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芥川賞候補作、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」を読んだ!
芥川賞候補作、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」を読みました。
坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」は、第62回文芸賞受賞作です。
選考経過は以下の通りです。
応募総数1959作のうち、第1次予選通過作品として30作、第2次予選通過作品として18作、第3次予選通過作品として12作、第4次予選通過作品として8作を選出、さらに選考の上、最終候補作品として5作を選び、選考会を開催、最終審議を行った。その結果、第62回文藝賞受賞作は、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」に決定した。
文藝賞受賞者の坂本湾は、1999年北海道生まれの25歳です。
選考委員は小川哲、角田光代、町田康、村田沙耶香の4名です。それぞれの選評は、文芸冬号に掲載されています。4人の選考委員がこれほど詳細に選評しているので、評価は定まっているように思えます。
小川哲は坂本湾との対談で、「文藝賞でデビューしたんだったら、坂本さんのもっている資質からすると芥川賞をとるしかない」、とまで冗談めかして言ってます。
小川哲の選評。
「BOXBOXBOXBOX」。宅配所に運び込まれた荷物を仕分けする仕事をしている四人の視点を、いわゆる「三人称神視点」と呼ばれる、カメラの位置をずらしながら描いた作品。宅配所内には、単純作業の繰り返しに朦朧とする意識を象徴するような霧が立ち込めており、四人はそれぞれ事情を抱えながら仕事に従事している。とにかく周到な小説だ。標題にもなっている「BOX」とは、宅配荷物の段ボールのことであり、従業員が使ってるロッカーであり、宅配所へ従業員を運び込むバスであり、宅配所そのものであり、我々の身体でもある。四人の視点から何重もの層に積み上げられた「箱」を描くことで、閉鎖空間の行き場のなさをうんざりするほど執拗に表現している。四人の視点人物も「箱」のもつ同質性、規格化、閉鎖性、無駄のなさといった要素を、「個人の生」に広げていくための回路として無駄がない。斎藤の嘔吐によって「箱」が濡れ閉鎖性が崩れたことで話が展開するのだが、「箱」の閉鎖性が崩れることが、その外部を覆う「箱」の存在を明らかにしていく。「箱」の外に出ることに意味はない。我々は何重にも梱包された「箱」の中にいるわけだ。・・・こんなに不気味で、こんなに心地の悪い小説は、高度な技術と強い決意、そして正確な批評眼がなければ書くことができない。
角田光代の選評。
「BOXBOXBOXBOX」は、宅配所で働く人たちを描く作品だが、安、稲森、斎藤、神代という四人の意識を流れるように小説は語られる。単純な労働が精神をじょじょに浸蝕し、彼らによって小説もまたゆっくりと破壊されていくかのように、現実と非現実があいまいになっていく。ラストで四人はその苛酷な状況から逃げおおせるのだが、しかしそれも現実なのか妄想なのかわからない。逃げおおせたという妄想だとしても、だれもちっとも幸福そうに見えない。では生きることということはなんなのだろうと、ふと考えてしまった。舞台は霧深い作業所から動かず、箱の中身はほとんどわからず、共感の感情移入もさせず、この四人は人間性をも感じさせず、彼らの交流までも妄想に押しこめてしまうのにそれでも「読ませる」力のある諸y接だと思った。
町田康の選評。
「BOXBOXBOXBOX」は候補作中、もっとも親しみを感じたさ右品であった。それは身に覚えのある、世の一切の楽しみから隔絶されてある底辺暮しの呻吟が描かれて在ったからであり、又、過酷な労働により魂が破壊されていく様子が描かれて在ったからである。その中で自己を保つために労務者たちがすること、考えることはみな合点がいくものだった。そして作者はそれを描く為、演出を凝らし、様々の舞台装置を用意するのはマア小説だから当たり前の話なのだが、それらは十分な効果を上げていないように思えたその結果、右の、労働の呻きや人間の壊れ、が真に迫らない、図式的なものになってしまった。
村田沙耶香の選評。
「BOXBOXBOXBOX」は、冒頭の工場の描写と箱の存在感がすでに魅力的で、完成された作品世界にすぐにぐっと引き込まれた。作品に描かれる「箱」たちは、日常の中で普段自分も見慣れているはずのものであるだけに想像力を掻き立てられ、生々しい存在感があった。人物たちが働いている空間もまた「箱」であり、その外にいる人の監視、言葉、気配も「見えない」ことで薄気味悪く存在を感じさせた。「見えない」ものたちが小説世界を拡張しており、その不気味さに強く心魅かれた。
坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」は、以下のように始まります。
薄霧のたちこめるなかに箱がある。いくつもの箱たちが列をなして、擦り切れて、潰れた角を剥き出しにして、沈黙している。トラックの揺れと運転手たちの厳つい手を経由してきた箱は、宅配所に蔓延する霧のなかで、摩耗した胴の色をしている。これらは、ゴムと金属が擦れてひどく振動するベルトコンベアの震えを全身に湛えながら移動している。虻の大群のようなモーターの駆動音が、機械の中から溢れ出てくる。ベルトコンベアがカーブにさしかかると肥えた親指のような曲線をえがいて箱はゆるやかにUターンする。そうして移動をつづけた箱たちはやがて、これらを待ちかまえている、作業員たちの掌に迎えられる。彼らに持ち上げられ、投げ飛ばされた箱は、ステンレス製のレーンに載せかえられ、スムーズにすべっていく。そうして、レーンの先に立っている運転手に持ち上げられ、トラックの荷台に積まれて、目的地へ運び込まれる。
今回は、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」が文藝賞を受賞したということで、大きくそれに引きづられました。
文芸冬号は、山田詠美デビュー40周年 「女流」の矜持、文学の倫理を特集しています。
過去の関連記事:
松山博昭監督の「ミステリーと言うなかれ」を観た!
松山博昭監督の「ミステリーと言うなかれ」を、アマゾンプライムビデオで観ました。
ヒットしているテレビドラマのようです。
天然パーマの主人公が見どころです。
解説:
田村由美による人気漫画を原作とした同名TVドラマの劇場版。通称“広島編”といわれる原作を基に、広島を訪れた天然パーマの大学生・久能整が代々、遺産を巡る争いで死者さえ出るといういわく付きの名家・狩集家の遺産相続事件に巻き込まれてゆく顛末が描かれる。出演は「花束みたいな恋をした」の菅田将暉、「アイ・アム まきもと」の松下洸平、「太陽とボレロ」の町田啓太、監督は「信長協奏曲(ノブナガコンツェルト)」の松山博昭。フジテレビ開局65周年記念作品。
あらすじ:
天然パーマがトレードマークで友達も彼女もいない、カレーをこよなく愛するおしゃべりな大学生・久能整(菅田将暉)。美術展のために広島を訪れていた彼は、犬堂我路(永山瑛太)の知り合いだという女子高生・狩集汐路(原菜乃華)と出会う。そこで汐路は、あるバイトを整に持ちかけるが、それは、狩集家の莫大な遺産相続を巡るものだった。相続の対象者は当主の孫にあたる、汐路、臨床検査技師の狩集理紀之助(町田啓太)、サラリーマンの波々壁新音(萩原利久)、幸という一人娘を持つ主婦・赤峰ゆら(柴咲コウ)の4人。彼らは狩集家の顧問弁護士・車坂義家(段田安則)の孫・朝晴(松下洸平)と共に、遺言書に書かれた「それぞれの蔵においてあるべきものをあるべき所へ過不足なくせよ」というお題に従い、遺産を手にすべく謎を解いてゆく。だが先祖代々続くこの遺産相続は毎回死人が出ており、汐路の父・弥(滝藤賢一)も8年前に他の候補者たちと自動車事故で死亡していたのだった。次第に紐解かれる遺産相続に隠された真実。そこには世代を超えて受け継がれる一族の“闇と秘密”があった……。
アンティ・ヨキネン監督の「魂のまなざし」を観た!
アンティ・ヨキネン監督の「魂のまなざし」を、アマゾンプライムビデオで観ました。
過去の関連記事:
東京藝術大学大学美術館で「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」を観た!
以下、KINENOTEによる。
解説:
フィンランドの国民的画家ヘレン・シャルフベックの1915年から1923年の時代を描く伝記映画。忘れられた画家であったヘレンは、ある画商が彼女の作品を発見したことで全てが一変。そして、15歳年下の青年ロイターとの出会いが大きな転機をもたらす。出演は、「ファブリックの女王」のラウラ・ビルン、「ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!」のヨハンネス・ホロパイネン。監督は、「ストーカー」のアンティ・ヨキネン。
あらすじ:
1915年、高齢の母親とともに田舎で暮らしていたヘレン・シャルフベック(ラウラ・ビルン)は、いわば忘れられた画家であったが、それでも湧き出してくる情熱のためだけに絵を描き続けていた。ある日、ある画商が訪ねてきて、彼女が描き溜めていた159点の素晴らしい作品を発見し、大きな個展開催に向けて動き出したことから彼女の人生は一変する。しかし、最も重要な転機は、画商が紹介した15歳年下の青年エイナル・ロイター(ヨハンネス・ホロパイネン)との出会いによってもたらされるのだった……。
ジル・パケ=ブランネール監督の「サラの鍵」を観た!
ジル・パケ=ブランネール監督の「サラの鍵」を,、アマゾンプライムビデオで観ました。
以下、KINENOTEによる。
解説:
1942年にパリで起きたユダヤ人迫害事件にまつわる悲劇を描いたタチアナ・ド・ロネのベストセラー小説を映画化。出演は「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス、「Ricky リッキー」のメリュジーヌ・マヤンス。監督は、自らもユダヤ人の祖父を収容所で亡くしているジル・パケ=ブランネール。
あらすじ:
夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、45歳で待望の妊娠をはたす。が、報告した夫から返って来たのは、思いもよらぬ反対だった。そんな人生の岐路に立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートは、かつて1942年のパリのユダヤ人迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族が住んでいたというのだ。さらに、その一家の長女で10歳の少女サラ(メリュジーヌ・マヤンス)が収容所から逃亡したことを知る。一斉検挙の朝、サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。すぐに戻れると信じて……。果たして、サラは弟を助けることができたのか?2人は今も生きているのか?事件を紐解き、サラの足跡を辿る中、次々と明かされてゆく秘密。そこに隠された事実がジュリアを揺さぶり、人生さえも変えていく。すべてが明かされた時、サラの痛切な悲しみを全身で受け止めた彼女が見出した一筋の光とは……?
芥川賞候補作、坂崎かおるの「へび」を読んだ!
芥川賞候補作、坂崎かおるの「へび」を読みました。
174回芥川賞の候補作としては、読むのは2冊目です。
先の「貝殻航路」の久栖博季は87年生まれ、84年生まれの坂崎かおるはそれより3歳年上である。だから、どうということではないけれど…。
例によって書き出しから…。
あなたはその背中を覚えている。
自転車だった。初めて乗れた日。夏秋はその日、薄い青色のシャツを着ていて、背中にはヨットのイラストがプリントされていた。そのヨットが、彼のふらふらとした運転にあわせて左右に揺れ、ゆっくり、でも確実に遠くに遠くになっていく様を見て、いつか来るであろう自分の子供の巣立ちの日を、あなたは反射的に想像した。
あなたが僕を買ったのはおよそ九年前だ。新宿にあった小田急百貨店の七階のおもちゃ売り場に、僕は僕たちの兄弟たちと並んでいた。あなたは夏秋の一歳の誕生日プレゼントを探していて、そのひとつの候補がぬいぐるみだった。あなたにはぬいぐるみを愛でるということはなかったから、果たしてどのようなものがよいかよくわからなかった。
「干支のものはどうでしょう」
売り場の店員に訊ねたところ、そんな答えが返ってきた。
けれど、あなたはその初老の男性店員の返答に、いくばくかの安堵と信頼を得たのは間違いない。なぜならあなたは結局、夏秋の干支である「巳」を想起しながら、ヘビのぬいぐるみである僕を買ったのだから。店員の声は低くて穏やかで、確信的な響きがあった。
けれど、夏秋はそのヘビのぬいぐるみを好まなかった。丁寧にラッピングされたリボンをほどき、紙袋から効果音つきで出して見せたとたん、夏秋は泣き出した。それはもう激しい鳴き方で、あなたは困惑を通り越して、小さく「ははっ」と笑い声をあげたくらいだった。
後日、あなたは那津と夏秋、三人連れで再び小田急百貨店に赴き、もう一度ぬいぐるみ売り場を確認した。あの初老の店員はおらず、代わりに若い店員がいた。彼女は、いくつかのキャラクターもののぬいぐるみを勧め、那津は真剣な面持ちで、そのひとつひとつを、宝石の鑑定士のように吟味した。
けれど、ベビーカーの上で夏秋が指差したものは、あのヘビのぬいぐるみだった。大量生産のうちのひとつ。あなたは、できるならば交換してもらおうと持ってきた、リュックの中に入るまったく同じ顔をしたヘビのぬいぐるみを頭の中で浮かべ、そして、夏秋が指差すそれと比べた。
「本当にこれでいいの?」
那津は何度か夏秋に訊ねたが、うなずく代わりに夏秋は、声にならない声を上げて、機嫌よくその尻尾をつかんだ。
夏秋が野球を始めたことは成り行きだったが、後年振り返ることになれば、それはある種の福音に近いものだったのだろう。誰かが救われる、という点においては。
そして少年野球の話が延々と続きます。
那津が人形になった日、あなたの帰りはめずらしく早かった。リビングで、人形になった彼女を、あなたはあなた自身が思うよりもより冷静に眺めることができた。半年ほど前だ。あたたかくもさむくもない日だった。那津の肌は塩化ビニルに直で塗装され、ひとみはガラス、髪はモヘアでできていた。
果ては、「飯田橋先生が捕まったって」開口一番、彼女は言った。え、とあなたは自分の声が裏返るのを感じた。駅で女子高生のスカートの中を盗撮した、という情報をソウダさんは熱心な声量で告げ、とにもかくにも今日の練習は中止で、今後のことはまた連絡するし相談したいと、一方的にしゃべって電話を切った。
「に」「げ」「よ」「う」「ふ」「た」「り」「で」
「またつらくなったら逃げようぜ」 「おいおい」 翔は笑った。「もうオレ、ひとの親だぜ」 「親でもさ」 僕は続けた。「親だからこそさ」
こうして書き写してみると、話題が次々と変わっていく。話しの焦点が定まらない。なにが書きたいのか、わかりません。
ということで、残念ながら芥川賞候補作としては届きませんでした、というより仕方がない結果でした。
小川哲の「言語化するための小説思考」を読んだ!
小川哲の「言語化するための小説思考」(講談社:2025年10月21日第1刷発行、2025年11月20日第3刷発行)を読みました。
過去に読んだことのある小川哲の本、「君が手にするはずだった黄金について」も、どういう経緯で読んだのか、いまだにいまだにわかりません。
"超わかる"とそんなんできるのはアンタだけや!を行き来するうちに伝わってきたのは、研ぎ澄まされた思考や技術すらも凌駕する圧倒的なストイックさ。この町一番の小説警察が取り締まっているのは、ほかでもない、自らのの筆なのだ。
朝井リョウ
手口をここまで明らかにしちゃっていいのかな、と思うかもしれないが、まだ隠しているはずで、それを探しながら読んだのだが、たぶん、その取り組みさえ想定しているはずで悔しい。小説書いたことないし、書くつもりもないけれど、なんか悔しい。
武田砂鉄
およそ言語を使用するあらゆる表現者は全員、この鋭利すぎる思索を前に、冷や汗を垂らしながら、わが身を振り返らずにはいられないだろう。創作論のネクストレベル、小川さん、キレッキレすぎますって!
宇多丸
直木賞作家・小川哲が実践する、
「伝わる」言葉を生み出す
”革命的”思考法!
目次
まえがき
1 小説国の法律について
2 小説の「勝利条件」
3 知らない世界の話について堂々と語る方法
4 「文体」とは何か?
5 君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
6 小説はコミュニケーションである
7 「伏線」は存在しない
8 なぜ僕の友人は小説が書けないか
9 アイデアの見つけ方
10 小説ゾンビになってわかったこと
11 小説の見つけ方
12 本気で小説を探しているか?
あとがき
小説「エデンの東」
小川哲:
1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテストの<大賞>を受賞しデビュー。1018年に「ゲームの王国」で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を、2022年に「地図と拳」で第13回山田風太郎賞を、2023年に同作で第168回直木三十五賞を、「君のクイズ」で第76回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。他の著作に「嘘と正典」「君が手にするはずだった黄金について」「スメラミシング」「火星の女王」などがある。
過去の関連記事:
芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」を読んだ!
芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」を読みました。
「貝殻航路」は40ページほどの中篇である。芥川賞候補作はかつては比較的短編が多かったが、最近では長くなって中篇がほとんどである。
さて、「貝殻航路」は、こうして始まります。
三か月後に豪華客船が入港するという話をラジオのローカル番組で聞いた。この街の西湊第四埠頭だ。ウェステルダム号というオランダ船籍の豪華客船で、ジュノーを出航して太平洋を横断し横浜に着く。その航路の寄港地の一つということらしい。ラジオのパーソナリティーによると大型船の入港や出港は補給のこともあってかなり大がかりなものになるそうだ。入港の日、船を迎える陸地の人々は浮立って、街はいつもよりほんの少し活気づくだろう。自分が旅に出るわけでもないのに人々は港にやって来て、停泊する豪華客船を見たがる。何かが、誰かがやってくるということは、それだけで気分を変えてしまうものらしい。
夫のあめみやがどこかへ出かけていってから、半年になる。わりと近場のこともあるし、信じられないほど遠くに行っていた、なんてことも今までにあった。行き先を告げずにどこかへ出かけることが、わたしたち夫婦の間では珍しいことではなかった。ただ今回は少し長い。車に乗っていったからせいぜいその程度の距離かと思っていたけれど、フェリーに車を積めるから、そうなると車で行ったからと言って安易に範囲を絞ることができなくなる。
車のかすかな振動がお尻から伝わって体の芯をゆさぶる。他人の車はやっぱり落ち着かないと思いながら、シートベルトを締めた。夕希音の運転技術を疑っているわけではない。においや、きこえてくる音、全部が自分の車とは当たり前だけど違っていて、少し緊張する。運転の邪魔にならない場所に色褪せたクマのぬいぐるみが飾ってある。夕希音の赤いハスラーに乗ったのは今日が初めてだ。赤と白のツートンカラーはとても可愛くて、わたしが絶対に選べない色だったから乗るのを一瞬ためらった。
夕希音はあめみやにとってたった一人の妹で、となるとわたしの義妹ということになるけれど年齢はわたしと同じだ。
「ねえ、あまみやって、まだ帰ってこないの?」
夕希音が不満そうにつぶやく。あいつばっかり、いつでもどこでも好きな場所に行けてずるいと言う。夕希音は自分に何も言わないで海外旅行にさえ行った兄を時々非難する。作曲の素材になったアラスカのことだろう。妹の自分になくて、あめみやだけが持っているものがたくさんあるのだと。確かにちょっとうらやましいなとは思うけど、わたしには夕希音がそこまで怒る理由がわからなかった。
あめみやと夕希音のお母さんはアイヌの人だった。亡くなった時、あめみやは十四歳で夕希音は二歳。それで夕希音はアイヌだけれどアイヌのことを何も教わることができなかったと悔しそうにしていた。母親の死後、兄弟は釧路に住む父方の祖母に育てられたようだけれど、そこにはいい思いではなさそうだった。あめみやは家に寄りつかなかったらしく、この辺りのことはほとんど話さなかった。それに自分がアイヌだということもめったにない。「あの女(メノコ)の子供」と呼ばれて育ったよ、といつか夕希音は言っていた。和人が執拗にアイヌ女性を「メノコ」という時、ただ女という以上に侮蔑の意味が加わる。
「ねえ凪、観覧車乗ろうよ」
振り返った夕希音はわたしの左手首を掴み返して、わたしたちは向かい合わせになって立ち止まった。夕希音は掴んだ手を軽く引く。互いの手が離れて、わたしたちは檻に背を向け動物の展示エリアを後にした。
「時々思い出しちゃうなつかしい灯台があってさ。その灯台はもうずいぶん長いこと光ってなくて、灯台としての役割を果たしてはいないけどね」
「どうして光がないの?」
「北方領土だからね、壊れても修理に行けないから」
もとは日本の灯台だったのに、今ではもうこちらからは誰も行くことができない。できることは、ただ朽ちていくのを望遠鏡で眺め続けることだけ,もう何十年もそうだ。
少しずつ高くなっていくゴンドラの窓から外を眺めると、眼下に敷き詰められたソ-ラーパネルが見えた。
「カイカライ。波の上面低いもの、という意味で、満潮になれば水没してしまうちっぽけな島だよ、日本語では貝殻島、カイカライはアイヌ語ね」
こうして書き写してみると、次第に分かってくることがあります。が、物語はまだまだ続きます。
第174景芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」、過不足なく描かれていて、なかなかよくできた小説です。まだ今年の候補作は一冊しか読んでいませんが・・・。でも、この作品に芥川賞を上げたいと思います。
ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を観た!
ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を観ました。
2025年10月23日、NHKBSで放映されたものを、録画しておいたものです。
以下、シネマトゥデイによる。
見どころ:
ナチスのホロコーストを生き抜いた実在のユダヤ系ピアニストの半生を描く、2002年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。『チャイナタウン』『テス』などで名高い巨匠ロマン・ポランスキー監督が、ポーランドの国民的ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録を映画化。幼少時をゲットーで過ごし、母を収容所で亡くした経験を持つ監督自身の原体験に回帰した渾身の一作。主演のエイドリアン・ブロディが、代役なしで臨んだピアノ演奏シーンは圧巻。
あらすじ:
1940年、ドイツ占領下のポーランド。ユダヤ系ピアニスト、シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は家族と共にゲットーへ移住。やがてユダヤ人の収容所移送が始まり、家族の中で彼だけが収容所行きを免れた。食うや食わずの潜伏生活を送るある日、遂に1人のドイツ兵に見つかる。
ヤコヴ・ラブキンの「イスラエルとパレスチナ ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」を読んだ!
ヤコヴ・ラブキンの「イスラエルとパレスチナ ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」(岩波ブックレット:2024年10月4日第1刷発行、2025年1月27日第5刷発行)を読みました。
目次
日本語版への序文
シオニストによる植民地化前夜のパレスチナ
パレスチナ人に対するシオニスト国家の態度
ユダヤ教の拒絶と新しい人間の形成
ヨーロッパの遺産――暴力と無力
10月7日の攻撃に至るまで
復習とイスラエルの存続
ダビデとゴリアテ、そしてサムソン
――地獄に落ちるのか?
あとがき
参考文献
訳注
訳者あとがき
ヤコヴ・ラブキン:
1945年、旧ソ連生まれ。レニングラード大学で化学を、モスクワの科学アカデミーで科学史を学んだ後、1973年にソ連を出国、数ヶ月イスラエルで過ごした後、カナダ・モントリオールに居を定め、モントリオール大学の科学史及び科学社会政治学研究所に在籍。後に同大学歴史学科教授。科学と政治、科学と宗教の間の、また科学史とテクノロジィーの間の相互関係に関する著作活動を行うとともに、ユダヤ教、シオニズム及びイスラエルに関する業績はとりわけよく知られ、多くの言語で出版されている。著書に「トーラーの名において――シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史」(平凡社、2010年。平凡社ライブラリーで細管予定)、「イスラエルとは何か」(平凡社新書、2012年)などがある。
鵜飼哲:
1955年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学名誉教授。専門はフランス文学・思想、著書に「いくつもの砂漠、いくつもの夜――災厄の時代の喪と批評」(みすず書房、2023年)、「テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想」(インパクト出版会、2020年)、「主権のかなたで」(岩波書店、2008年)、訳書にジャック・デリダ「動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある」(ちくま学芸文庫、2023年)など。
過去の関連記事:
鶴見太郎の「ユダヤ人の歴史 古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで」を読んだ!
長谷川修一の「ユダヤ人はいつユダヤ人になったのか――バビロニア捕囚」を読んだ!
松家仁之の「天使も踏むを畏れるところ(下)」を読んだ!
松家仁之の「天使も踏むを畏れるところ(下)」(新潮社:2025年3月25日発行)を読みました。
上巻545ページ、下巻538ページ、計1083ページの大部、しかし文章は平易で読みやすい。
1968年、見えない中心が完成する。
かつてない密度とスケールの大河小説!
東京オリンピックによる未曽有の建設ラッシュのなか、皇室の伝統と民主社会の節点を探りながら「新宮殿」の設計は佳境を迎えようとしている。建築家・村井俊輔を支える者、反目する者、立ちはだかる壁・・・。理想の建築をめぐる息づまる人間ドラマを描き出す大長編。
浅間山のふもとにある「夏の家」で、村井俊輔は署員とともに「新宮殿」の設計を進めてゆく。村井の恋人、園芸課の藤沢衣子は皇太子御成婚の立役者である東宮参与・小山内二依頼さ美智子妃の庭園の御用掛、相談役をつとめるようになる。緑青がうつくしい銅板葺きの屋根、玄関ホール天井のやわらかなダウンライト、おびただしい数の障子が醸しだす静謐さ、人の目に触れ、手に触れる、建具や手すりなど木工造作のディテール・・・。村井が描く「新宮殿」の姿が次第に明らかになるにつれ、天皇の侍従・西尾が案じていた通り、宮内庁の牧野が分を超えた采配を振りはじめる。――関東大震災から戦中・戦後、高度成長期まで、激変する日本社会を背景に、理想の建築をめぐる息詰まる人間ドラマを描き尽くす大河小説。
「オリジナリティなんていうものは、ないんだよ。
オリジナリティが存分に発揮される建築があるとしたら、
それは化け物屋敷みたいなものだろう。
百年後にもすばらしいと感じられる建築は、
あたらしい顔をしているというより、
どこかで見たことのあるものが少しずつ集積して、
見事にそこに落ち着いている――そういうものじゃあないか」
(本文より)
松家仁之:
1958年、東京生まれ。編集者を経て、2012年、デビュー長編「火山のふもとで」を発表。同作で読売文学賞受賞。2013年「沈むフランシス」、2014年「優雅なのかどうか、わからない」、2017年「光の犬」で河合隼雄物語賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2021年「泡」を刊行。共著・編著に「新しい須賀敦子」「須賀敦子の手紙」、新潮クレスト・ブックス・アンソロジー「美しい子ども」、「伊丹十三選集」全3巻など。
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