『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。
引き続き吉備津神社。広い境内に点在する摂末社へ。

 

 

 吉備津('23.12.27)

 

ここからは吉備津神社の摂末社を回ります。

 


いきなりB級感漂う構造物が現れましたが。

 

祈願トンネル
このトンネルをぬけると陽光うららか花の園!
このトンネルをくぐり心に安心とやすらぎを!

 


このトンネルをぬけると、一童社という末社の前にたどり着きます。
吉備津神社の公式サイトでは、「学問・芸能の神様」をお祭りしていると書かれていますが、具体的な神名は見当たりません。
ほかの複数のサイトで、菅原道真公と、天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつるとされていますが、いろいろ疑問はあります。

 

 

一童社の祭神が菅原道真公と天鈿女命とすると、吉備津彦命との関連が薄すぎるのです。
そもそも時代がばらばらです。天鈿女命は天照大御神が隠れた天岩戸を開けさせた神様。吉備津彦命は第7代天皇・孝霊天皇の皇子。菅原道真公は平安時代初期。

「一童社」という名前も、道真公や天鈿女命をまつる神社の名前としてしっくりきません。
同名の神社は春日大社や石清水八幡宮の末社に存在するようですが、春日大社では少彦名命、石清水八幡宮では磯良命(いそらのみこと。海中から現れ、神功皇后にシオミツタマ・シオフルタマを与えた)がまつられています。

(ただし、備前の吉備津彦神社にも、道真公をまつった天満宮があったので、道真公と吉備津彦命との関連が全くないとまでは言い切れません。道真公は太宰府へ流されるときに吉備を通っているはずで、山陽各地に伝承があります。またそれより以前には、瀬戸内海の向こう側の讃岐国の国司を務めたこともあります)

 

江戸時代前半頃までは、特に祭神が定められていない神社や、祭神が日本神話に出てこない神社も多かったようです。
吉備津神社は何しろ歴史の長い神社であり、各々の摂末社も複雑な経緯をたどって今日に至るものと思われます。神仏習合の影響もあったかもしれません。
実際、吉備津神社の近く、備中高松にある最上稲荷は、現在でも神仏習合色を色濃く残す“寺院”です(愛知県の豊川稲荷と同様、鳥居があるけど神社ではなくてお寺)。
もっとも、吉備津神社は江戸時代中期という早い段階で、神仏分離が行なわれているそうです。

一童社も「学問・芸能の神様」というのが先にあり、江戸後期か明治になって祭神を決める必要が生じたため、「学問なら道真公、芸能なら天鈿女命」という感じで祭神となったのかもしれません。
吉備津神社の案内板でも公式サイトでも、祭神について触れていないのはそのせいではないかと。

 

この後に私が参拝する摂末社でも、祭神が特殊な社がいくつかあります。
吉備津神社は吉備一円で最も大きな神社なので、周辺の村社などが境内に集まって、古代からの民間信仰としての神道のスタイルが残っているのではないだろうか、というのは私の勝手な憶測です。

 


まあそんなことより、一童社のあたりから眺める本殿の姿が、迫力ありすぎます。

 


一童社の脇からのびる道を歩くと、岩山宮に至りました。
地図で見るとかなり高所にありそうな感じでしたが、思ったほど高い所じゃなかったので、たどり着いて参拝できました。

かつては本殿と、本宮社、新宮社、内宮社、岩山宮を「五所大明神」と称したそうです。(現在、新宮社と内宮社は本宮社に合祀されています。)
吉備国の地主神、建日方別命(たけひかたわけのみこと)をまつっています。建日方別命は、国生み神話で生まれた大八島国に続いて生まれた、吉備児島の別名です。

 


一童社まで引き返して、さっきの「祈願トンネル」をくぐります。
こちら側には、「明るい門出」「勝利はわが手に!」「栄光への旅立ち!」と書かれていました。

 


さらに拝殿まで戻ります。
途中に大いちょうの木があることに、今頃気がつきました。樹齢約600年だそうです。
だいたい、今の本殿・拝殿(1425年(応永32年)再建)ができた頃に生えたことになりますね。

 


拝殿の前から今度は右側へ。
拝殿・本殿の右に沿って、まっすぐ廻廊が続いています。
1579年(天正7年)再建。本殿横を過ぎてさらにまっすぐ続き、その全長は360メートル。

 

廻廊の途中に、南随神門がありますが、修復工事中でした。
南随神門は1357年(延文2年)に建てられた、吉備津神社に現存する最古の建物。入口の石段にあった北随神門とともに、重要文化財となっています。
吉備津彦命に従って吉備国の平定に貢献した神々をまつっているそうです。
(犬養毅首相の先祖とされ、桃太郎の犬のモデルとされる)犬飼健命はここにまつられている、とする資料もあるのですが、例によって案内板と公式サイトに、その神々の名前は記されていません。

 


南随神門の先は、かなりの下り坂。
廻廊の屋根に細かな彫刻が施されていました。

 


左に、商売繁盛の神様をまつる「えびす宮」。
毎年1月9日~11日には、えびす祭りが行なわれてにぎわうそうです。「商売繁盛で笹持ってこい」の十日戎です。

 

えびす様という神様も不思議な神様です。
七福神の中で唯一、日本発祥の神様なのですが、日本神話に出てこないのです。

 

えびす様をまつる神社は古くから多かったのですが、やがて、えびす様を神話に登場する神と同一の神とし、その神を祭神とするようになりました。明治時代以降は、えびす様をまつる大半の神社で、蛭子命(ひるこのみこと)か事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神とされています。

 

蛭子命は海に流されたので、漁業の神であるえびす様になったと考えられます。
事代主神と少彦名命は、大国主命と関係が深く、さらに大国主命と大黒天(大黒様)が同じ神と考えられるようになったことから、えびす様と同一視されるようになったのでしょう。
(事代主神は大国主命の息子、少彦名命は国造りのパートナー)

 

吉備津神社はここでも古くからの信仰の形を残しているようで、えびす様をえびす様としてまつっています。
そのせいか、明治時代に官幣社となった際、えびす様は社殿の奥にしまわれ、えびす祭りも途絶えてしまい、戦後になるまで再開しなかったとか。

 


えびす宮から廻廊の外観がよく見えます。

「吉備津神社で鬼の首をまつる『御竈殿』は恐ろしや」に続く)

 

 

 

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