東海道五十三次踏破 第35話 吉田宿~御油宿 | ブラまくり

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日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては13日目になります。

 

 

4ヶ月ぶりの東海道五十三次の旅。

 

前回は第27話~第34話の2泊3日で掛川宿から吉田宿までの旅紀行を紹介しました。

 

今回は3泊4日で吉田宿(愛知県豊橋)から亀山宿(三重県)までの旅紀行を12話に分けて紹介していきたいと思います。

 

 

2014年9月13日

 

横浜から名古屋以西の往復の新幹線代などの交通費を抑えるために3泊4日の長丁場に挑む私。

 

荷物は着替えと地図等の資料だけ。

 

その日その日の歩く距離を予測し、予め宿の手配は準備済み。

 

準備万端で前回歩き終えた吉田宿に向かうべく新横浜駅から新幹線に乗り豊橋駅へ。

 

 

豊橋駅東口から旧東海道に戻り再びスタート!

 

 

 

上伝馬町付近。

 

東西に長い吉田宿は上伝馬町付近で北に曲がり西惣門へと繋がっていた。

 

 

 

”松尾芭蕉吉田の宿の旅籠の記”

 

松尾芭蕉が全国漫遊の旅の途中で吉田宿の旅籠に泊ったんだよという碑。

 

思い返せば松尾芭蕉と明治天皇にまつわる碑は全国各地にありますね。

 

 

 

吉田宿西惣門付近にある湊神明社。

 

 

 

湊神明社の説明書き。

 

 

 

豊川に架かる豊橋の袂にある高札場跡の説明書き。

 

ここで豊橋の読み方について、、、

(市)とよはし

(橋)とよばし

橋の名前は濁ります。

 

豊川の名前も

(市)とよかわ

(川)とよがわ

のように濁ります。


 

 

旧東海道は、豊橋を南から北へ渡り豊川の堤防沿いに西に進みます。

※画は豊橋を渡り切ってから撮ったもの

 

 

 

豊川稲荷遥拝所

江戸末期には豊川稲荷の道標と大鳥居があったという。
豊川稲荷遥拝所は愛知県御津駅の傍にもあり、それぞれの大鳥居が、現在の豊川稲荷の一の鳥居と二の鳥居として移設されたとのこと。

 

 

 

聖眼寺にある松尾芭蕉の句碑「松葉塚」

 

 

 

少し進むと下地一里塚跡がある。

 

 

 

江戸日本橋より七四里と書いてある。

 

 

 

下地町付近は若干昔の面影を残している。

 

 

 

横須賀町付近にただ1本だけ残された松。

 

松から想い浮かばれる昔の風景をしみじみと愉しみたい。

 

 

 

史跡 瓜郷遺跡

 

弥生時代中後期の遺跡だそうです。

 

 

 

江川に架かる鹿菅橋。

 

古来、豊川を渡る際に志香須賀(しかすが)の渡しを利用したと言われている。

 

 

 

下五井町にある豊橋魚市場。

 

 

 

豊川放水路に架かる高橋。

 

こちらも読み方が

たかはしでは無く”たかばし”

 

ちなみに歩道が無いので歩行者には結構危ない。

 

 

 

豊川放水路に架かる高橋を渡り少し行くと”子だが橋碑”がある。

一千年程昔、菟足(うたり)神社の大祭の日に若い女性を生贄にする風習があった。

生贄を狩りに行くと不運にも自分の娘だったが「子だがやむを得ん」とそのまま生贄にしたという言い伝えから”子だが橋”という名が付いたとも言われている。
 

 

 

とんぼ公園。

基本的には何も無い、何もいない、駐車場も無い公園。

とんぼの季節である夏~秋にかけてはトンボが集まるのだろう、、、きっと。

 

 

 

菟足神社

 

 

 

菟足神社境内のご神木。

 

 

 

JR飯田線の踏切を越えると式内菟足神社(秋葉神社)の松が見える。

 

 

 

吉田宿と御油宿の中間辺りにある伊奈村に立場茶屋が設けられた。

 

加藤家の跡地で「良香散」という腹薬が売られていた事で有名だった。

 

 

 

伊ノ奈一里塚

 

江戸日本橋より75里。

 

 

 

画では日蔭になっていて判りづらいが伊ノ奈一里塚はお洒落な店構えの山本太鼓店の横にある。

 

 

 

佐奈川を越えると豊川市に入る。

 

この辺りは比較的に古い家並みが残っているので風情がある。

 

 

 

豊川市白鳥町付近で旧東海道は一旦遮断され迂回を余儀なくされる。

 

 

 

国道1号線を北に越えると名鉄豊川線の踏切がある。

 

昔の旧東海道は踏切を渡って少し行ったところを左に折れていたらしいが現在は道が無いため踏切を渡ってすぐの道を左に折れる。

 

 

 

昔の旧東海道はこの先辺りを通っていたらしいがはっきりとした事は判っていないらしい。

 

 

 

旧東海道は再び国道1号線を越えここで左にそれる。

 

ここから国府(こう)の街。

 

 

 

国府の静かな街並。

 

右側には秋葉神社の常夜燈がある。

 

 

 

常夜燈の説明書き

 

 

 

薬師堂

 

 

 

国府の商店街を抜けると大社神社ある。

 

 

 

大社神社の50mぐらい先にある御油一里塚

 

江戸日本橋より76里。

 

 

 

旧東海道と姫街道の分岐点でもある追分には立派な常夜燈が建っている。

 

姫街道は出女の取り締まりが厳しかった新居の関所を避けて通るために主に女性が通ったと言われていて、浜松宿の手前の見附宿から山側をぐるっと通っている街道で御油宿の先まで繋がっている。

 

 

 

姫街道の案内木板

 

 

 

追分を過ぎると御油宿も近い。

 

画は御油宿方面(北西)を見たところ。
 

 

 

姫街道の追分を過ぎて少し行くと音羽川に架かる御油橋がある。

 

ここからが御油の宿場町。

 

 

 

国指定天然記念物の御油のマツ並木はここから1km。

 

途中に御油松並木資料館もある。

 

 

 

所々に古い旧家が点在している。

 

 

 

御油宿の高札場跡

 

 

 

高札場跡の斜め向かいにはベルツ博士の妻 花夫人の実家跡がある。

 

ベルツ博士は明治初期の東京医学校の教師。

 

 

 

歌川広重の東海道五十三次「御油」の絵が飾られていました。

 

この先に御油宿の中心地がありますが第35話はここまで。

 

吉田宿~御油宿までの11.1kmを3時間20分掛けて歩きました。

 

次回第36話は御油宿~赤坂宿の2.0kmになります。

 

宿場町間が長いところもあれば短いところもあるのが不思議ですね。

 

東海道五十三次踏破のブログ記事の作成は遅れ気味ではありますが鋭意努力してまいりますので次回話は今しばらくお待ちくださいマセ。

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km

第29話 見附宿~浜松宿 14.5km

第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km

第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km

第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km

第33話 白須賀宿~二川宿 5.9km

第34話 二川宿~吉田宿 7.7km