら国道1号線をひたすら南下します。
 
ラーメン記事のUP具合と私の気力体力との兼ね合いで第6話をUPしたいと思いますが近日中に書きたいと念じていますアセアセ

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km