東海道五十三次踏破 第33話 白須賀宿~二川宿 | ブラまくりん

ブラまくりん

ブラブラと出かけながら
お酒を飲んだり
ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては11日目になります。

 

 

2014年5月4日

 

江戸から見て遠江国最後の宿場町 白須賀宿 に入りました。

 

時刻は16時。

 

想定行動時刻を1時間程遅延しています。

先を急がねば、、、

 

白須賀一里塚と白須賀宿の高札場跡。

 

江戸日本橋から70里。

 

 

 

こちらは高札場跡の石碑。

 

ってゆーか思い切り、人の家の庭先だよね。

 

こういうところがスゴイなぁ~あせる

 

 

 

それぞれの説明書き。

 

 

 

潮見観音のある蔵法寺山門。

 

 

 

潮見坂下にある東海道案内板。

 

 

 

潮見坂

 

潮見坂は、街道一の景勝地として数々の紀行文などにその風景が記されています。

西国から江戸への道程では、初めて太平洋の大海原や富士山が見ることができる場所として古くから旅人の詩情をくすぐった地であり、今でもその眺望は変わらず、訪れる人を楽しませてくれます。

浮世絵で有名な安藤広重もこの絶景には、関心を抱いたようで、遠州灘を背景にその一帯の風景を忠実に描いています。

 

 

 

潮見坂を上りきると、湖西市の「おやんど白須賀」という無料の休憩所があります。

 

 

 

こちらが入口。

 

 

 

潮見坂公園跡

 

明治天皇が江戸へ行幸する途中に休まれた潮見坂上は、かつて織田信長が武田勝頼を滅ぼして尾張に帰る時、徳川家康が茶亭を新築して、信長をもてなした場所でもあります。

 

 

 

街道案内板。

 

 

 

潮見坂上の石碑群

 

元々、坂下にあった白須賀宿は1704年の大津波によって壊滅し坂上に移転したと言われている。

 

 

 

坂の上から望む太平洋。

 

とても景色の良いところです♪

 

 

 

曲尺手(かねんて)

 

曲尺手は、直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つほか、大名行列同士が道中かち合わないようにする役割も持っていました。

江戸時代、格式の違う大名がすれ違うときは、格式の低い大名が駕籠から降りてあいさつするしきたりでした。

しかし、主君を駕籠から降ろすことは、行列を指揮する供頭にとっては一番の失態です。

そこで、斥候を行列が見えない曲尺手の先に出して、行列がかち合いそうなら休憩を装い、最寄りのお寺に緊急避難をしました。

 

 

 

白須賀宿整備の一環として再建された東伝馬の建物。

 

 

 

本陣跡

 

この地は、本陣大村庄左衛門宅跡で、元治元年(一八六四)の記録には、建坪百八十三坪、畳敷二百三十一畳、板敷五十一畳とあります。

 

 

 

脇本陣跡の石碑。

 

 

 

白須賀宿の問屋場跡にある街道案内板。

 

 

 

夏目甕麿(なつめみかまろ)邸跡

 

夏目甕麿は本居宣長門下の国学者で宿場の名主を務めていた。

 

萩園という号で歌集を残している。

 

 

 

白須賀宿の火防

 

大津波により坂下から坂上に移転したは良いがこの地は冬期になると西風の強風が吹きこみ度々大火に見舞われた。

 

そこで人々は知恵を出し合い火防をつくった。

 

火防の広さは、間口二間(3.6m)奥行四間半(8.2m)で、常緑樹で火に強い槙が十本程植えられた。

 

 

 

白須賀宿加宿の境宿にある街道案内板。

 

加宿とは、 江戸時代に人家が少なくて人馬を出しにくい宿駅で、地続きの一、二の隣村をこれに加えて一か宿の用を勤めさせたことと記されている。

 

 

 

ここら辺が加宿の境宿で旧東海道はこのまま真直ぐ西へ向かう。

 

 

 

旧国道1号線(県道173号線)を歩いていると県境の標識がありました。

 

横に長い県でもある静岡県を遂に踏破!

 

少しだけグッとくるものがありますね。

 

東京都→神奈川県→静岡県と歩いて、いよいよ愛知県に突入しました!!

 

 

 

静岡県と愛知県の県境を流れている境川。

 

 

 

かつての国道1号線は潮見バイパスの開通により県道になっている。

 

愛知県側から見た県境。

 

 

 

一里山東交差点で国道1号線に合流。

 

交差点に着いて左手方面を見たところ。

 

旧東海道はここを右折ししばらくバイパスを歩く事になる。

 

 

 

ここら辺に一里塚があったらしいけど工事しているね。

 

 

 

・・・と思ったらひっそりと一里塚に祠がありました。

 

一里山一里塚(細谷一里塚)

 

江戸から数えて71番目の一里塚。

 

 

 

久しぶりに見る国道1号線284キロ地点のキロポスト。

 

 

 

続いて国道1号線285キロ地点のキロポスト。

 

 

 

遠くには二川の山がかすんで見える。

 

 

 

源吾坂付近

 

二川村は元々ここら辺にあったとされているが東海道宿駅制定によって1644年に二川村と加宿大岩村がそれぞれ移転して二川宿になった。

 

 

 

国道1号線287キロ地点のキロポスト。

 

 

 

源吾坂を西進すると東海道新幹線のガードがあり旧東海道はここをくぐります。

 

 

 

新幹線のガードをくぐり少し行くと梅田川があり東を望むと地肌のはだけた立岩が見えます。

 

この立岩は東海道新幹線に乗っていても見えます。

 

 

 

二川宿の東側入口付近にある川口屋という宿場町案内所の角に一里塚跡の石碑がひっそりと建っている。

 

二川一里塚

 

江戸から数えて72番目の一里塚。

 

 

 

二川八幡神社

 

1195年に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したのが創立と言われている。

 

 

 

二川宿を歩いていると重厚感溢れる民家に出くわします。

 

江戸時代後半からたまり醤油や豆みそなどを作っている東駒屋である。

 

 

 

店の片隅にひっそりと建っている東問屋場跡の石碑。

 

 

 

二川宿の脇本陣

 

 

 

二川宿の本陣

 

 

 

本陣の向かいには醸造業を営む西駒屋があります。

 

こちらの母屋と土蔵が国の有形文化財に指定されているそうです。

 

 

 

高札場跡

 

 

 

西問屋場跡

 

 

 

大岩町郷蔵跡

 

 

 

立場茶屋跡

 

二川宿には史跡の小さな石碑がいくつもあり見つけるのが楽しいです♪

 

 

 

この日の宿は豊橋駅近くに取ってあったのですが行程が遅れてしまい二川駅に着いたのが18時40分。

 

残りがまだ約7キロあるので今回はここでギブアップ。

 

電車に乗って豊橋駅へ。

 

明日再び電車で二川駅まで戻り再出発することにしました。

 

二川宿に着いたので第33話はここまで。

 

白須賀宿~二川宿までの5.9kmを2時間40分掛けて歩きました。

 

この日は浜松宿~二川宿までの28.4kmを9時間40分かけて踏破しました。

 

朝方浜松駅で無念のリタイヤしたQさんと別れを告げて一人での旅路。

 

やはり撮る写真の枚数も極端に増えたので時間も大幅に遅れてしまった次第。

 

明日はこの遅れを取り返す勢いで気合を込めて一生懸命歩きます。

 

次回第34話は二川宿~吉田宿の7.7kmになります。

 

 

最近、精神的な疲労でブログ記事の作成が滞ってしまい東海道五十三次踏破の記事を中々進みません。

 

大変申し訳ありませんが時間をかけてゆっくり書き上げていきたいと思いますので長い目でみてやってくださいマセ。

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km

第29話 見附宿~浜松宿 14.5km

第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km

第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km

第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km