東海道五十三次踏破 第37話 赤坂宿~藤川宿 | ブラまくり

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日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては13日目になります。

 

 

2014年9月13日

 

赤坂宿に入ると昔の街並が多く驚いた。

 

 

 

 

 

 

尾崎屋

 

明治元年(1868年)創業。

”曲輪 民芸品 製造卸問屋”と書かれた軒行燈が掲げられている。

曲輪とは曲げわっぱのことで、檜や杉の板を円筒形に曲げて作った木製の弁当箱などを製造販売していたらしい。

 

 

 

大橋屋

 

江戸時代からの旅籠。

慶安2年(1649年)創業で最初は「伊右エ門鯉屋」の屋号だった。

享保元年(1716年)の建築との事で今に残す江戸時代の佇まい。

 

 

 

歴史を感じさせる煤汚れた提灯が何とも言えずイイネ♪

 

 

 

旅籠 大橋屋の説明書き。

 

 

 

ただ残念な事に2015年で旅籠業を閉館し約370年の歴史に幕を閉じた。

 

こういう宿に一度でも良いから泊ってみたかったです。。。

 

 

 

太子山正法寺の入口。

 

聖徳太子が弘仁7年(816年)に赤坂の地に太子堂を築いて万巻上人の開基とされている。

 

 

 

御休処よらまいかん

 

平成14年(2002年)に開設された旅籠風の建築様式の休憩施設。

 

東海道五十三次を歩いているとこういう施設があると嬉しい限り。

 

足休めにはもってこいの場所で軽く見学したくなる。

 

 

 

よらまいかん内の絵解説板。

 

 

 

よらまいかんの向かいにある赤坂陣屋跡

 

 

 

旧東海道をしばらく歩くと道端に何やら古めかしい石碑がひっそりと建っていた。

 

一里山庚申道道標と書かれていました。

 

 

 

赤坂宿をすぎると、程なくして長沢の一里塚がある。

 

 

長沢の一里塚
 

標柱が1本立っているだけで、うっかり見過ごしてしまいそう。

江戸日本橋より77里

 

 

 

長沢城跡

 

長沢城は横が約200メートル・縦が約250メートルに及ぶ相当大きなもので、前面を土塁や三重の堀が巡り南側に出入り口があった。

 

現在は宅地化されて堀の一部をわずかに残すのみである。

 

 

 

御油宿・赤坂宿と街道脇を流れる音羽川。

 

 

 

長沢付近旧街道


南東(赤坂・御油方向)の画。

 

 

 

長沢付近旧街道
北西(藤川・岡崎方向)の画。

 

 

 

芭蕉の門人・磯丸の歌碑

 

この先、旧東海道は再び国道1号と合流する。

 

 

 

旧東海道の東側を国道1号が走る。


その東側は、名古屋鉄道名古屋本線が、さらにその東には、東名高速道路が走る。

 

 

 

久しぶりにキロポストとご対面~♪

 

日本橋から314kmの地点になります。

 

 

 

愛知県岡崎市に突入しましたーーー!!

 

 

 

音羽町から岡崎市に入ると、本宿(もとじゅく)である。

 

 

 

本宿は、法蔵寺の門前町であるが、赤坂宿と藤川宿の中間に位置し、
間(あい)の宿としての役目もあった。

 

 

 

裏から撮った画。

 

 

 

ここで国道1号線から再び分かれる。

 

旧東海道はここを左へ。

 

 

しばらく行くと大宝元年(701年)に行基が創建したという法蔵寺がある。


この寺で、幼いときの家康が過ごしたという言い伝えがある。

 

今回は行かなかったが法蔵寺の墓地には、新撰組近藤勇の首塚があるらしい。

 

 

 

本宿陣屋跡と代官屋敷の案内図。

 

 

 

本宿一里塚

 

江戸日本橋より78里

 

 

 

宇都野龍碩(うつのりゅうせき)邸跡と長屋門


宇都野龍碩は蘭学医であった。


この長屋門を西に行くと、松並木がある。

 

 

 

本宿の松並木入り口(東向き)
 

 

 

松の右側の道は旧東海道で左側が国道1号。

 

 

 

国道1号線の316キロポスト

 

 

 

東海道を示す石碑が設置されているのを見つけると何となく嬉しくなるのは歩いている者のみが味わえる小さな喜び。

 

 

 

舞木西交差点付近にある舞木の松並木入り口(東向き)


この近くに、山中八幡宮がある。
 

 

 

国道1号線の318キロポスト

 

 

 

国道1号線から別れて、ここから西側に藤川宿がある。

 

 

 

藤川宿の東棒鼻跡

 

宿場の出入口を棒鼻(棒塙とも書く)といわれ、地元に保存されている街道往還図には宿場石垣とある。

広重の藤川宿棒鼻の版画は幕府が毎年八朔、朝廷へ馬を献上する一行がここ東棒鼻に入ってくるところを描いたものである。
 

 

 

広重の東海道五十三次藤川宿の絵図

 

 

 

京へ四十六里二十七丁

岡崎へ一里半

 

赤坂へ二里九丁

江戸へ七十八里二十九丁

 

 

この先に藤川宿の中心地がありますが第37話はここまで。

 

赤坂宿~藤川宿までの9.9kmを2時間40分掛けて歩きました。

 

次回第38話は藤川宿~岡崎宿の10.7kmになります。

 

 

約2ヶ月ぶりの東海道五十三次踏破記事になってしまいましたが次回はなるべく早めにUP出来るよう頑張ります!

 

東海道五十三次踏破のブログ記事の作成は遅れ気味ではありますが鋭意努力してまいりますので次回話は今しばらくお待ちくださいマセ。

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km

第29話 見附宿~浜松宿 14.5km

第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km

第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km

第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km

第33話 白須賀宿~二川宿 5.9km

第34話 二川宿~吉田宿 7.7km

第35話 吉田宿~御油宿 11.1km

第36話 御油宿~赤坂宿 2.0km