東海道五十三次踏破 第29話 見附宿~浜松宿 | ブラまくり

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日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

遂に後半戦に突入しました。

 

東海道五十三次としては10日目になります。

 

 

2014年5月3日

 

見附宿まで来た私は、今夜の宿がある浜松を目指し再び歩き始めます。

 

時刻は15時半。

見附宿には南北2つの本陣があったそうでこちらが北本陣跡。

 

 

 

私の持っていたデジタルカメラでは引きで寄ってもこれが限界。

 

 

 

見附宿にある街道案内板。

 

 

 

磐田市旧見附小学校。

 

明治8年8月7日に完成した木造3階建ての洋風建築で国指定史跡。

 

当時の小学生がこのような建物の学校に通学していたなんて想像もつかないです。

 

 

足休めを含め少し見学してみました。

当時の授業風景が再現されていました。

 

こういうのんびりした休憩は良いですネ♪

 

明治時代にタイムスリップした私は身体を休ませられたので平成時代に戻ってきました。

 

再び京に向けて歩き始めましょう!

 

 

 

こちらは「旧見付宿脇本陣大三河屋門」

 

当時のまま現存されているのはスゴイですね。

 

でも・・・何故、門だけが残ったのだろうか!?

 

 

 

西坂の梅塚

 

 

 

西坂の梅塚近くの交差点をこのまま直進すると姫街道。

 

旧東海道は左折して南に進む。

 

※姫街道とは旧東海道の脇街道に位置づけされる街道で浜名湖の北側をぐるっと周る道程で御油宿に接続している。

 

 

 

姫街道入口を示す案内板。

 

 

 

加茂川橋にある見付宿の西木戸。

 

 

 

JR東海道本線の磐田駅方面に向かって南進していた旧東海道。

 

サッカーのジュビロ磐田にちなんだジュビロードを通って磐田駅手前を右折(西進)。

 

 

 

多少のアップダウンがあり一度坂を下ってまた上る。

 

平地のようなイメージの土地柄にも思えたが実際は違うようですね。

 

 

 

 

磐田市中泉にある恒例の街道案内板。

 

 

 

大乗院坂

 

 

 

宮之一色一里塚

 

こちらは北側の一里塚

 

江戸日本橋から63番目の一里塚になる

 

 

 

こちらが南側の一里塚があったとされる場所。

 

以前はここに説明書きの木札が建てられていたが現在は無く大きめな石がその跡地を微かに残していた。

 

 

 

北側の一里塚の案内説明板。

 

 

 

宮之一色一里塚付近にあったとされる松並木は、今は残っていない。

 

 

 

宮之一色の秋葉山常夜燈

 

 

 

この説明書きによると常夜燈は一八二八年に建てられたものだそうです。

 

 

 

豊田町森下から見る旧東海道(東向き)。

 

何となく雰囲気だけ残っている気もする。

 

 

 

若宮八幡宮付近にある街道案内板。

 

 

 

長森立場

 

立場とは宿場間が遠い場合や峠などに旅人の休憩所的な茶屋などが設置されたところの事を言う。

 

 

 

天竜川渡船場跡の石碑。

 

昔はここから渡し舟で川を渡っていた。

 

 

 

天竜川

 

 

 

夕陽に照らされた新天竜川橋に佇む国道1号線のキロポスト。

 

日本橋から250kmの地点になる。

 

よくここまで歩いたねぇ~としみじみ思う。

 

 

 

右が天竜川橋(県道261号線)、左が新天竜川橋(国道1号線)

 

 

 

明治天皇玉座迹の碑と天竜川舟橋の記念碑

 

明治天皇東幸の際に天竜川に舟橋が作られた。

 

 

 

旧東海道の街道案内板。

 

 

 

金原明善記念館と明善の生家。

 

明善は「暴れ天竜」と称された天竜川の治水や利水事業に全財産を投げうって功績を残した。

 

 

 

安間一里塚

 

江戸日本橋から64番目の一里塚。

 

僅かに標柱があるだけで一里塚の形跡が無い。

 

 

 

旧東海道の標柱。

 

比較的に新しいので近年設置されたものと思われる。

 

 

 

安間一里塚から西(京方面)を見る。

 

 

 

磐田バイパスを抜けたところ。

 

松並木が今も残る風情のある場所。

 

 

 

磐田バイパスの東を見る。

 

陽も落ちかけて暗くなってきた。

 

 

 

JR東海道本線の天竜川駅近くにある橋羽の六所神社。

 

 

 

和田町付近の旧東海道(西向き)。

 

浜松駅前にあるアクトシティが見える。

 

 

 

浜松アリーナ

 

 

 

歌川広重の東海道五十三次「浜松 冬枯ノ図」が飾られていました。

 

 

 

浜松市の植松原にある街道案内板。

 

 

 

子安神社

 

源範頼が娘の出産の無事を祈って建てたと言われている。

 

 

 

子安神社の先の植松町の交差点を西(京方面)に行くと芳川がある。

 

結構、暗くなってきた。

 

 

 

馬込一里塚

 

江戸日本橋から65番目の一里塚。

 

カメラだと若干明るさも残るが肉眼だと完全に夜。

 

 

 

説明書きは近づいてフラッシュを焚いて撮影。

 

 

 

馬込橋東詰

 

馬込橋の東側には浜松宿の外木戸があった。

 

 

 

外木戸跡の標柱

 

橋を渡ると浜松宿。

 

浜松宿に着いたので第29話はここまで。

 

見附宿~浜松宿までの14.5kmを4時間15分かけて歩きました。

 

この日は掛川宿をスタートして途中Qさんが負傷リタイアするアクシデントもありましたが何とか浜松宿までたどり着けたことが嬉しかったです。

 

29,3kmの道のりを10時間半かけて踏破しました。

 

浜松に宿を取っていたので袋井駅で別れたQさんと宿で無事再会出来たので夕食を囲みながら乾杯しました。

 

次回、第30話は浜松宿~舞阪宿の11.1kmの話しになります。

 

 

最近、精神的な疲労でブログ記事の作成が滞ってしまい東海道五十三次踏破の記事を中々進みません。

 

大変申し訳ありませんが時間をかけてゆっくり書き上げていきたいと思いますので長い目でみてやってくださいマセ。

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km