日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、
という事で書き始めた旅歩きの記事。
東海道五十三次としては11日目になります。
2014年5月4日
新居宿に入る手前の新居関所に到着。
あわよくば無料で見学出来れば寄って行っても良いかななどと思っていたけど見学料徴収の施設でしたので先を急ぐ旅だし今回は涙を飲んで?スルーしました。
入口付近の様子。
こちらが関所の正門っぽいですね。
こちらは、多くの奉行定めが書かれています。
新居宿の街並みに入ると”旅籠 紀伊国屋”がありました。
すぐ近くには新居宿の”飯田武兵衛本陣跡”があります。
新居宿の東海道案内板。
すぐ近くには”疋田八郎兵衛本陣跡”がありました。
新居宿の”寄馬跡”
江戸時代の宿場には公用荷物や公用旅行者のために人馬を提供する義務があり、東海道の宿場では常に百人の人足と百匹の馬を用意した。
しかし、交通量が多い時には助郷制度といって、近在の村々から人馬を寄せ集めて不足を補った。
この場所は、寄せ集められた人馬の溜り場になったところである。
新居宿の常夜燈。
新居宿の”棒鼻跡”
ここは新居宿の西境で、一度に大勢の人が通行できないように土塁が突き出て桝形をなしていた。
棒鼻とは、駕篭の棒先の意味があるが、大名行列が宿場へ入る時、この場所で先頭(棒先)を整えたので、棒鼻と呼ぶようになったともいわれている。
湖西市橋本にある東海道案内板。
旧東海道は橋本交差点で旧国道1号線(現:県道417号線)に合流して、しばらく西に進み山沿いの旧道に入る。
この交差点から少し西に行くと風炉の井がある。
こちらが”風炉の井”
この石積井戸は 深さ二メートル、口径は最大一・八メートルあり、以前はもっと深かった。
言い伝えによると、建久元年(一一九○)源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に用いたとされる。
紅葉寺跡の東海道案内板。
新居宿と白須賀宿の間にある大倉戸の立場跡。
明治天皇御野立所址
明治元年(一八六八)九月二十日、岩倉具視らを従え、東京へ行幸のため京都を出発した明治天皇が十月一日、豊橋から新居宿へ向う際に休憩した所。
明治天皇はその後、新居宿の飯田本陣に宿泊、十月十三日に東京に到着した。
大倉戸の立場から西に進むと白須賀宿の東側に位置する所に火鎮神社がある。
何だかんだで白須賀宿に到着しましたので第32話はここまで。
新居宿~白須賀宿の6.8kmをあまり時間を掛けずに1時間チョイで歩きました。
平坦な行程だと歩き易いですネ♪
次回、第33話は白須賀宿~二川宿の5.9kmになります。
精神的に弱ってきていてブログ記事を作成する気力が最近失われつつありますが、毎回のようにイイネをつけてくださる方がいらっしゃるのがとても励みになっています。
これからも何とか頑張って書いていこうと思いますので温かく見守って下さいマセ
<バックナンバー>
第1話 日本橋~品川宿 11.6km
第2話 品川宿~川崎宿 9.8km
第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km
第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km
第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km
第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km
第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km
第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km
第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km
第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km
第11話 箱根宿~三島宿 14.4km
第12話 三島宿~沼津宿 6.2km
第13話 沼津宿~原宿 6.1km
第14話 原宿~吉原宿 9.0km
第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km
第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km
第17話 由比宿~興津宿 10.0km
第18話 興津宿~江尻宿 4.2km
第19話 江尻宿~府中宿 11.4km
第20話 府中宿~丸子宿 5.3km
第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km
第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km
第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km
第24話 島田宿~金谷宿 4.4km
第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km
第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km
第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km
第28話 袋井宿~見附宿 6.5km
第29話 見附宿~浜松宿 14.5km
第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km
第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km