東海道五十三次踏破 第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

 

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めたこの歩き旅の記事。

 

東海道五十三次としては3日目になります。

 

2012年3月11日

 

第3話で神奈川宿まで歩いた私達2人。

 

横浜駅の少し手前にある青木橋からスタート。

 

一緒に歩いていたQさんは所用で不参加(本人曰く横浜~鎌倉藤沢方面は20回以上歩いている)との事で、この日は私一人で歩きます。

 

今回は気合を入れて歩けるところまで歩く予定です。

 

 

この青木橋付近で国道15号線と国道1号線が合流し旧東海道は国道1号線方面に行く事になりますが、保土ヶ谷宿までは現在の国道1号線沿いでは無く少し離れた道がルートになっています。

 

 
 
こういう旧東海道の歴史案内は非常に勉強になります。
 
本やネットで調べれば判る事でもありますがその場所に行って自分の目で見る事が素敵なことだと思います。
 
”百聞は一見に如かず”
ですからね。
 
 
 
広重の東海道五十三次に描かれている神奈川宿の中に今でも現存する宿屋があります。
 
 
 
↑この「田中家」が今でも現存する宿屋です。
 
当時は茶屋として生業していたみたいです。
 
関東大震災や戦争の戦火を免れて残った事は本当に凄い事だと思います。
 
 
 
弥次さん喜多さんも寄ったみたいですね♪
 
 
 
幕末の時に作られた関門跡。
 
横浜は異人さん達が一杯いましたからね。
 
 
 
神奈川台(丘)を越え少し行くと浅間町に出ます。
 
そこには浅間神社があり、富士浅間神社の分霊を祀ったものと伝えられているそうです。
 
 
 
歩いていると道に埋めこまれている旧東海道の目印がいくつもありました。
 
 
 
幕末に横浜が開港されると、横浜から八王子方面に絹を運ぶための道が整備されここで旧東海道と分岐します。
 
街道同士が合流分岐する場所を”追分”と言います。
 
この先も色んな追分がありました。
 
 
 
松原商店街全体が旧東海道になっていて、判りやすい案内地図がありました。
 
人人人、、、物凄く賑わっていて活気溢れる商店街なので歩いていても楽しいです♪
 
 
 
松原商店街を抜け相鉄線の天王町駅を通過するとすぐ旧帷子橋があります。
 
帷子川が当時の位置から現在は流れを変えられてしまったので、旧帷子橋は欄干だけ復元されて周りが埋め立てられてて作られた公園の中にひっそりと佇んでいます。
 
天王町駅からまっすぐ伸びる道を歩いて行くと保土ヶ谷駅の西口に着きます。
 
この保土ヶ谷駅は東海道五十三次の中の宿場町がある駅の中で唯一東海道本線が止まらない駅です。
 
東海道と冠している路線なのにね。

 

保土ヶ谷駅は、横須賀線と横須賀線経由の湘南新宿ラインしか停車しない駅なのです。
 
保土ヶ谷駅を横目に見ながら少し歩いて行くと国道1号線に出ます。

 

 

 
国道1号線に出たところに保土ヶ谷宿の本陣があります。
 
宿場町には本陣があるので保土ヶ谷宿に到着しました。
 
 
とりあえず第4話はここまで。
 
9時45分に横浜の青木橋(神奈川宿)を出発し色々と見ながら保土ヶ谷宿に到着したのが11時。
距離は約4.5km
1時間15分かかりました。
 
 
第5話は保土ヶ谷宿~戸塚宿です。
 
箱根駅伝2区と9区でも有名な権太坂がありますが当時の坂は現在の国道1号線の坂ではありません。
 
ラーメン記事とUP具合と私の気力体力との兼ね合いで第5話をUPしたいと思いますが今月中に書きたいと念じていますアセアセ

 

>>>第5話へ

 

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km