東海道五十三次踏破 第39話 岡崎宿~池鯉鮒宿 | ブラまくり

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ラーメンを食べ歩くヒマ人の記録

日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては13日目になります。

 

 

2014年9月13日

 

岡崎宿の岡崎城下二十七曲に苦労しながらも楽しく歩いています。

「西本陣前角」

 

 

 

岡崎信用金庫資料館(旧商工会議所)
 

大正6年、岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の組みあわせによるルネッサンス風の建物。

戦後は商工会議所として使われていたが現在は、岡崎信用金庫資料館として一般に開放されている。

 

 

 

旧商工会議所の解説板。

 

 

 

籠田公園

 

旧東海道はこの籠田公園を南北に突っ切っている。

 

籠田公園の北側の角を曲がると連尺通りになる。

 

 

 

連尺通りと本町通りがここで交差する。

 

 

 

三清橋

 

旧東海道はこの橋を渡り2つ目の角を左折すると国道1号線にぶつかる。

 

 

 

国道1号線にある歩道橋上から東(豊橋方面)を見る。

 

時刻は18時半になろうとしている。

 

夕暮れ時の景色も良いものです。。。

 

しかし、、、現実は厳しくなってきて、手に持っている地図が見えづらくなってきました。

 

 

 

八丁味噌の郷

 

老舗カクキューがあるけど暗くて見づらい。

肉眼ではもっと良く見えていたんだけど素人カメラマンの私が撮るとこうなってしまいましたえーんあせる

 

 

 

何とか写りの良い画がこれになります(笑

 

早い時間に来られたら見学も出来たのに残念でした。

 

 

 

画の奥に見えるのは愛知環状鉄道。

 

八帖町から東を見る。

 

 

 

矢作橋


江戸時代の矢作橋は、この橋より200m川下にあったらしい。

 

 

 

矢作橋西詰にある蜂須賀小六日吉丸(豊臣秀吉)の像。


太閤記では、この橋の上で二人が出会ったとされるが実際に橋が架けられたのは江戸時代になってからだそうである。

 

暗すぎて判りづらい画になってしまった。

 

 

 

勝蓮寺

 

柳堂勝蓮寺と言われ、所蔵する古書には、寺を訪れた親鸞聖人と柳堂、布教の記事が見られます。

また十七代住職行誓の時には、家康の長男信康(織田信長から、武田方と内通したとの疑いを受け自刃。若宮八幡宮に首塚がある)との関係も深く、信康画像をはじめ多くの遺品が残されています。


勝蓮寺の門前にはかつて矢作一里塚(江戸から82里)があったとされるが今はそれを示すものが一切無い。

 

 

 

勝蓮寺から少し歩くと誓願寺が建立されている。

 

誓願寺には源義経に恋した浄瑠璃姫墓所がある。

 

 

 

矢作の町並みを抜けると旧東海道は国道1号線に合流する。

 

しばらく歩くとキロポストを発見!

日本橋から331km

 

ハッキリ言って完全な夜になってしまったのでこの日はここでギブアップ

 

今宵の宿をまだまだ先の知立(池鯉鮒)にあるビジネスホテルにしていたのでとりあえず電車で知立駅まで移動する事に。

国道1号線と並行して少し離れたところに名鉄名古屋本線が走っていたのが救いでした。

 

ギブアップ記念に宇頭駅の駅名表示板をパチリ♪

 

時計を見ると20時近いガーンあせる

 

 

 

 

ホテルでゆっくり休み再び前日のギブアップ地点まで電車を使って戻ります。

 

日付は変わり2014年9月14日

 

宇頭駅から国道1号線に戻り再び西進。

 

 

 

安城市に入ると旧東海道は国道1号線から別れ松並木が続く。

 

 

 

尾崎一里塚

 

江戸日本橋から83里

 

 

 

宇頭茶屋付近

 

 

 

妙教寺

 

 

さらに少し進むと右側に雲竜の松で有名な永安寺がある。

雲竜の松を遠目に見た画。

 

 

 

近くで見ると迫力のある古木の松があります。

 

 

 

永安寺の雲竜の松の解説板

 

 

 

明治川神社

 

木々のトンネルが凄かったです♪

 

 

 

安城市と知立市の境を流れる猿渡川

 

 

 

無量寿寺への道標

 

従是四丁半北 八橋 業平作観音有
元禄九丙子年六月吉朔日施主敬白

 

と記されている。

元禄九年(1696)六月に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられた。

 

 

 

来迎寺一里塚

 

江戸日本橋から84里

 

南北一対の一里塚が再現されていて上の画は南側の一里塚になります。

 

 

 

こちらが北側の一里塚。

 

来迎寺町公民館の裏側にあります。

 

 

 

「東海道見て歩きマップ」なるものが掲示されていました。

 

こういうのはとても参考になります。

 

 

 

来迎寺一里塚付近で振り返って東を見る。

 

 

 

牛田付近の旧東海道

 

 

 

並木八丁とも呼ばれる知立松並木の石標

 

 

 

この松並木は他の松並木とは違って側道が作られている。

 

この地で行われていた馬市の馬を繋ぐためとも言われている。

 

 

 

池鯉鮒の馬市を示す馬の像。

 

以前はここに馬市の説明板も飾られていたが今は撤去されていた。

 

 

 

知立松並木の説明板

 

 

 

知立の松並木の西側には石碑などが建てられている。

 

 

 

馬市句碑と万葉の歌碑

 

 

 

歌川広重「池鯉鮒」の画を見ると馬市が描かれているのが判る。

 

 

 

並木八丁を西に進み、松並木が終わると旧東海道は国道1号線と交差する。


地下道をくぐると、池鯉鮒宿の碑がありここから池鯉鮒宿である。

 

池鯉鮒宿に到着したので第39話はここまで。

 

岡崎宿~池鯉鮒宿の11.8kmを足掛け二日かかりましたが実質3時間50分かけて歩きました。

 

次回第40話は池鯉鮒宿~鳴海宿の11.7kmになります。

 

今回の3泊4日は初日に歩行距離の目測を誤りつまづいてしまったため2日目以降に大幅な遅れが生じて全体的に厳しい行程になってしまいました。

無理は禁物ですね。。。


東海道五十三次踏破のブログ記事の作成は遅れ気味ではありますが鋭意努力してまいりますので次回話は今しばらくお待ちくださいマセ。

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km

第29話 見附宿~浜松宿 14.5km

第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km

第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km

第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km

第33話 白須賀宿~二川宿 5.9km

第34話 二川宿~吉田宿 7.7km

第35話 吉田宿~御油宿 11.1km

第36話 御油宿~赤坂宿 2.0km

第37話 赤坂宿~藤川宿 9.9km

第38話 藤川宿~岡崎宿 10.7km