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小林麻衣子の「西村賢太殺人事件」を読んだ!

 

小林麻衣子の「西村賢太殺人事件」(飛鳥新社:2025年10月31日第1刷発行)を読みました。

 

生きていてほしかった

恋人が綴った、けんけんとの3547日

 

私のせいで西村賢太が殺された、

との認識が、突然背後から鈍器で殴りかかってきた――瞬間、左のみぞおちが反り返るようにグググと引き攣って、洗面台に駆け寄って嘔吐いていた――

「西村賢太殺人事件」の爆誕である。

これは、私が私のために書きました。
西村賢太のために、
などとは歯が浮くようでちょっと言えないし、
私が書かねば彼が忘れられてしまうから、
などという考え自体、まるでない。
書いていると、
不在感が増幅されて泣くこともあった半面、
思いがけず記憶の彼方から蘇ってくる彼に
出くわして喜ぶこともあった。

「自分の人生に責任、持てよ」

この言葉がなかったら、ここまで書けなかった。

 

目次

まえがき

第一章 火吹き達磨としぶり腹

第二章 岡山ルーチン

第三章 遙道

第四章 DJけんけん

第五章 一国一城の主

第六章 暴力の沙汰

第七章 ケダモノの舌

第八章 愛情乞食

第九章 清造大権現

第十章 西村賢太殺人事件

あとがき

 

小林麻衣子:

1974年東京都生まれ

神戸女学院大学文学部卒業。

日本語教師。

 

過去の関連記事:

西村賢太の「雨滴は続く(未完)」を読んだ!

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青木理の「闇の奥」を読んだ!

 

青木理の「闇の奥」(河出書房新社:2025年10月30日初版発行)を読みました。

頽廃する権力とメディア、そして仄かな光をめぐるルポ・時評集

 

政治、警察、検察、そして報道

腐食の新部を白日の下に晒せ!

大川原化工機冤罪事件を先駆的に暴いた「闘うジャーナリスト」が、

現代の権力構造の深奥をえぐり出す

決定的な一門。

 

危機の時代に対峙する

ジャーナリズムの乾坤一擲

それでは青息吐息のメディアやジャーナリズムは、このまま手をこまねいて漫然と朽ち果てていくのか。それとも歯を食いしばって書くべきことを書き、伝えるべきことを伝え、荒廃の度を強める権力や権威が固守する闇の、さらにその奥へと多少なりとも光を照射していけるのか。

(序章「闇の奥へ」より)

 

斬り込め、暴け、批判せよ。

ジャーナリズムの最前衛。

 

目次

序章 闇の奥へ

  大手メディアが書くべきことを書かない

  新聞・雑誌・テレビの凋落、休刊、廃刊・・・

  SNSは旧来メディアの功罪の写し鏡

第1章 内部告発者はなぜ逮捕されたのか

 内部告発者はなぜ逮捕されたか

  「鹿児島県警は芯から腐りきっている」

  「小メディア」の果敢な不正追及

  異常かつ論外の家宅捜索

  あるジャーナリストに寄せられた内部告発

  元最高幹部の切実な訴え

  県警本部長の不可解な言い分

  証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ

  ジャーナリズムの二重の敗北

 報道への不当介入

第2章 刑事司法の闇――大阪地検と検察の犯罪

  司法権の”入り口で”

  現職検事が刑事被告人に

  「関西検察」だけではない

  戦後冤罪事件の節目

  日本の刑事司法は”中世の名残”

  権力の守護神

  闇の所在は明らか

第3章 闇を捉える

  入管施設をめぐる”上から目線”

  呆れた首相補佐官

  果たして「歴史戦」か

  ”保守派”の諸兄姉へ

  大川原化工機事件の本質

  以下略

第4章 眼と目

  立法府欺いた責任

  「ニューヨーク・タイムズを守った男」評

  「オフィシャル・シークレット」評

  「一強」政権の本性

  司法と公文書

  以下略

第5章 大川原化工機事件の核心――公安警察と司法の歪み

 高田剛×青木理

結びに

 

青木理:

1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。取材と思索、緻密な文体によって時代の真相に肉薄する。著書に「安倍三代」「情報隠蔽国家」「暗黒のスキャンダル国家」「時代の抵抗者たち」「時代の異端者たち」「破壊者たちへ」「カルト権力」「時代の反逆者たち」ほか。

中村文則の「自由思考」を読んだ!

 

中村文則の「自由思考」(河出文庫:2024年7月20日初版発行)を読みました。

 

ユーモア溢れる日常のものからシリアスなもの、物語の誕生秘話から文学論、政治思想まで。生きにくいこの時代を生きるための無数な言葉たち。中村文則・22年の「思考回路」が詰まった初エッセイ集、待望の文庫化! 文庫版オリジナル(「饅頭と名簿が消えた夜に」「パンデミックについて」「命の糧 フリーターの時」「精霊のような人」「生涯の宝」他)に加えて、書下ろしも収録。

 

目次

見知らぬ男

柳の木

ひがのジョリー

鬼はどこへ

京都にて

以下略

不惑を前に僕たちは

こういう時代の苦肉の策

文化も救ってくれる

2011年3月福島民報への寄稿文

国は目を覚ます時

以下略

歯医者が嫌い

犬被害

成人式

バレンタインデー

お茶目な左腕

以下略

文庫本あとがき

 

「文庫版あとがき」より

これは、2019年に刊行された、僕の初めてのエッセイ集「自由思考」の単行本を、ぶんこかしたものになる。

I はエッセイと文学論など、Ⅱは社会問題、Ⅲはエッセイと受賞関連の文という風に、ぼんやり章分けしている。でも読み物としての流れもあるので、明確には分けなかった。

 

中村文則:

1977年愛知県生まれ。2002年「銃」で新潮新人賞を受賞しデビュー。04年「遮光」で野間文芸新人賞、05年「掏摸」で大江健三郎賞を受賞。12年「掏摸」の英訳が米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」の年間ベスト10小説に選ばれる。14年David L..Goodeis賞(米)、16年「私の消滅」でドゥマゴ文学賞、20年中日文化賞を受賞。他の著作に「何もかも憂鬱な夜に」「去年の冬、きみと別れ」「教団X」「R帝国」「列」など。エッセイ集に「自由思考」、対談集に「自由対談」がある。

 

過去の関連記事:

中村文則の「彼の左手は蛇」を読んだ!

中村文則の「列」を読んだ!

中村文則著「教団X」を読んだ!
「第4回大江健三郎賞 大江健三郎と中村文則の公開対談」を聞く!
中村文則の「掏摸」を読んだ!
大江健三郎賞に中村文則の「掏摸」が!
芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!

 

 

 

映画「千夜、一夜」を観た!

 

映画「千夜、一夜」を、アマゾンプライムビデオで観ました。

 

以下、KINENOTEによる。

 

解説:

日本映画界を代表する女優・田中裕子が、失踪した夫の帰りを待ち続ける妻を演じるヒューマンドラマ。登美子の夫が姿を消してから30年。彼はなぜいなくなったのか。生きているのかどうか、それすらわからない。そんなある日、2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。共演は「茜色に焼かれる」の尾野真千子、「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」の安藤政信。監督は「家路」の久保田直。

 

あらすじ:

北の離島の美しい港町。30年前、登美子(田中裕子)の夫が突然姿を消した。彼はなぜいなくなったのか。生きているのかどうか、それすらわからない。漁師の春男(ダンカン)は登美子に想いを寄せ続けているが、彼女がそれに応えることはなかった。ある日、登美子のもとに、2年前に失踪した夫・洋司(安藤政信)を探す奈美(尾野真千子)が現れる。彼女は自分のなかで折り合いをつけ前に進むために、夫がいなくなった理由を探していた。そんな折、登美子は街中で偶然、洋司の姿を見かける……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羽根木公園で「せたがや梅まつり」を観た!

 

羽根木公園で「せたがや梅まつり」を観てきました。

毎年のように観に行っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第174回芥川賞選評を読んだ!その3

 

第174回芥川賞選評を読みました。

 

選考委員は、以下の9名です。

小川洋子、奥泉光、川上弘美、川上未映子、島田雅彦、平野啓一郎、松浦寿輝、山田詠美、吉田修一。

 

僕が読んだ第174回芥川賞決定発表

芥川賞受賞作、鳥山まことの「時の家」を読んだ!

芥川賞候補作、畠山丑雄の「叫び」を読んだ!

 

僕が読んだ受賞作以外の候補作は、次の三作品です。

芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」を読んだ!

芥川賞候補作、坂崎かおるの「へび」を読んだ!

芥川賞候補作、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」を読んだ!

 
選評は、3人ずつ3回に分けて載せます。
 
吉田修一:
「叫び」圧巻の受賞作は、とても無口な小説である。いやいや関西弁で喋りり倒しているじゃないかと思われるかもしれないが、饒舌にも二種類あって、相手を楽しませようとするもの、自分が楽しいだけのもの、もちろん今作は前者であり、ゆえに饒舌の底の知的な寡黙が響いてくる。天皇の贖罪を問うという大テーマに関しては、あまりに無防備と言わざるを得ないが、とはいえ銅鐸とキャバ嬢が違和感なく並ぶ諧謔や「銅鐸」「米やん」「蛍」「虫やん」のようなコテコテノコントがそんな稚拙な理屈や認識を成熟した思考のようにかえていく手際はエレガントでさえあり、全てに不誠実であることの誠実さとでも言いたくなるような芯の強さが本作にはある。
「時の家」片やもう一つの受賞作は、全方向的に誠実そうな人たちばかりが出てくる。今の時代、誠実さの美徳の方が不誠実さのそれよりも受けがいいのだろうし、だからこその野間文芸新人賞と芥川賞のW受賞という快挙なのだろうが、欲を言えば全てに誠実であることの不誠実さまで到達してほしかった。あと、いかんせん小説としての立ち上がりが遅い。暖房器具だったら風邪を引く。たとえば、”リビングダイニングも玄関も寝室も洗面所ももう区切られていない。柱を縦に伸ばしただけの一つの空間へと戻されて、移動がしやすくなった三人の男は休むことなく忙しく動き続ける”という一文なども”柱だけに戻された家の中を、三人の男たちは自由に動き続ける”でよくないか? と思ってしまうが、それでは薪ストーブのよさがなくなるのだろうか?
 
奥泉光:

自分が最初から推そうと考え選考会に臨んだのは「時の家」である。設計家の思いが込められているとはいえ、まずは平凡な住宅を主人公に据え、そこに住んだ人たちの、これもまた平凡な暮らしぶりを描くことで、重層的に積み重なる家の歴史が立ち上がる。家のスケッチを残そうとする青年を配することで、柱に些細な庇など、目立たぬ細部から物語が引き出されていく仕掛けには感心させられた。起伏の少ない物語の連続にはやや退屈させられたが、小説の最後、家屋が取り壊される場面に至って、深い哀切の感情が湧起したところで、本作品の狙いが成功していることを確信した。

もう一つの受賞作「叫び」は、万博が開催される大阪、その他に地層の如くに蓄積された物語を呼び起こしながら、少しずつ不思議な人物らの交錯を描いた小説で、かたられるエピソードや台詞のやり取りは、関西弁のリズムを活かして魅力的である。これも推してよいと考えて選考会に臨んだ。ただ、小説中の思弁、ことに「聖」をめぐる言説あるいは表題にもなった「叫び」の示すところは理解しずらく、最後の天皇の登場を含め、小説的企みは、議論を重ねた後もなお十分に捉えきれなかった。
 
川上弘美:
今回は、二作品を推しました。「へび」坂崎かおる、「時の家」鳥山まこと、です。両作品ともに、いままで見たことのない小説の書きようを見せてくれた、と感じたからでう。・・・「時の家」は、すでに空き家となった一軒の家に残る様々な痕跡から、そこに住んだ何人かの人々の記憶を呼び起こす、という小説です。・・・「時の家」の新しさは、住み心地はかなりよさそうだけど、ごく平凡にも感じられる一軒の来し方と行く末を、ていねいに描くことによって、そこに住んだ人たちの感情や行動が、まるで再現された記憶のように浮かびあがってくる、というオリジナリティーあふれる書きようでした。
「叫び」畠山丑雄、の、「早野」のからっぽ具合の面白さが、わたしにはうまく見えてこなかった。この小説の熱を持った文章からはじき出されてしまったのは、けれどおそらく作者の責任ではなく、わたし自身とこの小説の相性、のせいなのだと思います。むろん、相性のいい相手ばかりの世の中なぞ、わたしは嫌いですので、、多くの委員がこの小説を推したことを心から寿ぎたく思います。
 

第174回芥川賞選評を読んだ!その2

 

第174回芥川賞選評を読みました。

 

選考委員は、以下の9名です。

小川洋子、奥泉光、川上弘美、川上未映子、島田雅彦、平野啓一郎、松浦寿輝、山田詠美、吉田修一。

 

僕が読んだ第174回芥川賞決定発表

芥川賞受賞作、鳥山まことの「時の家」を読んだ!

芥川賞候補作、畠山丑雄の「叫び」を読んだ!

 

僕が読んだ受賞作以外の候補作は、次の三作品です。

芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」を読んだ!

芥川賞候補作、坂崎かおるの「へび」を読んだ!

芥川賞候補作、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」を読んだ!

 
選評は、3人ずつ3回に分けて載せます。
 
小川洋子:
「叫び」の早野は、土地に埋もれた記憶と、どこまでも流れ去ってゆく時間が交差する一点に、思いがけず足を取られる。銅鐸に閉じ込められた、死者たちの声が漏れ出すのを耳にし、やがて自らの死もその響きに連なるのだと気づく。
彼を銅鐸に出会わせた、先生の存在が本作の根底を支えている。鼻持ちならない、説教好きな先生には、独特の愛敬がある。きっと先生自身、どこまでが本気でどこからが冗談なのか、自覚していないのだろう。早野同様、読み手もまた、難しいことは考えず、ただ空気の振動に身を任せているうち、いつの間にか夢洲から満州へ、地上から地下へと、自在に行き来している。
銅鐸は単なる遺物ではない。抱いて一緒にベットで温まる相手、女性からの反撃で血まみれにされる同士、そして、無数の叫びの隠れ場所である.。銅鐸と肉体の境目が溶ける時、時空にポツンと浮かぶ、小さな自分を慈しむことができる。何と包容力のある作品だろう。
”・・・何かを造るということが無性に好きだ”と、「時の家」の藪さんは思う。人間の手が持っている時間の遅さに、身をゆだねる建築家だからこそ、藪さんの家の細部には、住んだ人々の生きた痕跡が宿る。たとえ誰に思い出してもらう機会もなく、瓦礫になってしまったとしても、なかったことにはできない。人の手の体温は、すべてが消え去ったあとも尚、家の細部とともに記憶を抱き留め、守り続ける。物と者、ふたつのものが等しく肩を寄せ合っている様を思い浮かべるうち、細部の向こうに広がる無限が見えてくる。
 
松浦寿輝:
鳥山まこt「時の家」は、一軒の家に次々に暮らしては去っていった複数の人々の人生を通じて、歴史の時間をいわば定点観測してみせた力作。堅牢な壁や床を作るように飛躍なしに敷き詰められてゆくリアリズムの文体は、やや古臭い固陋感がなきにしもあらずだが、これだけの分量の言葉が費やされるとその迫力には圧倒されざるをえず、その感銘は最後に至って家の解体作業の丹念きわまる描写で頂点に達する。
畠山丑雄「叫び」の、窘められても嫌がれてもいっこう懲りずに奇行を重ね、そうしながらも批評的な自意識やユーモアを欠いているわけでもない主人公はきわめて魅力的だ。銅鐸、坑道、万博、天皇と、ちぐはぐな取り合わせであっちこっちするこの物語のグルーヴ感に、思わず乗せられざるをえないが、しかし、こんなにとりとめがなくて良いものなのかとふとしらける瞬間がなくもない。
 
川上未映子:
「時の家」。冒頭の練られたリズムと緊張感は頼もしく、作品の目指そうとしている理想が明確で、候補作のなかではもっとも完成度が高かったように思う。しかし、ささやかな日常を愛でる人々と外から
「」やってくる災いの構図、それらを束ねる青年の想像力も含め、描写され語られる痕跡の質があまりに素朴ではあるまいか。家は作者が関心の持てないもの、避けているものを、もっと見ているだろう。
「叫び」。地の文がほとんど銅鐸の先生の受け売りと読んだ資料の情報で構成され、主人公の行動や発想に主体性が与えられず、滑稽にも描かれるさまは、この作品のテーマである土地と歴史と個人の失われたロマン、さらには虐げられた人々の叫びそのものへのアイロニー/パロディとして機能するのかもしれない。作品の要点である、聖、福祉、国家など複数の価値観が検証されておらず、恣意的な構成も気になった。
 

第174回芥川賞選評を読んだ!その1

 

第174回芥川賞選評を読みました。

 

選考委員は、以下の9名です。

小川洋子、奥泉光、川上弘美、川上未映子、島田雅彦、平野啓一郎、松浦寿輝、山田詠美、吉田修一。

 

僕が読んだ第174回芥川賞決定発表

芥川賞受賞作、鳥山まことの「時の家」を読んだ!

芥川賞候補作、畠山丑雄の「叫び」を読んだ!

 

僕が読んだ受賞作以外の候補作は、次の三作品です。

芥川賞候補作、久栖博季の「貝殻航路」を読んだ!

芥川賞候補作、坂崎かおるの「へび」を読んだ!

芥川賞候補作、坂本湾の「BOXBOXBOXBOX」を読んだ!

 
選評は、3人ずつ3回に分けて載せます。
 
平野啓一郎:
「時の家」は、一軒の家を中心に建築家とその住人たちの歴史を描かスタイルで、意図は明瞭だが、視覚情報を時間芸術としての小説の文体に落とし込む工夫が足りなかった。個々の登場人物たちが、他者との差異や死の意識、建築を通じての自己認識といった諸々に対し、ナイーヴ過ぎるところも疑問である。
私が推したのは、「叫び」だった。”生きる緑”モトというジャンルは多々あろうが、銅鐸の選択とその怪しげな師との関係に独自性がある。諧謔に富んだ文体で、日常の低俗の底から郷土史にアクセスし、戦中の満州にまで物語を押し広げ、更に二つの万博を架橋するその力量には笑いながら唸った。物語の天皇への接続の仕方は意見が割れたが、「聖」といい、その冷静論と言い、最初から笑うべきナンセンスとして提示されており、にも拘らず、それに吞み込まれる男の滑稽さが巧みに表現されている。、結果、ナンセンスのみならず、あらゆるものがパロディ化され、作者がほとんど文体模写的に影響を隠さない古井由吉的なものでさえ、笑うべきもののように見えてしまう。これは、真面目にその問題群を引き受けようとする者にとっては、困惑させられる事態だが、しかし、こうした虚無的なバカらしさに鍛えられることのない真面目は脆弱なものとなろう。
 
島田雅彦:
家の設計図は緻密で、ミリ単位の寸法や角度、高さ、素材の指定など細部に至るまで徹底している。「時の家」は設計図をトレースしたような文章が延々と続くので最初はとっつきにくいが、作者の企みが伝わると、このベタな文章がメタに変わる。ポーの「アッシャー家の崩壊」のように人を収める容器としての家が主人公の小説は少なからずあるが、古城でも、寺院でもなく、普通の家の壁や柱やタイルに刻まれた設計者、代々の住人の記憶や出来事の痕跡を辿る。いえというのはこのようにじょうぜつにかこをかたるものなのかというおどろきがあった。これは家が語る「失われた時を求めてである。
関西には偽史の分厚い蓄積があり、それが説教節や講談という口承文芸となって現れたり、伝奇小説に翻案されたり、トンデモ史観として噂されたりしてきた。銅鐸への執着、歴史への拘泥、好きな女性を聖と見放すような萌えが三つ巴になってうねるスクラップスティックとして評価されたが、笑いのツボは読み手によって異なり、西日本出身者にはイマイチという傾向が選考委員にも見られたのは面白かった。
 
山田詠美:
「時の家」。最初、作者がどこに向かおうとしているのか解りかねて、読むのがとても苦痛だった。しかし、谷川俊太郎の詩あたりに来て、あ、そうなのか、とようやく気付いて、いっきに引き込まれた。ここに辿り着くまで、何故こんなに長いのか。後半の心に染みる部分にぶつかるたびに、出来るんなら早くやってよー、と思った。でも、家だもんね。文句は言えませんね。「家っていうのは時の幹やから」この一行にしびれました。ややく言ってよー。
「叫び」。銅鐸をこんなに素っ頓狂な形で登場させるとは!荒唐無稽の域を飛び越えて、ほとんどチャーミングである。思わずふき出してしまう大仰な言い回しや、テキ屋の口上か!と呆れるハッタリのかまし具合。でも、言葉によって時をつなげて土地を掘り起こしたのは紛れもない小説の仕事だと思った。ただし、最後のエピローグはまったく不要。しかし、これを書きたいために、そこまでのスラップスティックがあったのか、とも感じたが、その部分、まったく感心できず興醒めした。
 
 

太田記念美術館で「浮世絵おじさんフェスティバル」(後期)を観た!その2

 

太田記念美術館で「浮世絵おじさんフェスティバル」を観てきました。

 

全作品、主役はおじさん! 

浮世絵の〈おじフェス〉開催

浮世絵の風景画などの片隅には、しばしば味わい深い人物―“おじさん”たちが描かれています。楽しそうに旅をしたり、仕事に励んだり、グルメに舌鼓を打ったり。彼らは決して絵の脇役にとどまらず、見れば見るほど個性豊かで、愛嬌にあふれています。
本展では、前後期あわせて150点を超える作品を通して、浮世絵に描かれた多彩なおじさんたちを紹介。歌川広重をはじめとした作風も時代も異なる絵師たちの作品が一堂に会する、まさに〈おじさんフェスティバル〉です。おじさんを通して浮世絵の細部を見つめ直すことで、作品の新たな魅力や絵師たちの意外な個性を再発見していただけることでしょう。

※本展は中山道広重美術館で好評を博した「浮世絵おじさんフェスティバル」展のコンセプトをもとに、新たに構成した展覧会です。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
朝日新聞::2026年1月12日
 
朝日新聞:2026年2月19日

太田記念美術館で「浮世絵おじさんフェスティバル」(後期)を観た!その1

 

太田記念美術館で「浮世絵おじさんフェスティバル」(後期)を観てきました。

 

全作品、主役はおじさん! 

浮世絵の〈おじフェス〉開催

浮世絵の風景画などの片隅には、しばしば味わい深い人物―“おじさん”たちが描かれています。楽しそうに旅をしたり、仕事に励んだり、グルメに舌鼓を打ったり。彼らは決して絵の脇役にとどまらず、見れば見るほど個性豊かで、愛嬌にあふれています。
本展では、前後期あわせて150点を超える作品を通して、浮世絵に描かれた多彩なおじさんたちを紹介。歌川広重をはじめとした作風も時代も異なる絵師たちの作品が一堂に会する、まさに〈おじさんフェスティバル〉です。おじさんを通して浮世絵の細部を見つめ直すことで、作品の新たな魅力や絵師たちの意外な個性を再発見していただけることでしょう。

※本展は中山道広重美術館で好評を博した「浮世絵おじさんフェスティバル」展のコンセプトをもとに、新たに構成した展覧会です。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝日新聞::2026年1月12日
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