東海道五十三次踏破 第48話 関宿~坂下宿 | ブラまくり

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日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、

 

という事で書き始めた旅歩きの記事。

 

東海道五十三次としては17日目になります。

 

 

2014年10月24日

 

国道1号線から分かれて関宿に入るとすぐに「関の小萬のもたれ松」の碑がある。

小萬のもたれ松

 

江戸も中頃、九州久留米藩士牧藤左衛門の妻は良人の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿、一女小萬を産んだ後病没した。

小萬は母の遺言により、成長して三年後亀山城下で武術を修業し、天明三年(一七八三)見事、仇敵軍太夫を討つことができた。

この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしてもたれたと伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」とよばれるようになった。

 

 

 

少し進むと関宿東追分がある。

 

旧東海道と伊勢別街道の分岐点にもなっており鳥居をくぐり抜け下って行く道が伊勢別街道になる。

 

旧東海道は鳥居を左に見ながらそのまま真直ぐ進む。

 

画左手の常夜燈に裏手に関一里塚跡の碑がひっそりと建っている。

 

 

 

関一里塚跡の石碑は草に隠れて頭だけしか見えなかった。。。

 

江戸日本橋より106里

 

 

 

関宿東追分から木崎の街並みを見る。

 

関宿は木崎、中町、新町の3町から成る。

 

ちなみに、関宿の名前の由来は古代三関の一つ「伊勢国鈴鹿関」が置かれていたことからだそうです。

 

古代三関とは平安時代に幾内を防衛するために設けられた三つの関所の事で最初は「伊勢国鈴鹿関」、「美濃国不破関」、「越前国愛発関」でしたが平安時代中期に愛発関が外され「近江国逢坂関」が入り三関になりました。

 

旧東海道は終盤に逢坂関を通る事になりますね。

 

 

 

御馳走場跡

 

宿場の役人が関宿に出入りした身分の高い武家や公家に対し、衣服を改め宿場両端の御馳走場まで出迎えや見送りを行った場所。

 

私のような素人からすれば美味しいものを食べた場所のように捉えてしまいそうです(笑

 

 

 

関宿の御馳走場を過ぎると中町の街並みに入る。

 

関宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 

 

 

銀行も街並みに合わせて建てられているのがスゴイです!

 

 

 

こちらはATMコーナーですかね!?

 

 

 

関宿の問屋場跡

 

 

 

川北本陣跡

 

関宿には本陣が2軒あった。

 

 

 

百六里庭

 

江戸日本橋から百六里のところにある関宿の中にある休憩処。

 

中には眺関亭(ちょうかんてい)という展望台があり古き良き時代の街並を一望できる。

 

 

 

眺関亭から見た関宿の街並み

 

 

 

もう一つの本陣の伊藤本陣跡

 

 

 

関郵便局も銀行同様に趣のある建物でした。

 

 

 

『書状集箱』

郵便ポストも洒落ていますネ。

 

 

 

高札場跡

 

 

 

福蔵寺には、母の意思を継ぎ父の仇討ちを果たした小萬の墓がある。

 

 

 

地蔵院

 

 

 

地蔵院愛染堂

 

トンチで有名な一休がこちらの地蔵の首に自分のふんどしをかけたことから、地蔵の首に赤いよだれかけが掛けられるようになったという説がある。

 

 

 

地蔵院近くにある会津屋

旅籠の会津屋は、元は山田屋といい小萬の育ったところでもある。

 

 

 

関宿の西追分

旧東海道と大和伊勢街道の分岐点である。

旧東海道はこの先、国道1号線に合流し鈴鹿峠へ向かう。

 

 

 

国道1号線をひたすら鈴鹿峠方面に向かって歩いていると久しぶりにキロポストを発見!

 

427kmキロポスト

 

日本橋から427kmの位置ですね。

ピンときませんが・・・

 

 

 

旧東海道は国道1号線と幾度となく交差しながら鈴鹿の山を登って行く。

左に見えるのは鈴鹿川。

 

 

 

立木の右に筆捨山の標柱が見えたのでココを右に曲がりすぐに再び国道1号線に戻る。

 

 

 

筆捨山

 

都会の風景と違って目に優しい緑なので目の疲れは無い。

 

 

 

一ノ瀬一里塚址

 

江戸日本橋から107里

 

 

 

まだダラダラと坂道は続く。。。

 

 

 

一ノ瀬一里塚の少し先にあるココを右に入り国道1号線とは分かれ坂下宿方面へ進む。

 

 

 

鈴鹿川沿いを歩きながら沓掛の集落に入る。

 

 

 

長閑な田畑風景は心が和みます。

こういうのんびりとした所をゆっくりと歩くのもオツなものです。

 

 

 

鈴鹿馬子唄会館

「坂は照る照る 峠は曇る

あいの土山雨が降る」

と唄われた鈴鹿馬子唄を記念してつくられた。

 

 

 

旧東海道は鈴鹿馬子唄会館駐車場の上を通る。

 

東海道五十三次の宿場名が書かれた標柱が立ち並ぶ。

 

こういう東海道五十三次の宿場名が書かれた標柱は今までも数回見かけてきたがいずれも目でずっと追ってしまいます。

 

東京の品川宿の時はこれから歩く未知の場所をイメージしながら期待に胸を膨らませていましたがここら辺まで来ると今までの思い出などが走馬灯のように蘇ってきましたね。

 

 

 

坂下集会所の前にある坂下宿松屋本陣跡

 

 

 

現在の坂下宿は長閑でひっそりとした佇まい。

 

坂下宿に到着したので第48話はここまで。

 

関宿~坂下宿までの5.3kmを2時間かけて歩きました。

 

次回、第49話は坂下宿~土山宿の10kmになります。

 

東の箱根・西の鈴鹿と言われるぐらい難所の鈴鹿峠越えになります。

 

果たしてどうなるか第49話までお待ちくださいマセ。

 

あと残り僅かの東海道五十三次踏破の旅路の紀行記事ですので鋭意努力してUPできるよう頑張りますがあまり期待せずお待ちくださいマセ。。。

 

 

<バックナンバー>

第1話 日本橋~品川宿 11.6km

第2話 品川宿~川崎宿 9.8km

第3話 川崎宿~神奈川宿 9.5km

第4話 神奈川宿~保土ヶ谷宿 4.4km

第5話 保土ヶ谷宿~戸塚宿 9.4km

第6話 戸塚宿~藤沢宿 7.7km

第7話 藤沢宿~平塚宿 12.7km

第8話 平塚宿~大磯宿 3.3km

第9話 大磯宿~小田原宿 15.8km

第10話 小田原宿~箱根宿 15.5km

第11話 箱根宿~三島宿 14.4km

第12話 三島宿~沼津宿 6.2km

第13話 沼津宿~原宿 6.1km 

第14話 原宿~吉原宿 9.0km

第15話 吉原宿~蒲原宿 11.0km

第16話 蒲原宿~由比宿 5.4km

第17話 由比宿~興津宿 10.0km

第18話 興津宿~江尻宿 4.2km

第19話 江尻宿~府中宿 11.4km

第20話 府中宿~丸子宿 5.3km

第21話 丸子宿~岡部宿 8.5km

第22話 岡部宿~藤枝宿 7.8km

第23話 藤枝宿~島田宿 8.1km

第24話 島田宿~金谷宿 4.4km

第25話 金谷宿~日坂宿 6.5km

第26話 日坂宿~掛川宿 8.6km

第27話 掛川宿~袋井宿 8.3km

第28話 袋井宿~見附宿 6.5km

第29話 見附宿~浜松宿 14.5km

第30話 浜松宿~舞坂宿 11.1km

第31話 舞坂宿~新居宿 4.6km

第32話 新居宿~白須賀宿 6.8km

第33話 白須賀宿~二川宿 5.9km

第34話 二川宿~吉田宿 7.7km

第35話 吉田宿~御油宿 11.1km

第36話 御油宿~赤坂宿 2.0km

第37話 赤坂宿~藤川宿 9.9km

第38話 藤川宿~岡崎宿 10.7km

第39話 岡崎宿~池鯉鮒宿 11.8km

第40話 池鯉鮒宿~鳴海宿 11.7km

第41話 鳴海宿~宮宿 6.6km

第42話 宮宿~桑名宿 25km

第43話 桑名宿~四日市宿 12.6km

第44話 四日市宿~石薬師宿 12.2km

第45話 石薬師宿~庄野宿 3.3km

第46話 庄野宿~亀山宿 8.5km

第47話 亀山宿~関宿 5.1km