『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。
この旅最後の目的地である、桃太郎ゆかりの吉備津神社へ向かいます。

 

 

 岡山('23.12.27)

 


11時12分発の桃太郎線(吉備線)総社行き、キハ40首都圏色、セミクロスシートの車両に乗って、

 

 吉備津

 


11時26分、吉備津駅に到着しました。
目指す吉備津神社まで徒歩10分。

 


おとといみたいなミスがないように、帰りの列車の時刻をチェックしておきましょう。

 

 

 


神社まで徒歩10分といっても、その行程の大半は、松並木の続く参道です。

 


神域に近づいていることが実感できる雰囲気の参道。

 


左側の松並木越しに見える山が「吉備の中山」。
吉備津彦命(大吉備津彦命)の墓とされる、中山茶臼山古墳があります。

 

まず、境内入口の近くにあるという、犬養毅の銅像を見ようと思ったのですが、地図を見たら銅像は駐車場の果ての、門や社殿からかなり離れた場所にあるみたいです。

 


ありました。
かなり高い台座の上に、第29代内閣総理大臣、犬養毅(犬養木堂)の銅像が建っています。

 


犬養首相の見つめる先に、吉備津神社の本殿が見えました。
だからここに銅像があるのかもしれません。

 

 

犬養毅は吉備津神社のほど近くで生まれました(生家が現存します)。
犬養氏の先祖は、吉備津彦命の家臣で、桃太郎の犬のモデルともいわれる、犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)とされています。
そのため犬養毅は吉備津神社を厚く崇敬していたそうです。

……それなのに、吉備津彦命は、なぜ犬養首相を護ってくれなかったのでしょうか……?

 

1932年(昭和7年)5月15日、9人の海軍青年将校と陸軍士官学校本科生が首相官邸を襲撃し、犬養首相を銃撃。
彼らが立ち去った後、犬養首相は駆けつけた女中に、「今の若い者を呼んでこい、話して聞かせることがある」と叫んだものの、その後衰弱して亡くなりました。

 

 

犬養首相が五・一五事件で標的になったのは、たまたまその時点で内閣総理大臣だったからというだけの理由であり(しかも首相就任は事件のわずか5か月前)、犯人たちも裁判での証言で、「犬養首相には何の恨みもない」と発言しています。

 

その上、犯人たちは、ごく短期間で釈放されました。
4年後の二・二六事件の犯人が厳罰に処せられたので、五・一五事件の方もそうだろうと、私は思い込んでいましたが、調べてみるとそうではなく、もともと判決が軽かった上に、恩赦が与えられて、結局1938年(昭和13年)までに、首相襲撃に加わった者は全員出所したのです。

 

五・一五事件の犯人たちが軽い刑で済んだことが、4年後の二・二六事件の遠因になった可能性が指摘されています。
実際、二・二六事件の犯人の1人・磯部浅一は、獄中で昭和天皇に対して恨み言をつづったメモを残しています。もし二・二六事件に対して昭和天皇が激怒しなければ、五・一五の犯人並みの処分で済んだはず、という思いがあったのでしょう。
磯部浅一の墓は東京・南千住の小塚原回向院にありますが、ここには桜田門外の変を起こした浪士たちの墓があり、自分自身を彼らになぞらえたのかもしれません。

 


(昨年私が訪れた小塚原回向院)

 

五・一五事件の犯人が軽い刑で済んだのは、事件翌年の裁判における犯人側の主張が報じられると、それに共感する国民が多数現れ、彼らへの減刑嘆願書が100万通以上も寄せられたことが影響したようです。
しかし先にも触れたとおり、彼らの主張は犬養首相個人の言動とは特に関係がなく、関係ないのに殺された犬養首相(および、警備していた警察官1名)は、全くの不運で命を落としたと言わざるを得ません。

 

 

かねてから吉備津神社を崇敬し、社号標まで揮毫した犬養毅。その彼がこのような最期を遂げてしまったことは、犬養を護れなかったという意味で、吉備津神社にとっては歴史の汚点ではないでしょうか?

 

起こったことは元に戻せないですが、せめて犬養を境内にまつって、菅原道真のように、多くの人々がその死を悼み、その業績を知ることができるようにすべきではないでしょうか?
犬養毅の銅像は建っていますけど、実はこれ、犬養の生前から建立計画があったもので、地元出身の有力政治家(その時点でまだ首相ですらない)の長寿を祝う目的で建てられる予定だったものです。1929年(昭和4年)には既に、朝倉文夫が像を制作することが決まっており、地鎮祭まで行なわれていたそうです。

 

菅原道真も太宰府に左遷されて非業の死を遂げていますが、死後に神としてまつられ、全国に天満宮が造られ、いまや「学問の神様」として知らぬ人のいない存在になっています。
道真の人生がそれで変わるわけではないですが、後世の人々にこれくらい崇敬されたことで、まだ“浮かばれた”ほうだと思います。

 

犬養毅もせめて道真並みになってもらわないと、吉備津神社に参拝して願い事をする私が不安になるのです。
実は私の家でも、縁あって吉備津神社のお札を毎年お受けしてまつっているので、ほんとお願いします。

 

さらに言えば、桃太郎のモデルとして大々的に売り出していながら、犬・猿・雉のモデルである、犬飼健命(犬養毅の先祖とされる)と、猿飼部・楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部・留玉臣命(とめたまおみのみこと)が、神社にまつられていないことも気になります。
これでは「桃太郎のモデル」として説得力を欠くので、犬・猿・雉をまつる摂末社があった方がいいと思います。
そして犬飼健命の社で、相殿として犬養毅公をまつるのです。

 

犬の神様をまつる神社は、全国に数社存在するようですが数は少なく(犬飼健命をまつる神社はなさそう)、潜在的な需要はあるでしょう。
吉備津神社に「犬飼神社」を造れば、全国から勧請の依頼が来て、全国に「吉備津犬飼神社」が造られるのではないでしょうか。
そして犬飼健命とともに、犬養毅公も「犬の神様」として、菅原道真のように親しまれることとなり、それをきっかけに犬養公の実績と悲劇が、今よりも、もっと多くの人々に知られるようになるはずです。

 

これで吉備津神社も犬養首相に対して恩返しができますし、犬養首相も吉備津神社を崇敬した御利益を得られます。
吉備津神社の知名度や影響力も一層全国に広まりますし、犬飼健命の知名度が上がることで、「岡山県=桃太郎のふるさと」というイメージが強まり、岡山県の観光PRにも一役買うでしょう。
 

そして、ペットの犬の厄払いや安産祈願などをしたい飼い主さんたちの役に立ちます。いいことずくめだと思うのですが、いかがでしょうか?

「国宝・吉備津神社本殿の姿と大きさに圧倒される」へ続く)

 

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※『脱出ゲーム 香川県からの脱出』のヒット祈願で、ゲームの登場人物ゆかりの地を巡る旅は、以前にも何度か行なっています。よろしければこちらも御覧下さい。

 

 

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