東海道五十三次踏破 第28話 袋井宿~見附宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

遂に後半戦に突入しました。

 

東海道五十三次としては10日目になります。

 

 

2014年5月3日

 

袋井駅でQさんを見送り一人旅になってしまった私。

 

袋井駅から再び旧東海道に戻って、歩き始めます。

 

旧東海道に戻るとすぐに袋井宿の「東海道ど真ん中茶屋」があったので立ち寄りました。

 

ここは現代版の旅人用の休憩所。

袋井宿は東海道五十三次の中間にあたる地点。

 

”どまん中”とは面白い表現ですね♪


 

 

ここにもありました!街道案内板。

 

 

 

”日本一小さな歩く道の駅”

 

可愛い名称ですね♪

 

 

 

歌川広重の東海道五十三次絵図「袋井」出茶屋ノ図

 

 

 

色々と面影を残して造られています。

 

 

 

宿場としては小規模であったから定飛脚問屋の記録には定飛脚取次所は記載されていないが、後に袋井の郵便局長を務めた田代八郎左衛門が定飛脚をやっていた頃の印判が押された請取書が残されている。田代家は袋井に三軒ある中で一番大きな本陣で東側にあったことから東本陣とも呼ばれていた。

 

 

 

こちらが東海道ど真ん中茶屋の西方出口になります。

 

 

 

休憩もしっかりと取れた事だし再び出発しましょう!

 

 

 

茶屋で案内している方から記念にこのような巻物を頂きました。

 

 

中身は表裏に今昔別の袋井宿の絵図が描かれています。

こちらが”昔”
 
 
 

判りやすいですね。
 
 
 
こちらが”今”
 
 
 
事前に欲しかったアイテムでした(笑
 
 
 
さらにこんなチラシもゲット!
 
 
 
短冊型のパンフもゲット!
 
 
 

 

袋井宿の歴史を残そうと努力している袋井市のご尽力には感謝です。

 

 

 

日本史の勉強にはもってこいの場所です。

 

 

 

「秋葉山常夜灯」の説明書き。

 

 

 

「高札場」の説明書き。

 

 

 

「土手(土塁)」の説明書き。

 

土塁という言葉は国営放送の番組、「ブラタモリ」でも再三説明されていましたね。

 

「ブラタモリ」からもじって”ブラまくり”の表題にした次第なので私的にはタモリさんは凄い方なのです。

 

 

 

川井地区にある寺澤家の長屋門。

 

 

 

右が旧東海道。

東の方向(袋井宿)を見たところ。

 

 

 

県道を逸れて木原集落に入る。

木原一里塚跡付近から、西を見る。

 

 

 

木原一里塚跡

 

現在は50mほど西に復元されている。

 

 

 

こちらが復元された木原一里塚。

 

 

 

木原一里塚の説明書き

 

 

 

木原一里塚のすぐ近くにある木原畷古戦場跡

 

 

 

元亀三(一五七二)年、兵三万五千を率いて甲府を出発した武田信玄は大居城飯田城を落して久野城へ向かった。

しかし久野宗能の激しい抵抗にあったため東海道を西に向い、ここ木原・西島に陣をはった。

これを知った徳川家康の兵とこの付近でこぜり合いをくり返した信玄はやがて二俣城を攻略し、東三河へ向うべく三方ヶ原を通過しようとした。

これに対して家康は兵一万で迎え撃ったが信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰った。

これが世にいう三方ヶ原の合戦で、木原での戦いはこの前哨戦ともいうべきものであった。

と説明書きに記されています。

 


 

許禰(こね)神社の木原畷古戦場跡

 

 

 

長命寺の笹田源吾供養塔


武田方の笹田源吾が徳川方の熊野権現宮司にとらえられ、討ち死にした。
その供養の塔。

 

 

 

こちらにもありました、街道案内板。

 

 

 

木原という地名の説明書き。

 

 

 

磐田市に入りました~♪

 

こういうのって徐々に西に向かっている実感が湧きますキラキラ

 

 

 

須賀神社の大楠

 

昔の人々に目印になった木です。

 

 

 

須賀神社

 

 

 

郵便ポストの脇に設置されていた”牢屋敷跡”

 

 

 

国道西島バス停付近


現在は県道になっている旧東海道。


西(見付方向)を見る。

 

 

三ヶ野にある街道案内板。

 

 

 

太田川にかかる三ヶ野橋を渡ると三ヶ野の松並木がある。

 

 

 

静岡県は旧東海道松並木が数多く残されているので歩いていても嬉しい限り♪


 

三ヶ野付近の東海道は、鎌倉の古道、江戸の古道、明治の道、大正の道、昭和の道、平成の道など、各時代の道が現存する。

 

そしてここは、明治の道と大正の道の分岐。

 

右に行くと大正の道、左は明治の道。


旧東海道は明治の道を行く。

 

 

 

「大正の道」

 

 

 

「明治の道」

 

 

 

「江戸の古道」

 

 

 

「鎌倉の古道」

 

 

 

「歴史がうつる三ヶ野七つ道」

 

この時代まで古い道を含む各時代の道が残されている地域はk非常に珍しい。

 

 

 

明治の道を行くと”古戦場大日堂”がある。

 

 

 

古戦場とは思えない程こじんまりとした公園風景。

 

徳川家康と武田信玄が戦った時、徳川方の本多平八郎が木原畷の武田方の様子を探ったという物見の松がある。

 

 

 

大日堂から見下ろした街並。

 

 

 

見付の松並木

 

 

 

ここより西が見附宿

 

 

 

遠州鈴ヶ森刑場跡

 

 

 

愛宕神社

 

 

 

愛宕神社の裏手にある阿多古山一里塚跡

 

 

 

愛宕山から望む見附宿

 

 

 

 

阿多古山(愛宕山)の一里塚を降り、見付宿を進む。


しばらくすると東坂の梅塚があり、この見付宿の碑に出会う。

 

 

 

問屋場跡

 

今は静岡銀行が建っている。


見付の由来は、京から下ってきた旅人が初めて富士山を見つけたことから言われている。

 

見附宿に着いたので第28話はここまで。

 

袋井宿から見附宿までの6.5kmを約2時間半かけて歩きました。

 

今回から一人旅になりましたが、この旅に来る前にネットで先達の方が十数年前に歩いた記事を印刷してあったので、載っている写真と極力同じアングルで撮ってみるという企画?(想い)をしてみようと頑張ってみました。

 

何か目的を持って歩くと楽しみがあるので良いかなと思った次第です。

 

次回、第29話は見附宿~浜松宿までの14.5kmになります。

 

10km越えなので大変ですが頑張って歩きました。

 

時間を作りながら記事を作成していきますので今しばらくお待ちくださいマセお願い

 

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km